終わりの先の物語   作:えいとろーる

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地下と外界

「ご主人様、準備はよろしいですか?」

 

「うん、行こう。ヨグ」

 

 主人の首肯を見届けた従者が、側にあったスイッチを作動させた。二百年間の沈黙の所為でひどく錆び付いたエレベーターが、重々しく、耳障りな金属音を立ててゆっくりと動き出す。

 

 ぎりぎりと鳴り響く歯車の音が響く度に上昇して行くエレベーターの上で、少年はただ、閉じられた天井の入り口を見上げていた。

 

『この上には、まだ自分が実際に見たこともない景色が広がっている』

 

 少年は、歯車の軋む音を聴きながら。エレベーターがせり上がる事で、徐々に隔壁に阻まれて見えなくなって行く自分が生まれ育った地下世界を横目で眺めながら、自分の心臓の鼓動が早鐘を打ち始めたのを感じていた。

 その言葉の存在そのものは知らずとも、その感情が『高揚』である、という事はなんとなく、自然に感じる心のままに理解していた。

 

『ヨグも、同じなのかな?』

 

 少年は、自分の側でいつも以上に下部バーナーを吹かしながら不遜に揺れる従者を見て、そんなことを思った。

 

「どうかなさいましたか、ご主人様。もしやご気分でも…」

 

「いや、何でもない」

 

 少年の視線に目ざとく気付いた従者が、少年に対して尋ねるも、少年はその言葉を聞き終わるより早く、何時ものように、ふいっと、顔を逸らし、再び天井のVaultゲートへと視線を戻す。

 

 確かに、ヨグの動きはVault内でこれまで少年が見てきた状態とは少し違っていた。少年の改造によって三本から五本に増えたアームをそれぞれ独立して動かして見たり、それぞれのアームが携帯している装備を弄ったりして、少年にとっては何やら落ち着かない様子に見えていた。

 

 実際には、そのヨグの挙動は、元から自身に搭載されている機能の調整と再確認であったり、それらのデフォルト機能と、旅の出発に合わせて少年が追加した新機能との互換性の最終確認の作業であったわけだが、ひたすらに外に思いを馳せている少年は、そのような事に興味など、微塵も抱かなかった。

 

「地上へのハッチが開きます。頭上にご注意くださいませ」

 

「あ、うん」

 

 そしてエレベーターの高度が、ある一定の高さに達すると、忙しなく機能の再確認を行なっていた従者が完全武装された五本のアーム全てを少年の頭上へ向け、機械音声を発した。

 その声を聞き、少年は少しだけ立ち位置を壁沿いに移すと、それとほぼ時を同じくして、青い常備灯で薄く照らされていたハッチがゆっくりと開き始めた。

 

 ゆっくりと明滅する常備灯に照らされているとはいえ、殆ど真っ暗だった天井から、僅かな光が射し込む。

 徐々に真円へと近づいて行く三日月のように、少しずつ開いて行くハッチの隙間から少年の目に映ったのは、天井よりももっと高い天空に広がる黒に近いほどの闇に塗れた深い群青と、それをキャンパスにきらきらと光を放つ無数の星々だった。

 

「っ…」

 

 ハッチが開くと同時に流れ込んでくる冷たく、そして地下のそれとは比べ物にならないほど清涼な空気を、膨らませた胸郭いっぱいに吸いながら、少年は目の前の風景に思わず絶句した。

 

 どこまでも広がる空と、そのさらに上、何万光年も離れた場所より届く星の光を初めてその目にした少年は、傍にふらふらと浮かぶ機械仕掛けの従者に、アレは何、どのくらいの高さの天井なの、と目の前に広がる夜空に心奪われながら虚ろに尋ねていた。

 

「これが空、そして星の光です。以前私がご教授差し上げたでございましょう?」

 

「あぁ…こ…れが…」

 

 少年は視界いっぱいに広がる星空をきらきら輝く二つの目に写し、その場で二度三度回りながら再び虚ろに返した。

 

「なんか、さわーってする感じ。ヨグ、これは何?」

 

「一般的に星空を眺めた時の人間の感想としては、美しい、と言う表現が多く適用されます。現在のご主人様のバイタル状態は非常に安定しており、おそらく脳内の快楽物質が分泌されている状態と思われます」

 

「…それで、これは、美しいって事で良いの?」

 

「82%の確率で肯定されます」

 

「へぇ、じゃあこれは感動、なのかな?」

 

「おそらく、その通りでしょう」

 

 がこん、という重々しい音を立てて、エレベーターが完全に停止する。

 少年にとっては、空も、星も、風も、何もかもが初めての経験だった。

『美しい』と形容すべき感情を覚えたのも、この時が初めてだった。

 

 満天の星空を見上げる主人を見て、機械仕掛けの従者もどこか誇らしげに機体を揺らしていた。尤も、機会である彼がそのような感情を抱くはずはないのだが。

 

「なんか気分が良いや。この風もVaultの中より全然気持ち良い」

 

「それは何よりでございます、ご主人様」

 

 美しい景色に目を、涼やかな風に身を任せていた少年は、ここで初めて空から地上に目を移した。少年が立っていた場所は、草木もろくに生えていない、小高い岩山の中腹だった。

 

 月明かりに照らされた広大な荒廃した大地の風景は、寂しげでありながらも奇妙な神秘性を帯びて、これまで地下の閉鎖された空間しか目にしてこなかった少年の心に、再び感動の波を打ち付けた。

 口を突いて出るため息を抑えず、感嘆の溜息を漏らしながら視界いっぱいに広がる赤い地平線を眺めていると、少年の目は地上に灯るもう一つの明かりを捉えた。

 

「ねぇ、ヨグ。あそこにあるのは何?何か光っているよ」

 

「望遠モードを起動致します。…アレはおそらくこの辺りではレイダーと呼ばれる集団ですね。vault間での過去の通信で彼らに関する記述が数多くありました」

 

「へぇ…生き物なんだ?味は?」

 

「食用可能ではございますが過去の文献や、ターミナルから検索可能な情報はあまり多くありません。過去に人肉を摂取した人物の証言記録によると、一般人の味覚にはあまり合わない可能性が高い、と言う結果が出ております」

 

「ふぅん…美味しくはない…のかな?」

 

「左様で。栄養価的には急時の食事にはぴったりだとは存じあげますが」

 

「ん、今は別にお腹空いてないし、いいかな」

 

「承知いたしました」

 

 従者の見解に、遥か遠くで揺らぐレイダーの集団の灯す光から興味を無くした少年は、再び星空の観測に戻った。

 耳を澄ませば、風が荒野を吹きすさぶ音の他に、確かに何者かの声が混じって聞こえてくるのが、少年の耳にも届いた。

 何処かのキャラバンを襲った後か、はたまた自分たちとは別のレイダー組織との抗争から生還したのか、そのようなことは少年も、さすがの従者も知るところではないが、時折届くその声は、どうやら何かの成功を喜び合い、称え合うような類のものであったらしい。

 

「笑ってる…?」

 

「どうかなさいましたか、ご主人様?」

 

「いや、あそこに居る奴ら、笑ってる?あれって笑ってるって事だよね?」

 

「左様で。六名のうち、四名はアルコールを飲んでいるようですね。おそらくその影響も含めるかと」

 

「ふぅん…わらう…か」

 

 少年は、遥か遠くに揺らぐ火の光を見つめ、一つの疑問を頭に浮かべていた。

 

『僕が笑ったのって、いつだろう』

 

 少年の記憶には、彼らのように高らかに笑っている自身の記憶はなかった。今まで見た自分の顔と言えば、鏡に映っても特に何の感情も浮かばない無機質な顔と変わらぬ一定の息遣いのみ。

 笑う、と言う動作を、少年は長らく頭のどこにも置いていなかったことに、気付いたのだ。

 

「ねぇ、ヨグ」

 

「はい、なんでございましょう?」

 

「僕は、笑ったこと、ある?」

 

「無論、ございます」

 

「いつ?」

 

「私が最後に観測したのは、十四年と十一日前でございます」

 

「そっか。道理で」

 

 従者の返答に、少年はなるほど、と胸に去来した疑問の答えを肯定した。

 

『十四年前なら仕方ない。そんな古い昔のことなんて、覚えているはずがない』

 

 少年は、そう結論づけ、再び大きく息を吸い、そして吐いた。その声には、先ほどの感動の他にも、もっと別の感情が含まれていたのだが、それは少年自身が気付いてすらいなかった。

 

 そして、外に出て僅か数分の間に起こった初めての経験は、この美しい景色と、少年の胸に去来した奇妙な感情の波だけに終わってはくれなかった。

 それが起こったのは少年が、初めての不思議な感情と空から零れ落ちる清光に浸り、夜空の光源の数を、ひとつふたつ、と指折り数え始めたまさにその時だった。

 

 星々の中から光がより強いものを選び取り、その数を数え始めて、東の空に浮かんだちょうど六つ目を数えたところで、美しい夜の闇を引き裂くような何かの爆発音と、それに続く女性の驚愕と絶望に満ち満ちた絶叫が、周囲の闇を切り裂いたのだ。

 

「っ…?」

 

「Wow」

 

「今の、なに?」

 

「現在地点より北西500メートル以内の距離で6度の爆発と24回の発砲が確認されました。発砲音から、銃の種類は10ミリピストルと一般的な散弾銃のものと断定します」

 

 闇夜に響く大音響に、思わず肩を跳ねさせた少年と、実にわざとらしい嫌味な機械音を上げた不遜な従者の内心からはすでに初めて味わう感動の余韻などは完全に消え失せていた。

 

 その代わり、少年の心のうちには、また新たな思いが芽生え始めていた。

 

「ヨグ、複数の人間が銃を撃ってるってことは、何かと戦ってるってことだよね?」

 

「ほぼ確実かと。これで聞こえてくるのが笑い声や嬌声だった場合には、他の可能性も考えられますが、今回の場合はほぼ確実に何かしらの生物との戦闘が行われていると考えられます」

 

「ロボットじゃないの?」

 

「それはあり得ません。ロボットならばなにかしらの電波、電磁波を放出しますが、今回はそれらが感じられません。間違いなく、生命体同士の戦闘が行われているのでしょう」

 

 従者の見解をそこまで聞いた少年は、音の発生源である丘の麓の炎の光を眺めながら、黙してとある思いが脳裏に巡っているのを自覚した。

 

 

『にんげん』と『なにか』の戦いを見てみたい。

 

 

 先ほどの大音響を耳にし、少年の内心に芽生えていたのは、『好奇心』だった。

 薄暗い地下に閉じ込められ、外のことなど何も知らなかった少年には、頭上に浮かぶ星々は無論の事、頬を撫でる風や足元にまばらに生えている雑草に至るまで、そこにあるもの全てが興味の対象となり得る。

 無論の事。今回の大音響も、少年にとっては格好の興味の対象となったのである。

 

 そして、少年は一分程度の思考の末、一つの結論を出した。

 

「ヨグ、行くよ」

 

「あまりお勧め出来かねます」

 

「いいから、命令」

 

「やむを得ませんね」

 

 主人の身を案じる従者の忠言を一蹴し、少年は腰の9ミリピストルを一度だけ撫でて歩き出した。

 

 初めて見るものばかりの素晴らしい世界。

 

 その中で始まっている面白い出来事。

 

 その二つを目の当たりにした少年は己の内に在る好奇心の様なものを初めて自覚していた。

 少年は逸る気持ちを抑えずに、従者とともに夜の闇を駆け抜ける。

 

 一歩、また一歩と、少年の脚がウェイストランドの大地を蹴るたびに、本人も知らぬうちに少年の口角は少しずつ釣りあがっていた。

 

 実に、十四年と十一日ぶりの笑みだった。

 

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