薄幸少女とアラサー男   作:ダンテこったい聖司

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1.-その少女、記憶喪失につき-

 男は少女を見下ろしていた。少女は男を見上げていた。

 

「君、こんな時間にどうしたんだ? 」

 

 男はしゃがみ込む少女の顔を覗き込んで問う。しかし少女はその質問に答える事はなく、辺りを見渡すと外灯に照らされていない場所の、その暗闇の深さに困惑するように今にも掻き消えそうな声で「ごめんなさい……」と答えた。

 

「いや、謝られても困るんだが……。 というか、ホントこんな時間にどうして公園なんかにいるんだ。……家出か? 」

「ごめんなさい……。私もどうしてか分からないんです……」

「分からねぇって、自分がどこから来たのかも分からないのか? 」

 

 予想外の答えに男は驚いたような顔で更に少女に問うが、少女はそれに俯いて一言「はい……」とだけ答えた。

 いよいよ困った。という表情を浮かべる男は悩むように頭を掻くと、「仕方ないか」とつぶやく。

 

「ここで放って置くってのも出来ねぇからよ。……とりあえずうちに来いよ。ここに居るよりずっとマシだろうしな」

「え……あの、えっと……」

 

 男の提案に困惑気味に言葉に詰まる少女の様子に、男は何か勘違いをしていると感じたのか、「変な事をするつもりはねぇよ」と強く言い聞かせるようにして言う。

 

「ここで放っておいて後になって君に何かありました。っていう方が寝覚めが悪いんだよ。……いいからついて来い」

 

 ぶっきらぼうに言い放つと男は踵を返して歩き出す。それを少女は慌てた様子で立ち上がると追いかけた。

 男が歩き出してすぐに、男はマンションの一室の前で立ち止まると、鍵を空けて少女を中へと促した。

 

「とりあえずシャワー浴びて来いよ。ちょっとだけ体、汚れてるぞ。あー、そこが脱衣所と風呂な。着替えは……持ってるわけ無いか。とりあえず適当に俺の服置いておいてやるからそれ着ろ。脱いだもんはそこの洗濯機に突っ込んどけ」

「は、はい。わかりました」

 

 矢継ぎ早に少女を風呂へ向かわせると、男はそのまま部屋の奥へと姿を消した。

 玄関口に残された少女は、男に言われた通りに脱衣所へと向かうとそこで着ていた衣類を脱ぎ、洗濯機へと放り込んだ。

 一糸まとわぬ姿となった少女は浴室に足を踏み入れると、備え付けられていた鏡で自身の顔を覗き込む。 たしかに、男の言うとおり顔も土で少し汚れている。そう思いながら少女は体にも付いている土汚れを落とすべく、シャワーのノブを捻る。

 最初は冷たかった水が、時間が経つに連れ徐々に温かくなる。充分に熱くなったのを確認した少女はシャワーヘッドを掴み、その体に満遍なく当てるようにして温水を浴びる。

 体と髪の毛の汚れを洗い落とすと、ふと少女は自身がどこから来たのかを思い出そうと鏡に映る自分を見つめる。しかし、どれだけ見つめても自身がどこから来たのかも、自分の名前すらも思い出せず、これからどうしたらいいのか、どうなってしまうのか、どうしようもない不安が心に渦巻き、少女は気付かず涙を流し、浴室には静かに少女の嗚咽が響いた。

 

 やがて、涙と嗚咽が収まった少女はシャワーで涙を洗い流すと、男が用意したであろうタオルで体に付いた水滴を拭き取ると、用意されていた男物の服に身を包んだ。

 

「あの、お風呂ありがとうございました」

「お、上がったか。ゆっくり入って少し落ち着いたか? 」

「は、はい。それと、着替えもお貸し頂いてありがとうございます……」

「おう。それより、腹減ってるか? 減ってるなら、そこにおにぎり作っておいてやったから、それ食いな。味噌汁もあるから飲みたきゃ温めてやるが、飲むか? 」

「そ、そんな。そこまでして頂くわけには……」

「俺が好きでやってんだから気にすんなって。で、どうする? 食うか? 」

「はい。いただきます」

 

 怖ず怖ずと答える少女に男は愉快そうに「そうかそうか」と笑みを浮かべると、座っていたチェアーから腰を上げ、少女にテーブル前で座って待つように促すと台所へと向かう。

 台所から聞こえるコンロに火を点ける音を聞きながら、少女は言われた通りに床に腰を下ろすと、テーブルの上に置かれたおにぎりに目をやる。

 ツヤのある白い米粒から湯気が僅かに立ち上り、特有の甘い香りが鼻腔を刺激する。すると自分の腹が鳴ったことに少女は一人赤面した。

 

「お? 可愛い音が聞こえたな。すまねぇな、もうちょっとで温まるからこれでも飲んで待っててくれ」

 

 少しからかうように言いながら男は少女の前にオレンジジュースの入ったコップを置くと再び台所へと引っ込んでいく。

 それから少しすると、男は片手にお椀、もう片手にマグカップを持って台所から戻ってきた。

 片方に持つお椀をそっと少女の前に箸と一緒に置くと、男はそのまま先程まで腰掛けていたチェアーに再び腰を下ろし、持っていたマグカップに口をつける。

「どうした、食っていいんだぞ? 」といつまでも手を付けない少女に男は不思議そうな表情を浮かべながら促す。それを受けて、少女がおにぎりに手を伸ばして一口頬張るのを見届けると、少女がその瞬間流した涙を見ないようにするかの様にパソコンへと向き直り、再びマグカップの中身を一口飲む。

 それから、少女が食事を済ませるまでの間、ただ静かに男のキーボードのキーを叩く音だけが部屋に響いていた。

 

「その、ごちそうさまでした……」

「おう、それで足りたか? 」

「はい、大丈夫です。何から何までありがとうございます」

「さっきも言っただろ。気にすんなって。……で、だ。俺から幾つか聞きたいことがあるんだが、いいか? 」

 

 マグカップを片手に少女に向き直った男は、穏やかな表情のまま少女に問いかける。

 

「はい、何でしょうか」

「もう一度確認しておきたいんだが……。どうして自分があの時間に公園に居たのか。それから、自分がどこから来たのか。その両方共分からない、もしくは思い出せないんだな? 」

「はい……。ごめんなさい」

「謝ることはねぇって。思い出せないのを悪い、と言うつもりはないからな。 ああ、それからな、名前だ。名前は覚えてねぇのか? 」

「……ごめんなさい。分からないです」

「んー……。そうだ! 身分証明は持ってないか? 保険証とか、学生証とかよ。それ見れば名前とか分かるだろ」

「その……持ってないみたいです……」

「おぉう……」

 

 少女の申し訳なさそうな表情に、男は一瞬顔を歪ませながら残念とばかりに額を手で覆う。

 しかしできるだけ少女が自分自身を責めたりしないようにと考えてか、男はすぐに少女に向き直る。

 

「名前も分からない、かぁ……。そうだなぁ……あまりこういう提案をするのは褒められたことじゃないとは思うんだが、君の記憶が戻るまでうちで暮らすっていうのはどうだ? 」

「そ、そんな……。そこまでしてもらうわけには」

「そんな事言ってもよ。どこか行く宛もないんだろう? 」

「それは……そうですけれど……」

「だったら尚の事だ。俺に迷惑がかかると思ってるなら遠慮すんなって。

君がちゃんと本来帰るべき場所の事を思い出すまでの間だけでいいからさ。な? 」

 

 あくまでも軽い調子で話す男の提案に少女は観念した様に「では、お言葉に甘えさせていただきます……」と深々と頭を下げた。が、直後に「あいたっ」という可愛らしい声と共にゴチンッという小気味良い音が聞こえる。

 やや涙目になりながら額を擦る少女を見て、男はすぐに少女がテーブルの縁に額をぶつけたことを理解する。 それを理解すると同時に妙な笑いがこみ上げてきたのか男は少女に悪いと思いつつも肩を揺らしながらそれを堪える。

 少女からの恨みがましい視線を感じながら、「ああ、そうだ」と呟くと、逸していた視線を少女に戻す。

 

「俺の名前は波瀬だ。波瀬隆之」

「はぜ……たかゆき、さん? はぜさん、とお呼びすれば良いでしょうか? 」

「できれば名前の方がいいんだが、その辺は好きに呼んでくれ。 んで、だ。いつまでも君、と呼ぶのも何だか呼びにくいからよ。なんかこう呼ばれたい、っていうのはないか? 」

 

 男からの質問に目を閉じて思案顔になった少女は、しばらくそうしていたが、すっと目を開けるなり、男が我が耳を疑う言葉を口にした。それは――。


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