八月の夢見村   作:狼々

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切り取られる光景

 じりじりと、地面が焼けるような音が聞こえてきそうだ。

 手に持った荷物が、やけに重く感じる。

 混濁しそうになる意識を留めながら、隣の彼女と手を繋いで歩き続ける。

 ワンピースから覗く白肌に、思わず喉を鳴らしてしまう自分。

 やはり、彼女の容姿は端麗なようだ。

 

「なぁ。具体的に今日は、どこに連れて行ってくれるんだ?」

「う~ん……内緒、です! 着いてからのお楽しみですよ?」

 

 優しそうな柔らかい笑みを携える彼女。

 控えめに揺れる白布が、さらに彼女の魅力を引き立てている。

 炎天下の路上の暑ささえも、『見る』涼しさで吹き飛んでしまうかもしれない。

 

 地面を、白サンダルと同じく白のスニーカーが擦る音。

 昨日よりも一層激しくなった蝉の声が、蒼昊の奥深くまで響き渡る。

 茂る草を撫でるように吹く風が、俺達の周りを包み込む。

 

 あらゆる景色や音が、都会では見えず、聞こえなかっただろう。

 見逃してしまうどころか、聞こえすらしないのだろう。

 そんなこぼれ落ちる音が、俺の心をぐっと掴んで離さない。

 

「ところで貴方は、都会から来られたのですか?」

「ん? あぁ、そうだよ。だから、こういう村に来る機会は貴重だとも言えるな」

 

 現代人の悪いところは、そこにある。

 利便性・快適性・合理性を求め、とにかく先進した場所へと旅立つ傾向にある。

 全く、悍ましいものだ。

 小さな村の過疎化が急激に進行していることも、それの暗示となっている。

 機会があったとしても、行こうとする意識の大部分が、致命的に欠落してしまっているのだ。

 

 かくいう俺も、ついこの間まで他人事ではなかったのだが。

 発想転換、という名目が無ければ、村を訪れようとはしなかっただろうに。

 

「そうでしたか。であれば、私も嬉しい限りです」

「そりゃまたどうして?」

「貴方が訪問した村の一つが、夢見村だからです。貴方と会えて、本当によかった」

 

 俺の心臓が、一気に心拍数を加速させる。

 彼女の笑みは、俺にとっては武器の一種にもなりえてしまう。

 呼吸は乱れかけ、落ち着きを忘れそうになるのだから。

 

 言葉を選ぶ余裕すらなく、慌てるように答えた。

 

「あ、あぁ。俺も君と会えて、すごく嬉しいよ」

「え、ぁ……」

 

 深く帽子を被り直して、俯く彼女。

 かなり深めに被っているので、表情は殆ど見えない。

 ほんの少しだけ見えた頬は、気のせいか赤らんでいるようにも見えた。

 

 二人の会話の間に、静寂。どこか気まずいような雰囲気が流れる。

 自然はそんなことは気にも留めず、摂理に従って各々の声を主張している。

 

 黙って歩いているだけなのに、額だけでなく、全身から汗が止まらずに流れ続ける。

 ただ単に暑いからなのか。それとも、内心の焦りにも似た何かのせいなのか。

 無意識に、未だに繋がれた手を、少しだけ強く握ってしまう。

 

 そして、一つの坂を越えた先で。

 

「えっと……確か、この辺りのはずです。着きましたよ」

「え? あ、あぁ、そうか。ありが――」

 

 ありがとう。そう言おうとして、思わず息を呑んだ。

 

 沢山の黄金輪が、太陽に向かって力強く花開いている。

 花自体の美しさは去ることながら、黄金比を形成するの種の並び方にも、目を見張る程の芸術性を感じた。

 背高なそれの中に混じって、小柄な背丈もあるが、例えそうだとしても、美しさが欠けたり、くすんだりすることはない。

 黄色の瑞々しさを持つ夏の花は、神々しいとも思える。

 

「ひまわり、畑……?」

「合ってましたか。えぇ、そうですよ。ここの向日葵(ひまわり)畑は、私が子供のときから綺麗な場所なんです。村の皆も言っているんですよ?」

 

 雲一つない晴天に恵まれ、とは正に今日のことなのだろう。

 深みのある青は、煌めく日光をさらに輝かせ、引き立てている。

 向日葵の黄色はそれを反射し、幾つもの太陽となる。

 それこそ、向日葵が本物の太陽のように。

 

 視界いっぱいに広がり、地平線へと繋がる向日葵。

 あまりの玲瓏(れいろう)さには、鳥肌が立って、いい意味で寒気すら憶える。

 

 再び、歩いてきたときの言葉を思い出した。

 都会にはない光景。その美しさ。

 正直、この光景にすら恋してしまいそうだ。

 狭く、厳しい縦社会に埋もれながら、この尊い存在を見逃すなど、勿体無いの一言に尽きる。

 

「なぁ。写真……撮ってもいいか?」

「えぇ。いつまでも待っていますから、好きなだけ――」

「いや、そうじゃない。()()()()()写ってくれないか? この向日葵畑を、背景に」

「私、ですか……?」

 

 この素晴らしい向日葵畑を背に、解語の花が写った写真。

 それはもう、想像できないくらいに最高の写真となることだろう。

 

 幸い、短い旅の道具として、デジタルカメラは持参してある。

 今もそれは持ってきているので、後は撮るだけだ。

 

「勿論、無理にとは言わない。嫌だったら嫌と、はっきり言ってほしい」

「いえ、そうじゃないんです。私で、いいんですか?」

「むしろ、君がいい。君が、一番この光景が似合うだろうから」

 

 本心だった。それも、随分と確信のある本音だ。

 俺が見た人間の中で、この光景をバックにしたとき、一番似合うのは彼女だ。

 大袈裟な話だが、不思議と俺はそんな確信を持っていた。

 

 人との交流が少ないだとか、そんな程度の低い話をしているんじゃない。

 もっと別次元の、尊厳とかいう話なのだろう。

 少なくとも、俺はそう思うのだ。

 

「……わかりました。ポーズは、何かご所望ですか、カメラマンさん?」

「そう、だな。片手を帽子に、片手をピースで、できる限りの眩しい笑顔で」

「ふふっ、了解です」

「おっ、その笑顔いいねぇ」

「もう! あんまり茶化さないでください!」

 

 一つ軽いおふざけを投じたところで、手荷物からデジタルカメラを取り出す。

 レンズを向けて、彼女に合図を送った。

 

 受け取った彼女が、先程伝えたポーズをそのまま、ゆっくりととる。

 太陽に負けないくらい。いや、太陽にも勝ったのではないかと思うほどの、眩しい笑顔も前に出して。

 

 不意に笑みが溢れながら、言葉を切る。

 

「はい、チーズ!」

 

 瞬間、シャッターを切った。

 彼女の輝かしい笑顔を収めた光景は、レンズの中での一瞬を凍結されて、切り取られた。


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