赤い森のイリス   作:ぬまわに

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番外 良い気分で一杯を

 人には誰しも過去の栄光ってものがある。

 大事だ。

 ちょっとしたものでいい、ペーパーテストの点数を褒められた、初めて作った魚鍋(ムケッカ)を食べた時の母の顔、一回りも大きな近所の悪ガキ達相手にサッカーボールを一度も取らせなかった事。

 誇らしい気分になった。

 どれもが生きる糧になる。ぎりぎりの時、辛い時、きつい時、寂しくて泣きたい時、何とかやっていくだけのエネルギーをくれる。

 より大きな栄光を、より誇らしい気分になりたいがために。

 こぎつけ、そして破れた。ぜんぶ手からこぼれ落ちた。

 今の自分は、何をして、何を欲しく、何を誇りたいのだろうか。

 

 ロドリゴはそんなとめどもなくたゆたうような思考を頭に遊ばせ、汚く、狭い路地裏の壁に背を預け、雨に打たれていた。

 巨体の黒人だ、分厚い胸板は樽のようで、上腕の太さといったら頭蓋の大きさと変わらない。

 そんな悠々とした巨体も今や力を失い、立つこともままならぬ体で地べたに尻をつき、細い息を喘がせていた。

 雨の冷たさがかえって生き長らえさせているのかもしれない。

 流れる血は肺を鉛玉が貫通したとは思えないほどに少なく、それでも止まる様相ではない。

 いずれ死ぬ。

 ロドリゴは思う、それもまた良いだろうと。

 故郷から遠く離れたこの地で、意味もなく死ぬ。

 自分はちょっと油断しただけだ、いつもどおり泥酔しすぎ、いつもどおり警戒を怠っていた。ヤクザの雇われとしてそうしたちょっとばかりの油断に付け込まれて銃弾を撃ち込まれただけだ。

 かふ、と呻きが出た。

 笑いの衝動だったが血を伴っていた。

 何もかも失った今となっては丁度いい死に様だった。

 

「こりゃまた、行き倒れかな」

 

 耳が澄むような美しい声だった。

 女性――もう少し小さい、少女のものだ。

 疲れを覚えながら視線を向けると、夜に溶けるような金の色。

 艶やかなはずのその色がなぜかか細く、消え去りそうな弱々しさにも見えた。

 

「……あっち、行きな」

 

 ロドリゴは最近随分馴染んでしまった日本語でごくごく簡単な言葉を発した。

 少女は肩をすくめ、死ぬぞ、と言う。

 ロドリゴはおかしみを心の中に感じた。

 死神はこんなきれいな少女の姿を取るのかと。

 命を狩られるのもそれなら惜しくないのかもしれないと。

 

「バカだなあ、どこぞの映画のラストじゃあるまいし。銃弾食らっておだやかな顔で死ぬとか流行らないよ」

 

 流行りすたりの問題なのか、とも頭の片隅に浮かんだが、既にまともに考えるだけの余裕はない。

 ただ、今の自分はおだやかな顔をしているのか、という静かな感慨だけが残った。

 

 ◆

 

 むき出しのコンクリートに山間から飛んできた砂塵が溜まり、風が吹くとまたどこかへ飛んで行く。

 暑く、空気に漂う湿気にむせるようだった夏と違い、冬は乾きすぎている。

 もうひと月も雨が降っていない。

 入れ替わりの激しいお隣さんの部屋に置き去りになっている、古くてでかいラジオが陽気な音楽を垂れ流し、その合間にニュースを挟む。

 乾燥しすぎて喉を痛める人が多くなります、水をこまめに飲み、部屋に水を張ったバケツを置くなど対策を――

 隙間風だらけの部屋でも多少は効果があるだろうか?

 貧民街(ファベーラ)の風景。

 表の大通りにはロドリゴのように住む場所さえ無い棄てられた子供がたむろし、虱で一杯のもじゃもじゃの頭を掻きながら、食いかけの肉を捨ててくれる、ヘロインで良い気分になったギャングの通りを待つ。

 その風景を撮影しながらチップをはずむ身なりの良い客が来た日は運が良い。

 悲惨な風景かもしれない、ただ結局それも一面だ。彼らは目立つ場所目立つ場所に行くのだから。

 ダイスを転がせば別の一面になる、ちょっと路地の裏に入れば水道と電気コードがこじれたパスタのように絡み合い、階段ばかりの道をサッカーボールをリフティングしながら遊ぶ子どもたちが普通に居る。ひよこ豆をより分け、天日干しするためにザルにまとめているでっぷりと太った婆さんが、うるさいと癇癪を飛ばす。

 今にも柱が倒れそうになっている家の上で、総白髪の爺さんが煙草を吹かし、夜にならないと仕事にならない年季の入った売春婦(プッタ)が今のうちに寝ておこうと度の強い蒸留酒(ピンガ)を飲み、あくびをする。

 遠くの風景はよく変わる。

 でかいビルが次々と出来て、濛々と煙を吐いていた工場は一時増え、最近では少しづつ減っている。

 ただ、ここは時間が止まったように変わり映えがしない。少し変わってきた事といえば逆らうと痛い目を見る警察とギャングの銃がモデルチェンジしていた事と、新聞の一面に良く見るおエライさんの髪が減っている事くらいだ。

 ロドリゴの育った世界はそんな世界だった。

 運良く電線技師の父の元に生まれた彼は、そこそこの教育をマフィアの資金を受けた教会で受け、空いた時間は衆に漏れずサッカーに明け暮れ、ラジオや街灯テレビで見るハットトリックを決める英雄(アルトゥール)に憧れる、普通の少年だった。

 食べるものは他と大して差は無かったが、体だけは他を置いていくように大きくなっていった。

 残念ながらロドリゴにサッカーでボールをキープする器用さはなく、その代わりというわけではないものの、子どもたちの喧嘩では負け無しだった。

 この国では決してボクシングはメジャースポーツではない。格闘技だけでもカポエイラや柔術の方が知られているし、人気だ。そんな中でロドリゴがボクシングをやりだしたのは、たまたまだ。どこかで喧嘩の様子でも見ていたのか、路上でボクサーのトレーニングを行っている変わり者、貧乏ジムのトレーナー、リカルド・イコマに熱心にスカウトをされ、ひどく軽い気持ちでその道に入り、そしてリカルドの目は確かだった事が判った。

 ボクシングは殴る格闘技ではなく躱す格闘技だ。それがリカルドの持論であり、ロドリゴはそれを完璧に行えるだけの目と足があった。

 ヘビー級にあっても高い上背、とんでもない存在感のくせに打ち合えば掴みどころがなく、一発一発はひどく重い。アマチュアで戦績を重ね、プロへ。機会を求め、世界のあちこちに飛び、勝利を重ね続けた。

 いつしかロドリゴは黒い蜃気楼(プレト・マイラージェ)などとも呼ばれるようになり、名誉も、冨も、プライベートでは妻や子も得て、さらには王座戦(タイトルマッチ)の機会も回ってきて、人生の絶頂に至る、あと一歩を踏み出すのみ、という所まで来ていた。

 しかしその一歩を踏み出す事は出来なかった。

 原因はつまらない事だ、さして大きくもない十代ばかりのギャング同士の揉め事、次のタイトルマッチのオッズがロドリゴに優勢になっていた事が原因で起こった事だった。

 試合前の控室、体を温めていた時に、その知らせはもたらされた。

 家族ともう一度会いたければ次の試合は負けろと。

 ご丁寧に切り取られた耳が同封されていた。つけているピアスはまだ彼女を妻と呼ぶ前に選び、贈ったものだった。

 あえて負けようとしなくとも、負けていただろう。その時点でロドリゴの精神状態はボロボロだったのだから。

 彼が焦燥に身を悶え、ひどく遅く感じる空港の手続きを終え、ボロ負けしてしまった彼の姿を撮ろうとフラッシュを焚く記者達を押しのけ、外に出ると、普段あまり働かないはずの警察が車を回し、彼を迎えに来ていた。

 何もかもが終わっていた。

 廃屋で見つかったズタズタにされた大きな死体と小さな死体は何の冗談か、飾り付けのリボンのように、互いの腸を引きずり出して結んであった。

 ロドリゴは叫び、沸騰したのか凍りついたのか分からない感情に揉みくちゃにされ、何もかも判らなくなった。

 

 山の頂きで足を滑らせ転がれば、落ち続けるしかない。

 もうボクシングなんて真っ当な事をやり続ける事はできなかった。

 幸いな事に犯人たちの目星は付いている。必要なのはグローブとマウスピースではなく、(アールマ)山刀(マチェーテ)だった。

 あるギャングの仲間になり、一通りの事をした。

 やらなかったのは麻薬ぐらいだっただろう、薬で浮ついた心で復讐相手を殺したくなかった。

 そして二年が経った頃には間違っても教会に足を踏み入れられない、立派な悪党になっていた。

 復讐を終え、妻子を殺した男たちにはこの世の地獄を見せた。

 その過程でやり返され、老いた父と母もこの世の地獄を見た。

 目的のためだけに近づいたギャングくらいしか、もう彼につながりを持つ人は居ない。

 相変わらず麻薬だけはやらなかったが酒に溺れた。

 連日連夜泥酔し、もうあれは使い物にならない、とギャング仲間にすら言われていた。

 

「おい、なんちゅう(ざま)を晒してんだよ、ロディ」

 

 懐しい呼び名に久しぶりに脳味噌が動く。

 リカルド、とかつて自分を見出してくれた恩師の名前を呼んだ。

 随分老けた、と思い、遥か彼方のようにも思える昔を思い出す。

 リカルドはここで腐り果てるくらいなら何も、誰も知らない所にでも行け、と言いパスポートとどんな伝手を使ったのか、日本での就労ビザをテーブルに置く。

 

「日本には俺の遠い親戚が住んでてな、しばらくそこにでも置いてもらうがいいさ。なあロディ、お前生きれる限りは生きとけよ、親父さんやお袋さんの血も思いも、俺が仕込んでやったボクシングも、お前が生きてる限りはとりあえず残るんだからよ」

 

 その時ロドリゴは何と答えたのか。

 本人も覚えていなかった。ただ、何か喚き散らしたのだろう。

 ただ、その後ぽつりと言った、老いた恩師の言葉は覚えていた。

 

「酒と音楽、そんで面白い出会いがあれば意外と満足なもんだぜ」

 

 ◆

 

 ロドリゴは汚泥に浸かった体を引き上げるように、眠りから覚めた。

 夢を見ていたような気もする、懐かしく、辛く、悲しく、暖かい夢。

 自分は誰か、ここはどこか、そういった事を考える事が出来ず、もどかしさに頭を振る。

 引き攣るような痛みで、ショック療法にでもなったのか唐突に見当識が戻った。

 天井は高い。

 否、寝ていた位置が低い。

 床に直接マットと布団が敷かれ、清潔な白いシーツが掛けられている。

 窓が開けられているのか、白のレースのカーテンがふわりと揺れ、初秋の爽やかな風が流れ込んだ。

 明かりは点けられてない。時間はそう遅くはないようだ、日の明かりで室内は十分に明るい。

 

aqui(ここは)……」

 

 普段の倍にも重く感じる体を動かし、体を起こした。

 自らの右胸から腕にかけて包帯が巻かれている事を確認し、助かったのか、とただそう思った。

 息を吸い、吐く、生きる事に必要なそれさえ苦痛を伴う。

 当たり前だろう、誰だって肺に風穴を開けられればそれは苦しい。撃たれても立ち上がって撃ち返す西部劇の無法者(アウトロー)は遠い夢だ。

 

「や、起きたかい?」

 

 意識が途切れる前に聞いた声だった。

 死ぬ間際の幻聴ではなかったのかとロドリゴは皮肉げに唇を歪める。

 湯気の立つカップを手にした少女が当たり前のように寝ているロドリゴの横に座り、カップの中身を一口すする。

 熱そうに舌を出し、ふうふうと吹いてもう一口。

 アールグレイのようだった、ベルガモットの香りがふわりと漂う。

 一体この少女はなんだろう、とロドリゴは思った。

 自分の娘ほどの年齢のようだ、日本人ではないようだが、それにしても恐れげというものがなさすぎる。

 どうにも得体の知れない、しかし警戒心を抱くのも難しいほど可愛らしい容姿だ。子供の絵本から飛び出てきたような。

 少女はことりと床にカップを置き、言った。

 

「とりあえず傷は手当しておいたから死ぬことはないと思うよ、弾も外に抜けてたし運が良かったね。えーとなんだっけ、貫通力が高いテッポー、マカロン? あれで撃たれたんじゃないかな」

 

 それは随分甘くてサクサクフワフワとした夢のような鉄砲のようだった。

 ロドリゴは笑いの衝動に傷口が痛み、妙な呻きを上げる。

 ただそれでも静かになら声も出せそうだと感じ、ひとまずその勘違いを正しておいてやろうと口を開く。

 

「お嬢ちゃんが勘違いしたのはマカロフだ、ただ貫通力の高いのはトカレフの方だな、ソ連の骨董品さ」

 

 言いながら左手で包帯の上から傷を撫でる、触れる分には痛みもない。少女はあたかも自分で全部やったかのように言っていたが、多分医者に見せてくれたのだろうと当たりを付け、立ち上がろうとし、失敗した。力を入れたそばから抜けてゆく。穴の開いた風船に空気を入れている気分だった。

 

「無茶しない」

 

 少女が肩に手をかけ、押さえる。

 思いのほか力は強く、起き上がる事は難しそうだった。

 

「血を流しすぎだよ、多分普通ならくたばってたんじゃないかな、そんな図体で立ち上がって倒れてなんてやられたらそれこそ迷惑だ。まず食塩水、その次に食べ物だね、胃は動きそう?」

 

 ロドリゴの体は他人からもタフだタフだと言われており、自負するところでもあったが、自分で思っているよりさらに丈夫だったらしい。食べ物という言葉に反応し、ぐうと胃が鳴った。

 思わず真顔になったロドリゴの様子に少女は笑った。

 

「大丈夫みたいだね、リクエストはある? なければ塩粥になるけど」

Canja de galinha(鳥肉の雑炊)

「カンジャデガリーニャ? ちょっと待って調べる」

 

 言うやポケットからスマートフォンを取り出し文字を打ち始める少女。

 

「冗談だ、子供には無理だよ。適当に何でも食えりゃいい」

「……む、いや、これでも高校に通っているんだけどね」

 

 機嫌を損ねてしまったようだった。

 ロドリゴはしまったと言うように自らの額を手で押さえる。難しい年頃だったかと。

 

「そりゃすまんねシニョリータ」

「いいさ、ちみっこいのは分かってるから」

 

 そう言い、見っけ、とつぶやく。しばらく画面を見て頷いた。

 

「なんだ、難しくなさそうじゃないか。ちょっと待ってなよ、これなら材料がある」

 

 ロドリゴはいや、いい、と頭を振った。

 

「俺みたいなのに親切にするなって親から教わらなかったか? お嬢ちゃんがする事は警察に一報入れる事だよ」

 

 その言葉を聞くと、少女はどこか面白いものを見た様子で目を細め、言った。

 

「思ったよりずっと人が良い奴だね、岳龍会の用心棒には向いてないと思うよ」

 

 その言葉にロドリゴは目を丸くした。警戒感が湧き上がり、次の瞬間それも霧散する。自分をどうにかするつもりなら、いくらでもどうにでも出来たからだ。ついでに吐くような情報の持ち合わせも無かったし、仲の良い友人の一人も居なかった。平たく言ってロドリゴは生きる事が半ばどうでもよくなっていた。

 そんな気の抜けたような顔になったロドリゴの側にグラスが置かれる。

 

「生理食塩水だよ、自分で飲めるかい?」

「ああ」

 

 のろのろと手を伸ばすロドリゴを後ろに、キッチンに歩こうとした少女だったが、ふと何かに気づいたように振り向き言った。

 

「うち尿瓶とか無いから催したら言ってね、トイレまで肩貸すから」

「……ああ、そんときゃ頼むよ」

 

 ロドリゴはそう言い、グラスの中身を口に含み、飲み下す。

 恐ろしく体が乾いていたようだった。

 全身に染みるような旨さを感じ、息を飲む。

 そしてごくりごくりと喉を動かし、残りを一気に飲み干した。

 大きく息を吐き、グラスを置く。

 そして少しだけ曇りの晴れた頭はようやく気づいた。

 

「……うち?」

 

 ややあって、少女はたっぷりの大きさの椀を持ってきた。

 ホカホカと立ち上る湯気で香りが広がり、月桂樹(ローレル)とセロリ、そしてトマトの甘酸っぱさが入り交じった複雑な香味が鼻孔を刺激した。

 

「これは……旨そうだな」

「ん、味見した感じではなかなかのお味。さすがに鶏ガラでスープ取るのは時間かかるからチキンコンソメだけどね、ラタトゥイユみたいに炒め煮にするから油は多くなるけど、これはこれで。あ、そのパセリは自家栽培だよ」

 

 ロドリゴは椀を手にスプーンで一口食べる。

 香りが口から広がる、こってりとした味付けのスープで柔らかくなった米を軽く噛み潰し、汁気と共に飲み込んだ。後味は酸味が効き、後を引かない。

 

「むう……」

 

 唸り、もう一口。さらにもう一口。

 黙々と食べ、あっという間に空にしてしまった。

 中身の無くなった椀を少しもの寂しそうに見るロドリゴの手から取り、言った。

 

「雑炊とはいえ一気に食べるのは良くないだろうからね、お代わりはもう少し時間が経ってからだ。ところで味はどうだったかな?」

 

 ロドリゴはむう、とまた唸り、顎に手をやり、悩むように眉間に皺を寄せる。

 そして低い声で言った。

 

「上品過ぎる。この手の雑炊(カンジャ)は、もっと下品でいい」

 

 そしてまた悩むように天井を見上げ、溜息をついて続けた。

 

「だが、母ちゃんのより旨かった。参ったよ」

「よっしゃ」

 

 少女はガッツポーズを決め、言う。

 

「暇を持て余して料理ばかりしていた甲斐があったね」

 

 どうにもこの少女と話していると毒気を抜かれる。ロドリゴはそう感じ、剃り上げた頭を撫でる。

 そう、気を取り直して聞かないといけない。状況も何もわかっていないのだから。

 食後の眠気を噛み殺し、口を開いた。

 

「とりあえず、アンタは何者なんだ? どうして俺を助けた?」

 

 少女は答えた、そう難しい話じゃない、と。

 

「そうだね、まず自己紹介でもしておくよ。私は吉野イリス。ただの普通の女子高生だ」

 

 ツッコミ待ち、という奴なのだろう。ロドリゴはあえてそこに触れず、頷いた。

 二秒、三秒そのまま沈黙が続き、少女はつまらなさそうに唇を尖らせる。

 

「ノリが悪いなあロドリゴ・エンゾ。私はちょっとしたアルバイトをしててね、依頼で岳龍会の裏帳簿だの何だのって大事なものをガサッと頂きに行った帰り、たまたま君を拾っただけだよ」

 

 その言葉にロドリゴは顔をしかめた、驚いて良いのかすら分からない。言葉の意味は分かっても到底信じられるものではなかった。

 そんな大男の困惑を置き去りにして少女は続ける。

 

「岳龍会に昔ながらの腕っ節にモノを言わせる用心棒が居るって聞いてちょっとワクワクしてたからね。どんなものかと思ってたら留守だし、それどころか誰かに既に撃たれてるしでねえ」

 

 おまけに話してみればそう悪党ってわけでもない、と少女はぼやく。

 ロドリゴは肩をすくめて言った。

 

「俺はもう何人も殺してるぜ?」

「私もさ」

 

 少女はあっさりと、何でもない事のように答えた。

 ロドリゴは困ったように唇を歪め、何かを言い出そうとし、結局溜息をついた。

 

「……それで、全部それを信じるとして、うちのヤサとボスはどうなったんだい?」

「さあ? とりあえず資金繰り関係の情報あらかた六咬会に渡しておいたからろくな事にはなってないんじゃないかな」

 

 ロドリゴは脱力する思いで頭を掻いた。

 六咬会の話は聞いた事がある。地方によくある暴力団だ、暴対法施行後、弱体化した小さい組がまとまった寄り合い所帯、のはずだった。

 ここ数年の間に急激に勢力を拡大している。それもここ半年というもの異常だった。まずシノギの筋がことごとく握られ、にっちもさっちも行かなくなった所を構成員ごと丸ごと取り込む、という札束で頬をはたくような強引なやり方だ。しかも盃親の方ですらその所業に手をこまねいている。あまりの不気味な変わり様に裏で海外のでかいマフィアとでも繋がったんじゃないかとも噂されていた。

 

「……お嬢ちゃん、そのアルバイトを始めてどのくらいだい?」

「半年くらい?」

 

 わけが判らん、と言うようにロドリゴは目を瞑り、額を押さえる。

 まず、肉体的にも、そして精神的にも休息が必要だということは確かなようだった。

 

 ◆

 

「まあ、その後も色々あってね、彼女の仕事も何度か手伝ったよ」

 

 眩しすぎない照明の中で、煙草の紫煙がゆっくりと上がり、天井のシーリングファンに撹拌され、消えてゆく。

 ジャズの名盤がうるさくない程度に流され、その曲に合わせるように、グラスの氷がからりと音を鳴らした。

 ロドリゴはその大きな手からするとひどく小さくも見える皿をカウンターに置いた。

 

「ミナスのチーズだ、軽く炙ってオイルとハーブを散らしてある」

「へえ……結構洒落てるな」

 

 カウンター席に座った標津は丁度吸い終わった煙草を灰皿に押し付け消すと、出されたチーズを一切れフォークで刺し、一口で頬張る。

 

「こりゃあっさりしてるな、面白い」

「だろう? 俺は料理にこれを突っ込んだのが好きだけどね」

 

 ゆったりとした時間を楽しむように標津はグラスを傾ける。

 空になったグラスをカウンターに置くと、ロドリゴは、お代わりはどうするね、と聞いた。

 

「そうだな、次はアイラをロックで」

「スコッチ、バーボンと続いて取り留めがないね」

「初めて来たバーじゃ色々頼む事に決めてんのさ」

「オーケー、良いのがある、丁度チーズに合うだろう」

 

 様々な酒瓶の並ぶ棚から緑色のボトルを選ぶロドリゴの背を見ながら、標津は頬杖を突いて言う。

 

「彼女の仕事っぷりはどうだった?」

「ハリウッド・スターさ。どこぞで隠し倉庫のM82を見つけ出して面白そうに片手打ちした時は腰が抜けたぜ、俺のね」

「おいおい、抗争なんて最近ねーだろうにそんなん持ってんのか」

「無いからそんなキワモノ手に入れて腐らせてるのだろう」

 

 ロドリゴはロックグラスにボウル状の氷を入れ、琥珀の液体を注ぎ、標津の前に置きながら言った。

 

「こんな荒唐無稽な話が面白いかね?」

「面白いよ、とっておきの美少女の話題だ」

「そんなシベツさんにオーナーから伝言を預かってる」

 

 そして胸のポケットから一枚の名刺を出し、標津の前に置いた。

 

「立場上動きにくい時なんかは呼んで貰えれば『アルバイト』しても良いそうだ。出張料は本州だったら一人頭三千円らしい」

「……そりゃあまた結構なこって」

 

 標津は固まった顔のまま、名刺を取る。そこには簡素に吉野イリスの名前と連絡先が書かれていた。

 ロドリゴは困ったような笑みを浮かべ、ほらな、と言うように肩をすくめる。

 

「あんたがたが探りを入れてくるのも折り込み済み。むしろ利用する気満々ってところだな。俺が知ってる事なら全部教えちまって構わないってさ」

 

 標津はごつい顔つきに苦笑いを浮かべて、ショートピースを一本咥え、火をつけた。

 深々と吸い、呆れたようにぷかぁと煙を吐き、言う。

 

「なるほど、魔女だ」

「だろう?」

 

 二人の大男はそう言い頷き合った。

 しかし、と標津は手に持った煙草をぶらぶらと揺らし言う。

 

「あんたがバーやってるのは何かのカモフラージュなのかい?」

 

 ロドリゴは心外なと目を大きくし、首を振った。

 

「カボチャの馬車さ。そんなに酒が好きならバーの店主でもやってみれば、と言った三日後には用意されていた」

「ははあ、乗り心地の方はどうだい?」

「悪くない。面白い事に酒を扱い始めたら自分で深酒する事が無くなった。世の中のアル中はバーテンをすると良い」

「そうするとバーが増えてアル中が増えて、それがまたバーをやってアル中を増やす事になるな」

「Love And Peaceだ、素晴らしいね」

 

 そりゃいい、とつぶやき、ロドリゴの言葉に標津はグラスを持ち上げ、言った。

 

「大儲けする医者と坊主に乾杯だ」




二章目のプロットと一緒に書いてたらこっちの方が早くできてしまったので

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