小学6年生の男の子が、夏休みに、亡くなった母親との思い出の渓流に行くために、一人旅をします。
初めて電車に乗って旅をして、偶然カチューシャと出会って……というお話です。
夏休みのちょっとした冒険という感じで書いています。
男の子は、カチューシャも小学生だと思い込んでいます。
子供の淡い初恋ものです。
ノンナとクラーラもちょびっとだけでてきます。
オリ主ものがお苦手でなければ、どうぞ~!!
(PIXIVに投稿済みの作品です)
「え? 今年は渓流に行かないの?」
僕の問いかけに父が悲しそうに首を振った。
「どうして? 毎年行ってたじゃんか?」
「駄目なんだよ、カケル。父さんはあの場所には、行きたくない。あの場所は、母さんとの思い出の場所だったんだ」
そういわれると、返す言葉がなかった。
僕の母親は、今年の2月に死んだ。
交通事故だった。
来年4月から中学生になる僕の学ラン姿を見ることなく死んでしまった。
父は、母さんが死んでから、表向きは明るく振舞っていた。
だがちょっとした表情や動作に、悲しみの念が滲むときがある。
そのことを知っていたから、僕は父にそれ以上無理強いはできなかった。
二人でもそもそと夕食を食べ、僕は2階の自室にこもった。
ベッドに寝転び、天井を見つめる。
夏休み。
本当なら毎年、僕ら家族は渓流に遊びに行っていた。
そこは、母の故郷の街にある渓流だった。
僕は目を閉じる。
去年の夏の光景が思い浮かぶ。
バーベキューをした。
水遊びをした。
今年は、それができないのか。
父はその渓流を見るのが耐えられないのだろう。
母のことを思い出してしまうのだろう。
けれど僕は。
あの渓流から遠ざかって、このまま2度と行かなくなってしまうことの方が嫌だ。
母との思い出や繋がりの場所から遠ざかってしまうと、これまでの全てが消えてしまうような気がする。
……父さん、ごめん。
僕は翌朝、小遣いを握りしめて、家を出た。
あの渓流に向かうために。
※
渓流のある街の名前は覚えていた。
電車を乗り継ぎ、駅にたどり着く。
そこからが問題だった。
いつもは、駅前で父が車をレンタルしていた。
車で渓流まで向かっていたのだ。
だが僕一人では、車の運転なんてできない。
さて、どうしようか……。
立ち尽くしていると、駅員のおじさんが声をかけてきた。
「どうしたんだい?」
「あ、実は、行きたいところがあって……」
僕が渓流の名前を口に出すと、おじさんは「バスで行くと良いよ」と教えてくれた。
よかった。
バスがあったのか。
喜び勇んで、改札を出て、駅前のロータリーに向かう。
バスの時刻表をチェックする。
「うわぁ。マジかよ……」
バスは、1時間に1本しかない。
しかもついさっき出たばかりだった。
「仕方ない。時間を潰すか」
呟いて、バス停のベンチに目をやると、小さな女の子がいた。
僕よりも少し年下に見える。
小学生だろう。
6年生の僕よりも、ひと回りは小さい。
4年生ぐらいかな?
真っ白なワンピースが夏の陽光に映えている。
少し強気な瞳と眼があった。
すごく可愛い。
僕がつい、見とれていると、女の子が口を開いた。
「ちょっと、あんた」
「え? ぼ、僕?」
「そうよ、あんたよ。さっきから何をじろじろ見ているの? カチューシャに用でもあるわけ?」
「あ、あはは」
僕は困ったように頭を掻いた。
すごく気の強い女の子みたいだ。
見とれていた、と答えるのは恥ずかしいし、一体どう弁明しようか。
と、悩んでいると、女の子がすっくと立ち上がる。
やっぱり、凄く小さい。
130センチ無いんじゃないだろうか。
ひざ丈のワンピースのすそが、風にふわりと揺れる。
「煮え切らない男ね。そんなんじゃ、過酷な戦場で生き残れないわよ?」
そんなことを言いながら、僕の方へとトコトコと歩いてくる。
「ご、ごめん」
訳もわからず、僕は謝った。
「あんた、バスを待ってるの?」
「え、うん」
「この辺は本数が少ないみたいよ。どれに乗るの?」
「これだけど……」
僕が指差した時刻表をまじまじと見つめ、女の子が宣言した。
「1時間もあるじゃないの! ちょうど良いわ。バスを待ってる間、カチューシャの相手をしなさい!」
※
女の子……カチューシャちゃんは、今度はベンチではなく、ロータリーの脇にある噴水のヘリに腰掛ける。
腰を下ろした位置のすぐ隣を指さし、
「ここに座ってもいいわよ。カチューシャが許可するわ」
と笑う。
君の噴水じゃないけどね。
けれど、その妙に尊大な態度が逆に微笑ましくて、僕は楽しい気分になった。
どうせバスはなかなか来ないんだ。
この子の話し相手も悪くないだろう。
僕が隣に腰掛けると、カチューシャちゃんは僕を見上げて顔をしかめた。
「むぅ……」
「どうしたの?」
問いかけには答えず、立ち上がり、腰掛けていた噴水のヘリに立つ。
「ちょ、危ないよ?」
「いいのよ。これでカチューシャの方が背が高いわ」
「そんなことを気にしていたの?」
「カチューシャはいつだって誰よりも上にあるべき立場なんだから」
「でも、降りた方がいいよ? バランスが悪いし」
「ふん。こんなのへっちゃらよ」
腰に手を当てて胸を張るカチューシャちゃん。
その時、一陣の風が吹いた。
僕の目の前でカチューシャちゃんのスカートが舞い、ワンピースの中の下着が丸見えになる。
「きゃっ!」
あわててスカートを押さえようとして、カチューシャちゃんがバランスを崩す。
「カチューシャちゃん!」
僕はあわてて立ち上がり、彼女の体を支えた。
「……あ、ありがとう。助かったわ」
顔を真っ赤にしてカチューシャちゃんが礼を述べる。
頬を赤らめているのは、下着を見られたからか、バランスを崩したのがカッコ悪かったからか。
その両方だろうか。
「きょ、今日は、あんたに免じて座っておいてあげるわ。と、特別にカチューシャよりも背が高くても許してあげる」
「それはありがとう」
「ところで、あんた。名前はなんていうの? カチューシャはカチューシャよ」
「僕は、カケルだよ。新藤カケル」
「ふぅん。それじゃ、カケルって呼ぶわね」
「うん」
「カケルは、こんなところで何してるの?」
「僕は……バスを待ってるんだ」
「そんなことは知ってるわ。どこに行くの?」
「その……。渓流だよ」
「渓流?」
カチューシャちゃんが、きょとんとした顔で僕を見る。
言葉が難しかっただろうか?
「渓流……つまり、ここからバスで山を登っていくと、綺麗な川があるんだ。そこに行きたいんだよ」
「ふぅん。そんなところに行って何をするの?」
「何かをするってわけじゃないけど」
言われてみて確かに、するべきことは何も思い描いていないことに気がついた。
僕は、母との繋がりを断ち切りたくなくて、この街に来たけど、渓流にたどり着いた後、なにをするか何も考えていなかった。
一人ぼんやりとするのだろうか?
それはそれでかなり虚しいな。
「カチューシャちゃんは、ここで何やってるの?」
「ちょっと!」
「な、なに?」
「『ちゃん』ってなんなの、『ちゃん』って」
「え? 駄目だった?」
「あんた、どう見てもカチューシャよりも年下でしょ? カチューシャ『様』って呼びなさいよね」
僕はカチューシャちゃんをまじまじと見つめる。
年上?
いやいや、どういても小学生だろ。
背伸びしたいお年頃なのかな。
合わせててあげてもいいんだけど、『様』はさすがにちょっとな。
「『様』って呼んじゃうと、上下関係みたいになっちゃうよ?」
「それが良いのよ。カチューシャはとっても偉いんだから」
妙な自信たっぷりに言い放つ。
僕は苦笑しながら言った。
「でもさ、僕は上下関係よりも友達になりたいな。せっかくこうして偶然出会えたんだしさ」
「と、友達!?」
「そ。友達。友達が上下関係だとおかしいでしょ?」
「友達……」
カチューシャちゃんが、ともだち、ともだち……とぶつぶつ言っている。
少し照れたような表情で顔を上げると、言った。
「それじゃ、特別よ! 友達になることを許可するわ!」
「ありがとう!」
「ただし! 『ちゃん』は禁止。『カチューシャ』って呼び捨てにすること!」
「わかった!」
※
カチューシャちゃん……いや、カチューシャは、今日は「敵情視察」にこの街にやってきたらしい。
どういう意味だろう。
何かの遊びなのかな。
「ノンナは急用ができて、夜にしか到着できないの。それで今日は1日、暇なのよ」
「バスを待ってたわけじゃなかったんだね」
「この辺は散歩し飽きて、なんとなく座っていただけ」
「
がばっと、カチューシャが僕に身を乗り出す。
「ね、ね。渓流ってどんな所? カチューシャに説明しなさい!」
「ん~、そうだなぁ」
僕は顎に指を当て、いつもの渓流の光景を思い描く。
「山の中なんだけどね、少し開けていて、川があるんだ。ちょっと流れは速いんだけど、すごくきれいな川で。魚も泳いでるんだよ」
「お魚!」
カチューシャの目が輝く。
「魚は好き?」
「そうね。サリャンカもセリョートカ・バト・シューバも大好物よ?」
「サリャ……? 料理か何か?」
「そうよ。とってもおいしいんだから!」
「渓流も、アユ料理ならあるよ」
「アユ料理?」
「うん。アユ釣りができる場所があって、釣ったアユを焼いてくれたりするんだ」
そんな会話をしていると、視界の片隅にバスの姿が見えた。
「あ、ヤバい!」
しまった。
話し込んでいる間に、もうそんな時間になってしまっていたのか!
「どうしたの?」
「バスが来ちゃってる! ごめん、カチューシャ。僕はあれに乗るね!」
言って、走ってバスに向かう。
何とかぎりぎり、間に合った。
バスに乗り込んで1分もたたないうちに、ドアが閉まる。
間一髪だった。
「間に合って良かったわね」
「いや、ほんとだよ……って、え? カチューシャ、どうして君まで乗ってるの?」
「退屈だから。カチューシャも一緒に行ってあげるわ。その渓流に。感謝しなさい」
「えぇぇぇ~!」
車内に僕の驚きの声が響いた。
※
「な、なによ。一緒だと嫌だとでもいうの?」
「い、いや、そんなことはないけど。でもあんまりにも唐突だったから……」
「何でも物事は早めに決断するのが良いのよ。それとも、本当に嫌なの?」
僕は首を振った。
驚きはしたけど、この子と一緒にいることは楽しい。
渓流で二人で遊べるなら、それはむしろうれしいことだ。
「全然嫌じゃないよ。むしろ嬉しいぐらい」
「そ、そう。そうに決まってるわよね。このカチューシャが誘ってあげてるんだから」
カチューシャが少し照れたように言う。
「でもさ、待ち合わせとかはいいの? その、ノンナさんだっけ? 合流する時間を決めているんじゃないの?」
「ざっくり夜と決めているだけ。向こうもまだ用事があるはずだし。山でそんなに夜まで過ごさないでしょう?」
「それはそうだね。夕方までには帰るつもり」
「問題なしよ」
「そっか」
僕は胸をなでおろした。
なんとなく、ノンナさんというのが怖い人なような気がしたからだ。
カチューシャの保護者とか、そんな感じがする。
待ち合わせに遅れるようなことがあったら、僕が怒られそうだ。
※
だが、20分ほどのち、僕はとんでもない過ちに気づくことになった。
「あ、あれ?」
「ん? どうしたの?」
バスの窓から見える光景が、全く見覚えのないものだ。
いつも、父の運転する車から見える光景は、市街地を抜けると坂を上がっていき、途中からは完全に山道になる。
バスと自家用車ではルートは多少違うかもしれないが、それにしても、いま車窓から見えている光景は、違いすぎる。
もう20分も乗っているのに、山道に入っていく様子はないし、周辺は見たことのない街並みだ。
妙に整理されたこぎれいな家が立ち並んでいる。
再開発地区的というか。
「ごめん、ちょっと座っていて。ルートを確認してくる」
僕は席を立つ。
バスの運転手が、「走行中は立ち上がらないでください」とアナウンスしたが、無視をして、運転手に問いかける。
「あの。上沢渓流公園に行きたいんですけど、このバスで合っていますか?」
「え? 違うよ、これじゃないよ」
運転手が無慈悲な言葉を述べた。
「これは33系列って言ってね、途中で別の道に入って、山の脇の工業団地に向かうんだ」
「それじゃ、渓流公園には?」
「通らないよ、そこは」
なんてこった。
僕は頭を抱えた。
「ど、どうしよう……」
ふらふらと席に戻る。
「ねぇ、一体どうしたの?」
カチューシャが問いかけてきた。
本当は、男らしく「心配しないで」と言いたかったけど、無理だ。
僕は絶望に震えた声を上げる。
「勘違いしちゃったんだ。乗るべきバスを間違えた。あの時、バスが来たからあわてて乗っちゃったけど、ちゃんと確認すればよかった!」
どうしよう。
僕がこんな風だと、小さなカチューシャは泣きだしちゃうかもしれないのに。
僕が頼りにならなきゃいけないのに……。
ぺしっ。
「え?」
唐突におでこをはじかれた。
顔を上げると、カチューシャが小さな指でデコピンをしていた。
「こらっ。しっかりしなさい」
「で、でも……」
「予想外の危機が起こった時こそ、冷静に対策を練るべきよ。一緒に解決法を考えてあげる。情報を出しなさい。バスは全く違うルートなの? それとも、途中までは同じ?」
「と、途中までは同じみたいだ」
「どこから違うルートに入ってるの?」
僕は、先ほど運転手から聴いた停留所の名前を上げる。
「ということは……」
カチューシャが、壁に貼ってある運行ルート表を目で追う。
「ここね。それで、今が、ここだから……左に逸れて、まだ3駅だわ」
「そ、そうみたいだね」
「ちょっと、訊いてくる」
カチューシャは立ち上がると、運転手の方に歩み寄る。
何か話し合ってから、戻ってくる。
「次の駅で降りましょう」
「次で?」
「ええ。ここから分岐駅までは徒歩で15分ぐらいみたい。戻ってもそこまで苦痛ではないわ。もしかしたら、この先で、折り返しのバスと合流できる駅があるなら、そこまで乗った方がいいかと思ったけど、そういう駅はないみたい。だから、少しでも早く降りるのが正解よ」
す、すごい……。
間違えたルートに乗ってしまったことで頭がいっぱいだった僕と大違いだ。
僕は恥ずかしさでうつむいた。
その時、運転手のアナウンスが聴こえる。
「次、穂積。穂積」
「お、降ります!」
あわてて下車ボタンを押した。
※
穂積バス停は、何もないさびしい場所だった。
ただの田舎の小路に、ぽつんとある停留所だ。
気分が暗くなる。
「こーらっ!」
「あ、いたたた」
手の甲をひねられた。
「そんなに暗い顔しないの。間違えちゃったものは仕方ないでしょ? それよりも、少しでも早く目的地に着けるよう努力しましょ?」
「そ、そうだね」
「あ、そうだわ!」
「どうしたの?」
「分岐点の停留所に戻らなくても、徒歩ならもっと先の場所にショートカットできるかもしれないわ。地元の人に訊いてみましょ? ねぇ、そこの人!」
小道の向こうから歩いてきたおばさんに、声をかける。
「あらあら、どうしたのかしら?」
優しそうなおばさんが目を細めた。
「ここに行きたいの。どうすれば早く着けるのか、道を知ってる?」
「渓流公園ね。それなら、そっちのあぜ道を行くといいわよ。小川に突き当たるから、小川を上って行ってちょうだい。そうしたら、山間の釣り池に出るわ。そこが、渓流公園にすぐ着くバス停よ」
「ありがとう。感謝するわ!」
カチューシャが、満面の笑みで振り返る。
「ね? 少し努力すれば、たいていの物事は何とかなるわ」
※
二人して、畦道を歩く。
夏の日差しがきついかと思ったけど、木陰が多いのでそれほど苦にならない。
むしろ、木漏れ日が心地いいぐらいだった。
カチューシャは、楽しげに鼻歌を歌いながら僕の一歩先を歩く。
「それって、何の歌? どことなく懐かしい感じだけど、日本語じゃないよね?」
「これはロシア民謡よ」
「ロシア……」
「行ったことある」
「ううん」
「カチューシャもないわ」
「そうなんだ」
「でも、いつも憧れているの。凍りつく大地。そこで生きる人々。ロシアの人々は、きっと強いわ。大変な環境を生き抜くんだもの」
「だから、カチューシャも、強くありたいの?」
「う~ん……」
カチューシャの足が止まる。
「そんなに深く考えたことはないわ。カチューシャはカチューシャよ。私自身が、誰よりも強くありたいだけ」
「そっかぁ」
再び、てくてくと歩き出す。
「あのさ」
「なぁに?」
「僕ね……僕も、たぶん、強くありたかったんだ」
「強く?」
「実は、これから行く渓流ってさ。僕のお母さんが好きな場所なんだ。でも、お母さんは死んじゃって。毎年、家族で来ていたのに、今年の夏は、お父さんが行きたがらないんだ。僕はそのことが悔しくて。お母さんが死んじゃった悲しみに、負けないぞって。そう思って、渓流に行こうって思ったんだ。でも、結局、弱虫だ。バスは間違えちゃうし、慌てふためいて、何もできなかったし……」
「そんなことないわ」
「え?」
「カケルは十分に強いわよ」
「ど、どうして?」
「だって。お母さんの死と向き合ってるじゃない。動きだせないお父さんよりも確実に強いと思うし、あなたの同い年の男の子たちのほとんどよりも、あなたの方が強いと思うわよ」
「そ、そう、かな」
「ええ! このカチューシャが保障するのよ! 絶対だわ!」
「あ、ありがとう!」
なんだか、心の中が温かくなるような気がした。
と、畦道が開けて、広い湖が目前に現れた。
すごい。
釣り池ってこれのことか?
こんなに大きくて、綺麗な湖なんだ。
知らなかった。
「わぁ!」
思わず、歓喜の声が漏れる。
「素敵ね!」
カチューシャが駆けだした。
「カケル!」
湖を背に、振り返る。
「あなたのおかげよ!」
「ど、どうして?」
「だって、間違えたバスに乗らなかったら、こんなに素敵な湖を見ることはできなかったじゃない!」
「あ!」
そっか。
どんなことにも、こんな風に。
前向きな何かを感じ取ることができたら。
人生はとても楽しくなるんだ。
「さ、バス停は湖の裏側みたいよ。湖畔沿いを散歩していきましょ?」
「うん!」
※
バスは、15分も待たないうちにやってきた。
畦道を歩いているうちに、程いい時間が過ぎていたらしい。
バスに乗り込み、渓流公園へ。
湖からだと10分もかからなかった。
「うわぁ、涼しいわ!」
カチューシャが驚きと感動の入り混じった声を上げる。
「夏なのに、こんなに涼しいのね」
ここだけは、僕の独壇場だ。
「そうなんだ。水が流れているからだと思うよ。それに、山間だからね!」
「ところどころ日差しがさして、水面がきらきらしているのね」
「気に入った?」
「もちろんよ! ね、ね! 川のあちら側に渡ってみたいわ!」
「う~ん。少し流れが速いからなぁ。カチューシャの足だと、危ないかも」
「むむぅ……そうだ! カケル、肩車しなさい!」
「か、肩車?」
「そうよ。ノンナがいつもしてくれるの。カケルがカチューシャを肩車して、川を渡ってくれたらいいのよ」
「それはさすがに無理だよ~」
「どうしてよぉ」
「ノンナさんて、身長はどれぐらい?」
「う~ん、とっても大きいわ」
「大人の人?」
「ノンナは高校生よ」
「それだと、僕とは背が違うよ。僕はカチューシャよりちょっと高いくらいだよ? 背負うのは無理だよ。でも、その代わり……」
僕は勇気を振り絞って、カチューシャの手を握る。
小さくて、あったかい手。
「こうして、僕が、手をつないでおくから。二人で渓流を渡ろ?」
「う、うん」
怒るかな、と思ったけど、カチューシャはおとなしく頷いてくれた。
じゃばっ。
足を渓流に踏み入れる。
さらさらとした流れが心地いい。
「足を滑らせると危ないから。一歩ずつ、確実に進もうね」
「わ、わかったわ!」
僕たちは、慎重に、渓流を渡っていく。
途中、すこし転びそうになりながらも、何とか渡りきった。
「やったね!」
「ええ!」
僕たちは顔を見合わせて笑いあう。
「あの建物は何かしら?」
渓流を渡った先にある和風な作りの建物をカチューシャが指差した。
「あぁ。あれは、温泉だよ。正確には料亭兼温泉かな」
「温泉!」
カチューシャの目が煌めく。
「入りたいわ! あんなに歩いて、汗びっしょりなんだもの!」
「確かにそうだね」
僕は、ボディバッグを開けて、お小遣いをチェックする。
うん。
これなら、大丈夫そうだ。
「それじゃせっかくだし、入って帰ろうか」
「ええ!」
※
一時間後。
「ふぅ……初めて入ったけど、いい湯だった」
温泉に入り、ロビーのソファでくつろいでいると。
「待たせたわね!」
なんと、浴衣姿のカチューシャがやってきた。
「あれ? どうしたの、その服」
僕は思わず見とれてしまう。
ほのかに濡れた髪、火照って赤く染まった頬が、艶めかしい。
小さな女の子のはずなのに。
年下……だと思うんだけど。
どうしてだろう。
凄く、色っぽい……。
「ふふふ! 浴衣の貸し出しサービスがあったのよ!」
カチューシャがぺったんこの胸を張る。
「ね。あっちでアイスを売ってるわ。一緒に食べましょう?」
「う、うん」
手を握られた。
わ、わ。
なんだか、胸が熱くなる。
は、早くアイスを食べて、冷やさなきゃ。
※
アイスを食べ終えて、ロビーでゆっくりして、帰りのバスの時刻表を見ると。
「し、しまった!」
夕方を過ぎるとさらに本数が減るらしい。
またもや一時間以上待つことになってしまった。
「こ、これはさすがにノンナに怒られそうね……」
「連絡した方がいいんじゃない?」
「そうね……って、あれ?」
「どうしたの?」
「ここ、圏外だわ」
「や、山の中だから……」
※
駅前に着くころには、すっかり外は暗くなってしまっていた。
バスを降りると、背の高い女性の人影が。
すらりとした、綺麗な人だ。
この人が、ノンナさん?
「カチューシャ!」
女の人が、声を上げる。
お、怒られる?
と思ったけど、彼女は、心底うれしそうに、カチューシャを抱きしめた。
「もう、心配しましたよ」
「ごめんね、ノンナ?」
「無事なら、良いんです」
「よかったですね」
後ろから、もう一つ人影が。
こちらは金髪の女の人。
外国人さん?
「クラーラ! あなたも来てくれていたのね」
カチューシャが笑顔を見せる。
「ダー。カチューシャ様のいらっしゃる所なら、どこにでも参ります」
さ、様?
カチューシャって、この二人とどういう関係なんだろう……。
「さて。話は伺っております」
ノンナさんが僕に目を向けた。
こ、今度こそ、怒られる?
身構えた僕の目の前で、ノンナさんが深々と頭を下げた。
「へ?」
「このたびは、カチューシャのことを色々と気遣っていただき、ありがとうございました」
「い、いえ、そんな。ぼ、僕の方こそ……」
「カケル!」
カチューシャが、僕の名前を呼んだ。
澄んだ瞳が、僕を射抜く。
「ありがとう! 最高に楽しかったわ!」
ちゅっ。
僕の頬に、柔らかいものがふれる。
こ、これって……。
「特別よ?」
カチューシャが、いたずらっぽく微笑む。
僕は、頭が爆発しそうになった。
「では、我々はそろそろ……」
「そうね。ノンナ!」
「はい」
掛け声に、ノンナさんがしゃがむ。
カチューシャを肩車。
「ふふふ。カケルよりも高いわね!」
「そりゃそうだよ~」
そこで、会話が途切れる。
お互いに、別れの時間が迫っていることを理解している。
僕が口を開こうとした矢先、カチューシャが先に言った。
「ねぇ、カケル」
「う、うん」
「いつか、もっと背が高くなって、ノンナを追い抜いたら、会いに来なさい! また遊んであげるわ!」
カチューシャが、元気いっぱいに微笑んだ。
「ね? 約束よ?」
「う、うん! 絶対に僕、もっと大きくなるよ。 それで、カチューシャに会いに行く!」
「いい心がけね! 待ってるわ!」
僕は大きく頷いた。
心の中の寂しさはもう掻き消えていた。
家族のことで悩んでいた嫌な気分はどこかに立ち去り、前向きな目標が、僕の中に生まれた。
カチューシャと、ノンナさんとクラーラさんが去っていく。
僕はその後ろ姿に、力いっぱい手を振った。
彼女たちが見えなくなると、駆け出した。
駅の階段を、駆け上る。
改札口を入ると、家に帰る電車が車で、少し時間があった。
僕は携帯を取り出し、父に電話した。
いつまでも、子供のように逃げていちゃいけないと思ったからだ。
カチューシャみたいな、心の強い人になりたい!
父を責めるのではなく、僕は僕で、母の死と向き合いたいと、ちゃんと伝えたい!
「あ、もしもし、お父さん……」
「カケル? どうしたんだ、こんな夜まで帰らないで……」
「そのことなんだけど、実は僕、今日さ……」
僕は、今日あった出来事を話した。
そして、母の死から逃げるのではなく、きちんと向き合いたいという気持ちを伝えた。
僕の言葉を聞く、父の相づちは、優しかった。
(完)
いかがでしたでしょうか。
まだ小説を書きはじめて間がないので、ご意見をいただけると、ありがたいです。
今後に反映させていただきます。