Bloodborne 露纏いの狩人と物狂いの教授 作:J.D.(旧名:年老いた青年)
――彼女がその街を訪れたその日は、朝から夜更けまで霧雨に包まれていた。
羽織る革の外套は水気に侵され、その内側に包んでいる筈の衣服さえも湿らせる役立たずと化しており、彼女は忌々しげに舌を打つと足早に目的の場所へと歩を進める。
深い山間部にある、今は忘れ去られた医療の古都・ヤーナム。
そこで行われる『血の医療』と呼ばれる独特の医術はあらゆる病の苦しみを癒すと言われ、苦しみから逃れたい多くの病み人達を惹き付けて止まなかった。
――そして。この廃れた都を訪れた彼女もまた、病み人の一人であった。
「君が、『血の医療』を受けたい患者かね?」
「ええ……」
訪れた診療所から出てきたのは、目深く被ったトップハットと両の目を覆い隠すような包帯という医者とはとても思えない人物だった。
彼女はこの苦しみから逃れたい一心で男の妄言のような世間話を聞き続けた。『青ざめた血』がどうとか、『医療教会』がどうとか、そんなものに興味はない。ただ、一刻でも早く脳裏を蠢くこの苦痛を排除したかったのだ。
「では、誓約書を……」
彼女は無言で引ったくるように男から誓約書と筆記用具を奪い取ると、素早くペンを紙の上に走らせる。
誓約書に記された名前は“Melissa Prowright”。これが後に狩人として悪夢へと囚われる、哀れな彼女の名前であった。
「よろしい、これで誓約は完了だ」
「いいから、早くお願い。この苦しみから解放して」
メリッサは既に苛立ちを隠すことも止めて語気を強め男を促す。男はそんな彼女の態度に一つ嘆息するとその誓約書を折り畳んで懐へと仕舞い、脇に置かれていた輸血用の支柱をこちらへと転がしてきた。
これは余談だが――現代で行われるような衛生的で理論立った方式の輸血はこの二十世紀初頭ではようやく科学的見地からのアプローチが始まった段階で、ABOの血液型が発見されたのもつい最近のことである。しかし彼女はそんな事を知る由もなく、疑うことのないまま用意された手術台の上で仰向けとなり為すがまま処置を受けた。
「これより君はヤーナムの血を受け入れる。なあに、なにも心配することはない……全て悪い夢のようなものさね……」
男はそう言うと血の瓶から伸びる管付きの針を躊躇なく彼女の腕へと突き立てた。一瞬の痛みの後、ぼんやりと自分が空気に溶け出すような感覚に彼女は困惑するがもう抗うことも出来ず、彼女は意識を手放した。
――私は夢を見ていた。
手術台の上で治療の影響か朦朧としていた私の前に、床から突然血が噴出し出来た血溜まりの中から何かが姿を現す夢だ。
そこから現れたのは一匹の獣である。人のような形をしていながら、姿は間違うことなき狼そのもの。それが私の肌を切り裂こうと血に濡れる鋭い爪の生えた腕を伸ばし――その腕に突然火が付いて盛大に燃え出した。
人に似た獣は炎に塗れながら苦しげな咆哮と共に床をのたうち回る。私はその光景に目が離せなかったが、しかし心の底から深い嫌悪の感情が湧き出すのを感じた。その光景というよりも獣と、それを燃やす炎に対して。
何故嫌悪を抱くか、その理由は混濁する意識に呑まれ分からない。
そんな思考に囚われていると、ふと私の身体を何かが触れた。視界をそちらへ向けるとそこにはつるりとした青白い肌に落ち窪んだ眼と縦に裂けた口を持つ異形の小人が複数体、私の身体の上を這っていた。
私の視線に気付いたのだろうか。驚愕に染まっているであろう私の顔を見るや否や次々と彼らは私の顔へ向けて方向転換し這い進む。触れる手足は露に濡れた服の上からでも分かるほど冷たく、異形から顔を背けようにも頭の周囲を似たような顔の異形達に囲まれていた。
そして彼らは私の顔を覗き込み……意識は徐々に奈落へと飲み込まれていく。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おお、寒い ゝ 。やはり夜は冷えるな」
街灯の明かりと大きな月のみに照らされる夜の街を、ステッキをついた一人の老紳士が歩いていく。
悪夢のようにヤーナムを渦巻く霧の中を一欠片の不安も感じさせずしっかりとした足取りで往く様は、彼の意志の強さを表しているようでその年老いて縮んだ背中さえも幾分か頼もしく見せた。
彼はロンドンの大学で変わり者として有名な教授であった。ヤーナムにおける独特の医療技術と風俗に興味を抱き、その人一倍強い好奇心と飽くなき探究心の赴くままに山を越え谷を越え、この古き都へと足を伸ばしたのである。
しかし今や農具や銃を手に恐ろしげな顔をした民衆が集い、まるで絵画『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊』をエドヴァルド・ムンクが描いたような驚ろ驚ろしい光景がそこかしこで広がっていた。
ここは閉鎖された山奥ということもあり、人々の排他性は強く話を聞こうとしても殆どが私をよそ者と強く罵り侮蔑する言葉を投げ掛け追い払う様子。風習か異常事態かは知らないがこの状況で彼らに見つかれば恐らくただでは済むまい。
老人はそうして夜の闇を縫うように街中を転々とした。よそ者に厳しい土地柄故、宿には期待できないがせめてこの雨を逃れられる場所があれば……と一縷の望みを抱えて歩いていると、『Iosefka's Clinic』と看板が掛かったこの街では珍しい医療関係の建物が目についた。
医療は全てこの街で最も大きい『医療教会』が取り仕切っているのかと思いきや、こうした個人営業の開業医もあるとは。とすれば医師も私と同じよそ者だろうか? なれば多少なりとも厄介になれるだろうかなどと考えつつ戸をノックする。
中から現れたのは彼と同年代と思われる一人の老人だった。
彼の寝かされた手術台の隣には美しいながらも鋭い面持ちの女性が寝かされていたが、彼女もこの『血の医療』を受けているのだろうか。
後は老人の為すがままに、彼は静かに意識を奥底へと眠らせた。
――私はどうやら夢を見ているらしい。
私の佇む白い花畑の中で、目の前に広がる大いなる赤い月。
そこから舞い降りる、無数の触手を湛えた恐ろしき黒い異形の怪物を私は見たのだ。
その異様ながらも蠱惑的な姿を見ている内に、私の体はフワリと浮き上がりそうになるも……次の瞬間、私は小さな小人達の群れに地面へと引き寄せられる。まるでそれは警告のように。
私を地に縛り付ける小人達もまた異形の顔つきではあったが、まるで私を心配してくれる幼子のように身体へと寄り添う。こうしてみれば、中々どうして可愛い連中ではないか。死者の如く冷気を帯びた彼らの肌を撫でながら、私は次第に薄れゆく意識に身を任せることにした――。
「見つけましたわ、狩人様方」
二人の男女は落ちゆく意識の何処か遠く、花畑のような場所で水晶の如く透き通るような女性の声を聞いた気がした。
小説投稿は初めてなので、誤字脱字など何か至らぬ点が御座いましたら是非感想欄かメッセージにてご一報ください。