忘れ去られた空き地で   作:する蔵

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第二話

「なあ岡崎。お前最近、放課後になると渚ちゃんとどこかに行ってるみたいだけど、いったいどこに行ってるんだ?」

 春原がささやく声で訊ねてきたのは、午後の退屈な授業の最中だった。

 朋也は窓の外の景色から教室へと――春原へと――けだるげに視線を移した。

「あぁ……春原は何でこんなアホ面なんだろう……」

「誰の顔がアホ面だよっ……! しかも僕の質問と何の関係もないですよねぇっ……!」

 ささやき声のまま叫んでいた。

 小声でも教師に気付かれる可能性はあるが、教師はどうやら説明に熱中しているらしく、こちらには気付いていないようだ。

「すまん。あまりに退屈すぎて油断してたから、つい本音が出てしまったんだ」

「アンタ、マジでひどいんですけどっ……! もっと友達のこと気遣えよっ……!」

「ワリィ、お前のこと友達だと思ってねえや」

「授業中にそんなショッキングなことをバラすなよ!」

 思わず大声を出して立ち上がる春原。

「……その授業中に何を騒いどるんだ、春原?」

 教師が怒りを抑えた声で、教卓から春原に問いかけていた。

「え……いや、その……」

「そんなに目立ちたいのなら、この問題を解いて目立ってもらおうか?」

 教師がチョークで黒板をたたく。

「いやあ……僕は控え目ですから、その問題は他の人に譲りますよ……ハハハ」

 手を後頭部にやって乾いた笑いを浮かべる春原。冷や汗が浮かんでいる。

「まったく……。もういいから座れ。次に私語をしたら、そのときは問題を解かせるからな」

「そのときは華麗に問題を解いてみせますよ……ハハ……」

 春原は席に着くと、目を見開き、オイルの切れたブリキ人形のようにゆっくりとこちらを向いて、

「お前のせいでエライ目にあっただろっ……」

「お前が大声を出すのが悪いんだろ」

「あんなこと言われたら大声出すに決まってるだろっ……」

「え、何か言ったっけ?」

「もう忘れたのかよ!」

「よし、そんなに問題を解きたいか」と黒板を示す教師。「なら春原にはこの問題を華麗に解いてもらおうか」

「…………」

 固まる春原。

 たっぷりと間を置いたあと、春原は贅沢にもまた時間をかけてゆっくりとこちらを振り向き、

「どうしてくれるんだよっ! お前のせいで問題当てられただろっ! 華麗に解けって、僕に解けるわけないだろ!」

「まあ、お前馬鹿だからな」

「お前もだろっ!」

「いっしょにするな。あんな問題、解けて当然だ」

「マジすかっ! じゃあ教えてくれよっ」

「でもなあ、当てられたのはお前だからなあ」

「お前のせいだろ!」

「実際に騒いだのはお前だろ」

「責任があるのはお前だよアンタだよ貴様だよミーだよっ!」

「前にも指摘したが、最後のは自分に責任があるって認めてるからな」

 ため息をつく朋也。

「……まあその心意気に免じて、答えを教えてやろう」

「もったいぶらずに早く教えろよっ」

「どうした、春原。早く前に出てきなさい」

 教師が春原を急かす。

「ほら、岡崎……!」

 立ち上がりながら朋也を促す春原。

「わかってる」

 朋也は黒板を見る。何らかの数式が書いてある。Xの値を求めさせたいらしい。

「これは引っかけ問題だな」

「引っかけ?」

「考えてもみろ。あいつの目的は授業を真面目に受けていないお前を叱ることだ」

「アンタも真面目に受けてませんけどねっ……!」

「だからあいつはこの問題を通じてお前に説教をしようとしているはずだ」

「なるほど。その可能性は高いな」感心してうなずく春原。

「それを踏まえて考えると、Xというのは若者の未知の可能性を表しているわけだ。つまりこの問題を解けないお前に対して、『自分の可能性に気付いていないから、真面目に授業を受ける気にならないんだろう。しかし本当はお前にも才能があるんだから、その才能を開花させるために真面目に授業を受けろ』と言いたいんだろう」

「余計なお世話もいいところだな」

 春原が吐き捨てる。

「でもその意図は僕に気付かれてしまった。だから偉そうに僕に説教ぶることはできないぜっ!」

 春原は高らかに宣言すると、自信満々に前へ出る。

「どうした、やけに自信ありげじゃないか」

「僕が本気を出せば、こんな問題を解くくらい、わけはないってことですよ」

「それは楽しみだな。それじゃあ早速解いてもらおうか」

「任せておいてください」

 春原は本人にとっては優雅なつもりでチョークを掴むと、黒板に長々と「X=僕の中に秘められているけど本人もまだ気付いていないい大な才脳」と書いた。どうでもいいが漢字の勉強もしたほうがいい。

「つまり」と春原は生徒たちの方を向き、身振り手振りを織り交ぜながら、演説口調で話す。「僕には僕自身が気付いていない才能があるけど、そのことに気付いていないから自暴自棄になるんだと、この教師は僕たちに伝えようとしているんだ」

 ここで春原は力強く拳を握り、力説する。

「だが! しかし! この教師の推測は甘すぎると言わざるを得ないね。僕はそんなことは百も承知だ。だって僕の才能は既に開花してるんだからね! どうだい? 僕の偉大さがわかったかい?」

 教室が静寂に包まれる。

 しかし一瞬の後、教室は爆笑の渦に呑み込まれた。朋也も爆笑した。教師までもが爆笑している。

 春原だけが理解できずに呆然としていた。

「春原、数学でそんな問題を出すわけがないだろう。確かにお前には想像力の才能がある」

 教師はそう言って、また笑う。

 あとには春原の「岡崎、テメェーーー!」という叫びだけが残った。

 

 騒がしい授業が終わってから、春原が改めて訊ねてきた。

「さっきはとんでもない目にあって訊けなかったけど、結局お前と渚ちゃんは、放課後に何してるんだよ」

「とんでもない目にあったのは自業自得だろ」

「明らかにお前のせいだよ! 何だよあの答! よく考えたら、あんな答ありえないだろ!」

「よく考えないとわからないのか……」

「だけど僕はそんなことでは誤魔化されないぞ。そうまでして隠したがる場所だ、よっぽど楽しい場所なんだろ。僕も連れてけよ」

 ため息をつく。「別に隠してるわけじゃねえよ。お前が思っているような場所じゃないってだけだ」

「ふん。それで他のやつは騙せても、この僕は騙せないぜ。僕の鋭い洞察力をもってすれば、お前の企みを見抜くことなんて晩飯前さっ」

「だから何も隠してないって言ってるだろ。あと晩飯前じゃ遅すぎるからな」

「さあ、どこへ行ってるのか吐いてもらおうか」

「人の話を聞けよ」

「ふっふっふっ、そうやっていつまでも隠し通せると思うなよ。今の僕は誰にも止められないぜ!」と言ったところで六限目の教師が教室に入ってきた。生徒達は慌てて席に着く。

「ちっ。運のいいやつめ。ここは退いてやるけど、放課後になったら覚えとけよっ!」

「あっさり止まったな」

 また騒いで問題を当てられるのが嫌らしい。大人しく席に着く春原。もちろん席に着いたところで真面目に授業を受けるわけではないのだが。

 春原は授業中ずっと「きっとあそこに……」だの「いや、もしかしたら……」だのつぶやいていた。よっぽど朋也たちがどこに行っているのか気になるらしい。何も隠してないというのに。

 授業が終わると、教師が教室を出ないうちから春原はこちらに覆い被さるように詰め寄ってきた。

「さあ、約束通り放課後が来たぜ!」

「約束しなくても放課後は来るだろ」

「放課後になったら根掘り葉掘り訊き出してやるって意味だよ! いつまでも誤魔化しきれると思うなよ!」

「約束もしてないだろ……」

 いいかげん春原の相手をするのも面倒だった。

「わかったわかった、教えるよ。だからちょっと廊下に出て上半身裸になって、その場で一回転、額を押さえて『嗚呼、僕の美しさは何て罪なんだろう……』と言ってくれ」

「よし、わかった!」と言って教室を出て行こうとする春原「――って、わかるかっ! それ、何の関係があるんだよ!」

「そのくらいやってもらわないと、やる気が出ないんだよ」

「どんなやる気の出かただよ! もはや病気だろ! あと説明も長い!」

「頼むよ。お前の男前の顔じゃなきゃ駄目なんだよ」

「そういうことなら任せとけ! いやあ岡崎もわかってきたじゃないか」

 ご機嫌で廊下にスキップしていく春原。単純にも程がある。朋也は教室の中で待つ。

 春原は廊下に出ると、本当に制服を脱ぎ捨てて上半身裸になり、その場で一回転する。

 そして哀しそうな表情かどうか教室からは見えないが、顔を俯け、額に手を当て、

「嗚呼、僕の美しさは何て――」

「おい春原! お前廊下の真ん中で何やっとんじゃ!」

 春原の背後にラグビー部の屈強な男たちが立っていた。

「………え?」

 春原は恐る恐る背後を振り返る。

「こんな場所で服をはだけやがって! 露出狂か! 性懲りもなくまた人様に迷惑をかけやがって! 今日という今日は徹底的に懲らしめてやるぞ!」

「……いや……これは岡崎が…………って、岡崎がいない!? さては逃げやがったな!」

 朋也は既に別の扉から出ようとしているところだった。

「何をつべこべ言ってやがる! さあ来い!」

「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」

 ラグビー部にずるずると引きずられていく春原の悲鳴を後ろに、朋也は教室を立ち去った。

 

 朋也は渚と連れ立って下校した。一度帰宅して着替えてから、例の場所へと向かう。

 朋也としては学校から直接向かったほうが楽でいいのだが、渚が制服のまま寄り道するのは校則違反だと言って聞かないのだ。

 路地の入り口へと辿り着く。

「ちょいと待ちな、君たち」

 突然の声にめんどくさいと思いながら振り向いた。春原が追いついてきてしまっていた。

「あ、春原さんです」

「何キャラだ、お前」と春原に言う朋也。

「あれしきのことで僕から逃げ切れると思うなんて、岡崎もまだまだ甘いね」

 そう言う春原の顔面は傷だらけだった。制服もかなり汚れている。制服の下にもかなりの傷を負っているのだろう。

「確かにそんな簡単にラグビー部から逃げられるとは予想外だったな」

「逃げる? はん、何で僕がそんなことをしなくちゃいけないのさ。あんな奴ら、まとめてちょちょいのちょいと片付けてやったさ」

「その割には、顔中傷だらけなんだが」

「傷なんかついてないやいっ! 僕はラグビー部の奴らを打ち負かしたんだいっ!」

「いや、急にそんな子供っぽくキレられても……」

 春原の惨めさに、呆れを通り越した。

「……わかった。お前はラグビー部に勝った。そういうことにしておいてやろう」

「ふふん、岡崎も少しはわかってきたじゃないか」

 得意げな顔をする春原。むなしくならないのだろうか。

「春原さん、お顔が傷だらけですっ。大丈夫ですか?」心配そうに訊ねる渚。

「いや、だから傷なんてついてないって……」

「早く治療しないとっ」

「だからさ……」

 春原の言葉を聞かずに、渚はバンソーコーを取り出す。だんご大家族のバンソーコーだ。

 顔中にだんご大家族のバンソーコーを貼る春原を想像してみる。

(哀れすぎる……)

 だがそんな春原を見てみるのも一興だ。朋也は口出しせずに事態を眺めた。

「はい、どうぞ」

 渚はバンソーコーをまとめて春原の手に握らせる。穏やかな物腰なのに有無を言わせぬところがある。

「あ、ああ……」

 バンソーコーを握ったまま、間の抜けた声で頷く春原。

「少しお待ちください。今、鏡を用意しますので」

 春原はどうしたものかと一瞬迷ったようだが、結局はバンソーコーをそのまま無造作にポケットに突っ込んだ。

「あの……今すぐに貼ったほうが……」

「だ、大丈夫大丈夫……。後でちゃんと貼るからさ……」引きつった顔で答える春原。

「いえ、今すぐ貼ったほうがいいと思います」

「いや、ほんとに何てことないからさ」

 どうしてもバンソーコーを貼りたがらない――当然だが――春原に、渚もしぶしぶ引き下がる。

「よしっ! それじゃあ気を取り直して、行こう!」

 爽やかにそう言って、春原はそのまま一人で路地に入っていこうとする。

「――って、誰もついて来ない!?」

 驚いて振り向く春原。

「いや唐突すぎるからな、お前」

「そんな馬鹿な……! さりげなく目的地へ向かおうとすれば、つられて僕をそのまま目的地まで連れて行ってくれるはずだと……」

 わなわなと震える春原。

「全てを計算した僕の完璧な計画が、こうも簡単に崩れ去るなんて……!」

 穴だらけの計画だと言うほかない。

「何故だ!?」と春原が叫んでいた。「何故そんなにも僕を連れて行くのを嫌がる!?」

「お前がいると、あの場所に価値がなくなる気がするんだよ。邪魔だから、さっさと帰れ」

「うぉぉぉぉぉっっ! 僕の存在は一体何なんだっ!?」

 頭を抱える春原。

「朋也くん、お友達にそんなことを言っては駄目ですっ」

 渚が春原の肩を持っていた。

「そうだよね、渚ちゃん! ほら、もっとこのわからずやに言ってやってよ」

「春原さんを拒む理由なんてないはずです。お友達は大切にしないと駄目です」

「理由は……」

 理由ならある。あの場所は異質だ。春原のように現実に根を下ろして生きている人間にあの場所はふさわしくない。そんな人間があの場所に行けば、あの場所の異質性が壊れてしまう。根拠はないが、そんな気がしてならないのだ。

 だがそれを上手く言葉にすることはできなかった。できたとしても、それは春原には伝わらないだろう。だから渚の言うことを受け入れるしかなかった。

「わかったよ。春原も連れて行ってやってもいい気がしなくもない」

「相変わらずひねくれ者っすね!」

「さあ、行きましょう」

 渚が笑みを浮かべながら言った。

 その言葉に促され、朋也たちは路地へと入っていく。

「まったく、岡崎も少しは渚ちゃんを見習って――」

 そこで春原の言葉が途切れた。

 路地はいつものように底冷えのする空気だった。空気というより、存在自体が冷たいとでもいうべきか。人を拒む異質感。

 春原の様子がおかしかった。急に立ち止まって身動きひとつしない。一見すると前方を注視しているようだが、どうやら実際には何も見ていないらしい。何かを恐れているかのような表情だ。

「春原さん?」

 渚が話しかけても反応しない。春原の顔には冷や汗が浮かんでいた。

「おい、春原。どうしたんだ」

 朋也が声をかけても同様に反応はない。

「おい」

 春原の肩に手を乗せると、ようやく反応を見せた。春原はこちらを向かないまま、乾いた声で答えた。

「悪い、僕やっぱ帰るよ」

 そう言ってきびすを返すと、春原は呆気にとられる朋也たちに視線を向けず、そのまま足早に立ち去ってしまった。

「一体何だったんでしょうか……」

 小首をかしげる渚。

「さあ……」

 路地の出口を見ながら、しばし呆然と立ちつくす。

 しかしいつまでもそうしているわけにもいかない。朋也は気を取り直して空き地へと向かうことにした。

「渚。春原のことを気にしてもしょうがないだろ。早く行かないと日が暮れちまうぞ」

 だが渚は出発する気配を見せなかった。渚が口を開く。てっきり春原を軽視する発言をたしなめるのかと思ったが、渚が口にした台詞は朋也の予想を裏切るものだった。

「ひょっとしたら、この場所が人々から忘れ去られた場所だから、春原さんはこの場所にいられなかったのかもしれないです」

 渚の声色には哀しみの色が濃かったが、そのトーン自体は穏やかなものだった。それは諦めの色だった。

 そうかもしれない、と朋也は思った。ここは古いものばかりの、変化を恐れる人達の居場所なのかもしれない。春原はその閉鎖性を感じたのかもしれない。ありうることだった。この場所にはそれだけの存在感がある。

 春原がこの場所に拒絶感を示したのは健全な反応なのだろう。

 だが口では違うことを言った。

「あいつがそんなこと気にするような奴かよ。どうせただの気まぐれだろ。いつものことだ」

「そうでしょうか……」

「だからもう気にするな。さあ俺たちは行こうぜ」

 朋也たちは路地を進んでいく。

 春原の反応に、朋也もいつも以上に緊張したのだが、結局いつもと変わりはなかった。確かに日常から離れる恐怖はあるが、それも以前と何の変わりもない。むしろ初めての時と比べて恐怖が小さくなっている。

 いつの間にかこの場所にあまり違和感や恐れを感じなくなってきていた。この場所に慣れてきたのだ。

 それは良くないことなのかもしれない。だが朋也は今の状態を悪いことだとは思えなくなってきていた。

 

 その日もいつもと同じように、だんご達を迎えに来る人を待って過ごした。

 来るはずのない人を。

 

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