私は、天海春香   作:ルイぼす

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第4話

 あの降郷村の夏祭りイベントから数週間が経過した後の事、今日は私達が滅多にないテレビの番組に出演させてもらう事になる、記念すべき日だ。

 メンバーは私と響と千早ちゃんと貴音さんの四人で出演、プロデューサーさんも現場に参加していて、裏から私達の様子を見守ってくれている。

 そんな私達が出演するのは『ゲロゲロキッチン』という番組で、ケーブルテレビ局カエルちゃんねるテレビという所で放映されているものだ。

 小鳥さんやハム蔵が毎週欠かさず見ている番組で、それなりのファンも多い人気番組だ。

 

「──じゃあ本番いきます。五秒前、四、三、ニ……」

 

 そんな中、一人のスタッフさんが撮影が始まるまでのカウントダウンを始め、いよいよテレビに映るんだと実感する。

 私達は全員カエルの着ぐるみを着ながら、番組の番宣をする数秒間の仕事があり、スタジオでは陽気な音楽が流れ始める。

 その瞬間、私と響はゲロゲーロとカエルの鳴き声のモノマネをやりながら、数秒間の戦いが始まる。

 

「カエルちゃんテレビをご覧の皆様、お待たせしました! 人気番組のゲロゲロキッチン、ニュースの後、始まるゲーロ!」

 

「「「ゲロゲーロ!」」」

 

 私がみんなを代表してこの後スタートする番組の告知をした直後、私と響と貴音さんの三人で少し前へ飛び出しながら再び鳴き声を言う。

 しかし、その後の貴音さんのゲロッパはアドリブで、みんなが言った後に再び一人で言い放つ。

 カメラの撮影は終わり、今回の番宣は満点の評価ではないが、悪いものでもなかったらしく、番組のプロデューサーさんは着替えて撮影の準備をするよう、カエル姿着ぐるみ姿の私達は指示を受ける。

 私達が被っているカエルの着ぐるみはそれぞれ表情が違っており、私のは微笑みながら頭に赤いリボンがある物だった。

 私達は、その指示に返事をしながら番組の控え室へと向かい始める。

 その最中に思い出すのは先程の番宣の様子、番組の反省会をするには少し早いし、天海春香の動きが失敗してしまった事はない。

 問題なのは、先程の番宣での千早ちゃんの態度だ。

 やっぱりと言うべきか、千早ちゃんは先程の番宣で一言も話しておらず、カエルの鳴き声も一切言わないと徹底していた。

 私達が来ているカエルの着ぐるみも、千早ちゃんのが一番個性が少ないもので、如月千早にはもっと見えない個性があるのに、勿体無いなぁと感じてしまう。

 と言っても、この段階での千早ちゃんはその個性もあまり見えないし、今の状況は仕方ないと言える。

 元々、千早ちゃんは歌を歌いたくてアイドルになった。

 それ以外の事は眼中になく、特にこんなバラエティー番組で名前を売り込む事も、千早ちゃんは考えていないだろうし、そんな事をするならば歌いたいと言うはずだ。

 今回の回は、そんな千早ちゃんの闇が少し見えるエピソードで、私は細心の注意を払いながら動かなければならない。

 決して原作から動きを変えず、人形のように、天海春香を完璧に再現する。

 そうしなければ、千早ちゃんが救われる未来は変わってしまうし、そもそも私と千早ちゃんが仲良くなれない可能性もある。

 決して偽物は出さず、あくまで天海春香として、今回も上手く演技しようと誓う。

 

 

 それから十分ほど時間が過ぎた後、私達はそれぞれ今回のペア毎の専用衣装に着替え、プロデューサーさんの前に集まっていた。

 控え室では貴音さんが鏡の前でポージングを取りながら、再びゲロッパと呟いており、カエルの着ぐるみが本当に気に入ったようだった。

 途中、連絡を伝える為に入ってきたプロデューサーさんが中々部屋を出ないせいで着替えられず、私のあざとい言葉を発するシーンも完璧に演じきっており、自分でも自画自賛したくなる程だった。

 

「いいか、加入者がそんなにいないケーブルテレビの番組でもだな、テレビはテレビだ。この目立たない一歩が、いずれアイドルの頂点へと繋がっている……筈だ!」

 

「「はい、プロデューサー!」」

 

「筈だって……」

 

 プロデューサーさんは気合いが入っているようで、かなり熱く私達に語っていた。

 響と私は目をキラキラとさせながら頷いているが、千早ちゃんは冷静な思考回路をしていた。

 

「だろ? ここで一発目立っておいて、765プロここにあり! って、見せつけてやろうじゃないか」

 

「「「おーー!」」」

 

 プロデューサーさんの気合いに私達は流される様に手を掲げながら声を上げるが、千早ちゃんだけはやっぱり冷静のまま、声を上げる事はなかった。

 元々、千早ちゃんは今回のお仕事に乗る気がある訳ではないし、こんなドライな対応も仕方ないとも言える。

 

「……て事で、あそこでバーン! っとなる感じで、ここでドーン と、なる様にお願いね?」

 

 プロデューサーさんからの言葉が一通り終わった後、番組のプロデューサーさんが身振り手振りを加えながら、一通りの説明を私達にしてくれて聞いているのだが、これがさっぱり分からない。

 いや、厳密に言えば前世でのアイマス活動の賜物で、今回の番組の構成やアニメの展開も理解出来ているから分からない事はないが、少なくともこの言葉を聞いて理解できる情報は一つもなかった。

 私達がきょとんとしながら話を聞いているうちに、番組のプロデューサーさんの話は終わってしまい、私達は挨拶をするのが精一杯だった。

 

「よーし! 頑張ろうね?」

 

「春香、今の説明で番組の流れが分かったのですか?」

 

 私が原作通りにセリフを話すと、貴音さんは不安げな様子でこちらに問いかけてくる。

 分かっているのだが、その事を話すことは出来ないので、私は同じ言葉を話し始める。

 

「い、いやー。よく分かりませんでした……」

 

「えー! 春香、全然分かってなかったのか? 自分、呆れかえるぞ」

 

 私のセリフに響はジトッとした目をしながら溜息をついているが、実は響も理解出来ていない事を、私は知っている。

 

「えっ? 響ちゃんも、はいって返事していたよね?」

 

 その瞬間、響は申し訳なさそうに自分も分かっていないと白状し、私と響は若干取り乱しながら慌て始める。

 その時、タイミングを狙いすましたかの様にハム蔵が響の頭の上から現れ、響の耳元で言葉を話す。

 この時、当たり前の様にハム蔵と会話をしている響の様子を生で見た私は、何かの超能力者かと誤解してしまいそうになったが、それは別の話である。

 この番組の内容は私と千早ちゃん、響と貴音さんのペアで料理対決を行い、途中あるゲームに勝利をした方が豪華なボーナス食材を、負けた方は残念なボーナス食材をゲットできるというものだった。

 ちなみに、番組のルールを理解している理由はハム蔵がこの番組の大ファンだかららしいが、人の言葉を理解出来るハムスターというのも、中々気味の悪いものだと思ってしまった。

 改めて今回の衣装を眺めてみれば、ペア毎に一緒になっており、私と千早ちゃんはコックさんの様な白衣姿にそれぞれアイドルのメインカラーが、響と貴音さんにもそれぞれのメンバーカラーのメイド服と、服装を見ただけでペアが分かるようになっていた。

 番組のスタッフさんが番組開始五分前を告げた直後、スーツ姿のプロデューサーさんは慌ててこちらへ向かってくる。

 

「みんな! 緊張しなくていいんだからな? いつも通りでいいんだから」

 

「はい!」

 

 私が声を弾ませながら、この時のプロデューサーさんはまだまだ半人前で、自分も最初のプロデュースは同じ感じだったなと、前世の記憶をふと思い返していた。

 そんな今は無能のプロデューサーさんだが、最後の方ではかなりの有能プロデューサーさんになり、コミュニケーションもパーフェクトやグッドばかりになるのだから、流石は765プロのホープと言える。

 もしかしたら、自分の事も救い出してくれるのかも──と、一瞬甘い期待をしてしまったが、そもそも私がボロを出さなければプロデューサーさんが気付く事はないし、気付いても理解する事は不可能だと考えを改める。

 ──同類は同類にしか理解出来ない。

 少なくとも、この世界に私と同じ境遇の存在はいないだろうし、仮にプロデューサーさんにいくら言葉を掛けられても、私が変われることはあり得ない。むしろ、何も知らないくせに勝手に語るなとさえ、思ってしまった。

 

「やはり、歌は無くなったんですね」

 

 と、自分の出番が落ち着いたので思考に走ったからか、千早ちゃんのシーンを見逃す所だった。

 プロデューサーさんは、番組の構成が変わってしまったらしく、料理を伸ばす代わりに歌のシーンが無くなってしまったとの事で、その事を聞いた千早は何処か悲しそうな表情だった。

 

「何だ、千早は料理苦手か?」

 

「……あまり」

 

「千早も、一人暮らしでそれだと大変だよな」

 

 プロデューサーさんが着々と地雷を踏んでいく中、千早ちゃんの表情は少しずつ曇っていく。

 元々、千早ちゃんはこうやってプライベートを知られるのはあまり好きではないだろうし、私でさえも少し困ってしまうほどだ。

 

「ん? 千早って、一人暮らしなのか?」

 

「プロデューサーさん、知らなかったんですか?」

 

 先程の響の言葉にプロデューサーさんは少し驚いた様子で、こちらに問いかけてくる。

 その質問には私が答えると、プロデューサーさんは千早ちゃんの方に目を向ける。

 千早ちゃんとは描写されていないシーンでも、なるべく天海春香として話しかけるようにはしていて、少しでも原作の流れがスムーズに進めれば良いなという想いで話しかけていた。

 デリケートな話をした所為か、周りの空気が少し悪くなった時に、番組のスタッフさんからスタンバイの指示が入った。

 

 

 番組が始まって、私はペア専用のキッチンに向かい、千早ちゃんはボーナス食材をゲット出来るチャンスの、ゲームに出る事になった。

 対戦相手は響、結果が分かっているとはいえ、私は決して千早ちゃんを応援しないなんて行為はしなかった。

 

「早速行くぞ! ボーナスファイト、ゴー!」

 

 マスコットサイズのカエルがホイッスルを鳴らした瞬間、ゲームがスタート。

 ルールは簡単で前にある旗を先に取った方が勝ちで、負けた方は罰ゲームこそ無いが、ちょっとエロいシーンを撮られてしまう事と、ボーナス食材が残念な食材になるぐらいだ。

 千早ちゃんも頑張っているが、スタートダッシュがほぼ同じタイミングなので、運動能力が高い響がリード、そのままの勢いで旗へダイブし「取ったゲロー!」と一言言っての勝利となった。

 一方、ダイブが数秒遅れた千早ちゃんはそのまま四つ這いの体勢でダウン、顔を上げるとカメラマンに後ろから撮られている事に気が付いたのが、アイドルがあまりしてはいけない怖い表情を、千早ちゃんは見せていた。

 その後、それぞれのチームのボーナス食材が発表され、私達はサクラエビという結果になってしまった。

 

「千早ちゃん、ドンマイ!」

 

 私は呆然とする千早ちゃんを励ましながら、用意された食材を見ながら、果たして何を作ろうかと考える。

 とは言っても、食材は全て原作と同じになると理解していたので、一応原作同様の料理を作る事は決めていた。

 魂が別物なので、原作と同じ料理を完成させるのに少し苦労をしたのはナイショの話である。

 料理を作る際に脳内に流れる曲は『乙女よ大志を抱け!』という名曲で、自分が前世で天海春香に強く惹かれた曲でもある。

 動画サイトでこの曲を発見して、こんな凄い曲があったのかと、初めて聞いたその感動は今でも覚えている。

 好きすぎてカラオケでのストレス解消曲になってしまうほどで、同僚の仲間たちと熱唱したのもいい思い出だ。

 しかし、この世界で天海春香になってから、この曲はレコーディングの時以降一度も歌っていない。

 こうして脳内で流れている歌声も本物の天海春香の声で、今の自分が歌ったものではない。

 他の曲ならともかく、この曲だけは今の天海春香で歌うのに強い抵抗があったからだ。

 この曲は、俺の思い出の歌。

 この歌だけは、今の天海春香で歌いたくない。個人的なワガママだが、そこだけは譲れない所だった。

 

「千早ちゃん、溶き卵お願い!」

 

 私が卵を割りながらザルに入れている中、千早ちゃんの方へと料理の指示を出す。

 無論、それは原作と同じ料理を作る為に指示をしている事で、千早ちゃんのアクシデントを考慮しながら、料理をつくっていた。

 

「──何を作っているのかな?」

 

「……茶碗蒸しです」

 

 千早ちゃんがなれない料理に手こずっている中、響と貴音さんのインタビューが終わったらしく、今度はこちらのチームの千早ちゃんから話しかけているのに気がつくが、そんな様子を見ている暇はなく、料理で手がいっぱいだった。

 

「じゃあ、赤茶碗蒸し、黄茶碗蒸し、青茶碗蒸し、行ってみよう!」

 

 手や目は食材の方へ向けている中、耳だけは千早ちゃんの方へ傾けていた。

 ここの描写は覚えており、この後である発言がスタジオを凍らせてしまうのだ。

 結局千早ちゃんはこの早口言葉をやる事はなく、この番組に対する不信感を強めてしまうだけだった。

 

「えっと、エビ……エビは何処だっけ?」

 

「鍋の中じゃないかしら?」

 

 原作通りに手際良く料理を作らなければならない、しかも天海春香として演技をしながらというものは非常に辛いもので、気を抜いている暇はなかった。

 千早ちゃんが指摘している鍋へ小走りで駆け込むが、私はこの中にある物が結構大きめのタコだと知っている。

 しかし、私は思いっきりその蓋を上げる。

 すると、中には生きたままのタコがそのまま入っており、私は悲鳴をあげながらお尻を強く打ちつけてしまう。

 すると、目の前にはカメラマンがいて、私は恥ずかしさと若干の恐怖を感じたまま、スカートを抑えながら立ち上がって、とどめのドンガラガッシャーン!

 天海春香恒例のドジが原作と同じ様に発動させ、私は派手に転んでしまう。後ろのカメラマンはそのまま屈んだ姿勢の状態で、私が転んでしまう瞬間をバッチリ撮られる。

 

「おーっと、ナイスリアクション!」

 

「いててて……またやっちゃった」

 

 お尻の方をさすりながら、頬の方は赤くなる。

 自分で理解しながら演技しているとはいえ、一応前世では男だった俺がこんな行動をしている事に、かなりの恥ずかしさを今更ながら一瞬理解してしまった。

 これも、意識させたカメラマンが悪い。そうに決まっている。

 

「どうかな、如月選手。パートナーのリアクション多用っぷりは?」

 

 カエルは意気揚々と千早ちゃんに話しながら、先程の私の行動について問いかける。

 しかし、その言葉こそトリガーであり、スタジオが氷点下に下がる瞬間だ。

 

「あの、何が面白いんですか?」

 

「──えっ?」

 

 千早ちゃんはカエルの質問に強い口調のまま素で答えてしまい、バライティー番組のお約束やルールを無視する様なコメントをしてしまった結果、カエルの人も思わず素に戻ってしまっていた。

 スタジオのカメラマンやプロデューサーさんも、千早ちゃんの言葉に固まってしまい、敵チームの響や貴音さんも動きを止まってしまうほどだった。

 

「す、すみません! 私、段差がない所でも転けちゃうんですよね……」

 

 私は原作の天海春香同様、その空気を断ち切る様に頭を抱えながら、笑みを見せる。

 この時の天海春香はとても印象に残っていて、天海春香というキャラの性格が強く印象に残るシーンだと思う。

 その印象にどれだけ迫れるかは分からないが、私は、天海春香である以上はせめて並ぶ様に努力しようと動く。

 私のチームから聞こえてきた圧力鍋の蒸気も、スタッフさんが気を遣って止めてくれた後に──

 

「──天海春香、頑張ります!」

 

 私が微笑んでベロを出しながら言ったそのセリフの直後、スタジオは不自然な数秒の間が空いた直後、カエルさんが突然元のテンションに戻って実況の方を再開し始めたのを見て、氷点下からは抜け出せたらしく安堵する。

 その後、両チームの一品目の料理が完成し、それぞれカメラの前で発表した。

 私達の方は茶碗蒸しで響達は伊勢海老ステーキだった。

 これらの料理は三人の審査員に判定してもらい、テレビの方は一旦コマーシャルという流れになった。

 スタジオのオッケーという声で、ようやく私は落ち着ける様になった。

 

 

 約十分程度の休憩時間をもらい、私と響はゲロゲロキッチンの台本を改めて読み直しをして、後半戦の撮影に備えた。

 ここの休憩時間は千早ちゃんにとってターニングポイントで、番組で使われる小道具等が置かれてある倉庫室で一人佇みながら歌う千早ちゃんを、プロデューサーさんか見つけるシーンだ。

 ここでの青い鳥は強く印象に残っており、アニメで聞いた時はとても綺麗で美しい歌声だったが、同時に儚さも感じた。

 後半戦が始まる数分間前に私と響はスタジオに戻り、恐らく先に入っているはずの貴音さんと千早ちゃんの元へ向かった。

 スタジオに入ると、カメラマンさん達が慌ただしく後半戦の撮影の準備をしている最中で、そこから少し離れたところで、貴音さんと千早ちゃんが何やら会話をしていた。

 二人の姿を見つけた響は、そのまま二人の元へ子供の様に駆け寄っていき、私もそんな響の後を追いかける。

 

「ねえねえ知ってた? 今日作った料理なんだけど、最後に食べていいんだって! だから自分、春香と千早にとっておきの料理を作るぞ? ──なあ、ハム蔵?」

 

 響が貴音さんに抱きつきながら話した言葉を聞いて、私は貴音さんと千早ちゃんの会話の内容を思い出す。

 料理と歌は似ている、どちらも心のこもった料理や歌には確かに作った人や歌った人の気持ちが相手に伝わり、それが歌を感動させたり、料理ならば美味しくなる事もよくある事だ。

 響が貴音さんの話を聞いていたからなのか、二人の言った事は伝わっていて、私もその言葉にふと気付かされる。

 私も原作の料理を再現したり、原作の流れを壊さない様に動いてる中で、先程の料理に天海春香が込めていた思いがあったのかは自信がない。

 心までの再現は不可能だが、天海春香の心情に寄り添うことぐらいは出来るし、彼女の感情を料理で伝えるぐらいは出来るはずだ。

 彼女の行動を再現するならば、その心情もトレース出来るようにならなければ、私は完璧な天海春香とは言えないだろう。

 

「千早ちゃん、行こう!」

 

 今、如月千早は一歩を踏み出そうとしている。

 響や貴音さんの言葉で得たものがあり、プロデューサーさんとの会話でほんの少しだが、千早ちゃんは変わり始めている。

 その一歩はまだまだ些細な一歩で、千早ちゃんの心を動かすまでは確かに足りない。

 しかし、この小さな一歩は千早ちゃんにとって、確実に大きな一歩になる。

 私が、準備を終えたスタジオの方を指差し、千早ちゃんの背中を言葉で優しく押す。

 

「あの……春香? 実は、私そんなに料理が出来なくて──」

 

「大丈夫、任せて! 私、結構料理には自信あるの──!」

 

 

 千早ちゃんが自分が料理できないことを申し訳なさそうに私に告げてきたが、私がそんな千早ちゃんの不安を吹き飛ばそうと考え、テンションを上げながら返答するが、どうやらそれば失敗だったようで、私は話している途中でドンガラガッシャーンと、再びドジっ子転びを流れ通りにしてしまい、その時の千早ちゃんは笑わずにこちらを見つめていた。

 私が打つけた右肘を抑えながら、ゆっくりと立ち上がると千早ちゃんは真面目な顔をして、こちらに目を合わせてくる。

 その瞬間、私は千早ちゃんが言おうとしている言葉を、前世の記憶から靄がかかりながらも理解する。

 数十分前の前半戦での終盤、千早ちゃんがスタジオの空気を凍らせてしまう発言をしてしまった、あの出来事を謝ろうとしているのだと理解する。

 当然、私がその事で怒る理由はないし、天海春香もきっと笑顔で許すはずだ──

 

「──ありがとう。あの時、私をフォローしてくれて」

 

 その言葉を告げられた時の私の気持ちは驚愕、たった一つの感情だった。

 私の覚えているはずの前世の記憶は、徐々に薄れていくような覚えはなく、問題なく天海春香として動く際には強い武器にもなっていた。

 そんな私の記憶に間違いがあった。

 先程の千早ちゃんの言葉は謝罪ではなく、私が助けたことに関しての感謝の言葉、確かめようにも記憶では靄が掛かったように前世でのその部分が思い出せなかった。

 しかし、想定外な事態が起こっても天海春香として、千早ちゃんに微笑みながら頷くように声を出すが、天海春香として完璧に出来たのかは自信がなかった。

 

 

 こうして、ゲロゲロキッチンは途中大きなハプニングを迎えたものの、天海春香のフォローもあって無事に終える事が出来た。

 料理対決の勝敗も決まり、ガマガエルさんチームの貴音と響のチームが二票獲得、アマガエルさんチームの春香と千早は一票と敗北をしてしまったが、二人の表情は清々しい笑顔を浮かべており、勝負には負けてしまったが、確かに得られたものはあった。

 今回、前半と後半でその雰囲気を大きく変えたのは千早で、前半では春香の足を引っ張っていたものの、後半ではその失態を取り返すような健闘っぷりで、ボーナスゲームでも勝利を掴み「取ったゲロー!」と可愛く叫ぶ千早の姿に、一部のアイドルマニアは惚れたらしいが、それは関係のない話である。

 撮影は無事に終了し、彼女達が衣装から私服へ着替えている中、階段沿いの通路でシワのない黒スーツを身に纏う765プロのプロデューサーと、その彼を見つけたゲロゲロキッチンのプロデューサーが、「765さん!」と上機嫌な声をしながら彼の肩を叩く。

 

「いやー良かったよ! なんかこう、右肩上がりググググーンと後半から面白くなったよね!」

 

 765プロのプロデューサーはそんな彼の言葉に謙遜しながらも、彼の浮かべる表情は何処か嬉しそうなものだった。

 

「いい! いいよ、765プロさん。ファンになっちゃったよ!」

 

「ありがとうございます!」

 

 ゲロゲロキッチンのプロデューサーさんは両手にガッツポーズを取りながら、柄にもなく子供のような笑顔をしていて、番組関連のスタッフからファンが増えた事に、765プロプロデューサーもホッとしていた。

 

「──特に、天海春香っていう女の子いいよね。吉澤さんが言うだけの事はある。今後もビシバシ呼んで行くから、よろしくね」

 

 ゲロゲロキッチンのプロデューサーは言いたい事を全て言い切った様子で、そのまま控え室の方を去っていく。

 その時の足取りはまるで踊っているようで、体の大きさや年齢的にも中々きついものがあった。

 765プロのプロデューサーは、今回の仕事を担当してくれた人へお礼を言いながら頭を下げ、姿が見えなくなるまで頭を上げなかった。

 その直後、春香からの声を聞いたプロデューサーは顔を上げて呼びかけられている方向を向く。

 そこには着替えを終えた春香と千早と響と貴音の姿があり、それぞれイメージ通りの服装をしていた。

 貴音だけは何故か最初に着た着ぐるみカエルの頭を持っていたが、どうやらよっぽど気に入ったらしい。

 こうして、無事に彼女達のテレビ出演は大成功。

 基本的には原作の流れそのままだったが……ただ一つ違う展開がある。

 それは、天海春香のみが名前を覚えられていた事だった。

 それにはとある記者の暗躍と原作とは違う天海春香の笑顔があるのだが、天海春香はその事を知る由もなかった。

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