提督が幻想郷に着任しました   作:水無月シルシ

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002 少年の思い出、青年の景色

 一体、どれだけの時を過ごしたのだろう。自分は一体何という名前だっただろうか。

 そんなことを思いながら、一人の青年は生まれ育った懐かしき土地を訪れた。

 緑溢れる山々の中、清らかな河のせせらぎと吹き抜ける柔らかな風が耳に染み渡る。青年にとって、この自然はかけがえのない大切なものであった。

 この自然だけ。

 

 とある場所でその青年は、人生を共にしながらも、憎々しく思っていた養父に殴られる。

 

 

「金は送れ。お前の顔は忘れた、もう来るな」

「きっと、二度と会うことはないでしょう」

 

 

 幽霊・妖怪、森羅万象、人知を超えたあらゆる存在を“視る”ことのできる青年は不気味と評され、長きにわたって肉体・精神共に追いやられてきた。

 決別は、ようやく成されたのである。

 

 

 

 

 

 9月のある日。

 頬をさすり、スーツケースを転がしながら、青年は持ち前の穏やかさを身に滲ませながら、鬱蒼とした森の中を歩く。セミの鳴き声もあまり聞こえなくなったのだが、代わりに風の音が際立って美しい。

 

(懐かしいなあ、この景色)

 

 時刻は夕方。予約したホテルに寄る前に、懐かしい場所に、子供の頃に唯一好きだった場所――とある神社に、久しぶりに訪れてみようとしたのがきっかけである。

 風に揺れる針葉樹と、その隙間から溢れる木漏れ日。湿った枯れ葉を踏み、時折道を塞ぐ木の枝を避け、壊れかけた石畳の道を行く。

 一歩一歩を記憶と照らし合わせ、当時のささやかな幸せを噛み締めるように。

 

(でも何だろう、昔と違う……ような?)

 

 子供の頃はこの道を走って神社までよく行ったものである。昔も今もあまり景色は変わらないはずなのだが、どこか違和感を感じさせた。

 

(……参拝客が一人もいないんだ)

 

 昔はそれでも、一度参拝道を往復するだけで必ず年老いた老人の一人は見かけたものだ。が、今では誰ともすれ違わないし、参拝に向かう者も見かけない。

 森の中でさえ、子供の頃はあれだけ不思議な感覚に包まれていたというのに、今では景色が変わらないだけのただの森のようである。

 

(成長したからかな? いや、ただ感性が鈍くなっただけなのかも。なんだか寂しいや)

 

 感受性の違い。子供の鋭敏な感覚とは違い、大人になると鈍くなってしまう。そしてそれは、自身がそれだけ成長した証でもあり、老衰した証ともなる。ただ、ここに来るといつも満ち溢れていた、“力”のようなものが感じられなくなったのは確かなのだ。

 無論、ただの勘違いかもしれないが。

 

「うわったた」

 

 上ばかり見上げて歩いていたからか、石畳の隙間に躓いて転んでしまった。スーツケースから手を離し、両手をついて姿勢を立て直す。

 

(ん、これは?)

 

 地面についた両手。その右手の部分には、ちょうど手のひらに収まるように何かが落ちていた。

 

(写真……。なんだろう、軍艦かな?)

 

 手に握っていたのは、古めかしいモノクロの写真。カラー写真に移行している現代では、もうあまり見られなくなった代物である。

 写真には、大きな船体と艦橋。滑走路と思しき真っ直ぐとした船の形。青年も詳しくはなかったが、第二次世界大戦時の写真であり、航空母艦と呼ばれる軍艦であることだけ見当がついた。見当はついたが、それ以外はさっぱりわからない。

 

(誰かの落し物かな? まあいいや、神社に置いとけば気づくだろうし)

 

 そうして、青年はその写真をポケットへしまい、足を進めたのであった。

 

 

 

 

 

(さて、到着。ホントに懐かしいな)

 

 鳥居前にて礼、そこをくぐると、子供時代と何ら変わりのない神社があった。

 広い境内、整えられた石畳に、大きな社。モミの木からなる4本の柱が立てられ、厳粛な空気に包まれている。予想通りに、人の気配は全くない。

 手水舎で手を清め、財布から小銭を取り出した。残念なことに五百円玉が二枚のみとは、一体どういう使い方をしてしまったのだろう。

 青年は躊躇うことなくそれを取り、賽銭箱へと放り込み二礼二拍手一礼。何かを願うべきかとも考えたが、今日この日に解決されたばかりなのだ。願うことなど特にない。

 失礼とは思いながらも、賽銭箱へ上がる石段のところで青年は腰を落ち着けた。寝転がるように体を投げ出し、空を見上げる。

 

(貯金200万全額の支払いで縁切り。安いもんだ)

 

 夕日が射す思い出の神社。境内は橙色に染まり、飛びゆく鴉が泣き喚く。耳に流れる風の音が、お祝いをしてくれているかのように心にまで響いた。

 石段は硬いが、いつまでもここで横になっていられそうあった。目を瞑れば何も見えない。その代わり、沢山の自然が耳から頭の中に入り込んでくる。このまま寝入ってしまえば、翌朝まで熟睡すること請け合いだろう。

 

(でも、もうここにも来ることもない……か)

 

 自身は既にこの街から、忌まわしい土地から解放されたのだ。ただそれだけのこと。子供時代を過ごした場所を失ったところで、何の問題があろう。

 誰かにとっては心の拠り所かもしれないが、誰かにとっては疎ましいだけの記憶でもある。ふるさとなど、千差万別の捉え方があっていいはずだ。

 

 ただ、気がかりがひとつだけ。人との関わりを持とうとしなかった青年にとって、気になることがひとつだけ。

 

(あの子、どうしてるのかな)

 

 子供の頃、この神社でよく見かけた少女がいた。髪が長く、目が眩むような美しい緑色の髪をした少女。天真爛漫で、気味悪がられていた自分にさえ話しかけてきた不思議な子供。

 友人を持たなかった青年にとっての友人を挙げろと言われれば、一人だけ。神社を訪れた時にたまに見かけたあの少女だけだろう。

 最後に見たのは、青年が最後に神社を訪れた中学校の卒業式の日。その日を境に青年が神社に参拝することはなくなったため、それから出会うことはなかった。

 最後に交わした言葉。今となっては、青年を縛る鎖にさえなっている。

 

『また、ここに来てくださいね! 約束です!』

 

 もう、今となっては会わせる顔もない。

 年齢は自分より下だっただろうか。髪に蛇と蛙の髪飾りをした少女。真面目で明るく、そして素直。

 何より、幽霊含む色々と見える体質のせいで、何か不思議なものが見えるなどという痛すぎる超常現象パフォーマンスを、神社で行ってしまった自分にさえ話しかけるような子だ。

 どこかネジが一本外れていたのだろう。最後は懐いていたぐらいである。

 

 しかし思い返してみれば、少女にも不思議なところはあった。青年が神社に参拝した際、社の前でボソボソと神社の本殿に向かって何か喋っていたことがあった。それだけならまだいい。

 神社に立てられているモミの木の柱に向かってだとか、手水舎で泳いでいたアマガエルに向かってだとか。果ては、少女自身が蛙のような動きで参拝道を跳ねながら降りていったりだとか。

 とにかく、不思議な少女であった。

 ぶっちゃけ、自分より痛かったんじゃなかろうか。

 

(今となってはいい思い出……かな?)

 

 と、苦笑するぐらいには青年も成長していた。

 否、それはただの諦観に過ぎないのだろうが。

 

 その時だった。神社の本殿の方から、わずかに耳に届くほどの小さな声が聞こえてきたのは。

 

「――――?」

「――! ――――!」

 

 どうやら、女性が二人、何か話しているようだ。神社の関係者だろうか。この神社の社務所はいつも閉まっていたために、誰も管理していないのだとばかり思っていたが、どうやら違うらしい。

 流石に寝転がっているのはマズいと思い、青年は体を起こす。一方で、声は社の入口にまで近づいてきていた。

 

 立ち上がった瞬間、社の扉が開く。年代を感じさせる木の乾いた音とともに、その人物は姿を現す。

 社へ入り込む風と共に流れるようにたなびく美しい緑色の長髪、その髪に飾られた蛇と蛙の髪飾り。鼻筋の通った柔らかな顔には、少し無理をしたような笑顔が貼り付く。

 白い肌に細い肢体。白と青を基調にした巫女服は脇が開いており、その胸元には豊かな双丘が自己主張していた。

 

 幼い頃と何も変わらない。いや、変わっているが、青年の中では何も変わらない。

 ――会えるなら会いたいと思っていた、思い出の中の少女。

 

 少女の美しい瞳と視線が交わされた。話そうとしても、何も言葉が出ない。少女は少女で口を開こうとしたようだが、青年の顔を見てその口をつぐみ、首を捻っては不思議そうな顔をしている。

 なんと声をかければいいのだろう。久しぶり、と話しかけたとしても、この様子では覚えていないようだ。初めまして、もどこかおかしい。

 青年がうーん、と顔には出さずに頭を悩ませていると、少女は口を開く。

 

 

「あの……あなたは神様を信じますか?」

 

「……は?」

 

 

 ――どうやら、自分が信じた少女はやはりとんでもない少女だったらしい。

 

「……あー、えっと、か、神様……ですか?」

「はい、神様です!」

 

 思い出す素振りすらしようとしないどころか、宗教に勧誘してくる少女。

 自分が知っている限り、少女は素直を形にしたような性格であった。しかしどうして、それがこうも宗教にハマっているなどと信じられよう。別に宗教は構わないが、それを他人にまで振りまくような子だっただろうか。

 

(いやまあ、確かに会う場所なんて神社だけだったけどさ……)

 

 幼い日のたった一つの綺麗な思い出がどこか汚れたようで、気分は散々である。それを表に出すようなことはしないが。

 

「神様、ね。まあ、いるんじゃないですか?」

「そんなことでは神様は姿を現してくれませんよ!」

 

 流石にいい加減にしてくれよ、と青年は引く。

 そんな思いとは裏腹に、少女は可愛らしい笑顔で詰め寄った。

 

「さあ、もっと神を信じるんです!」

「あー、えっと、その、いるってことでいいから」

「ちゃんと信じてください!」

「か、神様って、いるんだね?」

「声を張り上げて!」

「神様、ああ神様!」

 

 悪ノリしているとは分かっているのだが、少女と再び出会えたことに、青年自身嬉しいやら呆れやら混じって感情が安定しない。吐きそうなのに、泣いてしまいそうな。

少女は青年の手を引き、本殿に向かって隣に並ぶ。

 

「さあ、一緒に叫んで下さい! 神様ぁ!」

「あーもう! えっと、か、神様ぁ」

「神様ぁ!」

「か、神様ぁ」

「神奈子様ぁ!」

「神奈子さ――誰だよそれ!」

「神奈子様ぁ!」

「か、神奈子様ぁ」

「神奈子様ぁ!」

「神奈子様ぁ!」

 

 

 

「うるっさいよ早苗!」

 

 

 

 社の中から現れる、注連縄を身につけた女性。胸元には怪しげな反射光を放つ鏡を着け、その表情はご立腹である。

 しかし、その美しさだけは如何とも表現しがたい。形容するに無礼であり、筆舌するに喉渇くこと間違いなし。抜群のプロポーションとキメの細かな肌、身にまとう雰囲気はまさしく――

 

「女神……」

 

 他人を評価することなど、ましてややそれを口に出してしまうことなど、今までどれほどあっただろう。少なくとも、こんな美人を目の前にして落ち着けと言われても落ち着きようはない。

 

「そう、神様ですよ神様! 神奈子様は神様なんです! えへへ、どうですか? びっくりしましたよね!」

「早苗、私はお賽銭入れてくれた人を早く外に出してあげてって言ったよね」

 

 気が付けば神社中が、いつの間にか謎の光に包まれ始めていた。その光に気づき、青年は周囲を見渡す。

 

「あの……何が起きてるんです? というかあなた方は……?」

「遷宮だよ。神社ごと」

「遷宮……?」

「神社を他の場所に移すのさ。ここじゃ信仰が得られないから」

 

 遷宮という言葉は知っている。社を改修する際に、御神体を一時的に別の社に移すことだ。それはいい。

 だが、神社ごと、というのは一体。

 

「私は八坂神奈子。ここの神さ」

「私は東風谷早苗です。そうですね……私はここの巫女なんです!」

 

 立て続けに、少女を染めた宗教の御本尊が目の前にいることを理解する。

 

(ああ、巫女だったんだ。ならまあ、仕方ない……ような悔しいような……やっぱどうでもいいか。しかし、神様かあ……)

 

 神と言えど、どこをどう見ても人間に見えた。確かに、飛び抜けた美しさであるとか、何故注連縄を着けているのかなど、謎は多いが。

 青年も続けて自己紹介を行おうとすれば、周囲の輝きが一層眩くなる。

 

「……色々と話したいことはあるけど、急いでここから出た方がいいよ」

「はい?」

「もうすぐ遷宮が始まるから」

「巻き込んでしまいますから、早く出ましょう!」

「最後の参拝客だ。見送ってやるさ」

 

 二人はそう言うと、青年の肩を掴んで押し歩く。

 

「あの、えと、ちょっと!」

 

 抵抗もむなしく、青年は鳥居の前までやってきた。するとそこで、鳥居の向こうから一人の帽子をかぶった少女が神社へ入ってくる。歳は自分より流石に低いだろうか。

 それを見て、早苗と呼ばれる少女と神奈子と呼ばれる女性が目を見開いて驚いた。

 

「あれえ、二人共一体どうしたの? その人間は?」

「す、諏訪子、あんた本殿にいたんじゃ!?」

「ミシャグジ様と一緒にお散歩してたけど?」

 

 どうやら、この帽子の少女も関係者であるらしい。

 

「ねえねえ、それで、その人間は一体どうしたの?」

「ん、ああ。この世界での、我々の最後の参拝客さ」

「え、最後の? どういうこと?」

「この前話しただろう。我々は幻想郷へ神社ごと遷宮すると」

「え、聞いてない! もうこれ途中? 置いてかれるところだったじゃん!」

「たしかその時、諏訪子様はテレビを見て爆笑してましたので……」

「あー……うー」

「まあ、間に合ってよかったな」

「全くだよ、もう! 神を置いてきぼりなんて、人間のやることじゃないってば!」

「私は神なんだけど」

「私も風祝ですよ」

 

 三人が鳥居の前で揉め合い、一向に話が進まない。しかも、帽子の少女もどうやら神であるらしく、青年は眉間を押さえた。

 

「あ、あの、僕はここから出たほうがいいんですよね?」

「そうですね!」

 

 もうその言葉が聞ければ十分だ、と青年はため息をついて眉尻を下げる。

 三人の顔を眺めてから、青年は鳥居の外に一歩出た。たったそれだけで良かったのか、神の二人はホッと息をつく。

 

「いまいちわからないけど、こんな寂れた神社に最後までありがとうね!」

「ああ、本当にありがたい。我々も、この先やっていける勇気をもらったよ」

「私たちのこと、できれば内緒にしておいてください!」

 

 光は鳥居から内側だけで発生している。そしてその光は益々強くなり、やがて三人の姿も消えつつある。帽子をかぶった少女などは背が低いために、既に見えなくなってしまった。

 

「あの、よくわからないけど……神様はいるってことはわかりました。よくわからないけど……いやあのホントよくわからないけど、頑張ってください」

「うん、ありがとう。そろそろお別れだよ。じゃあね」

「もう会うことはないだろうがな。……せめて、健やかであってくれ」

 

 そうして、神の二人の姿が完全に見えなくなる。おそらく、神社の社の方へ向かったのだろう。しかし早苗だけは、未だに鳥居の前にその姿を残していた。

 

「あの、そこは危ないんじゃないんですか……?」

「えーっとですね、ちょっと待ってください。今整理してますので」

「整理?」

 

 緑色の髪が、輝きを帯びて一層眩く風に流れる。目の前には美しく成長を遂げた早苗がいるというのに、瞼の裏には確かに、子供の頃の光景がありありと浮かんできていた。

 

「なんでしょう。こう、おふくろの味、というか、懐かしのあの味、というか」

「は?」

「うーん、よく思い出せません! ちょっともう一度顔を見せてください!」

「え、ちょ、うわ!」

 

 意味不明の言葉を並べる早苗。棒立ちしていた青年は突然腕を引かれ、光に包まれる神社の、鳥居の中へ足を踏み入れた。

 目の前には、早苗の綺麗な顔があり、その表情は自分の顔を見た途端納得したとでも言うように笑顔に変わる。

 

 

 

「やっぱりカミツレさんじゃないですか! また来てくれたんですね!」

 

 

 

 その笑顔は、最後に出会ったあの日と変わらないものであった。

 瞬間、視界は完全に光に包まれる。

 

 

 

「思い出してくれたんだ、――さなちゃん」

 

 

 

 言葉を紡いだ青年は、刹那の間に意識を奪われた。

 

 茅野守連(カヤノカミツレ)、21歳。職業は海洋調査における潜水士。

 幼き日の景色は、確かに取り戻されたのである。

 

 

 

 

 

 

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