魔術競技祭前日の夜。夕食を終えた信一とシスティーナはフィーベル邸のキッチンにて、明日の弁当の下準備を開始しようとしていた。
「それじゃあお嬢様、それにこの粉を混ぜてからもう一度捏ねてください」
「はーい」
信一の指示でボールに入った大きめの生地にイースト菌を混ぜて力いっぱい捏ねる。
明日の弁当のメニューはサンドウィッチ。それに使う食パンを作っているのだ。
一生懸命生地を捏ねるシスティーナの横顔を信一は優しく眺める。どうやら彼女は魔術だけでなく、料理の才能もあるようだ。
約1週間、朝食や夕食におかずを一品ずつ彼女に作ってもらったが、どれも口で説明して軽く見本を見せただけでそれなりの味に仕上がってしまう。正直、その才能には嫉妬してしまった。
「よし、そんなもんでいいでしょう。あとは明日の朝まで熟成させて焼き上げれば完成です」
上にほこりが入らないよう布を掛けて冷蔵庫にしまう。明日はシスティーナだけでなく、自分とルミアも競技祭に挑む。なので、サンドウィッチに挟む材料は少し奮発して揃えてある。いつもよりちょっとお高く、信一がこの目で品定めしてきた物ばかりだ。
「後片付けは俺がやっときますので、お嬢様はお休みになってください」
「ううん。片付けも料理の内、でしょ?」
「そうですけど……明日に備えて寝たほうがいいと思いますよ?」
「それは信一も同じよ」
コツン、と軽く額を小突かれる。
「むぅ……」
「ほら、早くやっちゃいましょ?」
「わかりました」
システィーナが調理の際に使っていた皿を洗い始めたので、信一も並んで麺棒に水を当てる。
それからは何気ない会話をしながら2人の時間が流れた。
そんな空気だからか、システィーナは信一の左耳で揺れるイアリングを見て気になったことをきく。
「そういえば信一、お父さんとはどんな話をしてるの?」
「父さんと、ですか?」
「うん。夜には通信結晶でおしゃべりしてるんでしょ?」
「あぁ……そのことですか……」
途端、信一の顔が苦く歪む。その表情にシスティーナは首を傾げた。
「なにかあったの?」
「いえ、その……話してないんです」
「え?」
「実を言うと、まだ父さんと話してないんですよ」
言いにくそうに言う信一。どうにも何か事情があるようだ。
「どうして?手紙もらった時はあんなに嬉しそうにしてたじゃない」
「はい。手紙が届いた時はもちろん嬉しかったです。ですが……通信結晶を使おうとすると、どうしても頭に浮かんじゃうことがあって……」
「浮かんじゃうこと?」
「父さんは……本当は俺のことを憎んでるんじゃないかって」
信一はシスティーナが洗ったボールを受け取りながら誤魔化すように笑う。しかし、それは恐怖を隠すための仮面を被ったように見える。
それを見て、システィーナはどうにも居た堪れない気持ちになった。どうやら彼はまた1人で抱え込んでいるようだ。
「お父さんが憎んでるって……信一が自分のお母さんを殺したことでってこと?」
「はい」
「でも、それは貴方が妹を———信夏を守る為に仕方無く……」
「それでも!!」
突如彼の大声がキッチンに響く。そこで気付く。信一の手が震えているのだ。
「俺は……殺したんです」
「信一…………」
いつも優しく、時には凛々しく、そして時には情けない。天真爛漫な朝比奈信一はその場にはいなかった。
ただ大好きな父親から拒絶されることを怖がる、今にも泣き出しそうな子どもにすら見える。カタカタと弱々しく震える姿は、さきほどまでの信一とは別人だ。
「もしかしたら父さんは俺のことを憎んでいて、通信結晶で話そうとしたら拒絶されるかもしれない。どうしてもそんな想像が頭に浮かぶんです……」
「……………………………」
「父さんがそんな人じゃないことはわかってます……。でもやっぱり……怖いんです」
その姿をシスティーナは知っている。5年前、初めて信一がフィーベル邸にきた時と同じだった。
闇より暗い、この世の地獄を見てきたかのような荒んだ瞳。話しかけた自分にひどく怯えていた。
あの時の小さな男の子と震えている目の前の少年の姿が酷似している。5年の月日とともに成長した身体とは違い、心の傷は未だに癒えていないことが見て取れてしまう。
———だからだろうか。システィーナの手は自然と信一の頭を抱いていた。
「大丈夫よ。私も知ってる。あなたのお父さんは絶対にあなたを拒絶したりなんかしない」
「でも……」
「だって信一は———お父さんが大好きなんでしょう?」
「———っ!?」
「ならそれが証拠なんじゃない?家族を守る為に頑張った子どもを嫌いになる親なんていないもの」
この1週間、信一は自分にそれを言い聞かせ続けた。だがダメだった。どんなに自分で言い聞かせても、頭では理解できていても、心が囁き続けていた。父親の声で、『お前が憎い』と。
しかし、何故だろうか。システィーナに言われただけでその心の囁きが嘘のように霧散していく。
「大丈夫。あなたの主である私が保証する」
数回ほど抱いていた頭を撫で、離す。すると、今度は信一がシスティーナの背中に手を回した。
「……申し訳ありません、お嬢様。もう少しこのままでいてもいいですか?」
その姿が姉に甘える弟のように見えて……システィーナは思わず頰が緩むのを感じる。
彼は強くて優しい。しかし、心の面で言えばひびの入ったガラスのように儚く脆い。
そんな従者だが———それが朝比奈信一という少年なのだ。
だからこそ自分は主として、姉として、彼を支える。自分はいつまでも彼の味方でいようと1ヶ月ほど前に決意したのだから。
「ほーら、信一。早く片付けしちゃいましょ?」
「……そうですね。お見苦しいところを見せてしまい……」
ガタンッ
キッチンの入り口で物音がし、信一とシスティーナは抱き合った態勢のままそちらに振り向く。
「はわわわ……」
そこには主と従者の、あるいは姉弟の禁断の愛を覗き見てビックリ仰天としか表現のしようがない寝間着姿のルミアが立っていた。
塞がらない口を両手で覆って、顔を真っ赤に染めている。
「ゴ、ゴメン。ワタシナニモミテナイヨ」
確実に何も見てない人間のものとは思えない片言言葉を言い残し、ルミアは素早くその場を去る。
「「 ………………………………… 」」
残された信一とシスティーナは顔を見合わせ……ダッ!!
鬼気迫る表情でキッチンから飛び出し、誤解を解くためにルミアを追いかけ出した。そして、ルミアはその2人のあまりにも必死な表情に恐怖を覚えて逃げ出す。
魔術競技祭前日の夜、フィーベル邸にて鬼2人と逃げ役1人の奇妙な鬼ごっこが繰り広げられた。
それは平和で優しい日常(?)の1ページ。その1ページに映る信一の顔には、もうなんの憂いもない。ただ、今の家族とのドタバタした時間を楽しむ幸せそうな表情が浮かんでいた。
帝国王室の紋章を刻まれた馬車が早朝の街道を走る。
その窓からアルザーノ帝国女王アリシア七世は、場所を守るように軍馬に乗った王室親衛隊を眺めていた。
「もうすぐ……フェジテに到着になりますね、陛下」
そんな彼女に使用人服を着た女性が隣から話しかける。女王の侍女長———エレノア=シャーレットだ。
「えぇ、そうですね。あの学院に顔を出すのは久しぶりです」
馬車の窓から微かにフェジテの市壁が見え始めた。
「あなたもそうでしょう、零」
「あぁ。と言っても陛下とは違って5年ぶりだけどな」
アリシアの斜向かい、エレノアの正面に座る朝比奈零は嬉しそうに応える。腰に差していた刀を抱え、相持っていると言い張る槍は相変わらずどこにも見えない。
「あの……朝比奈様。陛下にそのような言葉遣いは……」
「いいんですよ、エレノア。形式上は護衛としていますが、彼は私の友人として喚んだのですから」
「公私混同甚だしいな」
「ですが、あなたもフェジテには行きたかったのでしょう?」
「まぁね」
本来なら不敬罪で即刻斬首にされても文句の言えない喋り方だが、咎められても直そうとしない。
口ではお互い相手を試すようなことを言っているが、雰囲気はアリシアの言う通り友人同士の語らいといったようだ。
「息子と娘に会うのは5年ぶりだよ。それが楽しみで仕方ない」
「あら、女王の護衛任務に就くことよりもですか?」
「当然。よくお茶をする友達と久しぶりに会う家族。会えて嬉しいのはどちらかなんて考えなくてもわかるだろう?」
「ふふ、あなたはブレませんね。忠誠心なんて欠片も感じられない」
「それも当然。俺が帝国宮廷魔道士団に身を置いているのは、俺が働く上で1番給料が良い仕事だったからだし」
「あなたのそういう考え方、好きですよ。だからこそ私はあなたと友人でいたいと思うのですから」
零はアリシアを女王であると理解しているが、それに対して忠誠を誓っているわけではない。
一応公の場では取り繕うが、このようにプライベートな空間であれば女王としてではなく友人として接している。
それに、アリシアの立場からすれば友人を作る———つまり個人的な関係を持つというのは難しい。忠誠心はなくとも、そんな彼女と友人でいたいと思う気持ちは嘘偽りない零の本心だ。
「そういえば、以前にもあんたと魔術学院に来たことがあったよな?あの時はあんたの娘もいた気がする」
「確か学院で開かれた『社交舞踏会』の時ですね。学院と言うより国内の定期巡行でしたが」
「まぁ、名目はなんでもいいよ。あの時いた子が今は……」
「あなたのご子息ご息女と同じく、フィーベル家の方々にお世話になっています」
アリシアは少し哀しげに目を伏せて首元に掛けられているロケット・ペンダントを握った。
その様子を見て、零は地雷を踏んだかと顔を顰める。この状況で話すべきではなかった。
「ねぇ、
「なんだよ、
普段はお互い二人称を用いて呼び合うが、この時ばかりは固有名詞を使って呼び合う。
それがスイッチとなり、2人とも友人としての顔から子を持つ親の顔へと変わっていった。
「あの子は……エルミアナは私を恨んでいるでしょうか?」
「どうだろうな。でもこれだけは言えるよ」
帝国の臣下としてでもなく、友人としてでもなく、あくまで子を持つ同じ親として零はアリシアに向けて言い放つ。
「あんたは母親として最低なことをした。政治的要因、国の平穏、色々な事情があったにせよ、あんたが自分の娘を見捨てたのは事実だ」
「そう……ですよね……」
分かってはいたが、改めて口に出して言われると堪えるものがある。
アリシアは辛そうにロケットを握る力を強めていく。その様子に、さすがに黙っていられなくなったエレノアが口を開こうとする。しかし、零の言葉には続きがあった。
「だからさ、話してみたらどうだ?顔を合わせて、目を見て、言いたかったことを言ってやれよ。エルミアナちゃんも言いたいことはあるだろうし、それにさ……」
にっこりとアリシアを安心させるように笑う。どこぞの『超速い慇懃無礼な従者』と同じように、無条件に相手を安心させる笑顔で。
「子どもの言いたいことを受け止めてそれに答えてやるのは古今東西、万国共通、徹頭徹尾親の義務だと思うぞ」
「零……」
「だからエルミアナちゃんと話したくなったら言ってくれ。貴賓席を抜け出すくらいの手伝いはしてやる」
「……感謝します」
自分は良い友人を持ったなと、思わず感動するアリシア。
だが忘れてはいけない。ここにはアリシアと零以外に、女王の侍女長であるエレノアがいることを。
「ハァ……」
彼女は心底面倒くさそうにため息を吐いた。本来なら女王の前では絶対にやらない行為であるにも関わらず。きっと女王としてではないアリシアと友人や親として話す零、2人の会話に充てられたのだろう。
「あ、ごめんエレノアさん。たぶん女王陛下、途中でいなくなるわ」
まったく悪びれず、見方によっては開き直ってるとしか思えない態度の零をジト〜と睨みつけた後、どうせ止めても居なくなるだろうと諦めたように再びため息を吐く。
そしておもむろに座席の下から宝石箱を取り出して中から翠緑の宝石が美しいペンダントを出した。
「もはや止めても仕方ないことはわかりました。……しかし、万が一があります。せめてそのロケット・ペンダントを外してください。こちらを代わりにどうぞ」
「……苦労をかけますね、エレノア」
「いえ、陛下は何も悪くありませんゆえ」
では、悪いのは誰か。言うまでもなく、エレノアの冷ややかな視線の先にいるアリシアの友人である。
ヘラヘラ笑っていて、めっちゃ腹立つ。
疲れたように三度ため息を吐くエレノア。
そんな彼女に申し訳なさそうなアリシア。
その2人を見て楽しそうに笑う零。
三者三様の表情を浮かべた3人を乗せて、馬車はフェジテに近づいていく。
はい、いかがでしたか?
今回は信一とアリシア女王の話でした。システィちゃんの圧倒的姉力!!自分も優しくて包容力のあるお姉ちゃんに甘えたいものです。
実は零の信一に対する気持ちも書こうと思ったのですが、まぁそれはまた別の話で。