原作回想シーンで登場した下着の女性を主人公にしました。
ーーどれだけ生きれば、いやされるのだろう。
何番目だったかの男がよく聴いていた歌の一節が、今も私の耳から離れない。
誕生日を毎回違う相手と過ごしてきたわたしの男付き合いの中でも、特に長続きしなかった男だったと思う。顔も声も肉体(からだ)の感触もとっくに忘れ去っているのに、この歌詞だけが、私の胸の穴にぴったりはまってまるで外れそうにない。
父子家庭に生まれ、その父も幼い頃に事故でなくした。遺品は父のものだけで、母のものは見たことも聞いたこともなく、父の親戚という人たちも話してはくれなかった。施設から小学校に通い、中学をでた。地元の公立はレベルが高すぎて、私立は学費が足りないから高校には行けなかった。中卒で就ける仕事はほとんどなく、あっても何とか生活できる程度。それでも少しずつお金をためて都会へ出たけれど、結局は二十歳とウソをついて水商売につくお決まりのコース。学校で教わった漢字は自分の名前と住所くらいにしか使わない。算数も足し算か引き算ばかりで、たまにかけ算、わり算はほとんど使わない。英語が好きで髪もブロンドに染めてはみたけど、「ちょーオッケー」なんてバカみたいな返事を一日に何度か口にするだけ。明け方を待って帰り、日暮れ近くに家を出る毎日で、日々は溶けるように消えてゆき、いつも目立った理由もなく愛想笑いをし、目立った理由がないから涙もこぼれない。
月日の感覚はとっくの昔に曖昧で、着ていく服の目安にしかしていなかったから、その日がいつだったのかは覚えていない。たぶん5月の中頃だったと思う。付き合い始めの男が送ってくれるというので車に乗っていた。いつものように私を後ろに座らせて、服を脱ぐように言った。濃い目のスモークガラスで外から見えないようにしてあるから、趣味が変というだけで、今までの男たちに比べればそれほど害はない。バックミラー越しにちらちらと目を合わせるだけの男と、好きとか愛しているとかは正直わからない。それなのに、少しでも気に入られようとして派手すぎなぐらいの下着を揃えたのは、私が男なしではいられないからだろう。
それと気付く間もなく車はひっくり返り、爆発音や大きな建物が崩れる音が鳴り止まなかった。運転席から聞こえてくる少しずつ小さくなる呻き声に混じって、ずる、ずる、ずると大きな体を引きずるように近づく何かの気配を感じたところで、わたしの意識と記憶は閉じている。
「おい大丈夫か。しっかりしろ」
ーーおとうさん……?
覚めきらないぼんやりした意識の中、私はこの声の主が父ではないかと願っていた。正気に近づけば近づくほどその願いは儚くかき消えて、願い続けることもできなくなってしまういつものあれだ。
「……なに、ここ? え、どこよここ」
わたしはあたりに目をやった。傍にはわたしをのぞき込む白衣の男。周りは……薄暗く、木の幹のような柱が並ぶ広間だった。そして、わたしはといえば下着姿のままだ。この姿に気がついて、きゃっと声を鳴らして肉肌を隠すように丸まる。
白衣姿の男はなにも言わずに不思議と黙っている。じっとただ見ているけれど、その目の色はわたしの男とはだいぶ違っていて、裸に近いわたしを見て愉しんでいるようではなかった。きっとこの男にはきちんと決まったひとがいて、他の女には興味がないのかもしれない。そう思うと少し気が落ち着いた。
「どこ? いつなの?」
「分からない。俺も今さっき目が覚めた」
「スマホ」
「は?」
「ケータイ持ってないの? 日にちとか分かるでしょ、地図だって」
言われて男はポケットを探り始めた。胸元で揺れている名札によると、薬剤師の北沢千宙というらしい。それにしても、この男は右手に取り出したスマホを持ったまま更になにを探しているのだろう。
「その手に持っているじゃない」
「あ……ああ、これか」
まだ混乱しているみたいだ、と言いながら北沢は不慣れな手つきでスマホをいじっている。しかし、それの光が周りを照らしてくれるようなことはなかった。
「動かないな」
「ウソでしょ」
「ウソ?」
何を言ってるんだ、というような真顔でわたしを見る。確かにウソなんてついている場合じゃなかった。まともな人なら、ここがどこかも、今がいつなのかさえ見当つかないのに、ウソや冗談を口にするわけがなかった。わたしの客や付き合った男の中にはやりかねないような奴もいた。ああいうのに比べれば、この北沢千宙という男はまともな人なのかもしれない。それとも、いつの間にかわたしの周りがどんどんとろくでもない奴ばかりになってしまっていたのか。そう考えるとため息がでる。
「とりあえず動きましょ、こんなとこ気味悪いわ」
「そうだな」
ああ車の中で靴も脱いでたんだった。ひたひたと裸足で歩くわたしの足にいやな感触がまとわりつく。前を歩く北沢は無口なのかさっきからまるで口を開けないので、その感触が気になってしょうがない。
「ねえ、あなた名前は?」
「北沢千宙」
自分の名前のはずなのにずいぶん素っ気ない口調だった。あんたは? と聞き返してもくれない。さっきからずっと同い年くらいの女が下着姿のままなのに顔も声も、雰囲気だって平静そのもの。まあ、いきなり襲いかかってくるような乱暴な男じゃないのはありがたいけど。
「わたしは横野江さくら。とりあえず、よろしく」
「よろしく」
「ねえ、あなた何か覚えてないの?」
「いや、前の日のこともはっきりしない。あんたは?」
「わたしは……こんな格好だから寝ていたのかも」
さすがに下着姿で車に乗っていたなんて話は恥ずかしいというより、情けなさすぎてできない。同意の上っていうんだからなおさら。
「ねえ、あなた薬局の人なんでしょ? 白衣着てるんだから仕事中だったんじゃないの?」
「かもしれない」
「シフトとかはどう?」
「さあ」
「さあって、あなた真面目に……」
「っと、行き止まりだ。今度は向こうに行ってみるか」
「え、ちょ、待ってよ。そんな当てずっぽに」
北沢は足を早めて歩いてゆく。置いていかれそうな気がしたわたしは横について歩く。
「変な夢を見てたのよ」
「夢?」
「街中で大きな爆発が何度も起こる夢。いろんな建物が壊れていったわ。わたしは倒れた車に閉じこめられていて、大きな生き物が何かを引きずってるような音を聞いたの。ねえ、これも夢の続き?」
「さあ俺には分からないな」
それにしても北沢は恐れもなく歩いている。わたし一人こんなところで目覚めていたら、そのあたりの柱の陰や暗がりの向こうを恐ろしがって身動き一つとれなかっただろう。今はこんな状況だからか話はつれないけれど、いざというときにはこういう見かけによらない勇気を見せる性格なのかもしれない。
「なんだあれ?」
「え?」視線を追うと確かに何かある。
「あれのずっと上、明るくないか?」
自然と足早になって近づいてみると、理科の教科書でみた植物の細胞のようなものが地面から生えていて、まるで浮かび上がろうとしてふよふよと揺らめいていた。そのずっと真上を見上げると柱よりも高いところから光が射している。
「これ、乗ったら上がるのかもな」
「エレベーターだっていうの? 怖いわ」
「ほかに行けそうなところなんてないぞ。こんな薄暗い場所より明るいところに出た方がいいじゃないか」
「でも。でも待って、せめて何か重さのある物で試しましょ? いきなりこんなわけ分かんないのになんて」
「乗せられる物なんて落ちてなかったぞ。俺が先に乗ってみるから、ここで待ってな」北沢はひょいと乗ってしまった。
「うそ、やだ待って待って。こんなとこで独りにしないでよ」
「じゃあ、あんたも乗りな」
他に方法も進む道もなかった。わたしの人生ってこんなのばっかりだ。だから知ってる。こういう時進まないと後々もっと苦しくなる。それに今回は、今回だけは、
「ほら、つかまれ」
他にない不安な道をほんの少しだけ先に進む男が手を差し伸べてくれている。わたしはその手をしっかりと握った。一杯の不安で冷たいわたしのと違って、北沢千宙の手は温かだった。
目の前に広がる見も知らない景色に比べれば、あれが本当にエレベーターだったなんてどうでもよくなるようなことだった。わたしたちが立ち尽くしている石灰色の建物の周りは崖で囲まれて、その向こうは森に濃く覆われた山々が果てしなく続いていた。空には太陽のほかにくっきりとしている大きな大きな満月が出ていて、月はまた別の方にも浮かんでいた。
わたしはとにかく現実感のあるものを探して北沢の手を掴んでいた。北沢は握り返してはくれなかったけれど、このあまりの光景に力を落としているのに違いなかった。
しばらくしても千宙は口を閉じたまま何も言わない。わたしも、口を開く気力も、立ち上がる気力もなかった。いつも眠りにつく前に感じる、形はないくせに重さのある得体の知れないものがこれまでになくのしかかってきていて、今にも倒れ込んでしまいそうだった。
「……どこかで休みましょ」
「そうだな」
そう言って千宙が向きを変えると、わたしは掴んでいた手に引きずられるようにして地面に手を着いてしまった。
「なんだ、立てないのか」
「え、ええ、ちょっと無理みたい」
「しょうがないな」
北沢はいきなりわたしを抱き上げた。今までどんな男もしてくれなかった、お姫様だっこっていうやつ。
「ちょ、ちょっと、千宙っ」あまりの気恥ずかしさでうっかり名前で呼んでしまった。「なんだ?」
「う、ううん、なんでも」
ちょうどベッドのような高さと広さのある台が見つかるまで、わたしは千宙に抱き上げられたままだった。あんな音で胸が高鳴るなんて初めてだったかもしれない。ベッドに横たえられるときに押し倒されたとしても、きっと拒めなかっただろうけど、
「あたりを見てくる」
と言って、すぐにわたしから離れてしまった。やっぱり本当に、千宙にはもう決まった人がいるのかもしれない。
わたしは吸い込まれるように眠っていた。いつの間にか気が付いて天井を見上げていたけれど、そこに見慣れた蛍光灯はなく、辺りは外から差し込む月の光で夜とは思えないほどに照らされていた。
「夢じゃないのね…」
ガラスもカーテンもない窓の高さまで体を起こせば、あの途方もない光景が広がっているんだろう。夢じゃないと分かっても、できればそれは目にしないでいたかった。
千宙はどこだろう。顔を横に向けると、小さな机の上に洋梨に似た果物と水の入ったコップ、そして折り畳まれた毛布がある。ひとまず喉を潤したけれど、みかんもりんごも缶詰か切り身で食べてばかりのわたしがまるで知らない果物へ手を伸ばすことはなかった。
毛布はわたしが羽織るのにちょうどいいぐらいの大きさだった。優しい感触のそれで素肌と下着を隠せてやっと気持ちも落ち着いた。崖のすぐ向こうに森があるというのに、日が暮れるまで眠っていたわたしの体には虫に刺されたような痕もない。きっとここには人間に危害を加えるような生き物はいないのだ。今ならわたしだけでも多少辺りを歩ける。千宙の姿を探しにこの小部屋を出た。
すぐに見つけた。千宙は小部屋の外、廊下の壁に背を預けて毛布にくるまって眠っていた。こうして守ってくれていたのだと分かると、わたしの目を滲むようにいやしてくれるものがこみ上げてきた。わたしはわたしが寝ていたベッドには戻らないで、千宙の隣に腰を下ろし、そこでまた深く目を閉じた。粒となってこぼれ落ちてほしかったそれは、いつものようにあくび涙が目を潤わせるようにするだけで、願えば願うほど涸れていってしまった。
何日か経った。陽が沈んだ回数を記していなかったから、どれくらい経ったのかは分からない。
「帰れそうもないわね…」
わたしはもうとっくに諦めていた。どうせ、待っている人も、会いたい人も、行きたい場所もこの世にはなかった……月が二つも三つもあるここが別の星だとしても、わたしが生きている限り続くあの日常と一つの変わりもない。戻らない父と姿のない母を待ち続けるあの日の続きだった。
千宙が見つけた小川のような水場で、わたしは水浴びのついでに裸になって浮いていた。わたしが諦めたとき、千宙は励ましはしなかった。ただ一言、
「そうだな」
とあっけなく同意したのだ。
「待っている人はいないの? 家族の誰か、恋人とか」
「いない」
「独りだったの? 千宙も」
「ああ」
その時はそれ以上聞かなかった。千宙も、わたしが独りだということを聞かなかった。その夜、わたしは毛皮を身につけない下着姿のまま千宙の小部屋に押し掛けて、同じベッドに横たわった。そして、これまでの男たちはもちろん誰にしたこともない身の上話を打ち明けた。
「ーーいいことのひとつもない人生だった」
千宙の反応はいつもの通りだったけど、口数が少ない分、聞き好きらしい千宙が耳を傾けてくれていたのは分かっていた。わたしの打ち明け話に応えてくれることを期待していたわけじゃないけれど、あの夜、千宙が千宙の話をすることはなかった。
「ねえ、千宙もいつか話して」
千宙は「いつかな」とも言ってくれなかったけれど、まだ誰かに話せるほどの時間が経っていないなら、それは無理強いできることじゃない。わたしはその時がくるのを静かに待つべきだと思った。
でも本当は、きっと同じように傷ついている千宙とその傷をなめ合い、慰め合い、抱き合いたかった。いつもみたく一時忘れるためじゃなく、長く向き合えるために。なのにあの夜も、何日経ったか分からない今日になっても、千宙はわたしに何も語らず手も触れてくれない。ここに水場は一つしかない。そのたった一つの水場で、わたしは長いあいだ裸でいて千宙が来ないかと期待している。目を背けたい欲求だけど、願望としては純粋なものと信じたい。
きっとわたしたちは大切な過去に囚われている。現実感を薄く溶かしてしまうような過去に。わたしの体はこうして水に浮いて漂い、こころは水底深くに沈んで流されない。誰と一緒でも誰でもよくて、どこにいたってどこでもよかった。だから、体目当ての男ぐらいとしか続かなくて、あの歌を聴いていた男は寄せあえる心を持たないわたしから去っていった。
わたしは水辺を出ることにした。他にどこへも行けず、誰にも会えないこの場所で、体も心も重ならない独り同士のままはきっと寂しすぎる。これを決意と自覚して突き進むような少女の頃を過ぎてしまったわたしは、水底深くに沈んだ心を拾えずにいる。だから、きっと千宙には届かないかもしれないし、ここでの長い水浴びは続くのだろう。 それからわたしは毎晩千宙と同じベッドで眠るようにした。千宙に拒む様子はないけれど、相変わらず体を求めてきたりもしない。過去(むかし)の話はわたしの方からはしないようにした。ここでは話題にするようなことは起こらないし、明日も明後日も起こりそうもない。できる話といったら、いつだってぼんやりとしていた将来のことだけだった。別の星より遠いと感じていた将来や夢の話なんて、わたしにはまったく似合わないのに。
「いつか何もかも全部やり直せるような街へ行くの。きっと外国ね。英語は結構得意で自信あるのよ」
「今からでも検定受けて大学にも進んで学校の先生とか目指してみたいな」
はじめから叶いっこない夢の話。あの日常が続いていたなら叶ったかもしれないという期待も、密かな夢に気付かないふりをしていたことへの後悔もない。未練とさえいえない空しい話というのに、この夜話を聞く千宙の顔がこちらを向いたのは初めてだ、
「いいことのひとつもない人生じゃなかったのか?」
「え?」
千宙が何を言って伝えようとしているのか分からなかった。聞き逃せない矛盾があることを指摘するように聞こえたけれど、わたしはわたしの言葉にその場限りの冗談じみた嘘をついたことはなかった。微妙なすれ違いを表すような空気が漂いはじめて、わたしを覗き込む千宙の目がひどく遠いところから視線を注いでいる。
「な、んの、ことなの?」
「いや、いいよ」
千宙は寝返りを打って背を向けてしまった。このままだと千宙もどんどん遠ざかってしまいそうだと焦るわたしは、震える手で千宙の白衣をつまんでいた。千宙は顔も向き返してくれない。縋るように、肩のあたりを両手で掴んで額も背中につけてみたけれど、千宙はぴくりともしなかった。
わたしは何度か名前を呼んだ。蚊が鳴くような囁きだから千宙には聞こえなかったのか、もしかしたらそれはすでに悪夢だったからか、返事はいつまでもなかった。
結局わたしは今日も水に漂っている。こうしていれば、体を押さえつけるあの得体の知れない重さをほんの少しでも忘れていられた。あれから千宙との距離には遠いとか近いとかとは別の、険しさと恐れができてしまった気がする。この気配を感じるとその男とはうまくいかなくなるのを、わたしは知っている。嫌われたくなくておびえてしまうばかりで、どうしていいのか分からない。最近の男は皆ろくでもなかったからか、媚びてさえいればそれで繋ぎ止められた。今日まで指一つ触れようともしない千宙にそんなあざとい手は通じないに決まってる。そして、千宙もわたしから去ってゆくのだ。
心を置き忘れてしまったのがいけないのだろう。過去に囚われ、将来は曖昧、今を見失ったまま漂い流されていたのに、それでも過ごせていられたような安らかな日々を振り返らなくなってそれぐらい気付いていた。でも今は、胸を疼かせ焦がすような恋心を確かに感じる。
これはきっと、男なしではいられなかったようなわたしに訪れた初恋なんだと思う。この恋心に身を任せて、いつかどこかに置き忘れた心を取り戻したなら、千宙は振り向いてくれるだろうか。今のわたしは、そうと信じなければもうなにもできないのだから。
ただ、これが初恋のわたしはある当たり前のことを知らずにいた。恋愛とは、相手をただ求めるのではなくて、求め合えるようになった相手と同じ方向を見つめるのだということを。それを知らないような奴がする気の引き方は、男から見たって女から見たっていっそ無様で、当の相手をうんざりとさせてしまうほど不器用なものなのだった。
「面倒になってきたな」
だから千宙はこう呟いて、わたしの全身は凍りついた。今度こそは絶対にこうなるまいと思い詰めていたのに、結局いつもと同じ別れの言葉を耳にしたのだ。まだ始まってさえいないのに。
「さくらは、伝え方が下手なんじゃないか」
「え?」
でも、千宙は理由だけ言い残して去っていった男たちと違った。
「もっとはっきり言えばいい」
これは助言なんだろう。だからこれではっきり言われるより分かった。女の勘なんてほどのことでもない。男が好意を抱く女に助言なんかするわけがないのだ。
「やっぱり、あなたはわたしに興味がないのね」
あの日目覚めて以来はじめて、わたしは正直に口を開いた。こう
「さくらは、伝え方が下手なんじゃないか」
「え?」
でも、千宙は理由だけ言い残して去っていった男たちと違った。
「もっとはっきり言えばいい」
これは助言なんだろう。だからこれではっきり言われるより分かった。女の勘なんてほどのことでもない。男が好意を抱く女に助言なんかするわけがないのだ。
「やっぱり、あなたはわたしに興味がないのね」
あの日目覚めて以来はじめて、わたしは正直に口を開いた。こうすればいいと言われたからじゃない。全身にのしかかるあの得体の知れない重さに抵抗するのをやめ、諦めて身を任せれば停滞は解消できる。こんな風に望んでいた未来とは正反対の方へ。
「興味か。そうだな」
千宙は顎に手を当てて考えたまま、結局あるともないとも言わないけれど、もういい年をした男女が曖昧なままでいられる一線はさっきわたしが越えてしまった。
「ないはずよ」
「さくらが言うなら、そうかもな。じゃあ、最期に一つ聞きたいことがある」
「なに?」ーー最後って?
「伝えたいことがそのまま伝わるなら、そうしたいと思うか? そのまわりくどいやり方じゃなくってさ」
「……そうね。それができれば、できなかった頃の苦労もないでしょうね。で、何が聞きたいわけ? その質問自体まわりくどいじゃない」
「いや、この上なくはっきり聞いた。それに、いい機会になった」
「千宙、あなた大丈夫? さっきからなにを言っているの?」
「やっぱりこれで打ち切りだ」
そう言った千宙の両首から管のようなものが延び、それが蛇のようにわたしに向かってきたのを最後に、わたしの体と意識はぷっつり二つに分けられてしまった。
ーーどうだ。
ーー千宙……あなた。
ーーそうだ。そのとおりだ。ああ、さくらは俺に好意を伝えようとしていたのか。
ーー伝わらないはずね。伝わらないはずだわ。
ーー今ならすべて伝わる。さくらの父親と母親のことも。何年も飽きずに思い詰めてきたんだな。が、それはなんでだ。
ーーそんなの、わたしにだってわからないわ。……ねえ、すべて伝わるなら、千宙も感じる? わたしの体を泥に浸かってるみたく、眠たく気怠くさせてきた重さを。今はもう感じないけれど、本当はわたしの大事なものでもあったのよね。
ーーまるで執念だな。暇つぶしにしては多少面倒だったが面白かったよ。
ーー行くのね。面倒になるのがいやなら次からは男を選ぶといいわ。
ーー目を覚ましたくないのか? 次はさくらが混ざったっていい。
ーー行かないわ。目を覚ましたって癒されるわけじゃないもの。水に漂うようにここで眠っているわ。でも、次の人とのことで戸惑うなら戻ってきて。なにか助言をしてあげるわ。
ーーそうか。わかった。
わたしはそして眠りにつく。重さを感じる肉体はすでになく、媚びや齟齬でわたし自身をすり減らす他者もない。
これを求めていたいやしと言い切るには、あまりにも静かで寂しい。しかし、知らず知らず自らと誰かを傷つけてきたわたしは、ただただ無為に囚われていた。
この誰にも知られず語られない、朝のこない眠りの中でわたしは覚めない夢を見た。正気付いた中では決して長続きせず叶いっこない願いと恋心が形になった、安らかな夢だった。