学園黙示録×瀕死のライオン   作:oden50

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お久しぶりです。
もうそろそろオリジナルが追加されていく予定です。
まだ原作をなぞりますが、高木邸の話を消化したら色々と出てきます。


#2nd day⑥

誰かが、身体を弄っていた。

それは別に如何わしい意味ではなく、自分の身体から追い剥ぎが物色するような手付きであり、清田はごく自然に止めさせるべく、その手を掴んだ。

ぼんやりと焦点の定まらぬ目で見上げれば、果たしてそこには、白い顔(かんばせ)を血や汗、硝煙やら煤やらで戦化粧を施された少女の、はっと驚きに見開いた双眸がこちらを覗き込んでいた。

瞬間、今までの僅かな時間に起こった出来事が脳裏に蘇り、靄が掛かったようにはっきりとしなかった脳神経の回路が正常に接続されたかのような、明確な思考回路に復帰した。

 

「清田さん?」

 

驚く冴子を他所に、清田はガバッと身を起こすと、周囲を素早く一瞥し、自分が取るべき最適の行動を選択した。

感染者の一団が、目前まで迫っている。身に帯びた火器類は全て撃ち尽くし、弾薬を再装填しなければならない。拳銃はホルスターから抜かれ、ランヤードに繋がれたまますぐ傍に落ちていた。

無論のことながら、冴子によって撃ち尽くされた拳銃は遊底が後退したままで、弾薬が込められていない薬室を晒していたーー清田は冴子を背後に庇うように立ち上がると、拳銃を手にして弾倉交換ボタンを押して空弾倉を抜き取り、新たに十五発の9mmパラベラム弾が装填された弾倉を叩き込み、デコッキングレバーを押すと遊底が前進し薬室に弾薬が押し込まれた。

薬室に弾薬を送り込む小気味良い金属音が、清田に再び戦士としての再起を促す。

悪い気分では無い。

俺はまだ充分に戦えるーー先程の獣じみた姿からは想像出来ないほど、滑らかな動作で清田は拳銃を構えた。

瞬く間に、水が流れるかのように淀みなく、迫り来る都合七体の感染者の頭部に、外科手術の如く正確さで二発ずつ撃ち込み、無力化する。

薬室に一発だけ装填された拳銃の弾倉を再び交換し、レッグホルスターに戻すと、小銃も再装填し、更に強力な火力を以って周囲を圧倒する。

清田の足元に、硝煙を燻らす熱い薬莢が次々と零れ落ち、感染者の血だまりでジュッという音を立てた。血や肉片が焦げる臭気には慣れ過ぎて、もはや鼻腔内にこびりついて麻痺している。

清田の、あまりにも唐突な豹変ぶりに、冴子は呆然としていた。今の今までの振る舞いが信じられないーー彼は本格的に狂っているのだろうか?

冴子は困惑と猜疑の瞳で、何事もなかったかのように素早い動作で弾倉を交換し、周囲を警戒する清田を見上げた。

当の清田は、戸惑う冴子に構わず、辺りを見回し、新たな脅威がまだ距離を置いて屯しているのを確認して嘆息を漏らし、取り敢えず銃口を下げた。

 

「立てるかい?」

 

ごく自然に差し伸べられた、タクティカルグローブに覆われたゴツい手は、血脂に塗れ、ギトギトした光を陽光の中で浮かび上がらせた。

陽を背後にする清田は、全身から腐肉の臭気を放つ凄まじい様相を呈しており、これで正気である方が狂っているとしか言い様が無い。

だが、酷い格好なのはお互い様だろうーー正気か狂気かの是非を問う場面ではない事ぐらい、冴子には分別があった。

 

「え、ええ。何とか」

 

血脂に滑る手を握ると、予想に反して柔らかな力で握り返され、立ち上がるのを助けてくれた。

 

「あそこにあるモノが見える?」

 

清田が指差す方角には、果たして土木工事で使用される、四輪駆動の大型建設機械ーーホイールローダーが鎮座していた。

恐らく、橋上にバリケードを築くのに用いられそのまま放棄されたのだろう。一段高い場所にある運転席の扉は開け放たれたままだ。

 

「あれに乗り込む。走れる?」

 

冴子は自分の状態をざっと確認した。身体の至る所が痛むが、大きな怪我はない。至近で爆発した手榴弾の破片が幾らか左腕に食い込んでいるが、これも静香ならば手当て出来るほどの浅手だ。

大丈夫、異常はないーー冴子は頷いた。

 

「では、俺が先を進む。ついてきて」

 

清田が先に立ち、その背後を小走りで付いて行く。目的の建設機械は、橋上の片隅に放置されており、距離はそれほどでもなく、また脅威もまだ橋向こう付近で屯しているだけだ。

今の今まで血みどろの奮戦が嘘のように、あっさりと辿り着いた。

 

「先に俺が乗るから、ちょっと待ってて」

 

清田は機械の側面に据え付けられた梯子を登り、運転席に収まった。

 

「乗っていいよ」

 

促されるまま、何処が痛むのやら分からない傷に顔を顰め、冴子も梯子を登って乗り込み、扉を閉めた。

この類の機械に乗るのは初めてだが、意外と運転席は広く、操縦席の左隣には小さいながらも補助席が据え付けられていた。この手の機械は操作性を考慮してか、高所に設けられた運転席からは見晴らしが良く、非常に頑丈そうであり、感染者の群れを相手にするのは造作もなさそうだ。

操縦席に座る清田は、運転の邪魔になる散弾銃や小銃を身体から外し、席の後に置き、座席の位置を調節したり、座り心地を確認していた。

完全武装の兵士が、建設用重機に乗るのは何ともミスマッチな組み合わせのように思えるが、清田は手慣れた様子である。

エンジンキーを捻ると、パワー溢れるエンジン音が低く唸り、油圧が供給され、バケット部が作動可能となった。清田は、右のハンドレスト付近にあるレバーを操作し、バケットを地面スレスレまで上げると、ギアをバックに入れて車体を後退させた。

バックブザーが鳴り、車体が滑るように動く。四輪駆動の巨大なタイヤは、腐りかけた人体のパーツを物ともせずに踏み砕く。

広いフロントウィンドウの向こう、亡者の群れが犇めいている。

冴子は、思わず清田を見た。彼もこちらを見つめており、頷いてみせた。

 

「行くよ。しっかり掴まって」

 

そう言うや否や、清田はアクセルが床に接するぐらい深く踏み込んだ。

大重量の車体がみるみる加速していく。エンジンは不気味な咆哮を上げ、回転計の針はレッドゾーンを振り切っている。

清田が操るホイールローダーは一般的な中型クラスに分類されるが、それでも車体重量は30トンを超え、エンジン出力は軍用戦闘車両並みだ。タイヤの大きさは成人男性ほどもあり、目の前の全てを何の造作もなく踏み潰した。

バリケードを超えて何体かが橋路上を進んでくる。相変わらず鈍重な動きであり、正面から30トンの鉄塊が迫っているというのに何の危機感も見当たらない。

清田はレバーを操作し、バケット部の位置を微調整した。バケットには採掘用の頑丈な爪が装着されており、それが今では丁度人間の上半身ほどの高さにある。

見る間に亡者と距離を縮めるホイールローダーの運転席で、冴子は思わず傍の清田の腕を掴んだ。清田は一切動じることなく、運転に集中していた。

鈍い音と共に亡者の群れは、道路の端に生える雑草のように一瞬で薙ぎ倒されていった。充分に加速した30トンの鉄塊の前には人間十体程度の肉壁は障子戸以下でしかなく、バケットが上半身を刈り取り、残った下半身をタイヤが踏み砕いて進んだ。

群れに突っ込んだ瞬間、大した衝撃は感じなかった。余りにもホイールローダーの運動エネルギーが強大過ぎたのだろう。肉片混じりの血飛沫が飛散し、フロントウィンドウにこびり付いたが、清田はウィンドウォッシャーを淡々と操作して汚れを拭い落とした。

清田の隣に座る冴子は、何体もの人間だったものが巨大な機械によって一瞬で肉片に変わる様を見せつけられ、流石に動揺を隠せなかった。が、清田の手前もあり、ぐっと唇を噛んで堪えた。

 

「さあ、問題はこれから!」

 

群れを薙ぎ倒し、ホイールローダーはバリケードとの距離を詰める。対岸を封鎖している護岸工事用のコンクリートブロックは分厚く頑丈そうで、乗用車程度の侵入なら許さないだろう。しかし、この重機を止めるには些か心許ない。

50m、40m、30m、20mーー決して加速をやめない鋼鉄の牛馬は咆哮を上げて容赦なく突っ込む。冴子は、目の前に迫るブロックの山に胃がきゅっと窄まるのを感じたが、相変わらず清田は彫像のように表情を変えない。

 衝突の瞬間、冴子は咄嗟に目を瞑った。鍛え抜かれた武闘者とはいえ、30トンを超す鉄塊に乗って山ほど積まれたコンクリートブロックに突っ込むなどという経験はない。至極真っ当な反応といえるだろう。

 刹那、先程とは比較にもならない衝撃が運転席にまで響いた。大重量の車体は、岩山をも掘削するバケット部にその威力を集約してブロック群を容易く粉砕していたが、流石に脆い人体とは異なり反動もそれなりにあった。粉砕されたブロックの巨大な破片が、駄賃だとでも言わんばかりに、砲弾の如き勢いで弾け飛び、何体もの亡者の腐りかけた身体を熟した果実のように抉っていった。

 だが、バケットローダーはブロックを粉砕しても止まらず、そのままその向こうに雲霞の如く屯する亡者の群れを轢き潰していた。続いて運転席に伝わってきたのは、何十という人体を踏み潰す不気味な振動と、骨を砕く生木のような音だ。

金属を引き裂く不協和音が耳朶を打つ。加速を乗せすぎた車体は、更に何台かの乗用車をひっくり返したり、ボンネットをぐちゃぐちゃに踏み潰してようやく停車した。冴子が恐る恐る目を開けると、ホイールローダーは放棄された警察車両のボンネットに乗り上げており、少し傾きながら停車していた。

 傍らの清田を伺う。やはり彼は全く動じている様子がなく、ギアをバックに入れると車体を後退させた。大口径ホイールが遺棄されたパトカーを更に痛めつけ、完全に廃車にする。

 どすん、と音を立ててホイールローダーが道路に降りる。周辺はこの上ないほどの惨状であり、滅茶苦茶に引き裂かれた車の部品や、腐臭を漂わす人体のパーツ、瓦礫が散乱しており、まるで爆撃後のようだ。

 清田はやけに慣れた手つきで車体を操り続ける。左手でハンドルを握り、右手は油圧レバーを巧みに操作していた。バケット部も含めれば全長9メートル近くにもなる車体が、滑らかに従う。

 

「……一体どこで運転を習ったんですか?」

 

 落ち着いた声音で、冴子は尋ねた。

 

「実家が雪国でね。自家用の小型ホイールローダーがあるんだ。親父の手伝いで中学の頃から無理やり乗せられたのさ」

 

 成程、だから彼の腕前は熟練者のそれだったのか――冴子の疑問の氷解を余所に、清田は周囲を見回して次の作業工程をざっと考えた。

 群れる感染者たちの数は十や二十どころの数ではない。何百体もの亡者が、エンジン音を轟かせ続けるホイールローダーを目指して群がってくる。

 このまま対岸で待機している高機動車組を呼び寄せても、すぐに包囲されて身動きが取れなくなるのが目に見えている。そうならないように障害は排除しなければならない。

 

「久し振りに乗ったと思ったら、雪じゃなくてゾンビの除雪とは……たまには実家に帰りたいね」

 

 清田は小声でうんざりそうに呟くと、ギアを入れ替え、正面を見据えた。ぞろぞろと押し寄せる腐肉の群れは、とてもではないが雪の深く積もった郷里の景色とは懸け離れ過ぎている。

 

「さて、いっちょやりますか」

 

 ハンドル、アクセル、油圧を同時に操り、清田はゾンビの蠢く山の片づけに取り掛かった。

 

†††

 

 対岸からホイールローダーの活躍を見守っていた京子らは、瞬く間に鋼鉄の牛馬が犇めく亡者を蹂躙し、攪拌し、理路整然と土手に向かって排除されていく様子を眺めていた。

 亡者が百単位の集団で押し寄せようとも高馬力の重機の前には全くの無力であり、見る見るうちにその数を減らしていき、遂には道路上にこれといった障害となるほどでもなくなった。

 やがてホイールローダーが動きを止めると、程なくしてトランシーバーから清田の声が聞こえてきた。

 

「林先生、障害はあらかた排除しました。そのままこちらへ来てください」

 

 先程まで暴風のように暴れまわっていた人物とは思えないほど、彼の声は落ち着いており、それが逆に不安を煽る。

 

「わかりました。今、そちらへ向かいます」

 

 いや、今、彼の精神状態について邪推するのはやめよう―――京子はキーを捻り、エンジンを始動させると、高機動車を移動させた。

 路面に転がる人体のパーツをなるべく踏まないように橋路上を進ませ、粉砕されたバリケードの間から対岸へと渡り切る。

 周囲の路面は、耐え難い腐臭を放つ血肉と骨片によりどす黒く光り、陽光を浴びて脂のギトギトとした光沢を放っていた。窓を閉め切っていても凄まじい臭気であり、思わず眉を顰め、口元を抑えた。

 散々、凄惨な場面は見てきたが、まるで歴史に記されている虐殺現場の後を目の当たりにしているかのようだ。当然のように原形を留めぬほど踏み拉かれた人体部品が転がり、上半身だけとなって呻き続けている亡者の姿は悪夢としか言いようがない。

 今はもはや死してなお徘徊するゾンビでしかないが、それでも何百人もの人間だったものが巨大な重機によって機械的に擂り潰されて排除されたという現場はこうまで震撼とするのだろう―――土手の下方に目を転じれば、堆く積みあがった死体の山が蠢いている。完全に破壊されたものよりも、半身を乱暴に分断されて捕食能力を失った状態のものが大半であり、腐敗するがままに放置されている。

 一体、何トンの人肉が、ああして完全に朽ち果てるまで呻き、芋虫のように這い回るのだろうか―――これ以上、それらについて考えるのはよそう。朝食が食道を逆流しそうだ。

 京子は堤防上の道路に停車しているホイールローダーの後ろに高機動車をつけた。それと同時に清田と冴子が降り、こちらへやってきた。

 高機動車の後部扉が開かれ、冴子が乗り込んできた。彼女の衣服はボロボロであり、所々が血に塗れて手酷く負傷している様子だ。

 

「毒島さん、大丈夫?」

 

 すぐに静香が救急品が詰まったバッグを手に、乗り込んできた彼女の傷の様子を診察する。

 

「傷はそれほど酷くはありません。多分……」

 

 静香は、冴子の左袖をそっと捲り、手榴弾の破片が幾らか食い込んでいる彼女の腕の具合を診る。白磁の肌に食い込んだ刺々しい破片が見るからに痛々しかった。

 

「今は破片を抜く訳にもいかないから、消毒と包帯しか巻けなくてごめんなさいね」

 

 ざっと診た様子では破片による負傷はそれほどでもなさそうだ。重要な血管や神経を傷つけるほど深く食い込んでいる訳ではなく、表皮に刺さっている程度だ。

 手早く消毒液を振り掛け、清潔な包帯を巻いて創傷の保護をするのが現在では可能な処置だ。消毒液を掛けられても特に痛がる素振りを冴子は見せないが、恐らくアドレナリンがまだ作用しているのだろう。

 しかし、医療の心得のある静香としては、早く安全な場所で彼女により的確な処置を施してやりたかった。食い込んだ破片をそのままにしておけば敗血症などの重篤な症状へ発展しかねない。医療機関が軒並み機能停止しているであろう現状では、たとえ現代日本であれば充分に救命可能な感染症ですら命取りになりかねない。

 

「……よく、無事だったわね。流石平成の巴御前ね」

 

 沙耶は、持っていたハンカチで冴子の顔を労わるように優しく拭ってやった。学園で一二を争う美貌が、血脂や膿で酷く汚れており、安っぽいホラー映画の女幽霊のような有様だったのが同年代の少女としては可哀想でならなかった。

 

「巴御前はよしてくれ。私は怪力無双のメスゴリラではないよ」

 

 沙耶に顔を拭われる冴子は、漸く安堵の表情を幾らか浮かべていた。

 

「取り込み中のところ申し訳ないけど…」

 

 高機動車の後部に立つ清田が、遣り取りを続ける沙耶に声を掛け、彼女は彼を振り返った。

そして思わずぎょっとした。いや、彼の姿を見て肝を潰したのは沙耶だけではなく、冴子を除いた生存者一同も同様だ。

頭から腐臭を漂わす血肉を浴びているその姿は、地獄の血の池から上がったばかりのようであり、凄まじい臭気を放っている。ゴーグルは血脂によってその機能を阻害され、衣服や装備ばかりではなく、小銃の銃床にも肉片がこびりつき、今は既に乾いていた。

彼と今まで行動を共にしてきたメンバーは兎も角、まだ出会って間も無い希里母子は、ジェイソンやフレディですら裸足で逃げ出しかねないスプラッターなその出で立ちに怯えきっていた。ありすに至っては母の胸に顔を埋めて彼の姿を視界に納めないようにしている。

 

「高城さん。俺と一緒にホイールローダーに乗ってくれるかい? 君の実家まで案内してほしい」

 

この辺りの地理に疎い清田の頼みは至極当然のものだが、強烈な腐臭を放つ彼と狭い密室で一緒になるのは正直躊躇われた。が、そんな事を言っている場合ではないのも承知している。

 

「も、勿論よ」

 

沙耶はなるべく嫌悪の感情を表に出さないように答えた。自分達の為に戦ってくれている彼の心を徒らに傷つけてしまっては、流石に申し訳が立たない。

 

「それじゃあ、俺は先に乗ってるから」

 

沙耶は、高機動車を降り、清田の後に続いてホイールローダーに乗り込んだ。

目指すは、父母やその他大勢の構成員の待つ我が家だ。

 

†††

 

端的に言ってもはや障害は無かった。

どの家も大きく、広い庭や何台も駐車できそうなガレージを備えているような高級住宅街の道路を、地響きを立てて進むホイールローダーは亡者たちを引き寄せたが、たとえ立ち塞がっても呆気なく轢き潰されるだけである。

バケットが薙ぎ倒し、タイヤが踏み砕く単調な処理作業と化したそれは、人間だったものを挽肉にしている。間違いなく平時であれば気が狂いそうな所業だろう。

いや、もう既に気が狂っているのかもしれない。でなければ突然取り乱し、リミッターの外れた歩く死体を相手に白兵戦を仕掛けるという愚行を犯す事などしない筈だ。

己の変化に否応なくウンザリさせられる。一体、俺はどうすればいい―――清田は悶々としながら沙耶の指示に従って運転を続けた。

 

「ちょっと停まって」

 

突然の停止命令だが、従う他ない。ホイールローダーを停車させ、訝しげに前方に目を凝らす。

よく見ると、道路を封鎖するようにワイヤーが張り巡らされていた。明らかに亡者の侵入を防ぐ為だろう。ワイヤーは建設用の太く頑丈そうな代物で、正常な知性を喪失していない人間ならば潜り抜けられるように工夫して張られている。

障害は敵の侵入を防いだり、遅滞させるのを目的として設置される。

恐らく、ワイヤーはここ以外にもあるのだろう。でなければ障害としての効果は薄まる。それがどの程度の範囲に設置されているのかは不明だが、流石に単独でこれだけの障害を、しかも短期間で作り上げるのは不可能だ。この非常事態が発生してから、血肉を食らう死体で溢れる危険な市街地から資材を調達し、誰の援護もなしに作れるはずが無い。

それなりの規模の集団と思われるが、なんとか着の身着のままで生き残った烏合の集団の仕業とも考えられない。普通のサラリーマンによって構成された営利を旨とする会社集団ではなく、普段から厳格な規律によって行動する組織によるものと見做すべきだ。

行政機能の麻痺した、ほぼ戦時下のような状況下でも規律と統制を失わない組織は、警察、消防、海上保安庁長、そして自衛隊ぐらいしか考えられない。もしくは、暴力団やそれに近い性質の集団だろうか。

ふと、清田は傍らに座る沙耶を見た。聡明な彼女も同様の事を考えているのだろう。

 

「多分、同じ事を考えているのかもしれないけど」

 

沙耶は、やおらそう切り出し、清田の目を見た。

 

「まだそうと決まったわけじゃ無いんだから、安心するのは早いわ」

 

しかし、その瞳には希望を見出した光が宿っていた。

 

「取り敢えず、此処で降りるしかないだろう」

 

彼女の言葉は尤もだ。安心するのは早い。清田は鉄帽の顎紐を締め直し、銃器類に新たな弾薬を装填した。

 

「引き続き道案内を頼むよ」

 

清田の言葉に頷いた沙耶は、ホイールローダーを降り、ワイヤーを潜り抜けていった。

ホイールローダーのエンジンを切ると、清田も後に続いて降り、待機する高機動車組に事情を説明した。

ワイヤーにより亡者の侵入はある程度は防げているかもしれないが、何があるか分からない。

清田を先頭に、一行は再び歩き始めた。

 

†††

 

住宅街は静まり返っていた。いや、不自然な程の静けさといっても過言ではない。

道中の其処彼処に血溜まりや争いの形跡は見られたが、歩く死体どころか歩かない死体すら無かった。明らかに誰かが無力化し、丁寧に片付けられている。

統率の取れた行動と共に、死者の弔い、或いは疫病予防も忘れないとは恐れ入る。予想以上にこの周辺は安全化されているのだろう。

ふと、何かの香りが鼻腔を擽った。フェイスマスクを口元まで下ろし、鼻で深呼吸をしてよく確かめると、それは昨夜の深夜に嗅いだばかりのものだった。

そして忌まわしい記憶がフラッシュバックしそうになり、冷や汗が背中を伝い落ちる。清田は自身の動揺を他の生存者達に悟られぬよう、平静に努めた。

それは線香の香りだった―――勝手に蘇りそうになる記憶を捩じ伏せようとするが、乾いた口中で舌が張り付く。足元が危うい。手が使い慣れた武器の重みに負けそうだ。

急激に体調が悪化してきた。清田は、今にも息が詰まりそうで、座り込みたい衝動に駆られたが、何とか生来の忍耐力を持って我慢した。

幾つ目かの角を曲がると、今まで見た中でも最大級の豪邸が現れた。敷地面積はそこらのセレブどころの話ではない。周囲の建屋が藁の家の群れだとすれば、あの邸宅は城塞といった所か。

事実、高い塀と深い堀に囲まれている造りは外敵への対策としか思えない。高台に造られた要塞のような豪邸は、この高級住宅街では明らかに浮いていた。あのような造りは、外部の敵によって常に脅かされている為だろう。対立する組織が過激だからこその備えなのだ。

清田は曲がり角で停止し、低い姿勢を取ると、バットパックから双眼鏡を取り出し、具に観察した。

豪邸の巨大な正門前には警備らしき人間が立っている。黒い特攻服に身を包んだ厳つい雰囲気の二人組の男だ。どちらも猟銃や日本刀で武装し、丸刈りやオールバックに青々とした剃り込みの、やけに気合いの入った髪型をしている。

着ている特攻服の胸や背中には、憂国一心会と金糸で刺繍されている−–−何処に出しても恥ずかしくないぐらい、コテコテの右翼団体構成員だった。

彼らの主義主張や政治信条は兎も角として、明白に感染者ではないと分かる。久し振りに別のまともな人間に遭遇した気分だが、よりによって右翼とは何という皮肉だろうか。

体調不良に加え、更にこれから右翼の親玉と話をしなければならないという事実に頭が痛くなる。現役特殊部隊員と国粋右翼首魁の組み合わせは想像するだけでも悪い冗談としか思えない。

 

「高城さん、どうやら君の実家は無事のようだ。正門前に警備が立っている」

 

沙耶を手招きし、双眼鏡を渡してやる。レンズを覗き込んだ沙耶は、あっ、と小さく声を漏らした。

 

「安岡さんと田辺さんだわ! 無事だったんだ!」

 

父親の、見知った部下なのだろう。双眼鏡を降ろしたその顔には自然と安堵の笑顔が浮かんでいた。

 

「ここからは君が頼りだ。俺は現役の自衛官。君の実家は、まぁ、アレな団体だから……そういう訳だ」

 

「任せて! あんたやみんなの身柄の安全は私が保証する!」

 

沙耶は、傲然と胸を反らして自信満々そうに言った。

生存者達は安全な拠点を目前にしてか、ほっと胸を撫で下ろしていた。唯一緊張が張りつめたままなのは清田ぐらいだろう。

沙耶を先頭に、一行は高城邸正門へ向かう。警備の二人組は道路の角から現れた一行の存在にすぐ気が付き、武器を構えようとしたが、沙耶の姿を認めるなり慌てて居住まいを正した。

 

「お嬢様! よくぞご無事で!」

 

オールバックの男が、沙耶にそう声を掛ける。が、背後に控える清田を視界に納めた瞬間、後退りしていた。

自分より二回り以上の体格に重装備を纏い、全身から腐臭を漂わすどす黒い兵士に対する反応としては、正常な範疇だろう。

 

「この人や、みんなが助けてくれたの」

 

男は、清田の頭から爪先まで観察すると、沙耶に向き直った。

 

「もしかして米軍ですか?」

 

「違うわよ、田辺さん。日本国民の味方、自衛隊に決まってるじゃない」

 

沙耶の言葉に再び驚いた様子の田辺は、改めて清田をジロジロと観察した。

 

「それにしても装備がゴツくないですか? 自衛隊はもっとこう、垢抜けない感じのような…」

 

「取り敢えず、米軍だろうが自衛隊だろうが、助けてくれたのは事実なの!……で、パパとママは無事?」

 

少し不安そうに声のトーンが落ちた沙耶に対し、田辺は安心させるように言った。

 

「会長や奥様はご無事です。会長は何人か引き連れて外に出ていますが、奥様はお屋敷におります」

 

田辺の言葉に、沙耶は一先ず安心した様子だ。

 

「そう。良かった…貴方達も無事で本当に良かった」

 

思わず安堵からか、目尻に浮かんだ涙を拭い、沙耶は二人を労った。

 

「いえ、これも全て会長が持つ人望が為せる業です。会長がいたからこそ、大勢救われました」

 

途中のバリケードを見れば、沙耶の父親の能力に疑いはない。訓練された自衛官なら兎も角、素人を率いてあれだけの事をやってのけたのだ。

しかし、清田はそれよりも気になる事があった。

 

「…あれは?」

 

今まで彫像のように沙耶の背後に控えていた清田は、高城邸の正面を顎でしゃくった。

 

「ああ、あれは犠牲者の墓だよ。可能な限り、動かなくなった死者は弔うように…とね」

 

高城邸の正面に建つ、別の邸宅の庭には幾つもの土盛りや、供えている花や線香が見えた。

あとで手を合わせに行こう―――清田はそう心に決め、沙耶に続いて邸宅内に足を踏み入れた。

 

†††

 

高城邸の広大な敷地には、災害用で使われるようなテントが幾つも建てられていた。

規模からして、百人程度ならば問題なく収容できそうだ。衛生環境を保つ為の仮説トイレや、炊き出しの設備も見られる。避難所としては充分な備えはあるだろう。

何人かの避難者が清田らの存在に気が付いていたが、余り他の人間と接触したくはない。

程なくして、幹線道路ほどの幅広のアプローチの向こうから、一人の女性が此方に近づいてきた。門番の二人から連絡を受けたのだろう。

シンプルなデザインの、紫紺のイブニングドレスが場違いに思えたが、華やかながら落ち着いた色香を漂わす妙齢の美女にはよく似合っていた。肩から掛けた透ける程に薄いショールや、身に付けた装飾品の価値はよく分からないが、恐らく、清田の戦闘装備一式より高価だろう。

 

「ママ!」

 

女性の姿を認めるなり、沙耶は駆け出すと、その豊満な胸に飛び込んだ。

彼女が沙耶の母親、高城百合子なのだろう―――周囲の目があるのに母親の胸に顔を埋めて甘える沙耶は、たとえ才女とはいえ年頃の少女だ。無事に母親に再会できた喜びを我慢できるほど大人でもないし、冷めてもいない。

 

「無事で良かったわ…御免なさい、助けに行けなくて」

 

娘の頭を撫でながら、百合子は謝罪の言葉を口にする。今、この場で誰も彼女を責める事など出来はしない。このような状況下と、組織を纏める夫の妻という立場から私情を挟む余地はないだろう。でなければ部下に示しはつかない。

 

「貴方が娘を助けてくださったの?」

 

清田に向き直った百合子は、彼の姿を見ても怯んだ様子はない。可憐な容姿からは懸け離れた胆力の持ち主らしい。

 

「ご想像にお任せします」

 

清田の口からはそうとしか言いようがない。あくまで忠実に職務を遂行しただけだ。清田にとってはそれ以上でもそれ以下でもない。

 

「ただ、自分一人の力ではありません。全員が協力したからこそ生き延びる事が出来ました。事実はそれだけです」

 

その言葉に偽りはない。全員が生存の為に協力したからこその結果だ。自分一人で彼らを助けてきたと嘯けるほど傲慢ではない。

 

「皆さん、娘を助けていただき、なんとお礼を申し上げれば……大したもてなしは出来ませんが、今日はゆっくりお休みになられて下さい」

 

そう言って百合子はクタクタになった生存者達を屋敷まで案内する。しかし、彼女の申し出は嬉しいが、清田にはまだやる事があった。今すぐにでも休養を取りたいが、目先の安らぎに眼を奪われるほど彼は軟弱ではなかった。

 

「耕太くん、頼みがある」

 

清田は、百合子に案内されて邸宅へ向かう生存者達の中から、耕太を呼び止め、傍まで来るよう手招きした。

 

「なんでしょうか?」

 

「俺は周辺の様子を探ってくる。君はこの屋敷をある程度調べておいてくれ」

 

「その必要はあるんでしょうか…此処はかなりしっかりしてると思いますが」

 

「…耕太くん。SASのモットーは知っているかい」

 

「”危険に敢然と挑む者が勝つ“…ですか?」

 

「“チェックとテスト、チェックとテスト”だ。覚えておいて損はない。何事も絶対はないんだぜ」

 

それじゃ頼んだ、と清田は耕太の肩を叩き、踵を返して元来た道を歩き出した。

早朝から行動を開始してから数時間が経過していた。蓄積した疲労と相まって、耕太は疲れ果てていたが、彼とは対照的にそんなのは微塵も感じさせずに遠去かる清田の背中は、余りにも遠くに感じた。




重機は対ゾンビ戦に於ける最強兵器だと思ってます。
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