『紅魔館』は妖怪の山の麓に位置する、吸血鬼の住処である。山頂の諏訪湖から流れ出る河川は海方面だけではなく、麓へ向けても流れているのだが、その河川は紅魔館の近傍にある『霧の湖』にも繋がっている。枝分かれした細い川は他にも玄武の沢などにもつながっているのだが、それはさておき。
鎮守府の座する諏訪湖はほど広く、艦娘の演習などにも利用されている。近海での演習も勿論あるが、取り立てて諏訪湖での演習に特別さを見出すなら――それは紅美鈴の存在だ。
『艦娘さんの演習のお相手を? 私で良ければ構いませんが……』
幸いにも、鎮守府の門が見える位置に諏訪湖はある。弾幕、スペルカード、格闘術など駆使し、一対多という圧倒的不利な演習にも関わらず、美鈴は来客の有無を確認しながら相手をこなしているのである。
正直に言ってしまえば強い。紅魔館の異変の時、どうして勝てたのだろうと思えるくらいには。
さて、そんな紅美鈴は紅魔館から人材の派遣という名目で鎮守府の門番を勤めている。基本、紅魔館と情報をやり取りする際は彼女を通して先触れを出すのだが、急ぎの用件や大事な案件は直接艦娘や青年が出向くことも珍しくない。
では、どのようにして?
勿論諏訪湖から、霧の湖直通の河を伝って。
長門にお姫様だっこされ、河を下って紅魔館の入口へ向かう青年。気恥ずかしさは早苗の時とどちらがマシだろうか。
こうして到着した紅魔館であるが、不在のはずの門番の座には、新たな門番が居座っていた。驚きながらも、青年はその可愛らしい門番に近付いてにこやかに微笑む。
「おい、オマエ何の用だ?」
「お疲れ様。門番をしているのかな?」
「おーそーだ! 仕事中に寝ないことをジョーケンに、アタイは門番として雇われたんだぞ!」
「おおそうなんだ。仕事中に寝ないなんて、美鈴さんとは大違いだね!」
「えへへ、アタイ偉いかー? あ、思い出した! オマエ、確かカミツレだったな! 今日は何の用だよー?」
「レミリアさんに用があるんだ。今日はいらっしゃるかな?」
「確かサクヤに追いかけられてたぞー。なんでも新しい服を続けて着せ替えさせられるのが嫌とかで」
「ああ……うん。じゃあチルノちゃん、通してもらってもいいかな?」
「オマエはフブキ達の仲間だからな。仕方ないから通してやるよー!」
小さな門番は、力いっぱい笑ってくれた。
紅魔館に入り、エントランスで待つこと数秒。瞬間移動でもしたかのように突然目の前に現れた十六夜咲夜が、訝しげな表情でエプロンドレスを揺らす。
「あら、カミツレ? 今日は来る予定だったかしら?」
「ああいや。ちょっと急で悪かったけど、レミリアさんにお話があって」
「ふうん……? わかったわ、お嬢様の予定を調整しましょう」
「ありがとう、助かるよ」
こうしたことは多々ある。あらかじめ伝えておくべきだとは青年もわかっているのだが、ほとんどの場合、レミリアや咲夜が都合を合わせてくれるのだ。それに甘えてしまうのも良くはないが、訪れるたびに驚きながらも嬉しそうに顔を合わせてくれるのが、少しだけ嬉しく思わないでもない。
また、元門番であった美鈴からも、
『カミツレさんなら顔パスでいいんじゃないですか? いつでも』
と、許可のようなものも貰っている。これに効力があるかは知らないが。
応接室に通され十数分後、バルコニーでお茶を飲みながら面会すると言われ、咲夜に連れられて、青年は長門を伴ってバルコニーへと移動した。
晴天の中、強い日差しにさらされるバルコニー。吸血鬼であるレミリアは本来夜行性。強い日差しを好まず、直射日光に触れることすらためらうそうだが、今回お茶をするにあたっては、小洒落た白いテーブルを覆うような大きな日傘を立てて対策していた。
スキンケアは日焼け防止から、ということらしい。
「宴会以来ね。また異変を解決したそうじゃない」
「艦娘の皆の力あって、そして紅魔館や多方面からの助けあってのことです。お礼を言わせてください」
「ふぅん……そうね。今のお前はただ上に立っているだけ。異変も、艦娘の力押しに頼っているだけみたいじゃない。美鈴や咲夜からの報告を聞く限りではね」
「……ええ、本当に」
「いつの日か、本当にお前の指揮で艦娘が動く日が来るのを楽しみにしているわ。やっぱり人間は面白いわ……フフフ」
ティーカップを傾けるレミリアから、容赦のない言葉が降り注ぐ。可愛らしい見た目だけではなく、観察眼に優れているのがこの吸血鬼の恐ろしいところである。本当に、見た目だけなら駆逐艦と変わりないのだが。
青年もティーカップを傾ける。空になったそれを置いたところへ、咲夜が言葉もないままにおかわりを注いだ。
「用件を聞くわ。顔を見る限り、ただお茶を飲みに来たわけではないようね」
「ええ。今日はお願いがあって来ました」
言葉を告げるのに勢いをつけるために、もう一度ティーカップを空にする。そこへすかさず、咲夜がおかわりを注ぐ。
締まらないなあなどと思いながら、青年は半ば諦め気味に口を開いた。
「紅魔館に、艦娘を駐留させる許可を頂きたいのです」
レミリアがティーカップを口につけ、長い時間が過ぎる。ティーカップを下ろしたかと思えばため息をつき、青年を物色するかのごとく睨みつけた。
ゴクリと、息を呑む青年。話が突飛すぎたと思い、慌てて口を開くのだが。
「えっと、突然のことですので説明したいと思います。まず――」
「いいわよ」
「駐留させる理由が……は?」
「別に何人でもいいわよ。あ、代わりに少しは食料を融通してちょうだいね」
「え、ええ、それは勿論ですが……いいんですか?」
「伊達に大きな館を抱えてないわよ。フランも喜ぶでしょうし」
当のレミリアはまるで気にしていない様子。
スコーンをかじりながら、小さな吸血鬼はすまし顔で告げる。
「興味はあるわ。美鈴から報告はあるけれど、艦娘のことをこの目で確かめたいのよね」
「は、はあ……。一応、駐留するのは一個水雷戦隊。5、6人を予定していますが、まだ人員の候補は絞っていませんね」
「センカンとかいうのは来ないの? 強いと聞いてるから楽しみにしてるわ」
「いえ。水雷戦隊というのは魚雷や爆雷を使う水雷戦を行う艦隊ですので、軽巡洋艦と駆逐艦が主になります。戦艦は含まれません」
「……そ、そう。残念だわ、ええ……」
紅魔館に派遣するのは一個水雷戦隊。沿岸での対応は鎮守府で行うとして、紅魔館の部隊は内陸部で河川を中心とした偵察を行う予定である。
沿岸を押さえていても、深海化が発生する可能性がある。それを調査するための部隊であるといえよう。偵察しつつ、異常を発見したならばそれに対処、可能ならば原因を突き止めるところまで。
何も起きないならばそれに越したことはないが、鎮守府には現在艦娘が一定数集まっているのだ。より多くの情報を得ようとした上での判断であるが、この一歩が吉と出るか凶と出るか。
長門にも相談したところ、快い同意を得られた。
「事情はわかったわ。艦娘を預かる以上、私たちも深海化の調査には協力しましょう。紅魔館の周辺は任せてちょうだい」
「緊急時にはレミリアさんの指示に従うように伝えておきます」
ちなみに紅魔館の場合、守矢神社や鎮守府のように艦娘の傷を癒す入渠施設はない。よって、戦闘が発生して被弾した場合は、一度鎮守府に戻ってこなければならない。ただし、妖怪の山と紅魔館は距離もそれほど離れていないため、艦娘の回復についてはそれほど心配していない。
大型の艦種を派遣しない理由もそこにある。紅魔館周辺で戦闘が発生しても、鎮守府から支援艦隊を送り込めばすぐに到着するため、いわば時間稼ぎだけで事足りるのだ。
本当ならば軽空母を一人追加する予定であったが、残念ながら現在考案中の作戦を踏まえるならば、派遣することはできない。
「……まあ本音を言えば、全員紅魔館に住んでくれるのが一番ありがたいわね」
「それは無理な相談です」
「わかっているわ。それで、いつから受け入れをすればいいの?」
「そちらで用意が出来次第、こちらから送り出しましょう」
「なら3日よ。準備はしておくから、3日後以降に艦娘を連れてきなさい」
「ご配慮に感謝を」
このように、レミリアの即断によって、紅魔館への艦娘の配備が決まったのであった。
夕食時、食堂にてほぼ全員が集まっているところへ通達する。
「えーゴホンゴホン。突然のことだけど、君たちの中で異動したい人はいるかな?」
派遣を予定するとはいえ、人員の調整は済んでいない。一個水雷戦隊を派遣するのであれば、軽巡洋艦一人と一個駆逐隊あたりが妥当だろうか。尚、今回は試験的な運用であるため、ローテーション等はまだ考えていない。
「異動先は紅魔館。もし希望する人がいれば、手を挙げてくれるかな?」
「長門だが……一言いいか? 提督よ、その言い方では誰も手を挙げない。考えても見ろ、皆に少なからず好かれているのはいくら提督でもわかるだろう。わざわざ離れたいと思う者がいるものか。夕食がまずくなってしまう」
「あ、そ、そう……なんだ」
確かに、言葉を伝えた先に見えたのは、該当する艦種の艦娘たちの不安そうな顔であった。もしかしたら、いらぬ誤解を与えてしまったかもしれないと思い、青年は言葉を変える。
「聞いて欲しい。幻想郷では、僕らの艦隊は深海棲艦に対する重要な戦力になる。いずれ色んなところに派遣して、幻想郷全体をカバーしたいと思ってる。その為の第一歩として、まず紅魔館に派遣してうまく運営できるか試したいんだ」
「ひとつ補足をすると、優秀かつ信頼のおける者でなければ任せられない。我々の艦隊はまだ日が浅いが、その中でもより付き合いの長い艦が一人はいてくれれば助かる。ある意味では栄転と考えてもらっても構わん」
相変わらず優秀だなあと、青年は長門を見て思う。自分の言葉足らずな部分を完璧に補足してくれるのだから。
などと、考えているうちに一人目の手が挙がる。
「ならぁ、軽巡洋艦は私が行こうかしら~」
「お、おい、いいのか龍田?」
「誰か行かないといけないのでしょう~?」
軽巡洋艦から志願したのは天龍型二番艦の『龍田』。水上偵察機の運用は難しいが、軽巡洋艦としても経歴の“長い”彼女ならば、上手く駆逐隊を導いてくれるだろう。
「ありがとう。駆逐隊はどうかな?」
「なら、電たちが行くのです」
「電……いいの?」
「電は吹雪ちゃんたちと一緒に、最初に司令官さんの所にやってきたのです。司令官さんのこと、ちゃんとわかってるつもりですから」
「……ありがとう。頼りにしてるよ」
電が率先して挙手したことで、姉妹艦の暁、響、雷らも納得したような表情を浮かべる。不満など持たなかったようで、駆逐隊は第六駆逐隊に決定した。
長門の話を聞いてからではもっと決まるのに時間がかかるかと思ったが、想像以上に早く決まってしまう。異動の決まった艦娘が他の艦娘から励まされる中。
青年は彼女たちへの敬意を表して、指示を告げる。
「3日後に紅魔館に派遣する。それまでに準備をしておくように」
「はいっ!」
「貴女方は……僕の、僕たちの誇りです。こうして自分から名乗りをあげてくれたこと、本当に嬉しく思います。でも、怪我にだけは気をつけてください。万が一があっても、紅魔館よりは貴女方が生き延びることの方が大事ですから」
食堂が、シンと静まり返る。
駆逐隊の4人が、唇を引き締めて敬礼する姿だけが場の空気を動かした。
そして3日後、鎮守府にて。
水雷『第十一水雷戦隊』
――軽巡『龍田』
駆逐『暁』『響』『雷』『電』
「みんな大丈夫~? 忘れ物はないかしらぁ?」
「準備万端なのです!」
「レディにミスなんてあるわけないわ!」
「紅魔館で生活か……楽しみだよ」
「司令官、辛かったらいつでも私たちを頼ってね!」
「うん、気をつけて。なるべく様子を見に行くから」
これからみんなと離れ離れになるというのに。
誰一人として辛そうな、寂しそうな表情は浮かべていなかった。
電は少しばかり緊張していた。艦隊旗艦こそ軽巡洋艦である龍田が務めているが、艦隊の中では古株である自身が、青年の意思を汲み取って艦隊運営を行わなければならないためだ。
(司令官さんは……いい方向に変わってくれたのです)
当初会ったばかりの頃は、なんと悲しい人物だろうかとも思った。自分の中に閉じこもって、頑なに人を信じなくて。それが今や、立派に前を向いて、現実を受け止めて、自分たちのためにと行動してくれる。時には自身の苦痛さえ顧みずに。
(長門さんがいるから、もう大丈夫だとは思うのですが……)
それでも、電は青年を心配する己の心を隠しきることはできない。あの青年には一部の常識が欠如しているとでも言おうか。今後、何かとんでもないことをしでかしてしまうのではないかと不安でたまらない。
だから、長門が積極的に青年の元についている。本来ならば、最初から隣にいた吹雪がそのまま青年の傍につくはずだったのだが、長門に率先して青年を支えるように頼み込んだのだ。それは勿論、歪な青年をある意味矯正するために。
(どの道、私たちじゃ司令官さんに何もできませんでした。ただ無理をさせてしまうだけだったのです)
かつて世界を席巻せんとする軍の頂点にいた長門ならば、青年を支えられる。正しい方向に、導くことができる、と。吹雪も叢雲も、漣も五月雨も、皆で長門の元へお願いしに行ったのである。
それは、複雑な表情とともに了承された。
『私は敗戦した軍の代表だぞ? 私は……私では、“また”失敗してしまう』
『ならこの幻想郷では、司令官さんを正しく導いて欲しいのです』
霧の湖に到着した艦隊は水辺から上陸し、生活用具一式を持ちながら紅魔館の門を訪ねる。夏場だというのに涼しさを撒き散らす妖精の案内で紅魔館に入り、
エントランスで出迎えてくれたのは、余裕たっぷりの表情に不敵な笑みを浮かべる、いかにも雰囲気を“作っている”レミリアの姿であった。
「私がこの紅魔館の当主、レミリア・スカーレット。話はカミツレから聞いている、よろしく頼むぞ」
「あ! レミリア!」
「うげっ!? 暁を寄越すなんて……あの男」
「レミリア! そんな言葉遣いじゃいけないわよ? レディならもっとお淑やかな言葉を使わないと! 一緒に鎮守府の掃除をした仲なんだから、私の注意も聞いてよね!」
「そーだそーだ暁の言うとおりだぞー」
「さて着いたわね! まずはお掃除かしら? 私に任せて!」
「うふふ~、十六夜さん。騒がしいけれど、よろしくお願いするわぁ~」
「全く……賑やかになりそうね」
今はあの心優しい提督が、少しでもまともな感性を取り戻してくれることを祈るしかない。そのためには、長門の教育に加えて自信をつけさせることが最重要。
例えば、艦娘を紅魔館に派遣するという判断が間違っていなかったことを証明する、などの手段で。
(私だって――司令官さんのために頑張りたいのです)
これはただの艦隊派遣ではない。幻想郷の河川を調べるためでも、紅魔館との関係を良好にしようとするためでもなく。
青年の提案を、行動をもって肯定するための『作戦』なのだから。
「お世話になるのです、よろしくお願いします」
なお、派遣するまでの間のある日の午後。
「司令官! あっち行こ!」
「司令官、その、おんぶがずり落ちそう」
「司令官、何か私にしてほしいことはなあい?」
「こ、こらこら。いっぺんに喋ったら誰かわからないよ」
「司令官さん、おやつを一緒に食べるのです」
「駆逐艦の子は元気ねぇ、天龍ちゃん?」
「うっぐ、ひっぐ、た、龍田ぁ……」
「あらあらどうしたの? この世の終わりみたいな顔してるわよぉ?」
「だ、だって、折角また会えたのに離れ離れだなんてよぉ……」
「嬉しいこと言ってくれるわねぇ、やっぱり天龍ちゃんは可愛いわぁ」
青年が教育を受けているはずの執務室では、移動予定の艦娘と天龍が遊びに来て無法地帯となっていた。長門は長門で、駆逐艦を追いかけてあしらわれている。
「僕の……教育……」
「しばらく会えなくなるんだから、これぐらいは許してよねっ!」
「司令官、次は抱っこだよ」
「何、今日のノルマは既に終えている。だから提督も、思う存分駆逐艦を愛でるがいい」
「長門さん、廊下で天津風が寂しそうにしてたわよ?」
「何っ!? 今行くぞ!」
「龍田ぁ……龍田ぁ……うわああ――っ」
「あ、あらあら。提督、少し落ち着かせてくるわねぇ」
「あ、うん、お大事に……?」
この日青年は、夜が来るまでこの艦娘たちと戯れ、話し、遊んだのであった。
ふと、電と目があった時。
「なのですっ!」
何やら優しげな微笑みを送られたことは、青年の心にいつまでも残り続ける気がした。