超速い慇懃無礼な従者   作:技巧ナイフ。

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ずっと書きたかった場面が書けて嬉しいのです。


第42話 フィーベル家の昔日 後編

 信一がフィーベル家に預けられて1ヶ月が経過した。

 その間、彼の問題行動は10を超えている。それについてフィーベル家現当主、レナード=フィーベルは、父と妻————レドルフとフィリアナの2人と顔を突き合わせて頭を抱えていた。

 

「まさか()()しようとするなんて……」

 

「餓死、リストカットによる出血死、睡眠薬の過剰摂取……全て未遂にこそ終わってるけど、もしシスティが気付かなかったら今頃どうなっていたか……」

 

 そう。信一はここに来て1ヶ月、10回を超えるほどの自殺未遂を行なっていた。

 その度に食事を届けに来たシスティーナが悲鳴を上げ、レナードとフィリアナ、時にはレドルフが応急処置や法医呪文(ヒーラー・スペル)でなんとか未遂に終わらせているとも言える。

 

「やはり精神医にも診せるべきか……。いやしかし、未だ慣れない環境の中で下手に刺激するのは逆効果になるかもしれないな」

 

 魔術の名家に生まれ、現在は魔導省の高級官僚にまで上り詰めたレナードだが、そんな立場や権力はこの問題を解決する事になんの役にも立たない。そんな自分の無力さに、頭を抱えたくなった。

 どうにかしなければ。時間で解決するなど論外だ。仮に解決したとしても、これまで通り自殺未遂を繰り返せば、その頃には信一の体はボロボロになってしまう。いや、もしかしたら自分達の手が間に合わず、そのまま死んでしまう可能性だってある。

 

「父上。何か良い案はありませんか? さすがにこれ以上は見過ごせない」

 

 妙案が浮かばず、縋るような気持ちでレナードはレドルフへと目を向ける。

 彼は窓の外を見て、目を細めていた。その視線の先には、庭で蹲る信一と、彼にずっと話し掛けているシスティーナの姿がある。

 

「大丈夫。きっとあの子がなんとかしてくれる」

 

「そんな悠長な!」

 

 レナードがあまりに呑気な回答に声を荒らげるが、レドルフは穏やかな声音で続ける。

 

「儂ではなく、お前(レナード)でもなく、フィリアナ君でもない。システィが信一くんを立ち直らせる。老いぼれの勘だが、なんとなくそんな気がするんじゃよ」

 

 レドルフはどこか悟ったような表情で、庭の2人を眺めていた。

 

 

 

 

「ねぇ、一緒に本読みましょう? ほら! 『メルガリウスの魔法使い』持ってきたの!」

 

「イヤだ」

 

「なんでよ!」

 

 1ヶ月前の予想に反して、少女が自分に飽きる時が一向に来ない。

 それどころか、妹の寝室か自分の部屋を行き来しているという行動パターンが早々にバレたことで、待ち伏せまでされるようになった。

 あまりに鬱陶しいので、裏をかいて庭まで逃げているのだが、どうやらダメなようだ。信一はため息と共に、自身の心とは裏腹によく晴れた空を仰ぐ。

 

(そういえば、外に出るのはここに来たとき以来かな……)

 

 ずっと室内で塞ぎ込んでいた。出来ることならあのまま死んでしまいたかったが、この少女が毎回死のうとする自分を見つけて助けを呼んでしまうせいで、未だに生きている。

 どうしようもなく、この名前も知らない少女が鬱陶しい。今も聞いていないにも関わらず、『メルガリウスの魔法使い』という絵本について長々と解説してきている。

 

「だからね、この魔法使いは……って、ちゃんと聞いてる?」

 

「聞いてない」

 

「聞いてよ! ここからが面白いのに! それでね———」

 

 面倒くさい事この上ない。なんで人の話を聞かないんだ、この少女は。

 

「それでね、それでね! このタイトルにもある『メルガリウス』って言うのが、あそこに浮いてる『メルガリウスの天空城』で、お祖父様はあのお城の謎を一生懸けて解き明かそうとしたの! すごいでしょ!」

 

「あーうん、すごいすごい」

 

「でしょ! だからね、私もいつかお祖父様みたいにすごい魔術師になって……どうしたの?」

 

 魔術師という単語に、信一の肩がピクリと動く。

 魔術———それは信一にとって、忌むべきものだ。母親を奪い、妹を昏睡状態に追い込んだ。

 ……いや、それは全て自分が原因なのかもしれない。もしあの時、魔術を使って母親を殺さなければ、妹すら失っていた可能性もある。

 

(だからなんだって言うんだ……っ!)

 

 だから、母親を殺した事を『仕方ない』で済ますのか。冗談じゃない。

 

「……部屋に戻る」

 

 おもむろに立ち上がり、信一はそれだけ言うと歩き出した。

 すぐに少女も立ち上がり、後ろをついて来る

 

「あっ、じゃあ私も……」

 

「ついてこないで」

 

「なんでよ? もっとお話しましょ……」

 

 

 

「———ついてこないでっ!!」

 

 

 突然、信一が声を張り上げる。

 今まで少女が見てきた中で、信一は呟くような受け答えしかしてこなかった。少なくとも、こんな風に感情剥き出しで大声を出したことはなかった。あまりの衝撃に、硬直してしまう。

 そんな彼女の姿に目もくれず、信一はその場を歩き去っていった。

 

 

 

 

 

 その日は少女が食事を届けるだけで、自分に構うことなく過ぎ去った。

 ここ1ヶ月で、久し振りに静かな1日だったと思う。珍しいものに一通りちょっかいをかける子猫のような少女が、鬱陶しくて仕方なかった。

 

 

 ———本当に? 

 

 

 久し振りの静けさに、信一は何故か侘しさを感じていることに気付く。

 

「ハァ……」

 

 そういえば、この屋敷に来てから1ヶ月間、ほぼ1日中付き纏われていた気がする。ただただ小煩くて、鬱陶しくて、邪魔だった。

 でも———寂しさを感じることはなかった。

 

 最初は無視していたが、あまりの眩しいくらいの存在感に、いつの間にか細々とだが受け答えをしていた。

 

(なんなんだよ……クソ)

 

 想像してしまう。いつも楽しそうに話しかけてくるあの子が、自分に大声で拒絶されてどのような表情になったか。

 1ヶ月付き纏われたせいで無駄に増えたあの少女の情報量から、容易に推測できる。

 

 必死に涙を堪えようとしたに違いない。

 

 でも、結局泣き出したのだろう。大好きな祖父に泣きついている姿が想像できる。

 あの少女の泣き顔を想像すると、不思議と胸が痛んだ。

 バカな話だ。名前も知らない少女の泣き顔に胸を痛める余裕がどこにある。母親を殺した罪悪感から逃げている証拠ではないか。

 自身の罪悪を再認識するが、それでも胸の痛みは消えない。

 

「……嫌いなんだよ、君のことなんて」

 

 

 ———本当に? 

 

 彼女に対する気持ちを口に出して、なんとか自分の心を整理しようとするが、すぐにまた疑問が浮かんできた。

 

 違う。きっと違うのだ。これは嫌悪ではなく、嫉妬。

 

 祖父がいて、父親がいて、母親がいる少女。

 母親を殺し、妹を昏睡状態に追い込み、父親に捨てられた自分。

 家族に囲まれている少女と、家族を失った自分。

 魔術に憧れる少女と、魔術を忌避する自分。

 

 1人ぼっちじゃない少女と、1人ぼっちの自分。

 

 あの少女は、自分が無くしたものを全て持っている。

 優しい家族も。あのどうしようもなく当たり前だった日常の暖かさも。魔術への無邪気で盲目的な憧憬も。

 ほんの1ヶ月前まで、自分も持っていた全てを持っている。

 それが信一には、妬ましくて、嫉ましくて———そして羨ましい。

 

「明日……謝らないと。それでその後は———」

 

 ———本当に死のう。

 

 

 

 

 

 翌日。少女が信一の前に現れたのは、昼食を届けに来た時であった。

 体の後ろで手を組み、もじもじで体をむず痒そうに揺らしている。

 

「あの……昨日はごめんなさい」

 

 謝ることに慣れていないのか、とても居心地が悪そうだ。

 

「あのね、私ね、貴方を怒らせるつもりなんてなかったの。本当だよ。どうして怒ってるか分からなくて、でも私のせいだっていうのは分かったから……その……」

 

 辿々しくだが、意地らしく言葉を紡ぐ少女。勇気を振り絞るように両手を握り、頭を下げた。

 

「ごめんなさい」

 

「…………」

 

 その姿を、信一は無言で見つめる。何故この少女が謝るのか。

 勝手に怒鳴って、勝手に部屋へ閉じ籠ったのは自分だ。ただこの少女の語る魔術への無邪気さに苛立ったのは、それが母親を奪った手段になったからだ。

 謝罪するべきなのは自分のはずなのに、どうしてこの子が頭を下げているのか。

 信一には、およそ理解できなかった。

 

 無言で見つめられる状況が気まずいらしく、少女は垂れた前髪の間から信一をチラチラと見ていた。

 ここは何か言葉を掛けてやるべきなのだろう。

 

「……別に、気にしてない」

 

「ほんと?」

 

「うん」

 

 すると、少女は顔を上げて満面の笑みを浮かべた。こんな事の何が嬉しいのか信一には理解できないが、少女にとってはそれに値するらしい。

 その笑みを浮かべたまま、少女は後ろで組んでいた手を前に出した。

 どうやら組んでいたのではなく、何かを持っていたようだ。

 

「果物の……盛り合わせ?」

 

「うん! あなた、フルーツだけはちゃんと食べてたから、もしかしたら好きなのかなって思って持ってきたの。一緒に食べましょ?」

 

「……君はもうお昼ごはん食べたんじゃないの?」

 

「まだだよ。ほら、りんご剥いてあげるね」

 

 そう言って、フルーツバスケットから果物ナイフとりんごを取り出した少女は剥き始めようとするが……その手付きが明らかに慣れていない。

 

「よいしょ……あれ? 確かお母様はこうやって……あぁ! …割れちゃった……」

 

 たぶんかつら剥きをしようとしたのだろうか。何度も皮が途中で切れ、削り落としているようにしか見えない。それでも何とか切り分けるが、結局割れてしまった。

 あまりにも不格好なりんごを渡され、信一はため息と共に少女から果物ナイフを取り上げる。さすがに危なっかしくて見ていられない。

 

「かつら剥きは難しいよ。りんごの剥き方の基本はどんどん半分にして、最後に皮を取るの」

 

 別のりんごをバスケットから取り、手慣れた動きで信一は素早く剥いていく。その様子を彼女は興味深そうにしげしげと眺めていた。

 8等分されたりんごの皮にナイフをあて、ちょっとした工夫を加えて少女に渡す。

 

「ふあぁ! うさぎさんだ!」

 

 皮をうさぎの耳にして渡された一欠片のりんごに、少女は宝石を見つめるかのように目を輝かせた。

 

「すごい! どうやったの? 魔術? 魔術使ったの⁉︎」

 

「……使ってない。あんなもの、使うわけない」

 

「魔術じゃないの⁉︎だったらもっとすごい! ねえねえ! どうやるの? 教えて?」

 

「あっ、こら。ナイフ持ってるんだからくっつかないで」

 

「……ごめんなさい」

 

「あっ……」

 

 たったこれだけの事でここまで無邪気に喜べるこの少女が、やっぱりひどく羨ましかった。

 ちょっと注意しただけでシュン…と肩を落とす少女に、今度は信一が戸惑ってしまう。こんな顔をしてほしいわけではないのに。

 

「あのさ…僕の方こそ……昨日はごめん」

 

「え?」

 

「…急に怒鳴ったりして。その…君が僕のことを心配してくれてるのは、分かってるから」

 

「…………」

 

 自分は名前すらロクに覚えていないのに、彼女は1ヶ月間ずっと自分に構い続けた。ずっと、自分のそばにいてくれた。

 だからこれは、けじめだ。

 

 立つ鳥跡を濁さず———もう自分は、彼女と話せなくなるのだから。

 

「これ。君のお祖父さんやお父さんお母さんにも持っていってあげて。食後にでも食べてよ」

 

 信一はさらにバスケットから適当なものをいくつか選び、皮による造形を凝らして皿に乗せ少女に押し付ける。

 

「一緒に食べようよ? そのために持ってきたのよ?」

 

「ごめん。もうちょっとだけ、1人にさせてほしい」

 

「……わかった」

 

 今できる精一杯の作り笑いを信一は見せた。

 少女も昨日の今日でわざわざ踏み込んでくることはなく、おとなしくフルーツが乗った皿を持って部屋を出て行ってくれる。

 

 これで準備は整った。

 

(ごめんね。本当に…ごめん)

 

 心の中で信一はひたすら謝罪を述べ、持ったままだった果物ナイフを手首の大動脈に当てる。

 大動脈を深々と斬りつけ、さらに意識が遠退く前に頸動脈も斬る。

 普通の人間がやるには難しいが、母親を殺したあの魔術さえ使えば問題なく実行可能だ。

 

「……ごめん」

 

 最後に口でもう一度呟く。この『ごめん』が誰に宛てたものなのか、信一自身にも分からなかった。

 

 殺してしまった母親へのものか。

 昏睡状態に陥ってしまった妹へのものか。

 唯一元気な肉親である父親へのものか。

 自分を抱き締めてくれた少女の母親へのものか。

 自分を迎え入れてくれた少女の父親へのものか。

 優しい眼差しを向けてくれた少女の祖父へのものか。

 ———1ヶ月間自分に付き纏い続け、この屋敷に来てから1番長く同じ時間を過ごしたあの銀髪の少女へのものか。

 

 分からない。でも分かる必要も、もうない。

 

「《雷精の紫で……」

 

「———なにやってるの⁉︎」

 

 頭の中に【ショック・ボルト】を撃ち込んで母親を殺した魔術を起動させる寸前、飽きるほど聞いた声が暗い部屋の中に響いた。

 

「っ⁉︎」

 

 驚愕で呪文が途切れた隙に声の主はこちらに走り込み、手に持ったナイフをはたき落とされる。その弾みに少しだけ手首が切れたが、大動脈には届いていない。

 

「ナイフが……んっ」

 

「なにやってるのよ! あなた‼︎」

 

 床に転がったナイフへと手を伸ばすが、それよりも先に両肩を掴まれ声の主へと強制的に振り向かされる。

 声の主———銀髪の少女は、泣きそうな形相でこちらを凝視していた。

 

「……どうして戻ってきたの?」

 

「ナイフ持って帰るの忘れたから…だからよ! あなたに刃物渡しちゃダメって言われてたの!」

 

「そっか……」

 

 どうやら彼女の両親には見越されていたらしい。まぁ、あれだけ自殺未遂を行えば当たり前かと、信一は他人事のように納得していた。

 

「今、また自殺しようとしてたの?」

 

「……うん」

 

「どうしてよ! どうしてそんな簡単に自分のこと傷付けられるの⁉︎」

 

「…………」

 

 大声で喚く彼女から逃れようと身を捩るが、存外力が強い。もしくは火事場の馬鹿力なのか。

 

 ———なんの為の? 

 

 理由など、少女の顔を見れば明白だ。

 

「…なんで君が泣くんだよ……」

 

「泣いてない!」

 

「泣いてるよ」

 

「泣いてないもん‼︎」

 

 よく分からない見栄を張られ、それを隠すように肩をガクガクと揺すられる信一。

 もちろん理由は言わない。しかし、心の方針は決まっていた。

 

「君は知らなくていいんだよ……。こんな気持ち、君が知る必要なんて無い」

 

 1ヶ月間自分に寄り添い続けた心優しい少女に、この汚泥のような自己嫌悪は似合わない。

 知る必要なんて無い。理解するなんてもってのほかだ。この少女にはこれからも明るい未来を、家族からたくさん愛される未来を歩んでほしい。

 そう願ってしまうくらいに、信一はきっと感謝しているのだろう。

 

「僕はもういいんだよ。勝手なのはわかってるけど、妹のことお願い」

 

 初めて、信一は少女に笑いかけたと思う。これから死ぬ人間の願いだ。この子なら納得はしなくても尊重してくれるだろうという確信があった。

 

 だが、その見通しは甘かった。

 

「そんな悲しいこと…言わないでよぉ……」

 

 ついに少女は大声を張り上げて泣き出してしまったのだ。ギョッとする信一をよそに、少女は嗚咽混じりに言葉をかける。

 

「せっかく…家族が増えたと思ったのに……ひぐっ…まだ何もしてないじゃない……」

 

「…僕は……君の家族にはなれないよ」

 

「私は家族だと思ってるもん! 同じ家に住んでたら、もう家族でしょ!」

 

「そんな事……」

 

「あるもん! そんな事ないなんて言わせない!」

 

「っ⁉︎」

 

 自分の家族は3人だけだ。殺した母親。昏睡した妹。離れていった父親。

 だが、少女の中では違うらしい。

 

「家族がいなくなっちゃうのは…ぐすっ……悲しいよ」

 

「…………」

 

「怪我するのは悲しいよぉ……」

 

 どうしてだろう。少女の言葉を聞いていると、心のどこか凍ってしまった部分が融かされていく…。もう2度と温度など感じないと思っていた部分が、温まってしまう。

 それが———嬉しいと思えてしまう。

 

 しかし自分の罪深さを考えれば、そんな事は許されない。信一が自分を許すことなんてできないのだ。

 

「…君は……僕のこと何も知らないでしょ?」

 

「知らないわよ! 何も教えてくれないじゃない! ばか!」

 

「ばかって……」

 

 突然の暴言に面食らうが、少女の何かが決壊したらしく言葉は雨あられと浴びせかけられ始める。

 

「いつも話しかけてるのに無視するし! うじうじ下ばかり向いてるし! ごはんは食べないし! 何かすると思ったら妹の部屋ばっかり通ってるシスコンだし! お風呂にはほとんど入らないから臭いし! あとシスコンだし! シスコンだし! シスコンだし‼︎」

 

「…………」

 

 途中から雨あられどころか、罵詈雑言の嵐に変わったのは何故だろうか。甚だ疑問だがそれを差し込むことを、やはり彼女は許してくれない。

 

「だから教えなさいよ! あなたのこと教えなさいよ! あなたは何がしたいの⁉︎」

 

 そして、それがトドメとなった。

 

 

 ———何をしてほしいの? 

 

 

 何をしてほしいか。そんなもの決まっている。

 ここ1ヶ月の間ずっとぶつけられる事のなかった心からの言葉に、信一は思わず口は滑らせてしまう。

 

「……頭を、撫でてほしい」

 

「———っ⁉︎」

 

 その一言がきっかけとなった。信一は港町で母と妹も自分の3人で暮らしていた光景を頭によぎらせながら、口から次々と溢してしまっていた。

 

「……抱き締めてほしい」

 

「うん」

 

「…頑張ったねって言ってほしい」

 

「うん」

 

「よく我慢できたねって……褒めてほしい」

 

「うん」

 

 それは、いつも近所の悪童にいじめられて泣いて帰ってくる自分に母親がしてくれていたことだった。

 もはやこの暗い部屋に、意固地になって自分を責め続ける信一はいない。

 ただ、大好きな母親を亡くして傷付き涙を流す少年が1人。その少年の言葉を静かに聞き、涙を流しながら頷く少女が1人いるだけ。

 

「何も聞かずに———あなたは悪くなかったって……言ってほしい」

 

「うん……!」

 

 少女は少年を抱き締めた。強く。これでもかと強く。

 

「……っ…」

 

「頑張ったね」

 

「…あ…あぁ……」

 

 そして頭を撫でながら、少女は優しく少年へと語りかける。

 

「よく我慢できたね」

 

「ひぐっ…うぅ……」

 

 ポロポロと止めどなく流れる涙が、少女の肩に染みを作っていく。少年はいつの間にか、少女にしがみついていた。嗚咽を漏らし、ただただ今まで堪えていたものを外へと溢し続ける。

 

「———あなたは悪くなかったよ」

 

「あぁぁぁ……! うわぁぁぁぁん!」

 

 それが限界だった。少年は———信一は大声を張り上げて泣き叫ぶ。喉が裂けるような痛みを気にする余裕もなく、呼吸が上手くできなくても、それでも信一は同い年の少女に体を預けて声が枯れるまで泣き続けるのだった。

 

 

 

 

 それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。未だ止まらない嗚咽に喘ぐ信一の背中をポンポンと優しく叩いてやりながら、少女は語りかける。

 

「私はあなたを1人にしないよ」

 

「…………?」

 

「ずっと傍にいるって約束する」

 

「…………」

 

 ぎゅっと。信一はいっそう強く少女へと抱き着く。

 

「どんなに辛くても、どんなに寂しくても、どんなに悲しくても……私はずっとあなたの傍にいるよ。あなたを1人になんてしない。1人になんてさせるもんか」

 

 信一を引き剥がし、にかっと歯を見せて笑う少女になんて言葉をかけようか。

 迷っていると、彼女の方から言葉をくれた。

 

「あなたの名前、教えて?」

 

「……知ってるでしょ?」

 

「あなたの口から聞きたいの。お願い」

 

 それになんの意図があるのか。考えは読めないが、今までのように抵抗する気は起きなかった。

 

「…信一。朝比奈信一」

 

「そっか。信一って呼べばいい?」

 

「うん」

 

 信一…信一……と、口の中で呟き続ける彼女の名前を、そういえば自分はまだ覚えていない。

 

「君の名前はなんていうの?」

 

 だから聞き返した。

 銀髪の少女は、胸を張っ応える。

 

「———システィーナ=フィーベル。仲の良い人はみんなシスティって呼ぶの。あなたもそう呼んでいいわよ」

 

「そっか」

 

 銀髪の少女———システィーナは信一の手を取り、部屋から連れ出そうとする。何かと思って首を傾げれば、こちらに振り返って教えてくれた。

 

「お昼ごはん、一緒に食べましょう?」

 

「……僕が行ってもいいの?」

 

「何言ってるのよ。ごはんはみんなで食べた方が美味しいに決まってるでしょ」

 

 この時、信一は幼いながらに確信した。

 なんてことのないように言って向けられた輝かしい笑顔を、手を引いてこの暗い部屋から連れ出してくれる彼女の背中を、きっと自分は生涯忘れる事はないだろう、と。

 

 

 

 

 目を開ければ、自分1人となったエントランスの光景が広がっていた。

 扉は開けっ放し。普段ならありえない事だが、ルミアは扉を閉めるのも忘れてグレンのいるアルフォネア邸へと飛び出してしまったらしい。

 

(迎えに行かないとね)

 

 ルミアの気持ちは、信一自身も痛いほど理解できる。

 システィーナが今のレオスと結婚したとしても、幸せになる未来など想像できない。彼は変わってしまったのだ。

 

「お嬢様が幸せになれない未来なんて必要ない」

 

 もしかしたら、自分はフィーベル家から追放されるかもしれない。

 それほどに、信一が今考えている事はリスクが高い。だかそれでも、やらなければならない。

 

 あの時欲しかったものを———同情ではなく愛情をくれた彼女が嘆き悲しむ結果など、断じて許容できるわけないのだから。







はい、いかがでしたか?信一がどのようにしてシスティーナ大好き人間になったか。この小説を書き始めた頃から、作者の頭のなかにはずっとこのような過去が前提にありました。

次回は久しぶりの戦闘です。オリジナル展開ばかりになってしまいましたが、楽しみにしていただければ幸いです。

ps.魔女の旅々の新作書き始めました。視聴している方は、良ければ覗いていってください。
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