八月の夢見村   作:狼々

31 / 31
待ちわびた再会

 終いには、頭が真っ白になってきた。

 どうして。おかしい。そんな一言さえも、頭をよぎることはない。

 予想していた現実とは乖離した、現実。

 どちらが夢で、どちらが現実なのかすら区別がつかなくなってくる。

 俺に許されたのは、目を見開いて、懸命に眼前の光景を否定することだけだった。

 

「どうされたのですか?」

「あ、お疲れ様です。いやぁ、このお客さんが……」

 

 俺と駅員に、もう一人の駅員が話しかけてきた。

 混乱の最中から引き上げられて、その駅員の方を見る。

 白髭の、年配の男性。駅員のスーツ姿がよく映える方だ。

 

 ――見間違えるはずもない。夢見村の駅員、その人だった。

 帰りの列車で、意味深長な言葉を俺にかけた、あの人。

 心や思考に引っかかっていたため、印象と記憶には深く刻まれてる。

 

「夢見村前? って駅に行きたいらしいんですよ。こっちの方面じゃないことは確かなんですけど、どこの線の駅かわかりますかね?」

「ふぅむ、私も詳しくは知らないが、聞いたことはある。違う路線で探してみますので、どうぞこちらに」

「え、あ……はい」

 

 初対面で寡黙な印象を抱いた分、思いの外長い会話に驚く。

 若干ながら遅れて、彼の後ろをついていく。

 小さな人目につきにくい扉から、無人の白部屋に入った。

 

「君は、望んだんだね」

「え、えっと……」

「白い切符は、まだ持っているかね?」

 

 言葉が短くなり、俺の記憶上の姿と合致した。

 一つ一つの言葉に重みが増して、その中で発せられた白い切符の存在。

 決して夢見村のことに無関係ではないことは、容易に想像がつく。

 

「持ってますよ。……はい、どうぞ」

 

 財布を取り出して、折り目一つすらついていない、ほぼ一年前と同じ状態の切符を差し出す。

 まるで今もらったかのように、新しさすら感じさせるだろう。

 

 彼はその切符を受け取って、静かに頷く。

 満足そうに、笑顔を浮かべながら。

 

「貴方は、本物のようです。こちらの別の切符で、終点まで降りないで列車にお乗りください」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 白とは別の、ちゃんと印刷された切符と白い切符を受け取った。

 部屋から出て、改札へ。

 元の場所に戻ると、俺が最初に話しかけた駅員がいる。

 

「あっ、どうでしたか?」

「どうやら、駅の名前の勘違いだったらしいです。話を聞く限りでは、この線で間違いはないですね」

「おっ、そうでしたか。よかったです」

 

 爽やかな笑みに見送られながら、会釈をして改札を通る。

 暫くだけ待って、列車が警笛を鳴らしてやってきた。

 列車の扉が開いて、微かな緊張感と共に、中へと乗車。

 

 席について間もなく、高らかな笛の音。

 扉が徐に閉まり、僅かな揺れに包まれながら、線路を沿って前へ。

 徐々に加速する感覚を感じながら、窓の奥に広がる景色を楽しむ。

 

 少し経ってから、例の向日葵畑の絶景が見えてきた。

 目を輝かせながら、咲き並ぶ向日葵を見る俺の様子は、さぞ子供っぽいことだろう。

 ただ、それだけこの光景が見られることが、嬉しかった。

 

 夢見村に行ける。その事実が、俺に遅れて実感ある安堵を齎した。

 席の背もたれに倒れるように深く座り直し、軽い溜め息。

 思い悩むような重苦しい溜め息ではなくて、本当によかった。

 

 そして直ぐ様、微睡みに襲われる。

 箱の微弱な揺れが眠気をさらに掻き立て、俺の意識を深みへと落としていく。

 いつの日かと、同じだな。そう思った時には既に、目の前は閉ざされた。

 

 

 はっとなり、飛び起きる。

 一日一本の運行ダイヤで、引き返されるとこちらとしては困る。

 

「次は~、終点、夢見村前~」

「……全く、本当にいつの日かと同じじゃないか」

 

 つい漏れ出した独り言に、自分で笑ってしまう。

 列車はやがて速度を落とし始め、止まる。

 目の前の扉が、蒸気を上げる音と共に開かれた。

 

 この時を、ずっと待ちわびていた。

 昨年から、ずっとずっと。

 毎日のように思い出しては、夢見村に行きたいと思っていたのだ。

 

 花屋の前を通る度に、夢見村の向日葵を連想した。

 別れ際にもらった手紙を読み返す度に、彼女の弾ける笑顔が目に浮かんだ。

 

 列車から降りると、異様な暑さに見舞われる。

 見渡す限りの自然に歓迎されるが、一年前と打って変わらずの猛暑。

 遠くの地面からは陽炎が立ち込めて、無軌道に左右に振れ続けている。

 それを確認した直後に、真後ろで扉が閉まり、列車が発つ。

 

 無人の改札口を抜けて、運行ダイヤを確認した。

 やはり、一日一本。何もかもが、そのままだ。

 

「……こんにちは。貴方は、旅のお方でしょうか?」

 

 聞こえた瞬間に、身が震えた。

 すぐにでも声のした方を向きたかったが、言葉の意を汲む。

 ゆっくりと、そちらを向いた。

 

 目深にハットを被った、白いワンピースを着た女性。

 長い黒髪が陽光を反射して煌めいている。

 ホームに吹き抜ける爽やかな風が、彼女の魅力溢れる黒髪とワンピースを揺らしている。

 

「はい、そうですが」

「ふふっ、ここには何もありませんからね。私の家でよければ、宿として提供しますよ?」

「いいの、でしょうか?」

「えぇ。では、行きましょうか――と、いきたいところですが」

 

 あの日の再現は、完璧だった。

 俺の再び湧き上がる恋と、彼女に見惚れる様子など、ほぼ変わらないのではないか。

 俺達は、ただ言葉だけを淡々となぞっているだけではなかった。

 

「お久しぶりですね、丁度一年ぶりです」

 

 そう言いながら、彼女は徐にハットを脱ぐ。

 しっかりと目が開かれて、俺の方を向いている。

 相変わらず、綺麗な目をしていた。

 どこまでも澄んだ黒は、誰しもの視線を吸い込んで離さないだろう。

 

「そうだな。随分と、長く感じたよ。五年か六年でも経った気分だ」

「へえ、では私は十年分くらい経った気分です。……貴方に、ずっと会いたかった」

「嬉しいお言葉だことで。俺からも、同じ言葉を返すとするよ」

 

 互いに、互いの再会を求めていた。

 口上だけでなく、心から今日この時間を渇望していた。

 このやり取りを、どれだけ欲していただろうか。自分でも、想像がつかない。

 相当に大きい、ということはわかるのだが。

 

「ふふっ、私の予知夢ってすごいです。夢の姿と今見える貴方の姿が、まるっきり同じなんですから」

「……見える、のか?」

「はい。手術、受けました。といっても、つい最近なんですけどね。都会行かないと手術ができない。でも、都会で聞こえる車の音が怖い。たった二つの連鎖に、暫く悩まされました。えへへ」

 

 可愛らしい様子も、当時から一切鈍っていない。

 彼女の純粋さも、丁寧な口調も、柔らかい言い方も、全て。

 変わったことと言えば、彼女の目が見えるようになったことと、気のせいか笑顔が前よりも輝かしいことだ。

 俺にとっては、どちらも歓喜のあまりに、小躍りしてしまいそうになるほどだ。

 

「あっ、そうそう。今日の夜、花火大会があるんですよ。一緒に、花火を見ませんか?」

「おう、勿論。それよりも、本当に花火大会を開催するとは、思ってもみなかったよ」

「だって、貴方は嘘が嫌いでしょう? それに、私も貴方も喜べそうなので」

 

 別れの日の、約束を思い出す。

 約束と呼べるほど現実的ではない、一年後の花火大会の開催。

 まさか、彼女の意志が村を動かすとは。大したものだ。

 

 彼女だけの意志ではないのかもしれないが、発端は明らかに彼女だろう。

 俺にためでもあると思うと、やっぱり恋する俺としては嬉しい。

 

「喜びすぎて飛べそうだよ」

「わあ、随分と大きい鳥さんですね。それと、貴方の小説、読みましたよ? 面白かったです」

「ありがとさん。それはそうと、俺のペンネーム、言ったっけか?」

「あんなにわかりやすいタイトルで出しておいて、よく言いますよ、本当に」

 

 彼女の呆れた笑いも、また懐かしい。

 安直すぎる題名というのも、意外な得があったものだ。

 

「出す日とか、わかったのか?」

「いいえ? 一ヶ月ごとに、本屋に出向きました!」

 

 腰に手を当てて、満面の笑みで胸を張る子供らしさといったら、可愛いのなんの。

 そのまま頭を撫でたくなるような、庇護欲をそそられてしまう。

 

 彼女の行動力といったら、それはもう素晴らしいものだ。

 車の恐怖は完全に消え去ることはないだろうに、毎月本屋に行って、何万とある本の中から探したのだ。

 どう考えても、普通の人なら早々に諦めるレベルだ。

 それを見つけて購入し、読むのだから、良い意味で常軌を逸している。

 

「そこまでしてくれると、作家冥利に尽きるよ。……なぁ。一つ、いいか?」

「えぇ、どうかしましたか?」

「俺は君に、ずっと言いたかったことがあるんだ」

 

 一年前から、ずっと秘めた思い。

 どうしてあの時言えなかったのだろうと、後悔もした。

 けれども、最後の日に打ち明けても、空中分解しそうでできなかったのだ。

 

「奇遇ですね。私も、直接貴方に言いたいことがあるんですよ」

「なんだ? 同時に言えってか?」

「ふふっ、それはいいですね。そうしましょうか」

 

 俺達は、確信していたのかもしれない。

 寄せ合う想いに、既に気付いていたのかもしれない。

 互いの名前すら、知らないのに。でも、そんなことは正直、どうでもよかった。

 

 夢見村に訪れる八月は、蝉の鳴き声と共に。

 蒼浪が広がる青空は天高いが、手を伸ばせば届きそうだ。

 雄大な自然に、背中を控えめに押された気がした。

 

「私は――」

「俺は――」

 

 貴方のことが――




ありがとうございましたぁあああ!

最終話です! 四月の終わりから連載して今日まで、意外と長かったです。
七月から、とある理由で急ピッチで仕上げてきました。申し訳ない。
ともあれ、タイトルにもある八月に終わったのはポイント高い。何の話だってね(´・ω・`)

他作品に比べて圧倒的に人気が出ませんでしたが、情景描写は一番頑張れました!
人気どうこうよりも、こうやって頑張って完走できたことに、読者の皆さんへ尽きぬ感謝を。

最後、貴方のことが――の後に続く言葉は、想像におまかせします。
一体、どんな言葉が続くんでしょうね?

一応、これがトゥルーエンド的なポジションです。
いかがでしたか? 前話が納得いかなくて、今話で納得する人がいるかと言われると、また微妙なところですが……
『私の中では』一番ふさわしいというか、いいエンディングのつもりです。
私の中では。ここ、重要。

情景描写意外に頑張ったことは、やはり彼女視点ですね。
視覚描写が書けないということは、私にとってかなり痛かったです。
主に視覚に頼っていたことがわかって、課題の発見にも繋がりました。

長くなりましたが、これで本当に八月の夢見村は最終話となります。
改めまして、この作品をここまで見ていただき、ありがとうございました。
度々送られてくる感想に感謝しつつ、頑張れました。

本当に、ありがとうございました!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(必須:5文字~500文字)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。