紅糸清澄   作:茶蕎麦

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第一章 紡錘
第一話 染まり始め


「ん? こりゃあ夕立か……」

 

 室内にてカンカン照りの陽光を冷房の涼しさにて忘れていても、空が盛る夏であることを思い出させようとしているかのように、外では大粒の雨が落ちた。

 暗い空模様を窓から覗きながら、染谷まこは自動麻雀卓が奏でるジャラジャラという音色に負けず劣らず大きく響く、ざあざあといった雨音とゴロゴロと鳴る雷の響きを耳に入れて、溜息を吐く。

 

「ふぅ。今日も一日手伝いで終わりそうじゃの……しっかし、小遣い貰えるからいいんじゃが、この服装には未だ慣れんのう」

 

 独りごち、白黒な衣服の、殊更白布を特徴的に彩るフリルをまこは引っ張る。そして、肩まで伸びた癖っ毛の上に乗っかったホワイトブリムを彼女は確認してから、表情を微妙なものにした。

 そう、現在のまこの装いは正しくメイドさん。それも、趣味としてではなく、今までここで制服としてメイド服を着込んで接客していた。ならば、彼女が働くこの場はメイド喫茶かと普通は思うだろう。

 しかし、それは違う。間近で使われ音を立てていた一つだけでなく、スペース余すことなく幾多も置かれているのは、自動麻雀卓の数々。その半分以上は定員を迎えていて、大いに使用されていた。

 まこがぼうっとしている間も、他のバイト達はまこのものよりもミニスカートで装飾過多なメイド服を着込み、接客をしていたり、面子の足りない卓で客と打っていたりしている。明らかに、ここは喫茶店ではない。

 それもそのはず、この店の名前は麻雀、roof-top。そう、彼女の実家が営んでいるこの店は、メイド雀荘だったのだ。

 

 もっとも、roof-topも元は普通の雀荘であった。だが、ネット対戦麻雀が流行っている今、そこに来なければ得られない価値を、ということで客を取るため試しに従業員にメイド服を着させたところ、大はやりになって。

 そのため、スタッフはメイド服か執事服を着込むことに。それは、経営者の娘であるまこであっても同じだった。

 ただ手伝いをしていただけの頃は、まこも無理に着せられることもなかったのだが、高校に入学して以降給金を出してもらえるようになってからは、流石に制服を拒否することは出来ず。

 だから仕方なく、まこはこうして着ているのだが、どうにも慣れより照れが勝り、時折気恥ずかしくなるのだった。着慣れた暁には、なんと彼女はメイド服集めが趣味になるほど傾倒していくのだが、今はそんな気配は微塵もなく。

 そうして、頬を僅かに赤くしている少女を微笑ましそうに見つめている常連さん達の存在を知らずに、まこが丁度手隙になったレジ打ちに入った時、雨音をかき分けるようにして入店ベルが鳴った。

 

「いらっしゃい」

「うわー、濡れた濡れた……あの、すいません。ちょっと雨宿りさせて貰っていいですか?」

「って……なーんじゃ、客じゃないんか。まあいけんとは言えんの。雨があがるまでは居てもええよ」

「助かります……ってメイドさん?」

 

 そして、来店してきたのは、制服を着た金髪の青年だった。話しながら見上げ、まこは混乱している様子の彼をメガネのレンズ越しに確認する。

 実際床を濡らす程に湿潤しているが、水も滴る何とやら、という程ではなくとも彼は中々に整った顔立ちをしている。少し軽そうな印象も受けるが、それを含めてモテそうな青年だな、とまこは思った。

 また中々の長身ではあったが、よく見たところその制服が近くの中学のものであると思い出し、彼が最低でも高校一年生のまこよりも年下であるという事実に、彼女は少し驚く。

 しかし、どうもまこ以上に彼は驚きを覚えたらしく、メイド服に目をむいてから直ぐ周囲へと視線を彷徨わせ、そして口を開いた。

 

「あの……ここ、ひょっとして雀荘ですか?」

「看板は……ああ、雨に追われて見る暇がなかったんか。まあ、その通りじゃよ」

「初めて入りましたよ。……あの、こういう所って十八才未満は入店禁止とか、あったりします? 俺、出ていかなくちゃダメですかね?」

 

 急に慌て始める青年。雨宿りの一時入店とはいえ、法に背いたことはしたくないのだろう。

 見た目の軽薄さと異なり、彼は随分と真面目な性格のようだ。青年の初心さに、まこはくすりと笑った。

 

「平気、平気。それこそ、わしの生まれる前に麻雀はビリヤードと同じで風俗営業から外されちょるんじゃ。うちのようなノーレート雀荘に年齢制限があったっちゅうのはずっと昔のことじゃよ」

「そうなんですか……ノーレートって、多分お金を賭けないっていうことですよね? こんな感じなのか……いや俺、友達から聞いて、麻雀に賭け事の、なんか危ないイメージが付いていて……一度も手出したことないんですよね」

「ほう。そりゃあ珍しいのぉ……」

 

 常連さん達が横目で伺う静かな注目も知らずに、青年は明るく和やかに行われている麻雀を、見回して認識していくことで驚きを感じているようだ。

 物心ついた頃からここroof-topを遊び場にしていたまこに、それはよく分からない感覚である。そして、世間的にも実際に麻雀を危ないものと思っている人は少数派であるだろう。

 世界中で麻雀競技人口がついに一億人を突破したと話題になったのもまこの記憶に新しい。テレビでプロのリーグ戦の報道が流れたり、アイドル雀士に牌のおねえさん等の活躍もあったりして、賭け事として麻雀を捉える見方は殆どなくなっている筈だった。

 それに、自分が通っている清澄高校でもあるまいし、彼の通う中学で麻雀部が開店休業状態というのはあり得ないだろう。校内で打牌の音を一度も聞かなかった筈もない。部活説明会も見たろうに、和気藹々とした麻雀を想像することすら出来なかったのは不思議だ。

 ともするとその友達とやらの話が偏見を持ってしまうほどに印象的だったのか、とまこはそう考えた。そして、彼女が彼のそんなイメージを変えてみたいと思ったのは、雀荘の娘であったから、なのだろうか。

 気付いたら、まこは青年に口を開いていた。

 

「良かったら、ちいと触れてみんか? 一ゲーム分はお代をサービスしちゃるけぇ、どうじゃ?」

「ええと……いいんですか?」

「雨もしばらくあがりそうにないし、どうせ待つならたちんぼで暇を持て余すより座って遊んだ方がええじゃろ。それに、雀荘に来て打たないというのも勿体無いと思うんじゃが」

「でも、俺、ルール分かりませんよ?」

「大丈夫じゃ。わしが後ろで教えてやるけぇ、麻雀の楽しさにちいとでも触れて行きんさい」

「はぁ……そこまで言うのなら、分かりました」

「よし、ほいじゃあバイトやお客さん達に話をつけてくるけぇ、ちいとそこで待ちんさいな」

 

 卓の内でも外でも発揮されるその目敏さで、青年のその気のなさを感じながらも、笑顔でまこは彼に対して余計かもしれない世話を焼く。

 まこは所属している高校、清澄で何度か友人を麻雀部に招き入れ、そして同好の士を増やそうと試みたことがあるが、しかし入部するに至るまでの情熱を育むことには失敗している。

 それでもまこは、初心者達が、意外と面白いねと言ってくれたり、笑顔になってくれたりした時に、都度大きな喜びを感じていた。

 麻雀はもはや、まこの一部。だから、麻雀を好きになってもらうために青年をお客候補としてやり方の教授をすることを、彼女はためらわない。

 

「麻雀、か……」

 

 一人残された青年はどこか物憂げに呟き。そして、生まれて初めて、彼、須賀京太郎は卓に着く。

 

 

 

 

「須賀君、それじゃあ、いいかの。ここまで来たら、わしが教えた通りにして、後は好きに切ってええ。後ろに控えとるけぇ、分からなかったら、その度にわしが教えちゃる」

「はい。分かりました、ええと……真似して、あそこから引いてくれば良いんですよね」

「そうじゃ。ああ、牌を揃えるのは別に後でもええよ?」

 

 北家に座り十三枚の牌を並べ、苦心して理牌をする京太郎。質問に答えながら、彼の配牌を覗き込んで、まこは表情は変えずに、少々の落胆を覚えた。

 シャンテン数が極端に少なかったり、役満の影が見えていたりする、という訳もなく。あがりまでの距離はまずまずで、上手く育てていけば伸びなくもない、といった可もなく不可もない、そんな手牌だったのだ。

 

「待たせるのもアレですし……そうですね。引いて、っと。うーん……とりあえずコレ捨てておきます」

 

 そして、京太郎が引いてきた牌も良い所に入るようなことはない。どうも彼にビギナーズラックはなかったようだ。

 京太郎は一瞬だけ捨て牌を見てから、二枚出ているオタ風を迷わず捨てた。それは、未だ役をリーチ以外上手く覚えられずとも、まこが面子は雀頭以外、順子か刻子、三枚ずつ揃えるのが基本と伝えたその教えを忠実に守った故の選択だろう。

 

「ほぅ」

 

 そしてそれは、一度だけまこが口にした、場を見ることが麻雀では大事、という言葉に則った動きでもあった。

 一杯一杯の中でも、考えることは忘れていない、その様子。何と言うこともない筈の京太郎の一打に、まこは多少のセンスを感じた。

 その後も、京太郎は理解できる情報少なくとも、河を見て確率を考えることを忘れず慎重に打っていく。頓珍漢な打牌はあれども、教えは確りと遵守している辺りにまこは彼の真面目さを感じる。

 何となく、まこはその後姿に大型の忠犬を重ねた。

 

「リーチ」

「うおっ」

 

 しかし、初心者であるからには、処理できる情報にも限度というものがある。京太郎は八巡目に親のリーチ宣言を聞いて驚き、背を縮こまらせた。

 京太郎のそんな姿を見てこれ見よがしに悪どく笑う常連さんに苦笑いして、助けを求めてくるだろう彼のためにまこは当たり牌を考える。曲がったのは三索であり、捨て牌から見てもドラ筋でもある四索・七索辺りが怪しいが決定的ではない。

 何より、初心者の麻雀に嬉々として付き合ってくれた常連さんのことだ。茶目っ気を出して悪待ちでもしている可能性もある。河に転がっているヤオチュウ牌の多さを信用し過ぎるのも危険かもしれない。

 京太郎の下手な打ち方もあって、これは過去の経験もあまり参考にならないな、一旦現物を切らせようか、と思いながら助けを呼ぶ声を待っていると。

 

「……よし、これだ!」

 

 何と、京太郎は少し逡巡したかと思うと、まこを一瞥もせず、そのまま牌に手をかけて河に投じたのだった。彼が切ったのは七索。

 まこが呆気に取られていると、親が声を上げ、そして牌を倒す音がした。

 

「ロン! リーチ、一発、ピンフ、タンヤオ、イーペーコー……裏ドラはなし。満貫、一万二千点だね」

「……はい。えっと、染谷さん。これが一万点棒で良かったですっけ?」

「あ、ああ……そうじゃ」

 

 我に返ったまこは慌てて返事を返す。しかし、点棒のやり取りをしている京太郎と常連さんの姿が、彼女にはどうしてだか遠くに見えた。

 確かに好きに切れとは言ったが、意味を教わったばかりのリーチ後の一打に彼は不安を覚えなかったのだろうか。普通の初心者なら、耐えられずに経験者を頼るはずなのに。また、一見悔しそうだが、どうにも落胆が少ないようにも思えた。

 不可解に思い、それでもまこは気を取り直して、次こそ色々と訊いてくるだろう京太郎の後ろ姿を見つめ直す。だが、その後半荘の中で彼が後ろを振り返り、牌の切り方について尋ねるようなことは、一度もなかった。

 

 

 

 

 余程疲れたのだろう。一ゲーム付き合ってくれた客らに挨拶を終え、気に入られたようで彼らに声をかけられたり肩を叩かれたりしながら三々五々別れた後も、京太郎はそのままだらしなく椅子に寄りかかっていた。

 悩み掻き毟ったことで乱れた金髪を覗き込みながら、まこは後ろに控えたままに腕を組んでどこか憮然とした表情をする。

 

「いやー、手ひどくやられた……ゲームとはいえ借金をしたのは初めてですよ」

「予想通り、とゆぅたらそうじゃがのぉ……」

 

 トぶ可能性の高い初心者の京太郎のためにもと、今回は箱下ありのルールを採用していた。案の定トんだ上に焼き鳥で終わった彼のためにも、先に決めておいて良かったと、まこは思う。

 だが、それで散々に借金しておきながらも、ろくに自分の指示を仰がなかった京太郎のことを、まこは不可解に感じていた。

 勝つために終始必死に目を彷徨わせていたというのに、最善の勝利への道である経験者の助言を殆ど断っていたというのがまこにはよく分からない。余程、自力で和了りたかったのだろうか。

 それが与えられたものでも、一度でも和了ってその喜びを感じて欲しかった、というのが彼女の偽らざる本音である。

 

「初心者、とはいえ悔しいですね」

「まあ、それは見ていてよぉ分かっとったよ」

 

 和了れないことに実に悔しそうにしていて、和了られ続けて、でも腐らず最後まで続けた。中々にタフな精神である。

 或いは、届かなくてもひたすら勝ちを目指すその最中に、麻雀の楽しさを見つけてくれていたのか。それなら、半ば無理矢理に卓に着かせた甲斐もあるというものだとまこは思う。

 

「それにしても、染谷さんには申し訳ありませんね。ヘボな麻雀を後ろで見ているだけじゃ、ちっとも面白くなかったでしょう?」

「そんなことはなかったが……まあ、助言したくなるこの口を黙らすのには難儀したけぇ、何時もと違って気苦労があったのは確かじゃな」

「はは、すみません。でも、どうせやるなら、負けて元々。一度あいつの代わりにも思いっきり自由に麻雀をやってみたかったんです。勝つために、教わったことには気を付けましたが……いや、最後まで諦めなかったけれど、全然勝てなかったなぁ」

「……そうじゃったんか」

 

 あいつの代わりに、その言葉を京太郎が口にした時の表情は、まこが一度たりとて見たことのない種類であって。まるで、何か強い想いが透けて見えてくるようなものだった。

 遠くを望むその横顔、彼の未だ幼さを残す容貌に凛々しさが重なって見えて。年下とは思えない大人びた顔をした京太郎の横顔を見つめることで、一つまこの胸の中で鼓動が高く鳴った。

 あれ、と思う間もなく彼女の知らない感情が、滲み出る。痛いぐらいに鳴る胸元に、その想いは染みた。やがて一杯になった胸から押し出されたのか、今まで後回しにしていた質問が彼女の口から転がり出ていく。

 

「どうじゃ……麻雀、やってみて良かったかのう?」

「勿論。――麻雀って楽しいですね!」

 

 問いかけに答えるために椅子ごと振り返り、笑顔で京太郎は言い切った。自然、二人は向き合う形となる。麻雀で対面する場合よりも、ずっと近く。

 それに慌てるほどまこには男子に免疫がない、なんていうことはない。しかし、京太郎の間近で大きく綻んだその表情に、硬かった先までとのギャップを感じて、彼女は思わず頬を赤くした。

 本当に、楽しかったのだろう。こうして見てみれば、僅かに覚えていた軽薄な印象など欠片も感じ取れず。思わず脳裏に浮かんだ可愛らしい、という感想を、まこは頭を振ってから、話題を変えることで無理やり消す。

 

「そ、そうか……なあ、須賀君は清澄志望じゃろ?」

「ええと……そうです。どうして分かったんですか?」

「だって、今日は清澄高校の学校説明会の日じゃろ。夏休みのそんな日に、高校近くの雀荘に制服着て入ってくる中学生なんて、説明会帰りとしか思えんよ」

「そういや、そうですね。俺、清澄が第一志望なんですよ。ひょっとして、染谷さんは清澄高校の……」

「一年生じゃよ。……良かったら説明会だけじゃなくて、秋の文化祭の時も清澄に顔を出してくれると嬉しいのぉ。わしは麻雀部じゃけぇ、部員の数が少なくてちぃと面子が足りんけれども、その時はきっと麻雀の楽しさをもっと教えてあげられるじゃろう」

「分かりました。それは楽しみですねー。是非とも行かせて貰います!」

 

 また笑んで、元気よく京太郎は約束した。とても社交辞令とは思えないそれに、しかしまこはまだ不安を覚えてしまう。

 もう、雨はあがっている。ゲームは終わっているし、それにそろそろ中学生は家に帰るべき時間になっていた。だから、ここで別れるのが当然の流れなのだろう。そして、口約束など時間とともに忘れてしまうのが当たり前のことで。

 でも、まこは京太郎と二度と会えないというのは何故か、どうしても嫌だった。一度高鳴った心臓の鼓動は何時迄も収まりそうになくて。

 

「……絶対じゃよ?」

 

 右手で癖っ毛を弄りながら顔を朱く染めて、目を合わせることも出来ないままに、まこは念押しをした。

 

 

 




 ダイスの結果……染谷まこ74

 振る前から1から100までの間で50以上行ったら最初(その話)から恋愛感情を持っているという想定をしていました。流石に、そう高い数字は出ないだろうと考えていたのです。
 そうしたらなんと70を超えていたので、こんな風な展開になりました。

 次以降も、サイコロの数字を参考にして書いていますので、出来ることならご留意下さい。

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