忘れ去られた空き地で   作:する蔵

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第三話

 それからも何日間かは、二人はだんご大家族のぬいぐるみの様子を確認しに行った。それとも空き地の様子を確認しに行ったと言うべきだろうか。

 その間、目に見える変化は何もなかった。

 

 だが、ある日のこと。

 空き地にささやかな、だが二人にとっては決定的な変化が訪れたのだ。

 

 その日も同じように、もはや馴染みつつある路地を通り、空き地を訪れた。まるで日課のように。

 空き地の空気は変わらない。相も変わらず、凍りつくような永遠を内包している。渚はいつものようにだんご達のもとへと急いだ。

 そこで「変化」を見つけたのだ。

「あれ……?」と渚が不思議そうにつぶやく。落ち着かない様子で周りをきょろきょろと見回している。

「どうした?」

「だんご達が見当たらないんです」

 確かに、いつもだんご達のぬいぐるみを置いてあった場所にだんご達が見当たらない。

 見分けのつきにくいゴミの山だとはいえ、毎日来ていたのだ。場所を間違えるわけはない。

 だが念のため別の場所も探す。やはり見当たらない。

「どういうことだ……?」

 朋也は思わず疑問の声を発していた。ぬいぐるみは粗大ゴミの隙間に置かれてあり、どこかに転がっていくようなこともなかったはずだ。風に飛ばされてしまうようなこともありえない。

 誰も来ないはずのこの場所で、ぬいぐるみが消えるはずがないのだ。

(いや……)

 誰も来ないと決めつけていいのだろうか? 今さらながら、そんな疑問を抱いた。

 今までこの空き地で自分たち以外の誰かの姿を見かけたことはなかった。ここは人々から見放された土地だ。それは間違いないだろう。だが本当に誰もここを訪れないのだろうか?

(俺たちに来られて他の人が来られないなんて、そんなことがあるのか?)

 春原は路地裏に入ることができなかった。多くの人は春原と同じだろう。だが朋也と渚しか入れないなんてことはあるのだろうか? むしろ他の誰かがこの場所を訪れたと考えるほうが自然ではないか?

 その誰かがだんご達のぬいぐるみを持ち去ったのではないか?

 あんな汚れたぬいぐるみを大切に思えるような心優しく純粋な人なんて渚以外にはいないと思っていたのだが、そうでもないのだろうか。

(にわかには信じがたい話だが)

 渚を見る。渚は胸に手を当てて何事か考えている。どのような思いを抱いているのか、その表情からは窺えない。

 声をかけようとして躊躇う。何と声をかければいいのか。だが先に渚のほうが口を開いた。

「きっと、だんご達は元の持ち主の方に連れて帰ってもらったんですね」

 渚の声の調子からすると、渚は自分の発言にいまひとつ自信を持てていないようだ。

 朋也は言わないほうがいいと思いつつ、言わずにいられなかった。

「でも今さら持ち主がやって来るとは思えないけどな。しかもこんな場所に」

「そうでしょうか……」

 頼りなさげな渚。

「いや、来ないとも限らないけどな。でも長年こんな寂れた場所に放置してたわけだからな……。今さら気が変わって引き取りに来るかどうか」

「それはそうかもしれませんけど……。でも可能性があることは否定できないと思います」

 とはいえ渚も自覚がないわけではないのだろう。熱心に反論する気もなさそうだった。

 ただ、と渚は言う。

「誰か他の方がこの空き地に迷い込んで、だんご達をかわいそうに思って連れ帰ったという可能性はあると思います。その方はきっと心優しい方です」

「そうだな……」

 それが自然な考え方だ。朋也も同じことを考えた。

 しかし他の誰かがこの場所にやって来たとは、どうしても信じられなかった。この場所は現世から遠い場所で、現実をしっかりと見据えて生きているような人のやって来られる場所ではないのだ。

(じゃあ、だんご達のぬいぐるみはどこに消えたというんだ?)

 わからない。

 もう、そのことについては考えたくなかった。

 元の所有者を待つという当初の目的は果たされなかったが、だんご達が貰われていったこと自体は喜んでいいはずだ。それなのに朋也は喜べないでいた。

(なぜだ?)

 わからない。考えたくない。なぜ考えたくないのだ? わからない……。

 突然の感情に戸惑う。

 朋也はただ、だんご達がどこかへ隠れただけなのだと信じたかった。この場所は何も変わっていないのだと。

 この場所には変わらずにいてほしいのだ。

 風が二人の間を吹き抜ける。雑草をなびかせる。

朋也は何も言わずに渚の手を握った。渚も握り返してくる。人の温もりが朋也の心を落ち着かせる。

 だが渚は朋也のその行為を、渚の心を落ち着かせようとする朋也の優しさだと感じただろう。朋也の気持ちには気付いていないはずだ。

 あの日、あの坂の下で、朋也は渚に言った。変わっていくのなら、次の楽しいことやうれしいことを見つければいいのだと。

 だが今の朋也は「変化」を受け入れられないでいた。

 渚はどうだろうか。あの時のように変わることを恐れているだろうか? それとも朋也が言ったように、次の楽しいことやうれしいことを見つけようとしているだろうか?

 こんなに近くにいるのに、渚の気持ちがわからない。この場所と同じように、渚もまた変わってしまい、俺の前から消えてしまうんじゃないか……ふと朋也はそんなことを思った。思ってしまった。

(そんなはずはない……)

 朋也は渚の手の温もりに意識を集中した。渚はここにいる。ここにいるのだ。

(俺の隣に……)

 どれくらいの間そうしていただろうか。渚がぽつんと言った。

「朋也くん……もう大丈夫です。ありがとうございました」

 その言葉を合図に、朋也は躊躇いながら手を離した。積み木が崩れることを恐れながら手を離すように、そっと。

 渚は微笑んで言う。

「だんご達は貰われていきましたから、私たちがこの場所に来る理由もなくなってしまいました」

 渚の笑みにはどこか寂しさも混じっていたが、それでもだんご達が必要とされたことを心から喜んでいるようだ。渚はだんご達が誰かに貰われていったと信じているのだろうか。

 渚の声は穏やかで……それなのになぜ、胸をこんなにもざわつかせるのだろう。

 これまで一度も感じなかったことだが、渚が与えてくれる安らぎは、この忘れ去られた場所で味わう安らぎにそぐわない。今ではそう感じていた。

(なぜだ……)

 朋也にとって渚は何よりも誰よりも大切な存在で、他に比べるもののない心の支えだ。それは今も変わらない。

 しかしこの場所に渚といると、どうしても心が乱れるのだ。

 以前はそんなことは感じなかったのに、なぜ今になって感じるようになったのか。

「朋也くん、帰りましょうか」

 その満足そうな声はどこか遠くから聞こえてくるようで、朋也はうなずくことしかできなかった。

 人々が日常を生きる世界へと戻れば、この胸のざわめきも鎮まるだろうと信じて。

 

 帰宅した後も、朋也は落ち着かない気持ちのまま夕食の席についていた。

 安らぎとは何なのか。渚の与えてくれる安らぎとあの場所で感じる安らぎとは、はたして本当に違うものなのだろうか。それを確認したかった。

「おい、小僧。お前晩飯楽しんでるか?」

「あ? ああ……」

 唐突な秋生の言葉に戸惑う。

 気持ちを見透かされてでもいるのかと思うが、そんなわけはない。

「早苗さんの料理はいつも美味いし、楽しいよ」

「そうかそうか」と満足そうにうなずく秋生。「ハッスルしてるか」

「ハッスルはしてない」

「しろよ! バラードを歌うときみたいにハッスルしろよ!」

「バラードにハッスルのイメージはないだろ……」

「かぁーっ! 情けねぇこと言いやがって!」

 秋生はおおげさに嘆きながらグラスのビールを飲み干す。

 グラスをテーブルに叩きつけるように置きながら、

「みみっちい名前だから、そんな小せぇことしか言えねぇんだよ。今からでもユニバース宇宙に改名しやがれ」

「変えないし、ダサいし、意味かぶってるからな」

「なんだとぉぉぅうぅぅぅっ!?」目を血走らせながら叫ぶ秋生。「俺の親心を踏みにじりやがって!」

(あんたに育てられた覚えはない)

 今にも立ち上がって地団太を踏み出しそうな様子の秋生に呆れる。

 渚が助け船を出してくれた。「お父さん、朋也くんは情けなくないです。私が困っているときには、いつも助けてくれます」

 いや、この流れは本当に助けとなるのか? 

 渚は照れて顔をうつむけながら、ぽつりと言った。

「朋也くんはとても心強くて……かっこいいです」

 親の前でそんなことを言ってしまうのか。以前にも同じようなやり取りをしたことがあったが、やはり恥ずかしすぎる。渚は相変わらずアホの子だ。何も変わってない。そのことに安堵する。温かな気持ちになる。

 だが変わってないということは、あの異界の安らかさとの違いがわからないままだということでもある。

 早苗の「あらあら、お熱いですね」という冷やかしや、それを真に受けて朋也に怒りを向ける秋生に適当に返事をしながら、朋也は焦燥感のようなものを覚えていた。異界の安らぎの理由を解き明かさないと、いつか大切なものを失ってしまうような。

 いつものように夕食を楽しみながらも、どこか心ここにあらずの朋也であった。

 夕食の後、ずっと居間にいても、渚との時間に以前との違いは感じられなかった。

 渚が寝てしまう前に渚の部屋を訪れる。

「どうしましたか、朋也くん」

 渚が微笑んで振り向く。既にパジャマ姿だ。布団を敷いているところだったようだ。

「いや……」と朋也は言葉を濁す。

 渚の何気ない仕種からも変わらない温かさがあふれていて、朋也は自分が何を求めて渚の部屋に来たのかわからなくなった。

 渚といるときに感じる安らぎに変わりはない。俺は今までどおりでいればいいんだ、と朋也は思った。

「寝る前に渚の声が聞きたくなってさ」

「変な朋也くんです」と渚は笑う。「朋也くんらしくないこと言ってます」

「いや、渚のほうがよっぽど変だと思うけどな」

「そうでしょうか」

「いや、変でもいいんだけどな。それが個性だ。演劇のことを何も知らないのに演劇部を作りたいとか、今でもだんご大家族を好きだとか」

「だんご大家族を好きなのはおかしくないです。今日もだんご達を引き取っていかれた方がいらっしゃいました」

 穏やかな表情で、しかし自分が間違っているとは夢にも思ってないような口調で話す渚。

 渚の中では既に、誰かがだんご達のぬいぐるみを引き取っていったと確定しているのだろうか。何がそう信じさせているのだろうか。

「そうだな。渚はそのままでいてくれ」

 朋也の気持ちは伝わらなかっただろう。渚はきょとんとしてうなずく。

「やっぱり変な朋也くんです」

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