「それじゃあまぁ、艦隊支援任務成功を祝しまして――」
「「「「かんぱーい!!!」」」」
カシャン、と小気味よい音を立てて、グラス同士が打ち付けられる。
本日の任務は南方海域の深部で繰り広げられる艦隊決戦、その航空支援を行うというものだった。主要な戦艦、空母の艦娘を主力の攻略部隊として送り出した上で、軽空母を中心とした別働隊があらかじめ近海に接近、タイミングを見計らって艦載機による火力支援を行う。
毎回成功する訳ではないこの任務が、今日は多大な戦果をもって成功を果たした。攻略部隊との連動もスムーズに果たし、無事、海域深部に巣食う深海棲艦の艦隊を撃破するに至ったのである。
敵の増援が発見されたため、一旦艦隊は母港に撤退。同海域での戦いは依然続くものの、無事に帰還を果たせた以上、艦娘たちには互いの健闘を称え合う権利があった。
その会場に選ばれたのは、ここ――居酒屋鳳翔である。
「っはぁー! やっぱこの一杯のために生きてるって感じだなぁ! 鳳翔さん! おかわり!」
なみなみビールの注がれたジョッキを一息に飲み干して、隼鷹は感嘆の声を上げた。酒飲みの集まりで知られる軽空母一派ではあるが、この艦娘の飲みっぷりは頭ひとつ抜けている。
実際、それを眺める残りの面々、飛鷹、龍驤、瑞鳳はジョッキの半分ほどを空けてはいるものの、次々と流し込んでいくような様子ではない。
飛鷹が肩をすくめて小さくため息をつき、
「まぁ、今日くらいはしゃぐのは許してあげるけど……明日だってあるんだから程々にしなさいよ?」
「そうだよ、明日って新型艦載機の発艦訓練じゃん。二日酔いで不参加なんてことになったら今日の成果だってパァなんだから」
右に同じと同意する瑞鳳。だが、たしなめられたところで隼鷹はペースを落とす様子も見せなかった。
「なにを、」
ごくごく。
「言ってんのさ、」
ごくごく。
「これが飲まずに、」
ごくごく。
「いられるかってーの!」
カターン。
瞬く間に四杯のジョッキが空けられ、
「鳳翔さん、次は芋焼酎! お湯割りでね!」
「こらあかんわ、明日はトンボ釣り、苦労するで」
「大丈夫大丈夫! 二日酔いのフラフラくらい、南方海域の渦潮に比べれば……げっぷ」
「はぁ、発艦するのは艦載機だけにしてよね、まったく」
どっと笑いが起こる。隼鷹の飲みっぷりがもはや、卓を賑わす酒の肴と化している様子だ。ろくに料理も口にしないうちからこの調子なのだから、この集団がたまり場としている居酒屋鳳翔の経営が末永く安泰なのは確実であろう。
「ほんと、身体のどこにあんなに入るのかしら……」
手にしたお盆を抱えて、厨房からホールの様子を覗いていた小柄な艦娘が、呆れたような、異様なものを見るような口調で呟く。
「三日月ちゃん、運んでくれるかしら」
「あ、はい!」
睦月型駆逐艦、三日月。かつて第三航空戦隊で鳳翔と組んでいたことをきっかけに艦娘となってからも交流ができ、今ではこうして鳳翔の店で店員として働いている。鳳翔一人では手の回らない繁盛ぶりを見せる店内だけに人手としては貴重で、小さな身体で走り回る様子は可愛らしく、常連の艦娘の間ではマスコット的な存在として認識されている。
一応、サブの店員として瑞鳳も働いているのだが、今日は彼女はお客の側。鳳翔は厨房からはなれられないので、接客はほぼ三日月の仕事だ。
「隼鷹さん、芋焼酎お湯割り、お持ちしました」
お盆からテーブルにグラスを置いて、三日月はぺこりと頭を下げる。真面目な彼女のこと、手伝うと言った以上文句は言わないが、まだ子供の身体である睦月型の艦娘に居酒屋内のむせかえるような酒の香りはなかなか堪えるものがある。
「三日月ちゃあ~ん、今日も可愛いねぇ」
「もう、お酒臭いです!」
早速絡み始める隼鷹に、困惑した表情を浮かべる。おそらく、いつもこうされているのだろう。
「やめーや、隼鷹。折角の看板娘や、愛想付かされたら適わんで」
「そうそう。あたしだって気軽にお酒飲む側に回りたいしぃ。居なくなると困るなぁ」
「別にやめるつもりはないですよ……っていうか、そんなこといいから誰か隼鷹さん離してください!」
悲鳴のような声を上げて、三日月は隼鷹の頭をお盆でべしべし叩く。隼鷹は懲りる様子も無く三日月の身体をまさぐっているし、顔はほとんど口同士が触れ合うような距離だ。
「お酒臭いのイヤ~っ!」
「はいはい、みっともない姿見せるんじゃないの」
「ふぇ~い」
飛鷹に引きはがされて、ようやく隼鷹も観念する。しかしその顔には相変わらずへらへらとした笑みが浮かんでいて、自分が何をしたか分かっているのかも怪しい。
「めんごめんご~。三日月ちゃん可愛いからさぁ、お姉さんつい襲いたくなっちゃうんだよお」
「アホ言うとらんと、お前さんは酒飲んどきゃええねん、ほれ」
龍驤が芋焼酎のグラスを手渡すと、隼鷹はその中身も量もよく吟味せぬまま椅子を蹴って立ち上がった。
「ヒャッハー! 隼鷹! 気合い、入れて、飲みます!」
そうだやれやれ、とのシュプレヒコールを受けて、気分上々でグラスを傾ける隼鷹。卓からどうにか距離を取りつつ、あれが大人のすることか、と三日月は重くため息をついた。
「ごめんなさいね、任せっきりで」
と、厨房の奥から鳳翔が割烹着で手を拭きつつ姿を見せた。
「あ、いえ……」
今のため息を聞かれただろうか、と三日月はハッとなる。客からの絡みはともかく、なんだかんだこの店での仕事は気に入っているのだ。気遣いの出来る鳳翔のこと、三日月の翌日のことを考えた時間帯で切り上げさせてくれるし、色々な艦娘と面識が出来るのも、裏方稼業に回りがちな彼女としては面白い。
そしてなにより、鳳翔の作るご飯を、まかないという形でいただけることが三日月には格別な報酬だった。これは他の睦月型の艦娘たちにもいつも自慢していることで、彼女が他の艦娘を店員に引き入れたがらない理由のひとつだった。
出来れば、この母のような鳳翔の包容力を、一端でもいいから独り占めしていたい。小さな彼女の、小さなわがままだった。
「今日は大戦果だったみたいだから、許してあげてね。じきに正規空母の皆さんが来てたしなめてくれるわ」
「だといいんですけど」
三日月は口を尖らせる。
「……っていうか、明日訓練なのにあんなに飲んで大丈夫なんですか」
「揺れる甲板からの発艦も練習のうちよ」
えっ、という表情になる三日月。鳳翔は素直なその反応に思わず目を細くした。艶やかな黒髪に指先を這わせ、頭を撫でる。
「まぁそれは冗談だけれど……でも実際、明日はお天気が良くないみたいだから」
「あ、そう言えば――」
三日月は訓練帰りに寮のロビーで見た天気予報を思い出す。近くまできている雨雲が、明日鎮守府付近にもかかってくるかもと伝えていた。
でも、と三日月は首を傾げる。
「雨が降ると、訓練できないんですか」
「明日は新型艦載機の試験飛行をするの。悪天候の中で無茶をして、新型機を壊すようなことになっては困るでしょう。もちろん狙ってそういう日を選ぶこともあるけれど……今回については提督も無理は言わないと思うわ」
「なるほど」
「案外、彼女たちもそれを見越して深酒するつもりなのかもね」
「晴れたらどうするんですか。もう……しょうがない人たちです」
ふふ、と鳳翔は優しく微笑んだ。宥めるようにして、三日月をもう何度か撫でる。くすぐったいような、面映ゆいような感覚。鳳翔の細い指はしっとりとしていて、指先の感触が髪の毛越しでもよく伝わってくる。
おそらく彼女も明日は訓練に参加するのだろう。その顔を見上げてみても疲れた様子はないが、あんな連れ合いに遅くまで付き合って、大丈夫なのだろうか。今朝も訓練があったと聞くが、その前から起き出して店の仕込みをしていたはずだ。
「鳳翔さ~ん、サクラビール、追加で」
「あたしもおかわりしよっかな。えっとねぇ」
軽空母一行から声がかかって、鳳翔ははいはいと返事をするや卓へと向かう。三日月にばかり相手をさせてはいけないという女将意識がそうさせるのだろうか。
「お天気、か……」
鳳翔の料理への期待を口にする卓の会話を横目に、三日月は店の玄関を小さく開けて顔を覗かせ、外の様子をうかがった。既にとっぷり暮れた夜空に目を凝らすと、黒々とした雲が顔を見せ始めている。
口がへの字に曲がった。これは確かに、荒れるかもしれない。
「あ、そうだ」
ふと思いつき、小さく手を叩いて、三日月は店内を駆けた。
「三日月ちゃ~ん、店内かけっこ禁止! なっはっはっは」
隼鷹の声は無視して、注文内容を伝票に筆を走らせている鳳翔に声をかける。
「鳳翔さん、ティッシュ何枚かもらっていいですか」
「いいけど、何かこぼれたの?」
「いえ、ちょっと」
数枚のティッシュを箱から抜き取るや、何やらゴソゴソと手を動かす三日月に鳳翔は怪訝そうな表情を向けた。厨房へとの戻り際にその手元を覗き込んで、
「あら、まぁ」
思わず、莞爾とした笑顔を浮かべる。
◆ ◆ ◆
「そいじゃあ鳳翔さん、ごちそうさまでしたー!!」
全身から高まり切ったテンションをみなぎらせ、隼鷹は満面の笑みで鳳翔に手を振った。
すでに時計は十二時を回り、翌日を考えると宴もいよいよお開きだ。そこそこに会計を済ませ、軽空母一行は店から退散の構え。
「また来ますね」
「今日も美味しかったわ! まいどどうも!」
「こちらこそ、ありがとうございました。またご贔屓に」
口々に賞賛を述べる隼鷹、飛鷹、龍驤に、恭しく頭を下げる鳳翔。後ろでは勤務を終えて寮へと帰った三日月と店員をバトンタッチした瑞鳳が、自分用のグラス片手に忙しく料理を運んでいた。こちらは後発の戦艦や空母組の相手で、まだ帰られなさそうだ。
「あら?」
と、玄関の戸を開け、鴨居を跨いだところで、飛鷹が頭上に揺れる何かに気付いた。
「これって……」
「ふふ、三日月ちゃんがね、明日訓練がちゃんと出来ますようにって」
「ほっほぉ。ニクいことするなぁ、あの嬢ちゃんも」
そこには、にっこりと笑顔の描かれたてるてる坊主が軒下に吊るされ、夜風に揺れていた。少し曲がり気味だけれど、手作り感溢れる小さなおまじないに、一同の顔もほころぶ。
「おっ、みんな見てみなよ」
軒下から空を見上げて、隼鷹がにやりと笑った。
「綺麗な三日月だぜ」
「あらあら」
風に流されていく雲の合間にぽっかりと空いた隙間に輝く夜天の光。鎮守府の敷地内を抜ける涼やかな夜の空気が酒気で火照った身体に心地よかった。
「雲も散ってきてますし、もしかしたら晴れるかもしれませんね」
「ほれみい隼鷹、程々にしとけいうウチの忠告、正しかったやないか」
「なーに言ってんのさ。二日酔い上等! 朝が辛けりゃ迎え酒! あの娘の期待に応えてこの隼鷹、気合、入れて、飛ばします!」
「……。あの、鳳翔さんからもそこのアホに何か言うてやってください」
「あら。私は隼鷹さんなら、ビシッと格好良いところを見せてくれるって信じてますよ?」
にこり、と笑ってみせる鳳翔。その言葉の裏に見え隠れする凄み。
「これは、明日は天気晴朗なれども波高し、って奴かもね……」
思わず頬をヒクつかせた飛鷹。その手を引いて、隼鷹は駆け出した。
「さぁ飛鷹、月を肴に、部屋に戻ってもう一杯と行こうぜー!」
ヒャッハー! と甲高いを夜陰に響かせ、
「じゃあね、鳳翔さんまた明日ー!」
「ちょ、ちょっと! 揺らさないでよ、うっぷ」
慌てふためく飛鷹とともに夜の鎮守府へと消えていく。
「……。いつもお相手ご苦労さんやで、ほんま」
「これでいいんですよ、お店には隼鷹さんのようなお客さんも必要ですし」
「三日月みたいな気の利く看板娘もな」
「ふふ、そうですね」
微笑む鳳翔に、龍驤も白い歯を見せて笑った。
「ほな、うちも帰りますわ。また明日、よろしゅう」
「おやすみなさい、龍驤さん」
夜光の下、手を振りながら小柄な背中が駆けていく。
その陰が遠くの建物に隠れるまで見送って、鳳翔は風に揺れる髪をかきあげて天上の銀鉤を見つめた。
「綺麗ですね……」
今頃は、もう明日に向けて布団に入っているだろうか。自慢の看板娘の安らかな寝顔を思い浮かべて頬を緩め、しばし、流れゆく夜の空気に身を委ねる。