一週間足らずで帰ってきた僕を見ても、店長は何も言わなかった。
ただ、折角だからと頼まれた店の手伝いをしていると、若い常連のお客さんにからかわれた。
「あれ、研くん。なんだもう帰ってきたの」
「休日ですし、少し用事があって」
「いいよいいよ。この店に若さが足りなかったところだ」
「あはは…」
若さ……僕にそれを補えるような明るさは無いぞ。
そう思いつつもお客さんに対して生意気は言えず苦笑を返すと、彼の後ろに店長がぬっと現れた。
店長が手に持っていたメモ帳で彼の肩を叩くと、彼も背後の存在に気付いたのか冷や汗を流しつつぎこちない動作で振り返る。
『うちの大事な孫にちょっかい出すような、酔っ払い親父を入れた覚えはありませんよ』
掲げられたメモにはそう書いてあった。
そのメモと店長のいつもとなんら変わらない微笑を交互に見比べた常連さんは、口元を引きつらせた。
「エッ!ま、マスター……冗談だって。ねっ研くん」
「はい、大丈夫です」
「ちょ、大丈夫って!?もしかして嫌だったの?ごめんね!?」
「あ、いえ…そういうわけじゃ」
大学生だという彼は、明るくてグイグイ来るので嫌いじゃないけどちょっと苦手だった。
その時、入り口のドアが開いたのかドアベルの音が響いた。
「いらっしゃいませ……あ、ショート」
「ああ。今日も手伝いしてんのか」
「うん。ちょっと待ってて、コーヒーはいる?」
「貰う」
「わかった」
私服の焦凍が奥の方の席に向かうのを見送って、僕は道具を準備した。
用意する豆はお客さんに出すものではなく、僕や店長が普段から使っているもの。
焦凍からはお金を貰わないかわりに、僕らと同じものを飲むのがいつの間にか普通になっていた。どうしてそうなったんだっけ。
考え事をする間にも僕の手は動いていて、いつの間にかペーパーフィルターの底に適量…より少し多い、2人分入れられた挽いた豆へと湯を注いでいた。慣れって不思議だ。
コーヒーを淹れる時に考え事をするのは、僕の"昔"からの悪い癖だろう。
ちゃんと蒸らしたよな?僕……。
記憶を探ると、きちんとやっていたようで安心する。
不意に、後ろから肩を叩かれた。
後ろを向いて、これも慣れで彼の胸元に上げられた手を見る。
手話を勉強し始めたのは、小学生の頃だった。
彼は僕と出会ったときには既に声を無くしていた。ヒーロー時代の傷だという。
この個性社会で優秀な治癒の個性を持ったヒーローや医療関係者は多いが、彼の喉はまるで呪いの様に回復する事はなかった。というと少し語弊があるか、彼の声帯だけを残して回復したものの、彼の声は今後蘇る事はないという。
その話をしたとき店長は、戒めにする。と言っていた。どういう意味かは未だに分からない。
『2人分淹れたのかい?』
「すみません……つい癖で。後で自分で飲みます」
僕が眉を下げると、店長は首を横に振った。
『いや、今日はもう休んでくれ。君はこの店でアルバイトしている訳じゃないんだし』
「え、でも」
『焦凍君には後でパスタを持っていくよ』
「分かりました」
僕から2つのカップを奪った彼に頷く。やがてカップに入ったコーヒーを持たせられると、僕は焦凍の座る席へ向かった。
この店のパスタはどれも人気商品だ。早くできるのもあるけど、その味の美味しさから。
焦凍も以前うまいと言っていた。
「はい」
コトリと軽い音を立てて焦凍の前にコーヒーを置く。向かいの席にも僕の分を置くと、僕は椅子に腰掛けた。
「終わったのか?」
「うん。店長が今日はもういいよって」
「そうか」
チラリと店長を見る焦凍に僕は頷く。
店長は大学生とまた何か話している。ほぼ一方的な会話なのに賑やかに感じるのは、あの人の才能だと思う。
「ショート、お昼まだでしょ」
「ああ」
「店長があとでパスタ持って来てくれるって」
「マジか」
「マジだ」
高校生らしい会話に僕が笑うと、焦凍も微かに目元が軟らかくなり、口角も上がる。
ヒーロー科に入って、彼がどう変わるかは分からない。だが、こういうことが増えるといいと思う。普通の高校生となんら変わらない、何も憂うことなく笑える日が、来るといいと思う。そして、できるのなら……そうするのが、僕ならいいと、思う。
僕はコーヒーを口に含む。
特有の苦味の中に、程よい酸味と芳しい香りが広がった。
焦凍の昼食を見届けてから、僕たちは地下にあるトレーニングルームに来ていた。
このトレーニングルームは、僕の個性の制御の為に店長が用意してくれたものだ。強力な僕の力にもある程度は耐えられる様に出来ている。
「さて、何処から話そうかな……まず、以前増強系だっていう様な話をしたと思うけど、あれは嘘なんだ。僕の個性は少し……その、変わってて、
そこまでつかえつつも何とか言い切ると、僕は手の平を見つめて苦笑する。前世とは違う人の体、なんて思いたがっていたけど、結局は"人から喰種になった半端者"に変わりないな。
動物の肉を食べられるだけマシかも知れないが。
「僕の目が変わったところを見ただろ?」
「あぁ」
焦凍は静かに頷く。
「"赫眼"って呼んでるんだけど僕の個性を使うと自然と変わるんだ。気を抜いているとお腹がすいただけでも変わる」
「だから、それか?」
焦凍は、飾り気の無い医療用の眼帯に隠された僕の左目をチラリと見る。
僕は先程の焦凍のように頷いて答えた。
「僕は武器になるものが出せるんだけど、見たほうが早いかな…」
「"武器"?八百万みたいにか?」
「んー似て非なるって奴かな。……少し、離れてて」
彼が数メートル離れたのを確認すると、僕は後ろを向き着ていたシャツを脱いで手に持つ。
そして、ゆっくりと2メートルほどの赫子が2本、僕の腰の辺りから生えた。
「なんだ…それ」
「これが、僕の武器。僕は"赫子"って呼んでる」
僕の意思で動くのを伝えるために蛇のように少しうねらせて見せると、焦凍に向き直る。
彼は離れるように言った距離をまた縮めて、僕の赫子に手を伸ばした。
「!」
怪我をするほど強くは無いが急にそこそこ強く握ってしまったので、焦凍が驚くように左右で色が違う目を瞬かせる。
「あっごめん。触ったら危ないから。見てて」
僕は赫子の先端から根元の方へ向けて軽く手を滑らせる。
鱗状の赫子は、優しく触れただけで人より硬いはずの手の平を容易に傷つけた。当然のようにスッと消える傷跡を焦凍と2人で眺める。
「表面が鱗状になっているんだ。掠っただけで酷い事になる」
「そうか」
何事か考え込むように僕の赫子を見つめる焦凍に、僕は何となくそれをしまった。
「分かっただろ?全力が出せない理由」
「……あぁ。取り敢えずは納得してやる」
「はいはい、ありがとう。後は、燃費が良くて、個性を使わなければ一食で三日はもつってくらいかな」
困ったように笑ったが、内心はとても安心していた。
彼なら大丈夫だろうとは思っていた。
まぁ、僕の血の様に赤黒い赫子を見て触ろうとしたのは流石に驚いたけど。彼のことだから強靭さとか、感触とかを確かめようとしての事だろう。いつもながら唐突な行動は肝が冷える。
「それ、別に要らないんじゃねぇの」
焦凍が僕の眼帯を指して言った。
「え?えっと、どうして」
「別に、異形系なら珍しい事でもねぇだろ。クラスにもそんな奴がいたし」
芦戸さん、の事だろうか。
僕が戸惑うように眼帯を指先で撫でると、焦凍は促すようにじっと見つめてきた。
僕は眼帯を外して、ポケットの深くに仕舞った。
あぁ、そうだ。一番大切なことを伝え忘れていた。
「ショート、まだ、話があるんだ」
「何だ?」
僕より高い位置にある顔が首を傾げる。そうしていると年相応で、いつもより大分幼い雰囲気になった。
「これは、店長にも話していない事なんだけど……今後、"何が"あるか分からないからね」
「翠龍さんが知らないこと?」
翠龍とは店長の名前の事で、現役時代は水龍と名乗っていたらしい。個性もふまえ、割とそのまんまだ。
「うん。僕は……―――――」
「そういえばショート、案外冷静だったね。そんなに驚かなかった?」
「まぁ…変身でもすんのかと、思ってたから」
「……"変身"?」
何のことだとオウム返しに声を出すと、焦凍は真面目に頷く。
場を和ませる冗談では無さそうだ。残念な事に。
僕は額を覆って俯く。が、抑えきれずに笑い声が漏れてしまった。
そうだ。彼は前からどこか天然なところがあった。
「はは、ショートは相変わらずだね」
「何のことだ?つか、何で笑ってんだ、お前」
「いや、なんでも。そうだ、今日はどうする?」
「……泊まる」
この喫茶店は三階建ての建物の一階にあって、上の階には僕の部屋と店長の部屋、応接室、そして中学の時に時々焦凍が泊まれるようにと店長が家具を用意した部屋がある。
父親との仲が壊滅的な焦凍が偶に泊まっていくので、彼が持ち込んだ服も幾つかある。
「分かった、お姉さんに伝えておかないとね」
僕らはそれぞれ今日の話を考えながら、地上への出口へ向かった。
ようやっと金木くんの個性についてまともに話せました。
これが全てではありませんが。
次回は閑話になります。
轟君と金木君の中学時代のお話です。