アルティメット千早な僕が765プロのオーディションに落ちた件 作:やんや
ビュッフェスタイルで移動を余儀なくされるため実質カロリーゼロ。
美味しいから大丈夫。
スイーツフェスタの会場へとやって来た。
ここまで僕と春香は手を繋いだままだった。
秋月律子の前から春香に連れ去られた(?)時に腕を引かれた時以来だろうか。春香と手を繋ぐのは久しぶりだった。
これまで何度も触れ合うことはあったのだけど、手を繋ぐという行為は極力避けるようになっていた気がする。
それはきっと、あの時僕が春香の手をとることができず、春香が僕に手を取って貰えなかったことが互いに心に棘として残っていたからだと思う。
それも先程の一件で解消された。
ショック療法?
怪我の功名?
まあ、何でも良いか。春香とこうして手を繋げたことはお互いにとって大きな意味を持つことに変わりはないのだから。
しかし、手を繋げるようになったのはいいとして、今度はこうして僕と春香が仲良く歩いていると周囲の人に気付かれたらと思うと気が気ではない。
お互い一般人だったなら何も問題が無かったのだけど、春香は誰もが知るトップアイドルの天海春香なのだ。そんな人間が僕みたいな無名の新人と仲良く手を繋いで歩いていたなんて知られたらどうなるか……。
うん、少し考えればわかる。トップアイドルに寄生する売名女くらいは言われるだろうね。非難メール、剃刀レター、ゴミの投げつけ、最後には闇討ちをされる。
僕が何か言われるのはいいけれど、春香が悪く言われたり家族や事務所に迷惑がかかるのは絶対に避けたい。
暫く、いや可能なら僕がトップアイドルに名を連ねるまで春香との関係は黙っておくのが吉だな。
後で春香には伝えておかないと。
さて、ようやくたどり着いたフェスタ会場なのだけど、会場と言いながら普通のスイーツ店に見えた。
想像よりも小さい?
もっと大きな場所を想像していたので少しだけ拍子抜けしてしまった。
でも、この規模の店舗で完全予約制が成り立つとあって人気はあるようだ。その証拠に予約制にも関わらず入場待ちの客で長い列ができていた。
予約しているならばわざわざ並ぶ必要はないと思うのだけど、春香が言うにはそれにも理由があるらしい。
このフェスタは入場こそ予約制であるものの中に入ってから席を取るまでは早い者勝ちだ。だから今こうして並んでいる人達は少しでも良い席を取るために早くから来ていたガチ勢ってことになる。
席取りと言ったって、あまり広くはない店だ。スイーツまで数歩違うだけで何が変わるというわけでも無いのに……。
それだけ女性達のスイーツに掛ける情熱が凄いってことかな。皆まだ時間があるというのに即応体制でいつ入場が始まっても大丈夫という感じだ。中には徒競走のスタート準備のように前傾姿勢で待機している子もいる。……これはさすがにガチ過ぎるだろ。
対して春香はそこまでがっついている様には見えない。むしろ行列を見て若干引いているくらいだ。彼女の場合、いざとなれば自分で作れるのだから、スイーツ食べ放題にそこまで必死になる必要がないのだろう。
僕の方も食にこだわりというか頓着が無いので早くから並んでまで席を確保しようという気にはならない。いざとなれば春香か優が作ってくれるしね?
この世界でも原作同様に春香のお菓子作りのスキルは高い。何度もご相伴にあずかっているためよく知っている。
きっと春香くらいお菓子作りが得意なアイドルなんていないんじゃないかな。
優も最近料理の腕を上げてきているみたいだし、誰かしら対戦相手でも想定しているのか静かに闘志を燃えているようにも見える。その様子が男の子していてカッコいいのだ。
……と思うのは身内贔屓だろうか?
それから暫くて、予約した回の入場が始まり僕達は会場へと入った。
「へぇ……」
「わぁ〜!」
店内は想像していたよりも広かった。
この地域にこれだけの広さの店を構えるのは相当大変だっただろうに。それを考えると思わず感嘆の声が出てしまう。
隣の春香も感心している。いつもの謎変装越しでも、それなりの付き合いの長さから春香の感動の程度はわかった。
「良い雰囲気のお店ね」
「そうだね。置いてあるお菓子もどれも可愛いし、種類もたくさんあるから迷っちゃいそう!」
「一種類ずつ食べたとしても、とても時間内に制覇できる気はしないわね……」
何種類あるのだろう。
ケーキ類だけでも何十種類とあるぞ。これを時間内にコンプリートするのは無理だ。明らかにリピーター狙いに思える。その割にはチケットの競争率が高すぎると思う。
「せっかく来たんだから食べないと損だよ、席を取ったらさっそく取りに行こうよ!」
「……そうね、少しでも時間を有効活用しないといけないものね」
すでに食べる気満々な春香に内心苦笑しつつお腹の調子を確かめる。
昨日の死にたくなるくらいの痛みほどはないが、まだまだ身体の方は本調子とは言えなかった。内臓全体が腐っているような、何とも言えない違和感が残っている。
できるなら一度お腹を開いて中身を洗い流したくなる。僕の身体ならやれなくはないが、現場が血溜まりになるので場所の用意が必要だ。
まあ、現状でも物を食べられないということはないので無理をすればおかしくない程度には食べられるかも?
若干の不安を抱きながら、僕達は適当な席を確保すると早速お菓子を取りに向かった。
ビュッフェ式のため好きなお菓子を取り放題だ。わーい、うれしいなー……。
せめて注文式であったなら小さいケーキとかを頼んで「わー可愛いー食べるのがもったいなーい」とかアホな女のふりをして時間を稼ぐこともできたのに。
見渡す限りのお菓子の群れはその存在に反して決して甘い存在ではなかった。普段は綺麗に見える色とりどりのお菓子が今は毒々しく見える。怪しい魔女がネルネルするお菓子の方がまだましに見えるくらいにギラギラした物もあり、今の僕には毒に見えてしまう。
実際のお菓子を前にすると先程まで余裕があったことが嘘のように気持ち悪くなって来た。
うん、これは吐く。
そう確信するに足る程の不快感が胃を襲った。
「……うぐぅ」
気力を振り絞り寸でのところで嘔吐を回避する。こんなところで吐いたりしたら大惨事な上に他のお客さんに迷惑がかかる。そして何よりもせっかく誘ってくれた春香に申し訳が立たない。
幸い春香は少し離れた位置にいるため僕の異変に気付いてはいなかった。
僕が体調を崩していると知れば、きっと春香は誘ったことを後悔してしまう。だから、僕は体調不良自体を春香に悟られない程度にお菓子を楽しんでいるふりをしなければならない。
「……よしっ」
時間ごとに増す不快感を極力無視し、気合いを入れ直して再びお菓子の群れへと向き合う。
「はうぅ」
だがすぐに暴力的なまでの甘い匂いと派手な色に心が折れ掛ける。
いやいや、頑張れ僕。たかがお菓子風情に負けるんじゃない。たとえ今すぐトイレに駆け込みマーライオンしたくても我慢するんだ。と言うか、しそうなのは嘔吐ではなく吐血なんだよ。胃がムカムカするんじゃなくてズタズタなんだよ。たぶん、生命活動に不要な分の臓器はほとんど機能停止しているんじゃないかな。普通の人間なら十回は死んでいる。忍耐力の無い僕がこうして平常心を保てているのは一般人よりも耐久力が高いからだ。一般のそれならば僕は今頃「ちにゅ」とか言いつつ死んでいただろう。
でも……僕は逃げない!
強大な敵を前にして逃げるなんて駄目だ。敵前逃亡は銃殺だぞ。僕はようやく登り始めたばかりだからね。この果てしなく遠いお菓子坂をさ。
……自分がかなり錯乱している自覚はある。
まるで自分が自分ではないような、自分が自分であることに違和感を覚える。
このままでは色々と暴走してしまいそうだ。
どんがどんが。
人の域に留めておいた千早が本来の姿を取り戻していく……。
「大丈夫?」
かなり末期な妄想を繰り広げていた僕の服の裾が引かれた。
ハッとなって色々と拙い方向に飛んで行っていた意識が身体に戻って来た。
危ないところだった。
何やらねじり鉢巻きにサラシ姿の金髪の女性が和太鼓を叩いている光景を幻視していた気がする。
僕を現実へと引き戻してくれた人にお礼を言わないと。
こちらを気遣うように小声で話し掛けて来たのは見知らぬ少女だった。
その少女は十代半ばといったところか、ショートヘアーの茶髪にヘアピン着けた少しぽっちゃりとした子だった。
何というか、偏見だとは知りつつも、スイーツフェスタが似合う気がする。いや、決して体型が理由ではないよ?
開店してからの短期間ですでに口元にクリームが付いているからでもない。
そう、何となくそんな子に見えただけだ(自爆)。
「ご心配をお掛けして申し訳ありません。ちょっとぼーっとしただけですので、あまり気にしないで下さい」
ちょっとつっけんどんな態度に思われたとしても、あまり他人に体調のことを知られたくなかったのでこんな言い方になってしまった。
本当は見ず知らずの相手を心配してわざわざ声を掛けてくれた少女の優しさに感動しているんだよ。
たとえ少女がお皿を片手に現在進行形でお菓子を食べ続けていたとしてもね。
食べるのか心配するのかどっちかにして欲しい。あ、いや、食べるのに集中して下さい。と言うか放っておいて下さい。
少女は辺りを気にしているのかキョロキョロと視線を移している。もう次のお菓子を見繕っているのかな?
「さっき一緒にいた子はいないの?」
「春……あの子は別の列に居るので今は私一人だけです」
名前を呼び掛けて慌てて「あの子」と言い直す。
何故かこの子は僕に連れがいる事を知っているらしい。そう広く無い店内だ。観察力のある人間なら客の情報を拾い上げるくらいできるだろう。僕だってすでに周囲の客の顔と身長、利き腕や声質、死角くらいは把握できているわけだし。この少女もそれくらいできる可能性はある。
そこまでの力が無かったとしても、人並み以上の観察力があるならアイドルの春香に気付くかもしれない。少女の態度から春香が居るとバレてはいないとは思うとけれど……わざわざ名前を言ってリスクを冒す必要はない。
春香の存在が知られた結果不利になる情報が流出する可能性だってあるのだ。
こうして見ず知らずの僕を心配してくれている相手を疑うのは嫌だけれど、相手が良い子であるとは限らないのだ。
この世界は不思議なことにアイドルをやっている人達は善良なことが多い。前世ならば考えられないような話だ。その反面、一般人の性格が前世に比べて悪いと感じることが多い。
だからこの子がアイドルでもなんでもないなら悪意を警戒する必要があった。
これはこの世界以外の一般人を知る弊害だった。どうしても前世基準で人の良し悪しを見てしまう。
「私のことは気にしないで下さい。本当に大丈夫ですので……」
本当の本当は今にも顔中の穴という穴から血が逆流しそうなくらい不調なのだけれど、それをこの少女に伝えたところで仕方がない。仮に伝えたとして、救急車なんか呼ばれてしまったら大変だ。春香に僕の体調が悪いことがバレてしまう。
それで「自分が誘ったから」なんて春香が自分を責めることになったら……。
それは嫌だ。
とにかくここから離れよう。たぶん心配をしてくれているのであろう少女の厚意を無下に扱う後ろめたさはあったが、春香のことを思えばここは撤退が最善だ。
「具合が悪そうな子を放っておけないよ」
しかし、逃げるのを阻止するかの様に少女の手が僕の腕を掴んだ。
チクショウ、こいつ良い子かよ。
一般人だから性格が悪いとか勝手に思い込んでてごめんなさい。
でも、普通は赤の他人のためにここまでしないものなんじゃないの?
人気のスイーツ店に来てお菓子食べずに人助けとか奇特すぎるでしょ。
菓子食べずに貸し作ってるんじゃないよ。もっとお互いに無関心で無関係で居続ければいいじゃない。
とか頭の中で少女へ突っ込みを入れてみたけれど、よく見ると少女の僕の腕を掴む手の反対側、先程まで盛りに盛られたお菓子の山が消えていた。
……あの短時間の間に食べきっていただと? しかも僕と会話しながら?
何だこいつ、
たまたま入ったお店で城ヶ崎と出くわしたことといい、
「あれ……千早ちゃん?」
馬鹿なことを考えている間に春香に気付かれてしまった。
時間切れだ。思わず舌打ちをしそうになる。すぐにアイドルがするものじゃないと寸でのところで止めたけど。
「どうしたの? 何か問題でもあった?」
春香はすでに幾つか見繕ったのか、片手にお菓子の乗ったお皿を持っていた。そのそつの無さと今目の前で器用に人の隙間を縫って近づいて来る姿を見ると毎日のように転ぶのが信じられない。
しかし、今はそんな春香の生態は無視しよう。見た目こそ変装で隠せているものの、声や雰囲気は春香のままなのだ。今こうして目立つ行動をとった春香に対してお菓子から意識を移す者が出てこないとも限らない。
そして、元から僕に意識を向けている少女が春香の正体に気付く可能性が一番高いから、これ以上春香に近づかれるとまずい。
僕と春香が知り合いだとバレるわけにはいかないんだ。
だから、ごめんね?
僕は少女に掴まれた腕と反対の手を掴まれた箇所へと伸ばし──躊躇いなくその部分を握り潰した。
「……えっ? ──キャ」
少女が驚き手を緩めた瞬間、できた隙間からするりと自分の腕を引き抜く。
今の僕には優しく振りほどくような繊細な力加減はできないから、こんな乱暴な方法をとってしまった。
女の子に酷いことをしたくはないのだけど、僕はどこかの誰かと春香を天秤に掛けたら春香を取ると決めているんだ。
「連れが来たので……」
呆然と自分の手を眺める少女に一言だけ残すと、もう一度だけ頭の中で「ごめん」と謝り春香が近付いて来る前にそちらへと向かう。
「ごめんなさい、何でも無いわ」
何事もなかったように春香に近付くと誤魔化した。
「そう? 本当に何も無かった?」
「ええ、本当に何でも無かったわ。気にしないで。……私は、まだお菓子を選んでないから春香は先に席に戻ってて」
「……大丈夫?」
「ええ、問題ないわ。さ、ここ混んでるし席に戻っていて……ね?」
何かを察しかけている春香を席へと促す。少し強引な気がするがお菓子選びを理由に春香には席に戻ってもらうことにした。
後ろ髪引かれる様に、何度もこちらへと振り返る春香。
チートの副作用のせいで潰れた手がなかなか治らない。いつもならこの程度すぐに元通りになるのに……。
手のことを春香に知られたくない。注意深く観察する彼女の目から逃れるためにお菓子のケースへと向かった。これ以上は春香に悟られてしまいそうだ。
適当なお菓子を乗せたトレイを持って席に戻ると春香がお菓子に手を付けずに待ってくれていた。
今朝の待ち合わせの時といい、春香は僕の好感度を上げる天才なのではないかと感動したいところだが、僕を待っていた春香の目が怖いことになっていたので何も言わずに席に着いた。
「……」
「……」
食べ始めてから会話一つない状態が続いているのですが。
テーブルを挟んで対面に座る春香が無言でお菓子を食べ続けている。
なんで僕は苦行のように甘いだけのお菓子を食べ続けているのだろう。無心でフォークを動かしながら味もわからないお菓子を食べ続ける。
当初の計画では会話に花を咲かせて食べるペースを抑えるはずだったのに、お互いに無言のためペースが落とせない。
だったら食べなければいいのだけど、食べない理由を訊かれる方が拙いので食べるしかない。
先程から向けられる春香からの何か言いたそうな視線にどう対応すればいいのか。
きっと先程の事を聞きたいのだろう。あの少女と何を話したのか、僕がその時何をしたのか、決して後ろめたい事ではないはずなのに春香に教えるのを躊躇わせる。
手はすでに治っているのでしらばっくれる事は可能だ。でも、春香に嘘を吐いてしまうのは嫌だった。
何も全てを教える必要はない。適当に答えてお茶を濁したっていい。でも、春香相手に適当な言葉を言いたくない。
どこまで言っていいのか。どこまで言わなくていいのか。自分自身のことなのに境界線がわからない。
「千早ちゃん、さ。訊きたい事があるんだけど……いい?」
だが、どちらにせよ、春香の方で均衡を崩せる時点で僕に選択肢は無かった。
「……何かしら」
ここまで来たら腹を括ろう。
良いよ春香。全部答えてあげるよ。
覚悟を決めた僕はそれまで機械の如く動かしていたフォークを置くと、春香からの問い掛けに答えるため真っすぐ彼女を見据えた。
しかし、こちらへと身を乗り出した春香の口から思わぬ言葉が飛び出して来た。
「さっきの子は誰? 知り合い? 友達とか?」
「はい?」
予想外の春香の問いに一瞬思考が停止する。
思わず彼女の顔を凝視してしまった。
そこ?
そこから聞きたいの?
まずは事実関係を一から整理するタイプなのかな。
いいさ、質問が何だろうと全部答えることに変わりはない。
「別に友達じゃないわ」
「じゃあ知り合い?」
「……名前も知らない赤の他人よ」
「赤の他人とわざわざお話したの?」
「……」
何か会話の方向性が思っていたのと違う!?
何これ?
まるで浮気を疑うような台詞じゃないか。春香から畳みかけるようにして繰り出される質問にそんな感想抱いてしまう。
いや、でも、女同士ということを抜きにすればそう聞こえなくもないのかな。その証拠に隣に座っていたお姉さんがちらちらと好奇の目を向けて来るのが視界の端に見える。
違うんですよ。これは恋人に浮気がバレた修羅場とかじゃないんです。ただの事実確認なんです。そうお姉さんに心の中で言い訳をしておいた。
……うーん、春香の嫉妬を買ってしまったかな。友情的な意味で。
僕の勝手な思い込みで春香はこういうことを気にするタイプだとは思っていなかったので意外だった。
「別に話したって言うほど話したわけじゃないわ……」
「話自体はしたんだ」
「そ、それは……」
返す言葉の切れ味が鋭すぎて言葉に詰まってしまった。
まさか深く問い詰められるとは思っていなかったので適当に答えたことを後悔する。
春香のことだから相手側に直接乗り込むなんてことはしないにしても、何かの拍子に出会った時に嫌な空気になられても困る。
もうこれはアレか。春香の顎を持ち上げてキスした後にキメ顔で「お前が一番だぜ」とか言えば良いのか?
馬鹿か。今日日、少女漫画のビッチヒロインですらそんなアホな手で納得なんてしないっての。それに春香と僕は恋人同士でも何でもないのだから。
と言うか、そもそも女同士だし……。
そんなことをしようものなら僕の正気を疑われる。それ以上に春香に嫌われてしまう。
「あう、あ、あう……」
何で僕は春香からこんな詰問を受けているんだ。僕が誰と話しても良くないかな。
春香には関係がないと言ってしまえば楽なのだけど、僕の勘がそれを言った瞬間、色々と終わると告げていたので喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
そうなると返す言葉が何も浮かばない。
「どうして……そんなことを訊くの?」
だから、答えの代わりに出たのは質問だった。一方的に訊かれる側から逆に訊き返す側に回った。
それは春香からの回答を期待してものではなかった。苦肉の策とも言えない程度の、ただ間を置くためにだけに口から出たものだ。
しかし、この質問は劇的な結果を齎すことになった。
主に僕に対して。
「千早ちゃんが私以外の人と仲良くしているのを見るとチクチクするから」
想定していなかった言葉に頭をガツンと殴られたような衝撃を受ける。
何ですかその可愛いセリフは!
そういうあざといこと春香が言ってくるなんて思ってなかったから動揺してしまった。
隣を見ると僕達の会話を聞いていたお姉さんが両手で顔を押さえて震えている。小さい声で「エモい」とか言ってんなよ。
「春香……」
「チクチクするの。千早ちゃんが私の知らない人と……私の知らないところで仲良くしていると思うと、ここが凄く痛くなるの」
自らの胸を押さえて呟くように告げられた春香の言葉は、彼女の本音を吐露したもので……。
それは、僕に謎の罪悪感を抱かせるには十分なものだった。
「ごめんなさい、春香……!」
反射的に僕は春香の手を掴んでいた。
春香にこんなあざとい台詞を吐かせてしまった責任は僕にある。春香はあざとくなくていいんだ。そんなものは伊織か雪歩あたりがやってればいいんだよ。
誰だよ、春香にこんなあざとい言葉を教えた奴は。ありがとう。
「私に……春香以外に友達が居るわけないでしょ!?」
「あ……っ」
やけくそ気味に言ったはずなのだけれども、なぜか春香の顔色が目に見えて変わった。
「ごめん、千早ちゃん……本当に、ごめんね?」
いや、そこまでガチで謝らなくていいからね?
「あの、春香? そんなに自分を責めなくても」
「本当にごめん」
やめてよ。まるで僕が可哀想な奴みたいじゃないか。
そんな両親を亡くしてまもない相手に「ご両親は普段何を?」とか話題振っちゃって身罷っていると本人の口から言わせてしまった人みたいな反応しないでよ。
「大丈夫よ。私は春香が居れば満ち足りているもの」
これは決して春香に気を遣ったためではなく紛れもなく僕の本音だった。
僕にはもったいくらい良い子の春香が親友として居てくれているのに、これ以上何を求めるというのだろうか。
安心して欲しい春香。僕には春香以外の友達はいないけれど、春香が居てさえくれれば満足なのだから。
だからそんな可哀想な生物を見る目は止めて。
「ごめんなさい。千早ちゃんがあまりに情感を込めて言うものだから」
「だからって、あそこまで落ち込む必要はないと思うのだけれど……。まるで私が可愛そうな子みたいじゃない。そこまで悲惨な境遇ではないわよ?」
「え?」
「え?」
え?
なんで今驚いた顔したの。
春香の中で僕は可哀想な子扱いだったの?
「私は可哀想な子じゃないわ」
「そうだね」
春香の声から感情の色が読み取れない。今の返事中身スッカスカだったわ。
「……違うもの」
「そうだね、千早ちゃんは可哀想な子じゃないよね」
子供に言い聞かせるように優しい声音で僕を可哀想じゃないと言う春香。
これも中身スッカスカですわ。
「ち、ちなみに……千早ちゃんって、今まで友達とかはいたりとかは」
「生まれてこの方、春香以外で友達が居たことはないわね。そもそも家族以外と会話する機会も無かったし」
「────」
だからその顔止めてくれないかな。
口を真一文字に結んで目からハイライトを消して遠くを見る程じゃないでしょ!?
「で、でも、ネットには話し相手くらいは居たのよ?」
何に張り合っているというわけではないが、僕が真性ぼっちだと思われたままというのも困る。
主に春香から可哀想な子扱いをさせるという意味で。
あまりにも春香の反応が僕の心を抉るので、何か言わなければと思った僕は思わずキョウのことを口にしていた。
「ネットの……?」
「ええ、そうよ。相手の顔はわからないけれど、引きこもり時代に色々と遊ぶ仲だったわ」
ネット仲間と聞いて春香に引かれるかと思ったが、特にそういう反応を示さなかったので安心する。
これで春香に「えーっ、ネット? ウケるー。オタ臭すごーい!」とか言われたら僕はタ○リ神となっていたことだろう。「静まりたまえー」とか言われても呪いをまき散らして爆走すること間違いなしである。
「だから友達は春香しか居ないけれど、言うほどぼっちだったわけじゃないのよ?」
「ちなみに、そのネットでお話しする相手って何人くらいいるの?」
「一人よ」
「────」
だからその顔は止めて。
自分でもやばいのはわかっているから。
「だから、そう、春香が心配するようなことはないの。色々と」
「そうなんだ……じゃ、じゃあ、安心……なのかな? 色々と」
たぶんね。
最初は僕の交友関係を問い質す話だったはずなのに、いつの間にか僕がぼっちだったことに春香がショックを受ける流れになっているんだけど。
どうしてこうなったのか。悲惨過ぎる僕の交友関係に春香の良心がこれ以上は死体叩きだと待ったを掛けたとでも言うのだろうか。
幸い(?)なことにお互いそこそこ頭が冷えたらしく、僕が春香の手を放すと彼女の方も席に座ってくれた。
「その人とは今もお話しているの?」
春香の質問にあの日のトラウマが蘇る。
もっと上手くやれていたら、キョウと今でも友達でいられたのかな……。
何度も何度も繰り返した自責の念が強くなる。
もしも、キョウの成長を僕が受け入れていたら、今も付き合いは続いていたのかな。そうしたら、春香とも友達になっていたり、もしかしたら今回キョウも参加していた可能性だって……。
いや、アイツおっさんだったわ。この店入ったら他の女性客から白い眼で見られるわ。
別に男子禁制のお店じゃないみたいなけど、おっさんが入るには敷居が高い気がする。
でも、彼がおっさんという情報は本人の言動から推測したものに過ぎないし、実は女という可能性もあるんじゃないかなって。
キョウという名前だってゲーム内だけの偽名のようなものだから、本名がキョウコだったとしてもおかしくはない。
そうか、キョウは女の子だったのか。
ねーよ!
あのニート志望の怠惰の権化が女の子のわけがない。仮にあいつが女の子だったら僕は大和撫子を自称するぞ。
「……ちょっと喧嘩別れをしてしまって。それ以来連絡もしなくなったわ」
ちょっと変な妄想が入ってしまった。自覚はなくても僕はキョウを引き摺っていたらしい。
でも、リアルの情報なんて何一つ知らない相手に今更連絡をとる方法なんて無い。
ゲームの方で連絡をとろうにも、あんな別れ方をしたのだからもうログインして来ないだろうし。
僕とキョウとの関係はあの日で完全に終わってしまったのだ。
「そうなんだ……」
僕から漂う陰鬱な空気を感じとったのか、春香の方も落ち込んでしまっていた。
「千早ちゃんが誰かと喧嘩別れするって意外かも」
「私だって喧嘩くらいするわよ?」
「そうじゃなくて。千早ちゃんは誰かと喧嘩しても、自分が悪くないのに謝っちゃって無理やり仲直りしそうだから。喧嘩して別れるまで行くのが意外かなって」
「あれは喧嘩というよりは、私が一方的に悪かったから。私が謝るのは当然なのよ……謝る機会すら無くなってしまったけれど」
「それって、どういう……?」
「え? あ、ええ……そうね、あまり面白い話ではないけれども。まあ、私の数ある失敗談の一つとして聞いてくれるかしら」
この時の僕は特に深く考えることをせず、春香相手にキョウの話をした。
話している間は少女との関係を春香に問い質されず、またお菓子を食べなくて済むという理由もあり、結構長く話した気がする。
喧嘩別れをしたと言っても、僕の中ではキョウとの思い出は楽しいものばかりだったので、本来語る必要の無いキョウとの思い出なども事細かに話した。
それでも、僕が話したのがキョウと喧嘩別れするまでだったたならば問題は最小限で済んだはずだ。
でも、僕は語りすぎてしまった。
キョウと喧嘩別れをした……その後の話まで春香に語ってしまった。
後に、僕は春香にキョウの話を語ってしまったことを後悔する。
何となく終わった出来事という思いがあったのだ。
僕の主観でも、客観的に見ても、誰がどう見ても、キョウとの決別は僕が悪い。
僕が受け入れなかったために、キョウに呆れられたのだから。僕が悪者になるのは当然だった。
だが、それは僕と他人の価値観から導き出される結論でしかなかった。
春香の視点ではどう見えたのか、そのことを僕は事が起きるその時まで考えようとしなかった。
アイドル界でも上位の爆弾製造機──。それが千早。
自己評価が低く根が暗い千早は謎の気遣いで春香と知り合いなことを公表しないと決めています。自分と仲が良いと知られたら春香の評価が下がると思い込んでます。
今回も春香の身バレを厭うせいで今回やらかしてますね。
ちなみに、少女の手から腕を引き抜いた方法は、自分の掌を骨ごと握り潰し、掴まれている箇所から先を細く柔らかくした上で少女が驚いて手を緩めた瞬間に引き抜くというものです。
相手の手を強く振り払ったり、逆に相手の手を握り絞めるようなことは力加減をミスする可能性があったためやりませんでした。相手に痛い思いをさせるくらいなら自分の腕を握り潰す方を選びます。
特殊能力を持つ奴=アイドルという真理。
唐突に新キャラ登場。こんな感じに絡むことになりました。出会い方さえ違えばきっと良き友になれたものを……親切な少女も千早にとっては迷惑な存在にしかならないことがある。
誰も悪くないはずなのに、間の悪さと言葉選びのセンスの無さのせいで悪者になってしまうとか、千早は稀有な才能を持つ女ですね。
まあ、島村さんちの卯月さんですら初見で千早と仲良くなるのが無理なんだから最初から無理な話だったんじゃよ。
一人称視点のため千早の内面を知ることができる側からすると「千早可哀想」になるかもしれませんが、相手側からしたらただ感じ悪いだけの女ですからね。
千早がクソザコナメクジなメンタルなのと身内に対して献身的なのを知っているキャラ達は今後千早の言葉選びを見ては「そうはならんやろ」と突っ込みたくなることでしょう。
突っ込み役兼胃痛担当の方には今のうちに謝っておかないといけませんね。
ごめんね、ちひろさん。