映画から10年ちょっと後の話

1 / 1
第1話

「ありがとうございましたー」

 

歌い終わった彼女がステージ上で一礼をすると聞き入っていた客が拍手をする。

大きな街だけど平日夜の薄暗いこのパブには元からそれほど人がいなかった。

それなのに店に響く拍手はまばらだったけど彼女の歌声を聞いた客はみんな満足した顔で賞賛の証を贈っていた。

その拍手の中でバンドマン達は彼女と少し何か話してから各々の楽器を片付けて一人また一人とステージを後にする。

彼女もすっかりトレードマークになったマイクボックスに使い慣れた機材をしまってから舞台から降りてきた。

そこから離れた私が座っているカウンターにやってくるまでにも彼女は歌を聴いた客たちから声をかけられて笑顔でそれに応える。

下町の和菓子屋で育った彼女の愛想は相変わらずで、だからこそこんな活動スタイルがあっているのだろう。

より身近に、ひとりひとりに想いを伝えたかった彼女には。

 

「すいません、お待たせさせちゃって」

 

「いいのよ。それにしてもすごい人気ね」

 

「えへへ」

 

ようやくファンから解放された彼女が私が座るカウンター席の隣の椅子にやってきた。

彼女は座りならバーテンダーに"いつもの"とだけ注文をする。

流れるような動作でカウンターの向こうに並べられたボトルを開けてグラスに注ぐと腰を落ち着かせる時にはもう彼女の目の前に置かれていた。

 

「じゃあツバサさん」

 

「ええ」

 

彼女がひょいと持ち上げたグラスに私の飲みかけのグラスを当てる。

キィンと冷たい音が小さく響いて私、綺羅ツバサは日本から遠く離れたこの地。

アメリカのシカゴにあるパプで高坂穂乃果と再会の祝杯を開けた。

 

「んっ……ハァー」

 

「もう、おじさんみたいよあなた」

 

「あはは。久々にツバサさんに会ったらなんか嬉しくて。お酒も進んじゃいますよ」

 

大きな一口目を飲んだ彼女が甘露声を口にして強めにグラスを飴色につやめくカウンターテーブルに置く。

照れながら笑う顔はあの頃のままだなぁ。

強めのお酒をあおって早々に顔が赤くなった穂乃果さんの顔を見ると昔を思い出す。

ライブ後、歌やダンスで息が上がって赤くなったあの顔が。

あの太陽みたいな顔が。

 

ふと、そんな彼女を眺めてるとポケットに手を入れてゴソゴソと何かを探す。

そこから取り出されたものは真っ赤な紙でできた箱と、彼女には似つかわしくない少し大きめな銀色のジッポライターだ。

意外にも慣れた手つきで箱から一本の煙草を取り出しトントンとテーブルの上で叩き葉を詰めてから口に咥えてライターで火をつける。

 

キッ

チャキッ

 

金属が擦れあう乾いた音を鳴らして火花が走りオレンジ色の火を煙草に近づけるとジジっと鳴いて煙が登った。

煙を吸うとき

左目だけを瞑るのが彼女の癖なのだろう。

唇がほんのちょっとだけ突き出したウインクに私は目を奪われていた。

キスの後みたいに薄く開いた唇から覗かせた舌の上で煙が舞って

ゆっくりと味わったあとの紫煙が吐き出され柔らかい飴色の光が灯る照明に照らされながら消えていった。

 

「穂乃果さんあなた……煙草吸うの」

 

私の言葉にハッとした顔をする。

 

「ご、ごめんなさい。私ったらツバサさんの前で断りなく」

 

彼女が慌てて消そうとしたものだから私もつい慌てて言葉を紡いでしまう。

 

「いえ、いいのよ。ちょっと意外だっただけだから。そのままで」

 

「そ、そうですか」

 

彼女は引き寄せた透明な灰皿に人差し指で軽く叩いて灰を落としまた口元に持っていった。

なんだろう

普段は歌や体力のことを考えて避けていたのに

彼女が持っているだけで途端に魅力を感じてしまう。

 

「……ふー。こんなところで歌ってるでしょう。だからお客さんに勧められることがあったんですよ。お酒と一緒に。最初は断ってたんですけどあるときなんとなく吸ってみたら。お店の雰囲気のせいか。お酒と一緒だってせいかハマっちゃいましてね。体には良くない物ってわかってるんですけどついついやめられなくって。お酒飲んじゃうと無意識に手が伸びちゃうんですよ」

 

なんていたずらが見つかった子供が言い訳をするみたいに言われるとこっちも責める気なんてなくなってしまう。

それにさっき聴いた歌

それを聞いた分には歌声に悪い影響なんて感じられなかった。

 

ううん

声も昔よりハスキーがかった渋さがあって

味になってると思う。

 

「ふーん。ねぇ一本貰っていいかしら」

 

「えっ」

 

そんな彼女を見てると自分の中で好奇心が疼いてしまった。

 

「いいですけど。ツバサさんはいいんですか。そのあなたは」

 

「いいのよ。そのことも含めて会いに来たんだから」

 

「?」

 

私の言葉に要領を得ない顔のまま箱を開けて揺すり一本取りやすいようにこちらに向ける。

そこからもらった一本を覚束無い手つきで取った煙草を恐る恐る加えてそばにあったライター彼女のライターで火を点けようとするが。

 

「んっ あれっ」

 

火花は出るのに肝心の火がライターに灯らない。

悪戦苦闘をしていると穂乃果さんが手を差し伸べてくれる。

 

「ああ、ちょっと待ってくださいね。このライターちょっとクセがあって。……はい、どうぞ」

 

「あ、ありがとう」

 

私が何度もやって出来なかったのに彼女は1回で火を点けた。

穂乃果さんの手の中で揺らめく小さな火に顔を近づけて煙草の先端が燃え始める。

人に煙草の火を点けてもらうなんて映画なんかでよく目にする行為だけど

いざ自分がやられてみると意外に気恥ずかしく感じてしまう。

この歳で大人びた行為にワクワクしてしまうなんて。

ジジっと音がしてからフレーバーで付けられた香りが鼻をくすぐる。

その香りを楽しもうと鼻で息を吸ったのがまずかった。

 

「んっ ケホっ ゲホ」

 

やっぱり慣れないことはするものじゃなかった。

吸ったことない煙を私の器官が拒絶反応を示した。

煙を吸った鼻腔もビリビリする。

目も煙でしみる。

 

「ツ、ツバサさんっ。大丈夫ですか」

 

「ケホ ごめんなさい。一本無駄にしちゃったわね」

 

「もう。これ結構重いやつなんですよ。ん」

 

「あっ」

 

涙目で咳き込んだ私の指からヒョイと煙草を取り上げるとそのまま彼女は自分の口へ持っていく。

 

「……フぅー」

 

なんてことはない仕草

歳もさほど変わらない

それなのに

自分の中の高坂穂乃果像とは離れた余裕ぶった仕草がなんとも大人びたように感じて

彼女といると少女だった頃のような気持ちにさせる。

 

「あっ」

 

私はじっと見てしまったから彼女も自分はしたことに気づいたようだ。

自分が咥えた煙草の口元に目を向けてから私の顔を交互に見る。

 

「あ、あはは……」

 

それから照れた笑顔はやっぱり私の知ってる高坂穂乃果だった。

 

 

「シカゴのパブだからってChicagoを歌うなんて。なんともあなたらしい率直さね」

 

「そうですか。なんか大好きなんですよ。」

 

「大好き……」

 

「この街ってとっても賑やかなのに冬はとっても寒くて。ここに来てからしばらくしたある冬に見た夜景が。その冷たい空気の中で見た夜景がびっくりするほど綺麗で。その時にこの曲に出会ったんですけど本当にぴったりで。だからツバサさんが来るって知って……この街で一番聞いてもらいたい曲がこの曲だったから」

 

たしか彼女が歌った曲はピーター・セテラがまだボーカルだった頃のものだったはず。

100万ドルの歌声と言われたピーター・セテラと100万ドルの夜景。

なんとも出来過ぎな組み合わせに思わず苦笑してしまう。

 

You're The Inspiration

 

昔、穂乃果さんは言ってくれたことを思い出す。

「A-RISEがいてくれたからこそ、ここまで来られた気がします。」

なんて言ってくれたけどそれはこちらこそだ。

 

私は

私たちこそ

μ'sがいたからこそ

A-RISEここまでやってこれたのだ。

そう、ここまで

高坂穂乃果こそ

私のインスピレーション

私の人生の目標だった。

 

「そういえばあなたこの曲の邦題って知ってるの?」

 

「ひえ、ひりまへんけど」

 

「なんだ、私に聞かせたいって言うから知ってたのかと。ちょっと期待したのに」

 

「?」

 

頬杖をついて酔った口が咥えたまま喋る。

そんなふてぶてしい態度にちょっと意地悪をしたくなった。

 

「"君こそすべて"」

 

「?!」

 

彼女は慣れてたはずの煙草に盛大にむせて大きく咳き込んだ。

断続的に吐き出される煙が喉からだかではなく鼻からまでプカプカ出るその姿に私はお酒の効果もあって笑ってしまう。

 

「あっははははは。いやねぇ、そんなに慌てなくてもいいじゃない」

 

「げっほ ごっほ だ、だってツバサさんが変なこと言うから」

 

「変なことじゃないわよ」

 

「えっ」

 

私がまっすぐ向き合ってじっと目を見ると彼女は少したじろいだ。

咳とお酒で少し赤くなって滲んだ目。

顔の赤さもそのせいだろう。

わかっている。自惚れてはいけない。

 

「私ね、A-RISE辞めてきたの」

 

「えっ、えええええええええ?!」

 

店内に響くほどの声で驚いたから店にいた数人がこっちに目を向けたけどそんなもの彼女はお構いなしでグイと身を乗り出して私に詰め寄って問い詰める。

 

「あ、A-RISEをやめたって……」

 

「あら、やっぱり知らなかったの。まあ日本の芸能情報なんてこっちじゃ全く話題にならないでしょうからね」

 

「で、でもツバサさん、ツバサさんにとってA-RISEは」

 

「落ち着いて穂乃果さん」

 

流石にこれ以上はほかのお客さんの迷惑になる。

彼女を制すると彼女は私の言葉を聞いてくれる姿勢になった。

 

「いい、穂乃果さん。A-RISEだって永遠じゃない。それにもう30歳を越えてね、女が30を越えるといろいろ考えちゃうでしょ。これからのこととか。色々ね。その節目に私たちは考えてみたの。そしてね、みんなが自分の進むべき道を考えたときにこれが一番いい選択だって思ったのよ」

 

彼女は黙ったまま私の話を聞いている。

このまま面と向かって話すと私の方が気圧されてしまうから自分のグラスに目をやって指で中の氷を回しながらなんとか言葉を探しながら話した。

 

「でね、私が今までA-RISEをやってこれた理由はなんだろうって思ったら。やっぱりμ'sだった。ただひたすら頂点を目指すだけのA-RISEにとってμ'sは青春の光だった。でもこのままそんな面影を追ってるだけでいいのかって。あなたが旅に出て10年ぐらいたった時にふと思ったのよ」

 

「……ツバサさん」

 

「だからね、せっかくだからあなたをとことん真似して。後先考えずに追ってきちゃったのよ」

 

「え」

 

さっきまで真剣に私に向けていた目がキョトンと点になった。

数秒言葉を失ってから穂乃果さんの口が開く。

 

「……何も考えずに?」

 

「そうよ」

 

「今後の活動予定とかは」

 

「何も。そもそも今日泊まることも決めてないわ。というか帰りの飛行機代も持ってないわ」

 

「……私ってそんな向う見ずに見えますか」

 

「ええ、とっても」

 

彼女は私からカウンターテーブルにある自分にグラスに残ったお酒をグイっと一気に飲み干して深くため息をついた。

昔、西木野さんに聞いたことがある。

後先考えず全国のスクールアイドルに会いにいく時にお金を貸したことがあるって。

そんな彼女の行動力も私にとっては大きなインスピレーションだ。

 

「……私、ツバサさんがそんないい加減な人だとは思ってませんでした」

 

「あら、失礼ね。行動力を得たって言って欲しいわ」

 

「でもこれからどうするんですか」

 

「そうねぇ。私もあなたと一緒に歌おうかしら。二人ならもっと大きな店……いえ、劇場のステージでだって歌えるようになるわ」

 

「はぁ……」

 

「なによさっきからため息ばっかり。その分じゃだいぶ歳取っちゃったみたいね。あの高坂穂乃果さんが」

 

「私だってあれからだいぶ大人になってますぅ。はぁー」

 

彼女がまた煙草に伸ばそうとした手を私は遮った。

 

「ねぇ穂乃果さん」

 

「なんです…… んっ」

 

目線を向けた彼女の口元に私は自分の唇を当てた。

他に誰にも気づかれないような速さのキスだ

 

「私あなたがいなくなってからずっと寂しかった。ずっとA-RISEを続けてた時もまた昔みたいになりたかった」

 

「昔みたいにって……あ、あれは思春期の女の子の……一種のごっこ遊びっていうか」

 

「あら、私ったら遊ばれちゃってたの」

 

「そ、そんなことありません。本気でした」

 

わかってる。

一瞬だけ傷ついたふりをしてみせたけど

この人がそんな器用なことなんてできるはずがなかった。

 

「じゃあ今付き合ってる人は」

 

「……いません」

 

うん、本当に正直な人だ。

ここで嘘さえつけば

拒むことなんて出来たのに。

 

「ねぇ、もう一度私に本気になってくれない。大丈夫、この味もちゃんと慣れるから」

 

「……うー」

 

机に突っ伏して唸る彼女をよそにステージでは次のバンドが新しい曲を奏で始める。

この街と同じ名前が付いたミュージカルで流れていた曲だ。

 

「ラズル・ダズル。いい言葉ね。この街では恋も歌もスキャンダルも。この街を彩るスパイスになる。私、この街が好きになりそうよ」

 

「そうですね」

 

私が笑うと彼女も困ったように笑ってくれる。

それだけで全てを捨てて追いかけた甲斐はあったのだ。

 

 

 

 

 


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。