八月の夢見村   作:狼々

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風鈴の彼女

「え、と……あの――」

「敬語じゃなくて構いませんよ。そちらの方が、私も話しやすいです」

 

 炎天下の夏の今日、陽炎が遠くで揺らめいて消えているのがわかる。その中で、道を二人で手を繋いで歩く。

 それによって、俺の顔も熱くなっていることがわかる。いや、やはり一目惚れのものなんだろうな、これは。

 

 こうやって近づいているととてもわかるのだが、彼女は見た目が若い。

 声の質からしてもわかるが、実年齢も若いのだろう。俺と同じか少しだけ下……二十代前半くらいだろうか?

 さすがに初対面の女性に年齢を聞く、等という失礼極まりない言動は自重するが。

 

 そうやって頭の中で結論付けていきながら、迷路のような会話を楽しむ。

 四方八方から聞こえる蝉の鳴き声と、明るすぎる木漏れ日を掻い潜るようにして、お互いの声は相手に届いていく。

 

「わかったよ、ありがとう。それにしても、君は綺麗だね」

「そう、ですか……? ふふ、ありがとうございます。にしても、正直な方ですね。普通、初対面の女性にそれを言いますか?」

「いや、言わない。俺は本当に綺麗だと思う女性にしか言わないから」

「またまた……お世辞が上手いことで。少し、上機嫌になってしまいます」

 

 傍からしたら、ナンパにしか聞こえないような言葉にも、口元を笑顔にして、真っ直ぐ前を見据えたまま歩いて行く。

 その笑顔が、俺にはどこか嬉しそうでもあり……()()()()()でもある。そう感じた。

 

「で、どこに君の家はあるの?」

「えっと、えっとぉ……この辺り……のはずです」

「いや、方向音痴とかいうレベルじゃないだろ」

「あ、あはは、私、すっごく方向音痴なんですよ。えへへ」

 

 自信なさげに、はにかみながら言われる。

 はにかむ姿も、俺には十分すぎるくらいに魅力的だった。

 どこまでも吸い込まれそうな魅力を持った笑顔はやはり――どこか、同じように空虚で、空っぽな気がした。

 

 そして、先に続く一本道を歩いて行くにつれて、風鈴の鈴音が聞こえてくる。

 夏特有の風情ある音楽の一種に、俺は耳で酔いしれていた。

 

 その風鈴の冷音をきっかけに、彼女は声を大きく、確信を持って言う。

 

「あ! ここですよ! ふふふ~、合ってましたよ!」

 

 こちらを向いて、ハットの隙間から見える目を閉じながら、満面の笑みを浮かべる。

 身長は俺よりも少し低いので、上目遣いをされると、深くハットを被っていても目が見える。

 子供らしいその一挙一動にも、彼女の魅力が遅れることはない。

 見た目にそぐわないわけでもなく、むしろ可愛らしい言動に、思わず心臓が跳ねる。

 

 少しだけ歩幅を広くして、家の中に入る。

 決して古いわけではないが、多少年季を感じる木造の一軒家。まぁ、この辺りに高層建築物は見当たらないので、家となったら必然的に一軒家になるのだが。

 見たことはないが、どこか懐かしさのようなものを感じる。

 

「ただいま、お母さん!」

「えっと……お、お邪魔します!」

 

 彼女が母親を呼ぶ声に続いて、俺は上がり込み挨拶をする。

 数秒後、廊下を裸足で駆けてくる音が聞こえてくる。

 次第に大きくなっていく足音の主は、こちらへの扉が開いたと同時に明らかになった。

 

「え、っと……そちらの方は?」

「旅のお方なんだそうで。もう列車もないから、家に……だめ、かな?」

「いえ、貴女がいいのなら、私は止めはしないわよ」

 

 優しそうなその風貌は、どこか彼女の面影と重なっている。

 笑ったときの口元なんて、もうそっくりだ。思わず、俺も笑ってしまいそうになる。

 さすがに失礼だと自分に警告し、顔と姿勢を正す。

 

「……こんにちは。そんなに硬くならなくていいですよ。好きなだけ泊まっていってください。……先に自分の部屋に戻っていいわよ」

「うん、わかったよお母さん」

 

 そう彼女は言って、壁に手をほんの少し添えながら、廊下を通っていった。

 やがてその背中は小さく、ある部屋の扉が閉められて見えなくなったとき、彼女のお母さんは口を開く。

 

「……旅のお方、ですよね? その、初対面の方に言いにくいのですが……あの娘と、仲良くしてやってはもらえないでしょうか?」

「……? え、えぇ、わかりました。こちらこそ、彼女と話すのは楽しませていただいていますので」

 

 正直、意味がわからなかった。

 何故、彼女のお母さんがこんなことを言うのか。俺には、わからなかった。

 初対面の相手に対してどうなのか、ということでもあった。

 ――が、それだけじゃないような。そんな気がした。

 

 けれど、俺にはどうしようもない。

 何かがわかったとして、他に何かが変わるわけでもない。

 『初対面』とは、そういうことだ。残念でもあり、ありがたくもある。

 

 彼女との会話の内容を、小説の参考にでもしてみようか。

 そう予定しながら、一階の、彼女が入った部屋に入る。

 

「あっ、そうですそうです。えっと、お話……しませんか? 私、この夢見村から出たことは、あまりないのです。とても小さい頃のことで、少ししか覚えていないんです。だから、こうして旅の方の話を聞くのは、楽しみなんですよ」

 

 やはり、彼女の笑顔には独特の雰囲気というものがある。

 依然としてハットに隠された目元であっても、口元だけで可愛さが表現されるところ。

 少し幼く無邪気な言動でも、可愛いと思えること、それらを。

 

 ――どこか、寂しそうな雰囲気を匂わせる笑顔が、そう思わせる。

 

 まぁ、気のせいなのだろうが。

 恋は盲目と言うわ、気温が高すぎるわで、どこか彼女への判断や見方がおかしくなったりしているのだろう。

 そう阿呆なことを考えて、俺は笑いかけて、彼女との会話を楽しむことに。

 

 彼女の笑顔は、やはり眩しい。そこには、寂しそうな雰囲気は、一切漂っていなかった。

 どうにも、俺の勘違いだったようだ。

 

「そうか。じゃあ、そうしよう。何を話したい?」

「そう、ですね~……貴方の話が、聞きたいです」

 

 優しげな声色で言う彼女に、ドキドキとし始める。

 俺の話が、聞きたい。別に他意も、特別な意味も孕んでいるわけではないだろうに。

 期待してしまう。もしかして。その一言が、脳内で紡がれていく。

 

「オーケー。じゃあ、俺がどうしてここに来たか、今から話すよ」

 

 その期待が、欺瞞に隠されたものを対象にされないことを切に願う。

 今は、この目の前の彼女と、笑いあって会話をしようか。

 

 耳に届いた風鈴の声が、やけに綺麗に聞こえた。

 婉曲的な声ではなく、澄んだ声が、直接。


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