カチューシャとオリジナルの男の子のほんのりラブコメものになります。
小学6年生の男の子が、夏休みに、亡くなった母親との思い出の渓流に行くために、一人旅をします。
初めて電車に乗って旅をして、偶然カチューシャと出会って……というお話です。
夏休みのちょっとした冒険という感じで書いています。
男の子は、カチューシャも小学生だと思い込んでいます。
子供の淡い初恋ものです。
ノンナとクラーラもちょびっとだけでてきます。

オリ主ものがお苦手でなければ、どうぞ~!!

(PIXIVに投稿済みの作品です)

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第1話

「え? 今年は渓流に行かないの?」

 

僕の問いかけに父が悲しそうに首を振った。

 

「どうして? 毎年行ってたじゃんか?」

「駄目なんだよ、カケル。父さんはあの場所には、行きたくない。あの場所は、母さんとの思い出の場所だったんだ」

 

そういわれると、返す言葉がなかった。

僕の母親は、今年の2月に死んだ。

交通事故だった。

来年4月から中学生になる僕の学ラン姿を見ることなく死んでしまった。

父は、母さんが死んでから、表向きは明るく振舞っていた。

だがちょっとした表情や動作に、悲しみの念が滲むときがある。

そのことを知っていたから、僕は父にそれ以上無理強いはできなかった。

二人でもそもそと夕食を食べ、僕は2階の自室にこもった。

ベッドに寝転び、天井を見つめる。

夏休み。

本当なら毎年、僕ら家族は渓流に遊びに行っていた。

そこは、母の故郷の街にある渓流だった。

僕は目を閉じる。

去年の夏の光景が思い浮かぶ。

バーベキューをした。

水遊びをした。

今年は、それができないのか。

父はその渓流を見るのが耐えられないのだろう。

母のことを思い出してしまうのだろう。

けれど僕は。

あの渓流から遠ざかって、このまま2度と行かなくなってしまうことの方が嫌だ。

母との思い出や繋がりの場所から遠ざかってしまうと、これまでの全てが消えてしまうような気がする。

……父さん、ごめん。

僕は翌朝、小遣いを握りしめて、家を出た。

あの渓流に向かうために。

 

 

渓流のある街の名前は覚えていた。

電車を乗り継ぎ、駅にたどり着く。

そこからが問題だった。

いつもは、駅前で父が車をレンタルしていた。

車で渓流まで向かっていたのだ。

だが僕一人では、車の運転なんてできない。

さて、どうしようか……。

立ち尽くしていると、駅員のおじさんが声をかけてきた。

 

「どうしたんだい?」

「あ、実は、行きたいところがあって……」

 

僕が渓流の名前を口に出すと、おじさんは「バスで行くと良いよ」と教えてくれた。

よかった。

バスがあったのか。

喜び勇んで、改札を出て、駅前のロータリーに向かう。

バスの時刻表をチェックする。

 

「うわぁ。マジかよ……」

 

バスは、1時間に1本しかない。

しかもついさっき出たばかりだった。

 

「仕方ない。時間を潰すか」

 

呟いて、バス停のベンチに目をやると、小さな女の子がいた。

僕よりも少し年下に見える。

小学生だろう。

6年生の僕よりも、ひと回りは小さい。

4年生ぐらいかな?

 

真っ白なワンピースが夏の陽光に映えている。

少し強気な瞳と眼があった。

すごく可愛い。

僕がつい、見とれていると、女の子が口を開いた。

 

「ちょっと、あんた」

「え? ぼ、僕?」

「そうよ、あんたよ。さっきから何をじろじろ見ているの? カチューシャに用でもあるわけ?」

「あ、あはは」

 

僕は困ったように頭を掻いた。

すごく気の強い女の子みたいだ。

見とれていた、と答えるのは恥ずかしいし、一体どう弁明しようか。

と、悩んでいると、女の子がすっくと立ち上がる。

やっぱり、凄く小さい。

130センチ無いんじゃないだろうか。

ひざ丈のワンピースのすそが、風にふわりと揺れる。

 

「煮え切らない男ね。そんなんじゃ、過酷な戦場で生き残れないわよ?」

 

そんなことを言いながら、僕の方へとトコトコと歩いてくる。

 

「ご、ごめん」

 

訳もわからず、僕は謝った。

 

「あんた、バスを待ってるの?」

「え、うん」

「この辺は本数が少ないみたいよ。どれに乗るの?」

「これだけど……」

 

僕が指差した時刻表をまじまじと見つめ、女の子が宣言した。

 

「1時間もあるじゃないの! ちょうど良いわ。バスを待ってる間、カチューシャの相手をしなさい!」

 

 

女の子……カチューシャちゃんは、今度はベンチではなく、ロータリーの脇にある噴水のヘリに腰掛ける。

腰を下ろした位置のすぐ隣を指さし、

 

「ここに座ってもいいわよ。カチューシャが許可するわ」

 

と笑う。

君の噴水じゃないけどね。

けれど、その妙に尊大な態度が逆に微笑ましくて、僕は楽しい気分になった。

どうせバスはなかなか来ないんだ。

この子の話し相手も悪くないだろう。

僕が隣に腰掛けると、カチューシャちゃんは僕を見上げて顔をしかめた。

 

「むぅ……」

「どうしたの?」

 

問いかけには答えず、立ち上がり、腰掛けていた噴水のヘリに立つ。

 

「ちょ、危ないよ?」

「いいのよ。これでカチューシャの方が背が高いわ」

「そんなことを気にしていたの?」

「カチューシャはいつだって誰よりも上にあるべき立場なんだから」

「でも、降りた方がいいよ? バランスが悪いし」

「ふん。こんなのへっちゃらよ」

 

腰に手を当てて胸を張るカチューシャちゃん。

その時、一陣の風が吹いた。

僕の目の前でカチューシャちゃんのスカートが舞い、ワンピースの中の下着が丸見えになる。

 

「きゃっ!」

 

あわててスカートを押さえようとして、カチューシャちゃんがバランスを崩す。

 

「カチューシャちゃん!」

 

僕はあわてて立ち上がり、彼女の体を支えた。

 

「……あ、ありがとう。助かったわ」

 

顔を真っ赤にしてカチューシャちゃんが礼を述べる。

頬を赤らめているのは、下着を見られたからか、バランスを崩したのがカッコ悪かったからか。

その両方だろうか。

 

「きょ、今日は、あんたに免じて座っておいてあげるわ。と、特別にカチューシャよりも背が高くても許してあげる」

「それはありがとう」

「ところで、あんた。名前はなんていうの? カチューシャはカチューシャよ」

「僕は、カケルだよ。新藤カケル」

「ふぅん。それじゃ、カケルって呼ぶわね」

「うん」

「カケルは、こんなところで何してるの?」

「僕は……バスを待ってるんだ」

「そんなことは知ってるわ。どこに行くの?」

「その……。渓流だよ」

「渓流?」

 

カチューシャちゃんが、きょとんとした顔で僕を見る。

言葉が難しかっただろうか?

 

「渓流……つまり、ここからバスで山を登っていくと、綺麗な川があるんだ。そこに行きたいんだよ」

「ふぅん。そんなところに行って何をするの?」

「何かをするってわけじゃないけど」

 

言われてみて確かに、するべきことは何も思い描いていないことに気がついた。

僕は、母との繋がりを断ち切りたくなくて、この街に来たけど、渓流にたどり着いた後、なにをするか何も考えていなかった。

一人ぼんやりとするのだろうか?

それはそれでかなり虚しいな。

 

「カチューシャちゃんは、ここで何やってるの?」

「ちょっと!」

「な、なに?」

「『ちゃん』ってなんなの、『ちゃん』って」

「え? 駄目だった?」

「あんた、どう見てもカチューシャよりも年下でしょ? カチューシャ『様』って呼びなさいよね」

 

僕はカチューシャちゃんをまじまじと見つめる。

年上?

いやいや、どういても小学生だろ。

背伸びしたいお年頃なのかな。

合わせててあげてもいいんだけど、『様』はさすがにちょっとな。

 

「『様』って呼んじゃうと、上下関係みたいになっちゃうよ?」

「それが良いのよ。カチューシャはとっても偉いんだから」

 

妙な自信たっぷりに言い放つ。

僕は苦笑しながら言った。

 

「でもさ、僕は上下関係よりも友達になりたいな。せっかくこうして偶然出会えたんだしさ」

「と、友達!?」

「そ。友達。友達が上下関係だとおかしいでしょ?」

「友達……」

 

カチューシャちゃんが、ともだち、ともだち……とぶつぶつ言っている。

少し照れたような表情で顔を上げると、言った。

 

「それじゃ、特別よ! 友達になることを許可するわ!」

「ありがとう!」

「ただし! 『ちゃん』は禁止。『カチューシャ』って呼び捨てにすること!」

「わかった!」

 

 

カチューシャちゃん……いや、カチューシャは、今日は「敵情視察」にこの街にやってきたらしい。

どういう意味だろう。

何かの遊びなのかな。

 

「ノンナは急用ができて、夜にしか到着できないの。それで今日は1日、暇なのよ」

「バスを待ってたわけじゃなかったんだね」

「この辺は散歩し飽きて、なんとなく座っていただけ」

がばっと、カチューシャが僕に身を乗り出す。

 

「ね、ね。渓流ってどんな所? カチューシャに説明しなさい!」

「ん~、そうだなぁ」

 

僕は顎に指を当て、いつもの渓流の光景を思い描く。

 

「山の中なんだけどね、少し開けていて、川があるんだ。ちょっと流れは速いんだけど、すごくきれいな川で。魚も泳いでるんだよ」

「お魚!」

 

カチューシャの目が輝く。

 

「魚は好き?」

「そうね。サリャンカもセリョートカ・バト・シューバも大好物よ?」

「サリャ……? 料理か何か?」

「そうよ。とってもおいしいんだから!」

「渓流も、アユ料理ならあるよ」

「アユ料理?」

「うん。アユ釣りができる場所があって、釣ったアユを焼いてくれたりするんだ」

 

そんな会話をしていると、視界の片隅にバスの姿が見えた。

 

「あ、ヤバい!」

 

しまった。

話し込んでいる間に、もうそんな時間になってしまっていたのか!

 

「どうしたの?」

「バスが来ちゃってる! ごめん、カチューシャ。僕はあれに乗るね!」

 

言って、走ってバスに向かう。

何とかぎりぎり、間に合った。

バスに乗り込んで1分もたたないうちに、ドアが閉まる。

間一髪だった。

 

「間に合って良かったわね」

「いや、ほんとだよ……って、え? カチューシャ、どうして君まで乗ってるの?」

「退屈だから。カチューシャも一緒に行ってあげるわ。その渓流に。感謝しなさい」

「えぇぇぇ~!」

 

車内に僕の驚きの声が響いた。

 

 

「な、なによ。一緒だと嫌だとでもいうの?」

「い、いや、そんなことはないけど。でもあんまりにも唐突だったから……」

「何でも物事は早めに決断するのが良いのよ。それとも、本当に嫌なの?」

 

僕は首を振った。

驚きはしたけど、この子と一緒にいることは楽しい。

渓流で二人で遊べるなら、それはむしろうれしいことだ。

 

「全然嫌じゃないよ。むしろ嬉しいぐらい」

「そ、そう。そうに決まってるわよね。このカチューシャが誘ってあげてるんだから」

 

カチューシャが少し照れたように言う。

 

「でもさ、待ち合わせとかはいいの? その、ノンナさんだっけ? 合流する時間を決めているんじゃないの?」

「ざっくり夜と決めているだけ。向こうもまだ用事があるはずだし。山でそんなに夜まで過ごさないでしょう?」

「それはそうだね。夕方までには帰るつもり」

「問題なしよ」

「そっか」

 

僕は胸をなでおろした。

なんとなく、ノンナさんというのが怖い人なような気がしたからだ。

カチューシャの保護者とか、そんな感じがする。

待ち合わせに遅れるようなことがあったら、僕が怒られそうだ。

 

 

だが、20分ほどのち、僕はとんでもない過ちに気づくことになった。

 

「あ、あれ?」

「ん? どうしたの?」

 

バスの窓から見える光景が、全く見覚えのないものだ。

いつも、父の運転する車から見える光景は、市街地を抜けると坂を上がっていき、途中からは完全に山道になる。

バスと自家用車ではルートは多少違うかもしれないが、それにしても、いま車窓から見えている光景は、違いすぎる。

もう20分も乗っているのに、山道に入っていく様子はないし、周辺は見たことのない街並みだ。

妙に整理されたこぎれいな家が立ち並んでいる。

再開発地区的というか。

 

「ごめん、ちょっと座っていて。ルートを確認してくる」

 

僕は席を立つ。

バスの運転手が、「走行中は立ち上がらないでください」とアナウンスしたが、無視をして、運転手に問いかける。

 

「あの。上沢渓流公園に行きたいんですけど、このバスで合っていますか?」

「え? 違うよ、これじゃないよ」

 

運転手が無慈悲な言葉を述べた。

 

「これは33系列って言ってね、途中で別の道に入って、山の脇の工業団地に向かうんだ」

「それじゃ、渓流公園には?」

「通らないよ、そこは」

 

なんてこった。

僕は頭を抱えた。

 

「ど、どうしよう……」

 

ふらふらと席に戻る。

 

「ねぇ、一体どうしたの?」

 

カチューシャが問いかけてきた。

本当は、男らしく「心配しないで」と言いたかったけど、無理だ。

僕は絶望に震えた声を上げる。

 

「勘違いしちゃったんだ。乗るべきバスを間違えた。あの時、バスが来たからあわてて乗っちゃったけど、ちゃんと確認すればよかった!」

 

どうしよう。

僕がこんな風だと、小さなカチューシャは泣きだしちゃうかもしれないのに。

僕が頼りにならなきゃいけないのに……。

 

ぺしっ。

 

「え?」

 

唐突におでこをはじかれた。

顔を上げると、カチューシャが小さな指でデコピンをしていた。

 

「こらっ。しっかりしなさい」

「で、でも……」

「予想外の危機が起こった時こそ、冷静に対策を練るべきよ。一緒に解決法を考えてあげる。情報を出しなさい。バスは全く違うルートなの? それとも、途中までは同じ?」

「と、途中までは同じみたいだ」

「どこから違うルートに入ってるの?」

 

僕は、先ほど運転手から聴いた停留所の名前を上げる。

 

「ということは……」

 

カチューシャが、壁に貼ってある運行ルート表を目で追う。

 

「ここね。それで、今が、ここだから……左に逸れて、まだ3駅だわ」

「そ、そうみたいだね」

「ちょっと、訊いてくる」

 

カチューシャは立ち上がると、運転手の方に歩み寄る。

何か話し合ってから、戻ってくる。

 

「次の駅で降りましょう」

「次で?」

「ええ。ここから分岐駅までは徒歩で15分ぐらいみたい。戻ってもそこまで苦痛ではないわ。もしかしたら、この先で、折り返しのバスと合流できる駅があるなら、そこまで乗った方がいいかと思ったけど、そういう駅はないみたい。だから、少しでも早く降りるのが正解よ」

 

す、すごい……。

間違えたルートに乗ってしまったことで頭がいっぱいだった僕と大違いだ。

僕は恥ずかしさでうつむいた。

その時、運転手のアナウンスが聴こえる。

 

「次、穂積。穂積」

「お、降ります!」

 

あわてて下車ボタンを押した。

 

 

穂積バス停は、何もないさびしい場所だった。

ただの田舎の小路に、ぽつんとある停留所だ。

気分が暗くなる。

 

「こーらっ!」

「あ、いたたた」

 

手の甲をひねられた。

 

「そんなに暗い顔しないの。間違えちゃったものは仕方ないでしょ? それよりも、少しでも早く目的地に着けるよう努力しましょ?」

「そ、そうだね」

「あ、そうだわ!」

「どうしたの?」

「分岐点の停留所に戻らなくても、徒歩ならもっと先の場所にショートカットできるかもしれないわ。地元の人に訊いてみましょ? ねぇ、そこの人!」

 

小道の向こうから歩いてきたおばさんに、声をかける。

 

「あらあら、どうしたのかしら?」

 

優しそうなおばさんが目を細めた。

 

「ここに行きたいの。どうすれば早く着けるのか、道を知ってる?」

「渓流公園ね。それなら、そっちのあぜ道を行くといいわよ。小川に突き当たるから、小川を上って行ってちょうだい。そうしたら、山間の釣り池に出るわ。そこが、渓流公園にすぐ着くバス停よ」

「ありがとう。感謝するわ!」

 

カチューシャが、満面の笑みで振り返る。

 

「ね? 少し努力すれば、たいていの物事は何とかなるわ」

 

 

二人して、畦道を歩く。

夏の日差しがきついかと思ったけど、木陰が多いのでそれほど苦にならない。

むしろ、木漏れ日が心地いいぐらいだった。

カチューシャは、楽しげに鼻歌を歌いながら僕の一歩先を歩く。

 

「それって、何の歌? どことなく懐かしい感じだけど、日本語じゃないよね?」

「これはロシア民謡よ」

「ロシア……」

「行ったことある」

「ううん」

「カチューシャもないわ」

「そうなんだ」

「でも、いつも憧れているの。凍りつく大地。そこで生きる人々。ロシアの人々は、きっと強いわ。大変な環境を生き抜くんだもの」

「だから、カチューシャも、強くありたいの?」

「う~ん……」

 

カチューシャの足が止まる。

 

「そんなに深く考えたことはないわ。カチューシャはカチューシャよ。私自身が、誰よりも強くありたいだけ」

「そっかぁ」

 

再び、てくてくと歩き出す。

 

「あのさ」

「なぁに?」

「僕ね……僕も、たぶん、強くありたかったんだ」

「強く?」

「実は、これから行く渓流ってさ。僕のお母さんが好きな場所なんだ。でも、お母さんは死んじゃって。毎年、家族で来ていたのに、今年の夏は、お父さんが行きたがらないんだ。僕はそのことが悔しくて。お母さんが死んじゃった悲しみに、負けないぞって。そう思って、渓流に行こうって思ったんだ。でも、結局、弱虫だ。バスは間違えちゃうし、慌てふためいて、何もできなかったし……」

「そんなことないわ」

「え?」

「カケルは十分に強いわよ」

「ど、どうして?」

「だって。お母さんの死と向き合ってるじゃない。動きだせないお父さんよりも確実に強いと思うし、あなたの同い年の男の子たちのほとんどよりも、あなたの方が強いと思うわよ」

「そ、そう、かな」

「ええ! このカチューシャが保障するのよ! 絶対だわ!」

「あ、ありがとう!」

 

なんだか、心の中が温かくなるような気がした。

と、畦道が開けて、広い湖が目前に現れた。

すごい。

釣り池ってこれのことか?

こんなに大きくて、綺麗な湖なんだ。

知らなかった。

 

「わぁ!」

 

思わず、歓喜の声が漏れる。

 

「素敵ね!」

 

カチューシャが駆けだした。

 

「カケル!」

 

湖を背に、振り返る。

 

「あなたのおかげよ!」

「ど、どうして?」

「だって、間違えたバスに乗らなかったら、こんなに素敵な湖を見ることはできなかったじゃない!」

「あ!」

 

そっか。

どんなことにも、こんな風に。

前向きな何かを感じ取ることができたら。

人生はとても楽しくなるんだ。

 

「さ、バス停は湖の裏側みたいよ。湖畔沿いを散歩していきましょ?」

「うん!」

 

 

バスは、15分も待たないうちにやってきた。

畦道を歩いているうちに、程いい時間が過ぎていたらしい。

バスに乗り込み、渓流公園へ。

湖からだと10分もかからなかった。

 

「うわぁ、涼しいわ!」

 

カチューシャが驚きと感動の入り混じった声を上げる。

 

「夏なのに、こんなに涼しいのね」

 

ここだけは、僕の独壇場だ。

 

「そうなんだ。水が流れているからだと思うよ。それに、山間だからね!」

「ところどころ日差しがさして、水面がきらきらしているのね」

「気に入った?」

「もちろんよ! ね、ね! 川のあちら側に渡ってみたいわ!」

「う~ん。少し流れが速いからなぁ。カチューシャの足だと、危ないかも」

「むむぅ……そうだ! カケル、肩車しなさい!」

「か、肩車?」

「そうよ。ノンナがいつもしてくれるの。カケルがカチューシャを肩車して、川を渡ってくれたらいいのよ」

「それはさすがに無理だよ~」

「どうしてよぉ」

「ノンナさんて、身長はどれぐらい?」

「う~ん、とっても大きいわ」

「大人の人?」

「ノンナは高校生よ」

「それだと、僕とは背が違うよ。僕はカチューシャよりちょっと高いくらいだよ? 背負うのは無理だよ。でも、その代わり……」

 

僕は勇気を振り絞って、カチューシャの手を握る。

小さくて、あったかい手。

 

「こうして、僕が、手をつないでおくから。二人で渓流を渡ろ?」

「う、うん」

 

怒るかな、と思ったけど、カチューシャはおとなしく頷いてくれた。

 

じゃばっ。

 

足を渓流に踏み入れる。

さらさらとした流れが心地いい。

 

「足を滑らせると危ないから。一歩ずつ、確実に進もうね」

「わ、わかったわ!」

 

僕たちは、慎重に、渓流を渡っていく。

途中、すこし転びそうになりながらも、何とか渡りきった。

 

「やったね!」

「ええ!」

 

僕たちは顔を見合わせて笑いあう。

 

「あの建物は何かしら?」

 

渓流を渡った先にある和風な作りの建物をカチューシャが指差した。

 

「あぁ。あれは、温泉だよ。正確には料亭兼温泉かな」

「温泉!」

 

カチューシャの目が煌めく。

 

「入りたいわ! あんなに歩いて、汗びっしょりなんだもの!」

「確かにそうだね」

 

僕は、ボディバッグを開けて、お小遣いをチェックする。

うん。

これなら、大丈夫そうだ。

 

「それじゃせっかくだし、入って帰ろうか」

「ええ!」

 

 

一時間後。

 

「ふぅ……初めて入ったけど、いい湯だった」

 

温泉に入り、ロビーのソファでくつろいでいると。

 

「待たせたわね!」

 

なんと、浴衣姿のカチューシャがやってきた。

 

「あれ? どうしたの、その服」

 

僕は思わず見とれてしまう。

ほのかに濡れた髪、火照って赤く染まった頬が、艶めかしい。

小さな女の子のはずなのに。

年下……だと思うんだけど。

どうしてだろう。

凄く、色っぽい……。

 

「ふふふ! 浴衣の貸し出しサービスがあったのよ!」

 

カチューシャがぺったんこの胸を張る。

 

「ね。あっちでアイスを売ってるわ。一緒に食べましょう?」

「う、うん」

 

手を握られた。

わ、わ。

なんだか、胸が熱くなる。

は、早くアイスを食べて、冷やさなきゃ。

 

 

アイスを食べ終えて、ロビーでゆっくりして、帰りのバスの時刻表を見ると。

 

「し、しまった!」

 

夕方を過ぎるとさらに本数が減るらしい。

またもや一時間以上待つことになってしまった。

 

「こ、これはさすがにノンナに怒られそうね……」

「連絡した方がいいんじゃない?」

「そうね……って、あれ?」

「どうしたの?」

「ここ、圏外だわ」

「や、山の中だから……」

 

 

駅前に着くころには、すっかり外は暗くなってしまっていた。

バスを降りると、背の高い女性の人影が。

すらりとした、綺麗な人だ。

この人が、ノンナさん?

 

「カチューシャ!」

 

女の人が、声を上げる。

お、怒られる?

 

と思ったけど、彼女は、心底うれしそうに、カチューシャを抱きしめた。

 

「もう、心配しましたよ」

「ごめんね、ノンナ?」

「無事なら、良いんです」

 

「よかったですね」

 

後ろから、もう一つ人影が。

こちらは金髪の女の人。

外国人さん?

 

「クラーラ! あなたも来てくれていたのね」

 

カチューシャが笑顔を見せる。

 

「ダー。カチューシャ様のいらっしゃる所なら、どこにでも参ります」

 

さ、様?

 

カチューシャって、この二人とどういう関係なんだろう……。

 

「さて。話は伺っております」

 

ノンナさんが僕に目を向けた。

 

こ、今度こそ、怒られる?

 

身構えた僕の目の前で、ノンナさんが深々と頭を下げた。

 

「へ?」

「このたびは、カチューシャのことを色々と気遣っていただき、ありがとうございました」

「い、いえ、そんな。ぼ、僕の方こそ……」

「カケル!」

 

カチューシャが、僕の名前を呼んだ。

澄んだ瞳が、僕を射抜く。

 

「ありがとう! 最高に楽しかったわ!」

 

ちゅっ。

 

僕の頬に、柔らかいものがふれる。

こ、これって……。

 

「特別よ?」

 

カチューシャが、いたずらっぽく微笑む。

僕は、頭が爆発しそうになった。

 

「では、我々はそろそろ……」

「そうね。ノンナ!」

「はい」

 

掛け声に、ノンナさんがしゃがむ。

カチューシャを肩車。

 

「ふふふ。カケルよりも高いわね!」

「そりゃそうだよ~」

 

そこで、会話が途切れる。

お互いに、別れの時間が迫っていることを理解している。

僕が口を開こうとした矢先、カチューシャが先に言った。

 

「ねぇ、カケル」

「う、うん」

「いつか、もっと背が高くなって、ノンナを追い抜いたら、会いに来なさい! また遊んであげるわ!」

 

カチューシャが、元気いっぱいに微笑んだ。

 

「ね? 約束よ?」

「う、うん! 絶対に僕、もっと大きくなるよ。 それで、カチューシャに会いに行く!」

「いい心がけね! 待ってるわ!」

 

僕は大きく頷いた。

心の中の寂しさはもう掻き消えていた。

家族のことで悩んでいた嫌な気分はどこかに立ち去り、前向きな目標が、僕の中に生まれた。

カチューシャと、ノンナさんとクラーラさんが去っていく。

僕はその後ろ姿に、力いっぱい手を振った。

彼女たちが見えなくなると、駆け出した。

駅の階段を、駆け上る。

 

改札口を入ると、家に帰る電車が車で、少し時間があった。

僕は携帯を取り出し、父に電話した。

いつまでも、子供のように逃げていちゃいけないと思ったからだ。

 

カチューシャみたいな、心の強い人になりたい!

父を責めるのではなく、僕は僕で、母の死と向き合いたいと、ちゃんと伝えたい!

 

「あ、もしもし、お父さん……」

「カケル? どうしたんだ、こんな夜まで帰らないで……」

「そのことなんだけど、実は僕、今日さ……」

 

僕は、今日あった出来事を話した。

そして、母の死から逃げるのではなく、きちんと向き合いたいという気持ちを伝えた。

 

僕の言葉を聞く、父の相づちは、優しかった。

 

(完)




いかがでしたでしょうか。
まだ小説を書きはじめて間がないので、ご意見をいただけると、ありがたいです。
今後に反映させていただきます。


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