020 秘めたる鼓動
異変の夜が明けてから数時間後。朝日もその姿を完全に見せた頃。
守矢神社の浴場。霊体を癒す効能のある温泉を引いているこのお湯は、艦娘の入渠にも大変効果的である。今回の異変では多くの艦が損傷したのだから、治り次第、次の艦娘に浴場を渡さなければ、艦隊はいつまでも動けないままなのだ。
だが。
「あーねむぃ……死ぬ……疲れたぁ」
「加古ったら、死にかけのアザラシみたいな顔してて可愛い、ふふふっ」
「そ、その表現ってどうなの古鷹?」
損傷の痛みを受け入れるがままに感じた死にかけのアザラシ、もとい加古は、働く気の起きないサラリーマンのような言葉を漏らしながらグッタリしていた。共に入渠しているのは、同じく第六戦隊の古鷹、衣笠、青葉である。
現状、鎮守府の戦力として最も大きな比重を持つのが重巡洋艦、その中でも同型艦かつ連携の抜群な第六戦隊が最優先として、最初の入渠組に選ばれたのだが――
(しばらく哨戒に徹するなら、治りの早い駆逐艦先に休ませた方があたしゃいいと思うんだけどな……まいっか、提督の提案だしありがたくもらっとこ)
沸々と込み上がる別の形が頭に浮かぶのだが、それを言葉にすることはせず、代わりに顔をお湯につけてぶくぶくしていた。行儀が悪いからやめなさいと、すぐに古鷹に正されたが。
再びぐったりしようと浴槽の縁に身体を預ける。預けたところで、青葉が三人に輪から少し外れたところでぼんやりしているのが見えた。
「青葉ぁー、そんなとこで何してんの? こっち来なよ」
「…………」
「青葉? 青葉ったら!」
「ふぇぁ!? あ、ああ加古、どうしました?」
「いや、ちょっと距離を感じたからさぁ。それとも、まだ古鷹と話せそうにない?」
「ちちち違いますよ! そんなんじゃありません! 少し考え事をしていて」
と、慌てて否定する青葉。どうやら本当に呆然としていただけであったらしく、輪の中に入っては衣笠の胸に頭を預けてくつろぎ始めていた。
「あー、極楽ですよ衣笠ぁ」
「ふふふ、青葉よりは大きいからね」
「む、失礼な。青葉はまだ成長途中ですから!」
「この体って成長するの?」
ムスっとしていながらも、本心から嫌そうではない青葉。自分で胸を揉みながら唸っているのだが、十中八九その願いは叶わないだろう。
「でも、青葉はホントに頑張ったよね」
「や、やめてくださいよ古鷹。結局、青葉は運が良かっただけなんですから」
「それでも、私の自慢の妹だから!」
そう言って、古鷹は青葉の頭を正面から抱きしめた。慌てる青葉を押さえ込むように、衣笠もまた青葉を背中から抱きしめる。
揉みやんせ揉みやんせ。ここはどこの天国じゃ。
(あー、いいな。アタシもあんなのされてみたい)
などとボケーっとしながら、しばらくその光景を眺めていたのだが、耳まで真っ赤になった青葉が脱出したので、柔らか☆パラダイスは幕を閉じた。
加古はあくびを一つつくと、心に残る疑問をポツリと漏らす。
「にしても、変な提督だよなぁ。艦娘のアタシらを生かすために死のうとするなんてさ」
「きっと、兵器だと思っていないんでしょうね。そうでなければ私たちにここまでの気遣いをしてくれませんから」
「アタシは昨日着任したばっかりだけど、あの提督ってなんなのさ。どういう人なの?」
「そうは言われても、青葉も昨日着任ですし……」
「私も加古と同じ……」
「き、衣笠さんは四人の中で一番最後だったもん……」
「一番最初が吹雪で、四日前とかだっけ? 提督を否定したいわけじゃないけど、ホントに新人どころか素人なんだねぇ」
多くの艦を指揮する立場になるまでに、どれほどの勉学と実績、経験を積まなければならないか、艦娘であれば誰でも理解していることだろう。生半可な知識、知能では艦を徒らに消耗するだけであり、そこには当然想像もつかない重さの責任がのしかかる。
過去を共有しているというのなら、青年も提督という立場がどのようなものか多少なりともわかっているはずだ。いかに自身らが人の形をしているとはいえ、艦を従えるという根本は変わっていない。
「でも青葉は司令官のこと、守りたいって思いました」
しかし、青葉は迷いを伺わせることなく、そう答える。
一日で何がわかるというのか。否、一日でどれだけ理解したのか、だ。
「青葉は一時期、司令官の過去に暗闇みたいなもやもやがかかっていたので、記憶を読むことはできませんでした。その分、司令官というヒトを色眼鏡なく見ることができたと思います」
「その結果、守りたいって思ったってこと?」
「はい。あの人の笑い方、見たことありますか? にこやかなのに、とっても儚そうに笑うんですよ。でも、頼りないとは思えないんです」
「あー……、ま、器は大きそうだよねぇ」
もしも。
もしもこの幻想郷で、この艦隊が存続しようとするなら。
(既存の知識の“提督”じゃ、対応しきれないのかもねえ。アタシらもわからないことばっかりだし。そういった意味じゃお互いに成長していく必要があるってコトかな)
例えば深海棲艦との戦い。例えば幻想郷の住人との戦い。
若くて頭も柔らかい彼の方が、柔軟に対応できるようになる可能性はあるのかもしれない。
(あーあ、アタシらで色々教えてやりたいけど、根っこから教えられるだけの経歴と知識を持った艦娘がなかなかいないんだもんなあ。“提督”を一から育てようなんて、それこそ連合艦隊旗艦クラスじゃないと荷が重いよ)
加古は再びため息をついたところで、古鷹の胸に頭を預ける。その魅惑的な山に溺れると、加古は人型で良かったと心から思ったのであった。古鷹も嫌がっているわけではないらしく、お姉さん然としてそのまま加古の頭を撫で始めた。
しばし堪能、他の面々もゆったりくつろいでいたのだが、青葉がふと思い出したかのようにこう語る。
「あ、そういえば青葉、新聞を書きたいと思います」
「早苗、アンタも寝ていいんだよ?」
「いえ、気にしないでください。妖怪の山に感謝状を出すくらい、私でもできます」
「でも怪我しているだろう? それに一晩寝ていないんだ。私や諏訪子は睡眠なんてあってないようなもんだけど、早苗は違う」
「でも、神奈子様……」
「もっと私たちを頼りなさい」
「…………はい」
神奈子の部屋を後にして、早苗は重たいまぶたを擦りながらあくびを一つ漏らした。
紅魔館の異変が終わった夜明けから数時間。日も姿を現してジリジリと気温を上昇させ始めていたのだが、神社の中は比較的涼しい。今は皆眠っているためか、静まり返っているのも手伝って尚更である。重巡洋艦が入渠している浴場のみ、少し物音がする程度。
まるで、この神社に一人取り残されたように錯覚してしまう。
自分の部屋へと足を進めながら、早苗は一つため息を吐く。
(神奈子様はいつも優しいですね……)
それは決して、安心からくるものではなかった。嘆きとも異なり呆れとも違う、言うなれば虚無感に比する寂しさ。
が、これを以て神奈子を嫌いと表するのは、早とちりどころかお門違いである。むしろ神奈子や諏訪子への感情など、愛などという陳腐な妄言などでは形容できないのだ。深く深く、体の芯より溢れ出るものは、感謝という言葉では伝えきれない。
何度二柱に尽くそうと考えただろう。何度二柱に身を捧げようと誓っただろう。今この心が存在するのは、ひとえに二柱の寵愛があったから。
だから。
(私にはその優しさが、時折眩しく感じてしまうんです)
見返りを求めない、ひたむきな純情を受けて尚、何も返せない自分が。
受け入れて、受身に徹して、ただ他人の剥き出しを取り込んでしまう自分が。
何もしようとしない、何もできない、無力な自分が。
嫌いなのかもしれない。
ふと、紅美鈴が境内で拳法の稽古をしているのが目に入った。早苗は足を止めて、その様子を眼に焼き付ける。
一心不乱に拳を、脚を振るう美しい肉体。時折跳ねる汗すら、朝日を帯びてキラキラとその勇ましさを照らしていた。
(あんな異変を経験してしまうと、幻想郷に来たって実感がどんどん湧いてきます)
その力強い演舞を見届けていたのだが、途中で美鈴が気づいて手を振ってきた。早苗もそれに笑顔で手を振り返し、会釈してから再び部屋を目指す――。
いつか見た音、いつか聴いた景色。いつか感じた色。
思い出したくもない――あの瞳。
『自分の家に神様がいるとか、コイツ頭がおかしいぜ~!』
『えー早苗ちゃん、それちょっと……キモいよ』
『おい、あれ東風谷っていうんだけどさ、神が視えるとか言ってチョーシこいてんだぜ。笑っちゃうよな』
『あ、あのね東風谷さん。私、東風谷さんと仲良くしてるって周りの子に思われたくないから……もう話しかけないで』
『東風谷? あー、そんなのいたな。確かイタい奴』
『東風谷さん? 小学校と中学校は一緒だけど、あんまり知らないかな』
『東風谷さんの家の事情はよく理解していますが、この際先生はハッキリ言わせてもらいます。神様が視えるなんてこと、言葉にするのはもうやめにしませんか? 先生も東風谷さんをかばうのに疲れてきたのです』
『私は小学生の時に一度言ったきりで、それから口にしたことは……』
『いいですか? 高校生にもなればもう現実がわかっていると思います。自分は“特別”な存在ではない、“普通”の存在だからこそ努力する必要がある、と。……ああ、でも東風谷さんは――』
『天才だから、努力なんて知らないのでしょうね』
思い出すだけでも忌々しい。否、忌々しいなどという言葉では足りない。
――憎い。
きっかけは子供の家族自慢に過ぎなかった。だが、神が普通ではないと気づいた時にはもう遅い。
ふざけるな。自分の何を知っているというのだ。自分の何が気に入らないというのだ。
頭を空っぽにして過ごしているお前たちのどこがそんなに偉いというのか。
(あは、そんなことを思っていた頃もありました)
痛みなどなかった。痛みを感じる隙間などなかったから。
煩わしさも消えた。全て下らないものに見えてしまったから。
残念ながら、自身は特別な存在だ。そもそも、誰しも誰かの特別であるし、特別になろうとしないこともまた、普通ではないとして特別扱いされてしまうのだ。むしろ、特別ではない何かを教えてはくれないだろうか。この幻想郷まで追ってこられるのなら。
現実を見ていないのは誰だろう。少なくとも、自分にはよく“視えて”いる。
(……でもやっぱり、私はその“普通”が欲しかったんでしょうね)
だから。
現実を視てしまい、寵愛を受け入れるだけ受け入れた自分が。
特別を特別と知らず、自らを普通と過信して誤たってしまった自分が。
より高みを目指し、誰かに認められるために努力を片時も怠らなかった自分が。
嫌いなのだろう。
誰かって、誰だ。
自分って――誰だ。
早苗の部屋は青年の部屋の隣である。今は行き場をなくした紅魔館の者たちが雑魚寝しているはずだが、青年は無事だろうか。主に生命的な意味で。
(吸血鬼姉妹は……朝だから大人しくしているとは思いますが)
部屋を覗いてみようかとも思ったが、あれだけ必死になっていた青年がぐっすり眠っていることを考えれば、彼を起こしてしまうのは本意ではない。
誰かの為に命を賭けられること。青年の立場から選択されたその手法の是非はともかくとして、そう思えることは早苗にとってまばゆいのだ。
お互いを想い、お互いをかばい、お互いを助ける。青年と艦娘たちは、最初こそ互いをよく理解しないまま、それぞれの役割を形だけ演じているようにも思えた。
だが、この異変を終えた結果、どうだろう。歪でボロボロだった頼りない糸が、それは強固に、それは頑強に張り巡らされたのだ。
(羨ましいです。カミツレさんとあんな形で意思を交わせるなんて)
嫉妬にも似た悔しさが胸を刺す。いや、これは嫉妬なのだろう。
自分が得られたかもしれない一つの隣、一つの信頼の置き場所を、奪われたことへの。
が、艦娘を憎く思うことなどない。不甲斐ない己に釘を刺すことはあれど、青年を守るため、青年を想うが故にその場所を勝ち取った彼女たちに、どうして己の未熟さを語りかける必要があるだろう。
青年の優しさは、いつだって自分にとって猛毒だ。
かけて欲しい言葉を、かけて欲しい時にかけてくれない。決して甘やかしてくれないし、見捨ててもくれない。話に返事をくれる時も、どこか外れた天然さを含んだようなお間抜け。
何より早苗を締め付けるのは、自分を“特別”扱いすること。
きちんと目を見て話す。相手の言葉をしっかり聞く。言葉一つ一つに喜怒哀楽を示してくれる。
これを“特別”扱いと言わずしてなんと言おう。“普通”は、皆それをしないというのに。
ああ、もし願いが叶うのなら。
どうかあの青年と、心から分かり合える日が来ないものだろうか。
どうかあの青年が、心の内をさらけ出してくれる日が来ないものだろうか。
(カミツレさんには私だけ見ていて欲しかったです……なんて、ね)
それが叶わないことなど知っている。青年はいつも自分を助けてくれて、どんな時も自分を見てくれて、ありのままの自分を受け入れてくれる。
それだけで十分。彼はずっと、早苗のヒーローなのだから。
だから。
彼をずっと好きでいられる自分のことが。
早苗は大好きなのだ。
だから――
彼以外など知ったことではない。
自身の部屋に入ると、早苗は障子を静かに閉めた。
早苗の視点は本来もっと先で書く予定でしたが、ここまで付き合って頂いた皆様には少しだけ。
それより第六戦隊の乳についてもっと書きたかったゾ