赤い森のイリス   作:ぬまわに

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現代異能ものを唐突に書きたくなった。


一章 ひとつひとよのひとよぐさ
一話


 苔の生えた墓がある。

 忘れ去られたような墓だった。

 何年も使われていないような花入れにはびっしりと泥のような埃が堆積している。

 除草をする者もいなかったのだろう、枯れ草が一面を覆い、風に吹かれて飛ばされていった。

 その風に舞うように淡い金色が交じる。

 儚い少女だった。

 夢幻をそのまま形にしたような。

 日本人とはとても思えない容姿をしている。

 肌は白磁、瞳は(みどり)がかり長く色素の薄い金髪は風に溶けるようだ。

 少女は無言でしばらく苔むした墓、堂平家と刻まれたそれを見ると、静かに手を合わせた。

 数分か数十分か。

 疲れたように手をおろした少女は墓石に近づき、傍らの墓誌を見る。

 掘られた文字に指をあて、一文字を確認するようにつぶやいた。

 

「のぞむ」

 

 望、そう刻まれた漢字を再び指でなぞり、もう一度つぶやく。

 そして大きく息を吐く。悲憤、喜楽、諦観、どの感情にも思える、あまりに感慨のこもった吐息だった。

 冬の冷気に吐息が白く浮かび、消えてゆく。

 

「享年……十二歳かぁ。そうか……でも、()()()()()()

 

 そして少女の指先は下がり、その視線は望という名の隣に移った。

 ああ、と今度は間違いのない、悲しみに染まった声音が漏れる。

 耕平、そして瑞希。その名前を認め、父さん、母さんと小さなつぶやきが漏れる。

 

「……泣ければ、なあ」

 

 少女は寂しげに言い、その命日に目を止める。

 二つ三つ瞬きをし、これは、と訝しげな声を発した。

 その二つの命日は同日となっている、望の命日のわずか数日後。

 

「そうだな……調べてみようか。どうせ時間は」

 

 そう言い、少女は自嘲にも見える乾いた笑みを浮かべた。

 

 ◆

 

 駒山と呼ばれる山を北に背負い、広く伸びる裾野とそれを横断するかのような久仁川、そして十字を描くようにそれと交差する山を源流とする酒見川。

 東西を流れる河川で北と南に別れ、おおむね南が発達し、北は土地が余っている。

 駒ケ岳市とはそんな日本のどこにでもあるような、片田舎と都市が合体しているような市だった。

 巳浦高校という公立学校は北側にある唯一の高校で、地元の生徒は特にこれといった理由がない限りここに進学する事が多い。近く、安く、設備も良く、特に進学率が悪いわけでもない。地方の公立高校としては及第点以上の学校ではあった。

 

 春も終わりに近づき、ソメイヨシノより遅咲きの八重桜もその花を散らす頃。

 花の香りは薄れ、来るべき夏に向かい、草木は我先にと枝葉を伸ばす。

 それとは正反対に、人は新年度の浮ついた気分も治まり、その反動か五月病とも言われる倦怠感に悩まされる季節でもあった。

 高校二年。大事な時期だ。子供から大人への転換期、おぼろげでも将来を見つめ、進路を決め、勉強、交友、あるいは年頃らしく恋心に揺られたりもする、とても忙しい時期だ。

 若芽が我先にと伸びるような一種の喧騒の中にあって、一人だけその中から取り残され、浮いている存在がいた。

 それも当然か。

 吉野イリスという少女はそう思い、自身が浮いているのを当然と思うのも多分本当は良くないのだろうな、と理性で考える。

 考えるが、やっぱり仕方がない事でもあるとは思うのだ。

 原因の一つに容姿はあるだろう、日本人離れをしている。かといって世界中のどこにも同じ特徴を持った人種は居ないだろうが、ぱっと見れば日本人が思い描く白人の姿だ。

 容姿だけで色々判断してしまう人は少ないようで多い。

 英語で話しかけられる事もあれば、街を歩けば日本へようこそなどと観光者扱いされる事も多々ある。

 イリスの英語能力なんてほぼゼロに近いというのにだ。

 もっとも、原因のうち半分以上を占めているのはきっとその性格だっただろう。

 小さな事を気に留めないのはいいが、それも程度問題だ。ささいなスレ違い、ちょっとしたニュアンスの違い、誤解があったと悟っても大した事ではないかと放置してしまう。その上女子達で作っているSNSのグループのようなコミュニケーションの場にも入らないのだから、それはもう小事を気に留めないのでなく、鈍感さと言っても良かったのだろう。

 そしてなにより一人で居る事に慣れすぎたのか、現状をそう悪くないと思ってしまうのが一番の問題であり――現状悪くないなら、それは問題ではないのだろう。

 イリスはそんな事をぐるぐると、漫然と考えながら、世界史の授業を受けていた。

 食後すぐの時間だということもあり、また今回、特集映像を流しているだけという事も手伝って睡魔に負けて舟をこいでいる生徒もいる。

 五人の賢帝の時代が終わり、六人目は賢帝にはなり得なかった。その辺りで切りが良しと見たのか、教師が映像を止める。賢帝が五代も続いたのか、五代しか続かなかったのか。

 

「敵……?」

 

 なのかな、とイリスは思った。

 六代目の皇帝は今まで戦い続けていた強大な敵を減らした。講和を行い、国と国の境を定め、財政を圧迫していた軍費を減らした。

 どうなるだろう? 余裕のできた貴族達は威勢を張り合い、贅を競い互いを謀り合う。

 皇帝が独裁に近い強権を奮っていた時代ならともかく、力ある権力者達の神輿に据えられているのなら――

 内心で笑った。

 彼女が大きな敵であった時、対峙していた国は一つにまとまり、紐帯が緩む事がなかった。

 彼女が敵でなくなると、国は分裂し、血で血を洗う動乱の時代が始まった。

 ふと馬鹿らしい気持ちになり、イリスは無意味にペンを回した。

 

 ◆

 

 太陽の高さも疲れたかのように下がり始め、まもなく西日が室内を染める。

 グラウンドでは野球部やサッカー部の掛け声が響き、奥のテニスコートでは何かトラブルでもあったのか数人が揉めていがみ合っていた。

 我関せずと陸上部の面々が黙々と走り、そんな人間たちを眼下に見下ろしあたかもお前たちは不自由だなと言わんばかりにツバメが行き交う。

 そんな放課後、やがて日が落ちるまでの短い時間がイリスは好きだった。

 ここのところ、もっぱらその時間を図書室で過ごす事が多い。

 姿形は整っている、所作さえ伴えば凛として美しいものを、椅子を引いて浅く座り、足を組んで本を読んでいる。いかにもだらしのない格好だ。

 図書室は借りていく人が主流なのか、室内で本を読んでいる者は少ない。

 静かな空間の中、ぱらりとページを捲る音、ノートに何ぞやを書く音が僅かに響く。

 一冊を読み終えたのか、イリスは本を閉じ、テーブルに置くと強ばった体をほぐすように体を伸ばした。

 

「ふむ」

 

 と満足げな吐息を一つ。

 椅子から立ち上がると、本を手に本棚に戻しに行く。

 

「ライトノベルがこんな流行ってるなんてなー」

 

 つぶやきながら文庫を元の場所に戻した。

 表紙の絵は何やら肌色の多いデフォルメ美少女が剣を構えている。

 続きの巻を引き出し、何とはなしに表紙を見ると、細身の金髪エルフの美少女が鎖に絡め取られ、かなり際どい格好で際どいポーズをしていた。

 イリスの顔が、まるでアイスクリームと思って食べたら梅干しの味がしたかのように渋い顔になった。

 次いで周囲を見回し、本棚の影になっている事を確かめると、こそこそとその場で座り込み、表紙にあった絵と同じような体勢をとる。

 

「両腕に鎖……となるとこんな感じか、真上で持ち上げられると肩外れるんだよねえ」

 

 絵と立体は違う、なんとか苦労しながらも似たようなポーズを取ると、ふむ、と一つ頷いた。

 

「……何やってんだろう私は」

 

 何でもないかのように立ち上がり、呟いた。馬鹿な事をしたと思っているのか顔が赤らんでいる。

 イリスは窓を覗き、映った自分の頬が赤い事を見て取ると、ぶんぶんと顔を振った。

 むう、と小さく呻き、次いでおっと声を上げる。

 窓の外、校門を出る生徒の中に知った顔があった。クラスメイトだ。ひどく慌てているようだった。

 

直人(なおと)め、あいつまた断れなかったな」

 

 スポーツバックの中には空手着が入っているのだろう、小学生になった頃からやっている空手だ、高校に入ってからはアルバイトを優先して道場にもあまり行かなくなったらしい。腕前は確かなようで、弱小と言われている空手部の助っ人でちょこちょこと手伝わされているようだった。

 

「今年の一年が六人も入ってきたんだっけ」

 

 頼みの三年が卒業して、空手部が存続できるぎりぎりの人数である五名に落ち込んでしまった事を考えればいきなり人数が倍だ。それはもう後輩に教えるだけでも大わらわかもしれない。

 

「くく、お人好しめ」

 

 そのコケティッシュと言っても良い容姿とは裏腹に彼女は女王のごとく笑い、腰の高さまである本棚に行儀悪く尻を乗せ、窓から外を見続けた。

 

 ◆

 

 金曜日の夜は酔っ払いの姿が多い。

 巳浦駅周辺は駒ケ岳市北部では一番発展している場所だ。というよりも駅周辺以外は農村や果樹園、畜舎や観光施設があるくらいで、数年前に地価の安さから大規模なショッピングモールが立てられるという噂が流れ、結局噂のままになっている。

 年ごとに様相を変える飲み屋街、テレビで見る都心部とはまったく違う。時代に取り残されたまま生きているような、そんな気分になり、それはそれで良いものなのかもしれないと、葉山直人という少年は朴訥な感想を抱いた。

 彼の仕事は週末にパーッと遊ぶつもりのサラリーマンを良い気分にさせ、高カロリーで塩分過多の食事をとらせる店にその主役を届ける仕事だ。平たくいえば酒屋のアルバイトであり、倉庫と軽トラックと居酒屋で荷物の上げ下げをする簡単な肉体労働者だった。

 ちなみに求人時の謳い文句は誰にでもできる簡単な仕事です、アットホームで楽しい人間関係です、だった。後者は当たっていたが前者は大外れだ。直人のような割と長い期間体を鍛えてるようなタイプでないと三日と保たない。相方の運転手が腰を壊していて、荷運びは結局一人でやることになるのだ。

 もっとも、これはこれで筋トレになるから良いかと考えてしまうあたり、ある意味適材適所ではあったかもしれない。

 彼の家は駅からは随分離れている、老朽化した古民家を買い、両親が自分の手で改装した家だ。壁一つとっても誰かの手触りを感じる事ができ、直人自身は気に入っていたが、その立地にはたまに文句をつけたい時もあった。

 

「やっぱ自転車買うかなあ」

 

 今更な言葉が口から漏れる。

 結局さほど必要でもないと感じて買わないのだ。

 直人は顔を上げた。五月の夜。涼しく、寒すぎはしない気持ちよい季節だ。

 目の端にふわりと揺れる金色、否、それよりも眩い色が入ってきた。

 視線を誘われ見ると、こんな繁華街には似合わない姿がある。

 美しい少女だった。

 陳腐な言葉こそが最も似合う、そんな姿だ。誰もが幼い時に思う、お城の姫様、あるいは悲劇にこそ似合いなヒロイン。そんな儚さが形になって表に出たような姿だった。

 直人はそんなふと湧いた一瞬の馬鹿らしい思いを頭を振って追い払う。どうかしている、と思った。

 そして数秒遅れて思い出す。思い出して自身の間抜けさに笑ってしまった。同級生だ、クラスメイトでその容姿から結構目立つ存在だった。付き合いのある友人も話題にしていて確か――

 

「吉野イリス?」

 

 こんな時間に、と思う。10時を過ぎ、そんな目立つ容姿で繁華街の一人歩きは危ないという思いもある。

 ストーキングとどう違うのだろうという思いを懐きつつ、直人は気になるがままにその後を追いかけていった。

 路地を曲がり、曲がり、曲がる。

 イリスの足取りは茫として掴めない、規則性もなく誘われたようにふらふらと角を曲がる。

 本当にどこに行くつもりなのだろう、そう直人が思った頃だった。

 角を曲がった途端姿が無くなった。

 

「……あれ?」

 

 どこかに行った場所があるかと思い視線を巡らせるもあいにく路地の一本道、曲がる場所はない。

 

「誰かと思えば」

 

 唐突に背後に出現したようだった。

 背中から声がかけられる。

 驚きながら振り向くと、直人が先程まで追っていたはずの少女がいた。

 

「やあ、こんばんわ。良い夜だね、葉山君」

 

 そう言い、少女は好意的としか思えない笑みを浮かべた。

 直人は頭を振った。昔読んだ吸血鬼カーミラを連想したからだ、それくらい少女と夜は似合っていた。

 

「あ、ああ、こんばんわ」

 

 そんなありきたりな挨拶をする。少女は直人の動揺を見透かすように、あるいはまったく気に留めぬように先を歩いた。

 釣られたように歩く直人にイリスは話しかける。

 

「女からすると追ってくれる男は貴重だけど、無言でただ追いかけるのは感心できないな、女の子を怖がらせてしまうと思うよ?」

 

 うぐ、と言葉に詰まる直人。

 色々と考え、言い訳を何通りか考えた末――

 

「見覚えのあるのがこんな時間一人でフラフラしてるんで気になって」

 

 イリスは小さく笑った。

 

「心配になってとかは言わないんだね」

 

 直人は困惑した様子で後ろ髪を掻いた。

 

「リアクションに困るよまじで」

 

 イリスは妙に楽しげな様子で手をひらひらと振った。

 信じなくても良いんだけど、と言う。

 

「この先悪いものが凝り固まってる、最近特に増えてきたんだけどね」

 

 直人は首を傾げた。オカルトの話だろうかと思う、同世代の少女たちがそういうのが好きなのはさすがに知っている。あるいはそれにかぶれているのかと。

 少女は頓着せずに歩き出した、直人はどうしようかと逡巡する。去年はクラスが違ったし、今年に入ってからも特に親しくしているわけでもない。迷っているとイリスが振り向いた。

 

「来ないのかい? やっぱり後ろからこっそりついてくるのが趣味だった?」

 

 んなわけあるか、と直人は走り寄る。

 横に並んで歩き出すとイリスは何が面白いのか、ふふと小さく笑った。

 最近のあの教師はどうだの、ネットで有名な誰それの話だのと他愛ない事を言いながら、夜歩きを続けていると、やがて路地裏の突き当りに出た。

 幅が二メートルあるかないかの薄暗い場所だ。通りから入る明かりがわずかばかり照らしている。どこかのビルの勝手口にあたるものなのか、簡易な下水溝と生ゴミを集めておくポリバケツがいくつも置いてあり、掃除などはろくにされないのか、目に染みるような()えた臭いが漂っていた。

 直人は顔をしかめる。

 

「ひでー臭いだ。悪いものってか普通に体に悪そうな場所だなあ」

 

 傍らの少女はその臭いにも動じないようで、んー、と迷うように口の中で声を出し、首を傾げた。

 地面にこびりついた得体の知れない汚物も気にせず踏み潰し、歩き出す。

 

「ここかな?」

 

 そう言い、躊躇もせずポリバケツの蓋を開け、両手を突っ込むと、夜目にはボロ雑巾のようにも見えるものを取り出し、抱え上げた。そのシルエットが不意にびくりと引きつるように動き、直人はようやくそれが動物だと認識する。

 

「おいおい……」

 

 言葉にならず、とりあえず確認しようと直人は近づこうとし、少女に身振りで止められた。

 

「明かりはあるかな?」

「お、おう、ちょっと待て」

 

 イリスは得体の知れないものを抱え込んだまま振り返り、スマートフォンの電灯を付けた直人の近くに寄る。

 

「こりゃひでえな」

 

 ()()を照らした瞬間、直人は唇を歪め、呻くように言った。

 抱えられているのは犬だった。大きさは小型の中型犬と言ったところだろうか、直人より頭一つ小さいイリスが両手で抱えられるほどなのだから。

 

「……生きてるのか?」

「うん、でももうすぐ死ぬ」

 

 照らされた犬の状態は酷いものだった。

 野良犬なのだろう、毛並みはところどころが禿げ、血や油でべたりと固まっている。眼球は無く、顎は潰れてそのわずかな空隙から擦過音のような呻きを発していた。

 

「交通事故……かな」

「んー、改造エアガン、だいぶいたぶってるね、穴だらけだ。それと棒かバットみたいなのかな。致命傷になってるのは多分顔より内臓破裂」

 

 な、と直人は絶句した。場違いなまでに冷静な少女に対してか、悲惨な暴力に晒された様子の動物にか、自身でも判断がつかない。

 力をうしなっているはずの犬がわずかにみじろぎをした。首を上げ、ひゅうひゅうと声を出そうとする。

 イリスは制服が汚れるのをまったく気にかけない様子で、犬を抱きしめ、耳元で囁いた。

 

「よくやった、お前はよく生きた。よくやった」

 

 ゆっくりと、赤子を寝かしつける子守唄のような調子で。

 尾がぴくりと動こうとし、そして動かなかった。

 

「死んだ」

 

 イリスは端的に事実を言い、抱えたままの犬をぽんぽんと叩く。

 

「人でも犬でも死ぬ間際は体温が欲しいものだからね」

 

 独り言のように言い、指をくるりと回して日本語ではない短い単語をつぶやいた。

 不思議そうに見る直人に、おまじないだよ、ちょっとしたねと言う。

 妙に現実味を欠いた空気に飲まれそうになり、直人は首を振った。

 スマートフォンを置き、まだイリスが抱えている犬の死体に向かい手を合わせ、数秒瞑目すると、向かい合う少女に声をかける。

 

「……えーと、ともかくあれだ。保健所とか役場に連絡して引き取って貰おうか」

「順当だけどね、葉山君、今日は何曜日か言ってみようか」

「……ああ」

 

 金曜日だった。それもそろそろ終電が出そうな時間帯だ。当然ながら業務はやっていないし、土曜も日曜も閉庁している。

 

「この時期だしね、二日も置いておくと結構酷いことになる。空気の良いところにでも埋めてやるか」

 

 そう言い、イリスは歩き出す。

 おいおい、とつぶやき直人もその後を追いかけた。

 横に並ぶと、少女はふふと小さく笑い、言う。

 

「夜歩きを案じてくれるのは嬉しいけどね、そこまで付き合ってくれなくても大丈夫だよ。そろそろ帰らないと家族が心配するんじゃないかい?」

「それを言うなら吉野さんもだろ、それに流れとはいえここまで付き合ったんだ、最後までやるさ」

「うん? 動物の遺体を勝手にそこらに埋めるのは確か罪に問われるはずだけど、共犯者になってくれるんだ」

「……マジで?」

「手元のピコピコで検索してみるといいよ」

 

 ピコピコってあんた、と言いつつ直人はスマートフォンを取り出すが、画面を見て、再び懐にしまう。どうもバッテリー残量があまりに心許ないようだった。

 

「いいやもう、あれだ。毒を喰らわば」

「ザラメ」

「皿までな、何で甘々になってんだよ」

 

 ふと笑うイリス。

 

「遠慮が無くなってきたな、その方が私も気持ちが良い。そのままで居て欲しいな」

「俺、今日一日で吉野さんの印象ものすごい変わっちまったんだが」

「お、興味深い、どんな風に見ていたのかな?」

「物静かでぼ……孤高というかな」

「素直にボッチって言ってくれて良いんだよ?」

 

 少女はそういう事にまったく頓着しないようだった。

 これはむしろ、色々ずれているというか、天然に近いのだろうかとも直人は思う。

 イリスが先導する形で繁華街を抜け、西側の田畑が多い方に歩いてゆく。

 高い建物というものもあまりない、二階建ての民家がせいぜいというところだった。街灯もカーブの場所にぽつぽつとあるぐらいで、月の見えない夜などは真っ暗になってしまうに違いない。

 歩道のフチにある防護柵、その途切れている部分から土が剥き出しの農道につながっており、イリスはその斜面を降りて行った。

 手を広げれば足りてしまうほど狭い道の両側面は畑となっているようだった。明かりは月明かりしかないものの、フキの葉が所狭しと広がり、夜風に揺れ、葉の触れ合う音がざあざあとざわめいているようだった。

 そこにラジオのノイズのごときケラの鳴き声も加わって、一層騒がしい事になる。

 

「もう少し行くとお米作ってるから、そろそろ田植えが始まってカエルの声も聞こえるようになってくるだろうね」

 

 イリスは畑の騒がしさを楽しむように言った。

 

「あーカエルの合唱か、そんな時期だよな。うちの方は田んぼが無いからあまり馴染みはないんだけどさ」

「あの辺りは山の斜面っていうのもあるけど、水を引くのが大変で昔から麦とか蕎麦を育ててたらしいよ」

 

 さりげなく返された返答に、直人はなるほど、と頷き、数秒後ふと不思議に思った。

 

「吉野さん、うち知ってたのか?」

 

 イリスは一瞬止まり、頬を掻いた。わずかな月の明かりの中ではそれを直人が確認する事はできなかったが。

 

「まあ、ね。ここに来た時、市内をあちこち周ってたから」

「あー、うちの家、変な意味で目立つもんな、ボロかったろ? あれでも内装は結構しっかりしてるんだぜ」

 

 直人は自分の家の外観を思い浮かべる。自分ではすっかり慣れてしまっているが、確かにあれは目立つだろうと。

 古い造りだ、昔からあった農家の家を買い取り、父と母が素人大工で直したものだった。壁の漆喰などはぼこぼこに歪んでいるし、長年の使用で傷んだ木を丈夫さだけで選んだ木に変えていたりするので、色の協調などあったものでなく、パッチワークのようになってしまっている。屋根瓦だって同じような状態だ。

 

「暖かそうな家だと思ったけどね、和風の家は憧れるものがあるよ」

 

 直人はその容姿から、何となく和風文化をエキゾチックだと喜ぶ西欧人を頭に描いてしまったが、確かイリスは英語は喋れないと言われていたような覚えがあった。見た目はともかく日本育ちなのだと。ならば言葉の通りの意味なのだろう。

 

「私の家なんてさ、ほら、こんなに無粋だよ」

 

 畑に囲まれ、埋没するように事務所のような四角い平屋の建物がぽんと無造作に建っていた。

 建物の周囲はそれなりに土地が整地されているようで、砕石が敷かれ、庭木が数本植わっているのが見える。畑との境界らしき場所は土が固められ、トラクターでも通ったのか大きなタイヤ跡が残されていた。

 

「なんというか、凄いとこ住んでんなあ……」

「あはは、何でもこの辺の地主さん、息子さんが結婚して住むっていうんで宅地転用して色々整備してたところで浮気が発覚、話が流れちゃったみたいでね。浮いた形になったここを貸してもらったんだ」

 

 イリスはちょっと道具を持ってくるよ、と言い、抱えていた犬の死体を下ろす。

 無骨な家の明かりが付き、やがて、五分も経たないうちに少女が荷物を持って表に出てきた。

 少女の背丈からすれば大きくも見えてしまうスコップを直人に預け、一緒に持ってきたタオルで犬の死体を包み、抱え上げた。それとこれをと懐中電灯を直人に渡し、自分でもペンライトを点ける。

 懐中電灯を点けると、暗さに慣らされていたためか、眩しく感じ、直人は目を細めた。

 

「んじゃ行こうか。あ、汚れるかもだしバッグはうち置いておこうか?」

「あー、いいよいいよ、大したもん入ってるわけじゃないし、大体汚れって言うなら今の吉野さんの格好の方がヤバイと思うぞ」

 

 犬を下ろした時に見えていた、血と毛が服に染み、それは酷い事になっていたのだ。

 巳浦高校の制服は他校とそう代わり映えのするものではない。ブラウスにチェックのスカート、そしてブレザー。暖かくなってくればベストに代わる。最近は暖かいからか、イリスの上着は後者だった。ベージュのベストにその下の白地も赤黒く汚れ、警察に見つかったら事情聴取は間違いない格好だった。

 

「ん……まあ、このぐらいだったら染み抜きして洗えば綺麗になるんじゃないかな」

「それ以前に家族にバレなかったのかよ、そんな派手な格好で」

「お父さんは自由人過ぎてあちこちに旅してるのが常でね、家に居る事はほとんどないよ。基本私一人なんだ」

「おいおい一人暮らし状態って……女一人で危なくね?」

 

 直人の言葉に何か感じるものがあったのか、イリスは目を大きく開いた。

 そしてほのかに笑い、歩き出す。

 後をついて行く直人からは夜闇にゆらゆら舞うような金色の髪が目に残った。

 

 酒見川から取水され再び合流する用水路、双子岩用水というらしい。その合流地付近はこんもりと小高い丘が有り、手入れのされない木々が茂り、小さな原生林化していた。

 日の差す時間帯ですら薄暗いに違いない場所だ。月が真上に上る深夜ともなれば光も届かない。人の踏み入る道もなく、シダや苔が岩や木の幹に纏い付くように密生している。わざわざこんな場所に来るとすればよほどのもの好きだけだっただろう。

 そんな場所をひょいひょいと、道筋を考えている様子も見せないのに迷いなく進む少女の背中を見ながら、直人は本当ナニモンなんだろうなあと思いつつ後をついて歩いていた。

 流れで来てしまったが、とても訳の分からない事になっているのは確かだ、と。

 それでも別に嫌な気分になるわけでもなく、むしろどこか小さな冒険を楽しむような、弾むような心持ちになってしまっているのもまた確かな事だった。

 

「あ、そこの木のウロ、蛇が寝てるからあまり近づかないでおいてね」

「……おう、というかすげーな、なんで分かるんだよ」

「むしろこういうとこ庭だし」

「なんつー手入れされてない庭なんだ」

「自然のままが良いんだ」

 

 こういうのは困りものだけどね、と枝から指で何かをつまみ上げ、ぽいと近くの茂みに放る。

 

「何かいたか?」

「ん、ムカデ。噛まれないようにキャッチアンドリリースするのは上級技だから君は真似しちゃ駄目だよ」

「……アレを平気でつまむとか」

「男のアレに比べれば幾分かかわいいかな」

 

 唐突な下ネタに直人はむせた。

 

「さらっとそういうネタをかますのは勘弁してくれ」

「ドロっとかました方が君好みだった?」

 

 見た目が綺麗なだけに非常に残念感がぬぐえない。

 ただこの精神的に随分タフらしい少女なら男のアレぐらいは性的な意味でなくいじって遊んでしまいそうでもある。

 本当に随分と見方が変わってしまった、と直人はため息を吐いた。

 クラスどころかおそらく学校で一番の高嶺の花、容姿は天使、理知的で物静かでミステリアス。所作は優美にしてコケティッシュ、孤立というより近寄りがたい。そう評していた吉野イリスの熱心なファンである友人。直人はそいつの耳に色々聞かせてやりたくなった。

 

「……っと、この辺でいいかな」

 

 ふと先導していた少女が止まる。

 そこは大きな木に囲まれて小さな空間が出来ているような場所だった。堆積した落ち葉がそのまま土になっているようだ。虫の音に混じり、水の流れる音もわずかに聞こえた。

 掘る穴は浅すぎず深すぎず、犬の大きさがさほどでもないため、そう時間がかかるものではなかった。

 タオルに包んだままの亡骸を横たえ、掘り出した土をかけて行く。膨らみ、土饅頭のようになった場所を見て、直人は一仕事終えた気分になり、息をついた。

 イリスは何やら周りの草をむしり集めていた。それを力を込めて握りしめ、潰している。水が垂れ、手の中にはくしゃくしゃに潰れた葉が残った。

 

「なんだそりゃ?」

 

 直人が聞くとヨモギ、と答える。スカートのポケットからライターを取り出すと、くしゃくしゃの葉に火を着けた。水分がまだ多いのか、煙ばかりが出る。お灸でもしているかのような臭いが鼻を付くようだった。

 煙を上らせるヨモギの葉をこんもりとした土の上に乗せ、これで良いかとでも言うように少女は頷く。

 

「焼香みたいなものだよ。形式には違いないけど、人は昔っから香りで死者を送ってきたからね」

 

 ヨモギからはもう煙も出ていない、多少着いた火もくすぶり消えてしまったようだった。

 

 ◆

 

「なあ、悪いものって何だ?」

 

 帰りがけ、直人は何となく気になっていた事を聞いてみた。占いや怪奇話は年頃の女性たちの大好物だ、その手のものと思って流していたが、実際に半死の犬がいた。偶然とかたまたまで片付けられるのならば片付けたいところだが、多分違うのだろう。少女は知っていたかのように迷わなかった。

 

「うん? あー。君がそういうのに興味があるとは思わなかったよ」

 

 イリスは向き直り、緑にも青にも見える瞳で直人を見る。そしてどう話そうかと考えるように、その視線が宙を揺らいだ。

 

「生き物の苦しみってのは場に影響を与えやすいんだ。特にああいった抜け場のない、流れのない場所だとそういうのが溜まったりしやすくて、それだけで呪いになっちゃう。それが『悪いもの』だよ。平たい言い方で悪霊とかだよね」

 

 と言っても普通はそんな風にはならない、と続ける。

 

「多少澱んだり溜まったりしても、よっぽどの時間が経つとかしなければね。ただここのところ、場の力が強すぎてあっさりと悪いものが出来かねない」

「んー、その悪いものってか悪霊って生まれるとよっぽど酷い事になるのか?」

 

 どうだろうね、とイリスは笑う。

 

「影響された人が暗い気持ちになったりとか、変な幻聴聞いたりするくらいかな。交通事故の方がずっと怖いよ」

 

 あまり大した事がなさそうだった。

 直人は拍子抜けし、なんだかなあとつぶやく。

 

「悪霊っつうくらいだから人に取り憑いてやばい事になるとか、災害起こしてくるとか」

「世の中広いしそういうのもあるかもしれないけど、この手のものって大体地味だからね」

「あー、しかし、それじゃあ吉野さんは、何でそこまでして何とかしようとしてるんだ?」

 

 少女はつかの間考える素振りを見せ、人差し指で顎をとんとん叩き、悪戯げな笑みを浮かべて言った。

 

「名前で呼んだら教えてあげよう、私は苗字より名前の方が好きなんだ」

「ぬ……」

 

 直人は妙な呻きを発して黙り込んだ。確かに今日は色々あった。半歩非日常に足を突っ込んだような不思議な気もしている。ただそれを除けば、昨日までは特に接点もなかった少女なわけで、いきなり名前を呼ぶというのは良いのだろうか。しかし日本的な名前ではないし、むしろこの場合名前呼びの方が自然なのだろうか。

 数秒葛藤が続き、やがて緊張が抜けない様子で少女から視線をそらしながら、名前を呼ぶ。

 イリスは笑い、頷いた。

 

「大した理由じゃないよ、私がそういう悪いものを嫌いだからね。やりたいからやってるだけなんだ」

「……そうか。んー、まあなんかまだ半信半疑っていうかさ」

「当たり前だよ、それでいい。こんな話を鵜呑みにされたって困るからね。とはいえ、君にまったくスルーされるというのもそれはそれで業腹だけど」

「……ごうはら?」

 

 会話ではあまり使われない言葉に直人の頭に疑問符が浮かぶ。

 そうこうしている間にイリスの家の前までたどり着いていたようだった。

 

「すっかり手伝ってもらっちゃったね、今日はありがとう」

 

 直人からスコップを渡してもらいながらイリスは言った。

 ふむ、と小さく首を傾げる。

 

「せっかくだから少し上がって行くかい? 私の生着替えぐらいなら見せてあげるよ」

 

 不意打ちに直人はまたもむせた。

 

「……だからそういうのをさらりと混ぜるのをやめてくれと」

「うん、すまない。あまりに反応が良いのでつい。もっとも、手伝ってくれたのだしお茶の一つも出したかったけど、これ以上帰りが遅くなるというのも良くないか」

「手伝ったって言っても大した事してないけどな。一応これでも体は鍛えてる方だからさ、あー、なんだ、今日みたいな力仕事でもありそうな時は呼んでくれてもいいぞ」

 

 若干の照れを隠しながら直人が言うと、イリスはなぜか安堵を含んだ、ひどく優しげな笑みを浮かべた。

 直人はその表情に思わず見いる。

 複雑なものを含んだ笑みは一秒にも満たぬ間に消えていた。今日、何度か浮かべた()()()笑みを見せて言う。

 

「いや、今日みたいなのはさすがに稀だよ、そう頻繁にある事じゃない」

 

 ただ、その気持は嬉しいな、と続けた。

 

「君が困らない程度に頼む事もあるかもしれない。その時は、よろしく頼むよ直人(なお)

「お、おお。えっと、な、名前知ってたのか」

 

 直人は動揺を完全には隠せなかった。接点の無かったはずのクラスメイトが自分のフルネームを覚えている事に、そして随分呼ばれた事のないあだ名を呼ばれた事にも。

 

「うん、『なおと』だから短くして『なお』だ。安直だけど呼びやすい……嫌だったかな?」

「あ、いや……別に嫌ってわけじゃない」

「うん、なら良かった」

 

 ほっとした顔を見せ、笑った。

 おやすみ、気をつけて、などとありきたりな挨拶を交わし、直人は帰路につく。

 冷たい夜風が妙に気持ちよく感じ、半月を描く月を見上げた。

 この出会いが良いものか悪いものかはまだ分からない。ただ一つだけはっきりと分かるのは、今日という時間が得難いものだったという事だ。

 直人はまだくすぶっているような昂揚のようなものを感じ、夜空に大きく息を吐く。

 よし、と声を出し、三キロほど離れた家まで走って帰る事に決めた。


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