おっちゃんアート・オンライン   作:てりや

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 気が付くと、暗闇の中にいた。

 

 何も見えず、何も聞こえない。

 それどころか、肉体の感覚すら酷く曖昧だった。

 まるで宇宙に投げ出され、不可視の海を漂っているような感覚だ。

 

 果たして、どれくらいの間そうしていただろう。

 

 変化は突然訪れた。

 

 ちょうどテレビに電源が通ったように、光が弾け、目の前に古めかしい街並みが出現した。

 石畳やレンガなど、異国の佇まいがある。

 街の中心部には噴水があって、円柱が周囲を取り囲んでいる。

 

 俺は体の感覚を取り戻し、噴水の近くに降り立った。

 

 自分の格好をしげしげと見つめる。

 スーツではなく、中世の傭兵のような格好をしている。

 

 その時、何者かの声が朗々と響いた。

 

『私の名前は茅場晶彦。今や、この世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 

 俺は驚いて背後を振り返る。

 

 そいつは幽霊のように佇んでいた。

 全身を赤いローブで包み、フードを目深にかぶっている。

 

 俺はフードの中を覗き見て、思わず後ずさった。

 顔がなかった。

 フードの中では粘性のある影がドロドロと蠢めていた。

 

『諸君は今後、この城の頂を極めるまで、自発的にログアウトする事はできない』

 

 影は耳障りな声で囁いた。するとどこからともなく鎖が伸びてきて、俺の手足に絡まった。

 力を込めるがビクともしない。

 

 なにしやがる。

 

 俺は恐怖して叫んだ。

 しかし、影は全く動じた様子もなく、人差し指を口元の辺りで立てて見せた。

 静かにしてろ、ということらしい。

 

 こちらが黙ったのを確認して、影は満足したように台詞を続ける。

 

『諸君らにとって《ソードアート・オンライン》は、既にただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき存在だ』

 

 ほとんど意味不明な言葉の羅列。

 静かに肌が泡立つ。

 まるで死神の呪詛だ。

 

『今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に……』

 

 不意に、影が口を噤んだ。

 

 訝しむ俺に、影は奇妙な物体を差し出して見せた。

 気味の悪い、ブヨブヨとしたゼリーのようだった。

 皺のよった白い表面には、黒い筋が蜘蛛の巣状に走っている。

 

『諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』

 

 影が狂ったように笑い出す。

 

 その時、俺は気がついてしまった。

 影が持っているのは、俺の脳ミソだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピピッ、ピピッ……

 

 アラームが鳴っている。

 八時三十分。少し遅めの朝だ。

 

 意識が覚醒した後も、俺はしばらくの間、ベットの上でその音を聞いていた。

 

 メニューウィンドを開くのは簡単だ。

 揃えた二本の指先を、真っすぐに振り下ろすだけ。

 まるで魔法のように現れた紫色のパネルを操作し、やかましいアラームを止める。

 

 ここは仮想空間に創造されし剣の世界《ソードアート・オンライン》の中だ。

 

 色々な勝手がリアルと違うが、すっかり慣れてしまった自分がいる。

 望まぬこととはいえ、長い時間をゲームプレイヤーとして過ごしていれば当然のことだ。

 

 カタナ使いのオーマ。

 それが今の俺の肩書きだ。

 

 営業職のリーマンでもなければ、吉高雄一という男でもない。

 そんな当たり前は、あの日、デスゲームが始まった瞬間に破壊されてしまった。

 

 とはいえ、ルーチン化しつつあるここでの毎日は、現実世界とある意味一緒だ。

 仕事に出かけるように迷宮へと向かい、モンスターを倒し、得た金や経験値で生活していく。

 

 無論、HPの全損が死に直結する絶対のルールはある。

 しかし、繰り返すうちにそんな危機感も弛緩していくのが人間というものだ。

 全く慣れとは怖ろしい。

 

「遅いお目覚めだナ、おっちゃん」

 

 なんてことを考えていると、ここにいる筈のない、知った女性の声がした。

 俺はまさかと思って、仰向けのまま首を巡らせた。

 

 声の主は、我が物顔でソファーに腰掛けていた。

 彼女は小柄で、野暮ったい暗褐色のマントを羽織っている。

 珍しくフードが下ろされていて、金褐色の髪が首筋の辺りでカールしている様子が見えた。

 頬には、似つかわしくない三本髭のペイントがなされている。

 大きな瞳と相まって、どこか小動物を喚起される風貌だ。

 それは彼女が《鼠のアルゴ》という渾名を頂戴するひとつの要因に違いなかった。

 

 いつからそこに?

 ていうか、どうやって入った?

 

 軽いパニックから立ち直るのに数秒を要した。

 そういえば昔、彼女に合鍵を渡していたと思い出す。

 

「...お前か」

 

 俺は沈黙の末、口を開いた。

 

「いきなりご挨拶だネ。美女が顔を見せに来てやったのニ」

 

 アルゴは以前と変わらずマイペースな様子だ。

 にんまりと笑った顔には、愛嬌と狡猾さが絶妙な加減でブレンドされている。

 俺は多少の非難を込めて言った。

 

「連絡くらいよこせよ」

「起きてると思ったんダ」

「こっちにも身支度ってもんがあるんだぜ」

「そんなの、今更じゃないカ」

 

 彼女の言にも一理あるが、いい年してグースカ寝ている顔を見られるのはちょっと気まずい。

 

「にひひ、かわいい寝顔だったヨ」

 

 見抜かれたようだ。

 

「モテる男は辛いな」

「寝言は寝て言うんだネ」

  

 アルゴが俺の冗談を切り捨てる。

 こういったやりとりも、ひどく久しぶりのように感じられた。

 

「元気だったか?」

「お陰さんでナ。そっちは?」

「どうせ知ってるだろ、情報屋」

 

 情報屋というのは彼女の仕事のことだ。

 モンスターの弱点からアイテムの入手方法、個人のプライベートまで幅広い情報を取り扱っている。

 その気になれば、情報屋としてのツテを使って大抵のことは調べられるだろう。

 

「本人から直接聞きたいときもアル」

「そうか。まぁ、ボチボチってとこだ」

 

 それを聞いて、アルゴは訳知り顔で笑う。

 

「なんだよ?」

「いや、なんでもなイ」

 

 俺はフンと鼻を鳴らした後、毎朝の習慣に従い、アイテムストレージから愛用のキセルを取り出した。

 吸って煙が出るだけのオモチャだが、喫煙衝動を紛らわすのにもってこいだ。

 はやくゲームをクリアして、本物の煙草で一服したいと思う。

 

「やれやれ、それがないとベットからも出られないのかイ?」

「そうだ。悪いか」

「おいしイ?」

「どうだろうな」

 

 何か思い立ったらしく、アルゴがベットまでやってきて、白いシーツの上に腰かけた。

 

「一口くれヨ」

 

 妙に近い距離感と、そのセリフに俺は若干戸惑った。

 

 分かってやっているなら大したものだ。

 

「ほらよ」

 

 アルゴは渡されたキセルをためらいなく口に含み、慣れた感じで煙を吐き出す。

 

 俺はふと、彼女は何歳なのだろうと考えた。

 

 リアルのことは極力聞かない、という不文律がこの世界にはあるので、それなりに長い付き合いでもお互いの素性については謎が多い。

 

 年齢に関しては、リアルのそれを反映したキャラクターの姿から推測できるのだが、彼女の場合は判断が難しいと言える。

 

 容姿だけでいえば確実に未成年である一方、妙にこなれた雰囲気と言葉遣いからは大人の女性を感じる。

 いくら考えても年齢不詳という言葉以外出てこない。

 

 いつか折を見て聞いてみよう。

 そしてその時の答えは決まっている。

 

 その情報は百万コルだナ!

 

「ふーん。やっぱメンソールって、あんまり好きじゃないナー」

 

 くるりと回転させたキセルを俺の口に突っ込み、アルゴが離れていく。

 

 俺はその背中になんとなく声をかけた。

 

「情報屋の仕事は順調か?」

「ンー、順調っちゃ順調かナ。どうして?」

「何の用もなしに、こんな所来ないだろ。なにか頼まれごとでもあるんじゃないかと思ってな」

 

 ぷかーっと煙を吐き出す。

 

 俺とアルゴの間に、ちょっとした友情以上の何かがあるなんて自惚れてはいない。

 一時期パーティを組んでいたので、その延長で付き合いがあるだけなのだ。

 彼女がわざわざ顔を出すからには、何か理由があるに違いなかった。

 

「そんなことは無いけどナ。まぁ、たしかに用事はあル」

 

 アルゴはそう言って、情報屋にふさわしい笑みを刻んだ。

 

「その前に、外で遅めのモーニングとしようゼ。おっちゃんの奢りでナ」

「いや、なんでだよ」

 

 俺はベットから重たい腰を上げた。

 

 

 

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