銀髪のボブカットに白い肌。白いシャツに青緑色のベストを着用し、腰元には二振りの刀。傍らに白い球状の物体を浮かばせる少女といえば、幻想郷では魂魄妖夢をおいて他にはいない。はず。
白玉楼に住む西行寺幽々子に庭師として仕え、日々剣術の鍛錬と家事とをこなし、幽々子の暴食っぷりに苦笑しながらの生活を送る彼女だが、幽々子のことは憎からず――というより、生涯において仕えるべきは幽々子しかいないと断言するほど、幽々子を深く愛している。
だから妖夢は、剣を振るう。
いたずらが成功した時の無邪気な口元、事あるごとにからかってくるのにどこか優しさを帯びたあの瞳。単純に構われているだけであるというのに、なぜか心地よい。時折見せる憂いを帯びた表情に、何度心打たれただろう。
だから妖夢は、剣を振るう。
幽々子の役目を助け、少しでも力になれればと願ったことは一度や二度ではない。あの人の力になりたい。あの方の笑顔をお守りしたいと、本人の目の前で口にしたことも一度や二度ではない。
そして、それを受け止めてくれた幽々子だから、妖夢は仕えたいと願ったのだ。
だから妖夢は、剣を振るう。
たとえ、この剣の道の先が暗闇であるとしても。たとえ、幽々子の望む未来が暗闇であるとしても。
たとえ、
「紫が何か企んでるみたいだから、少し留守にするわ。妖夢は……そうねえ、妖怪の山――守矢鎮守府へ向かってくれる? 帰ってきたとき、美味しいお魚を食べさせてね」
主である幽々子が、己を必要としていなくとも。
足手まといだと遠まわしに言われたのだとしても。
自分は、幽々子を求めているのだから。
守矢鎮守府。幽々子の命により鎮守府へやってきた妖夢は、まず遠目からその異様さに目を疑った。
(赤レンガ……だけど、紅魔館とは違う。紅魔館はもうちょっとこう、趣味の悪い赤色してるけど、鎮守府は落ち着いた色合いみたい。白玉楼ほどじゃないけど広いなあ。それにしても……いつの間にこんな建物造ったんだろう)
湖の上では、何やら戦闘行動が行われている。てっきり異変か何かかと思いきや、艦娘同士が撃ち合い――演習を行っている様が見て取れた。日頃から訓練を欠かしていない様子には、妖夢も少しだけ親近感を覚える。
が、おかしいのはここから。鎮守府の門の目の前に来たとき、湖の上で戦っていたうちの一人が、水上を走ってこちらへ向かってきているのだ。何事かと驚き、近づいて来る人物に目をやれば、
紅魔館で門番をしているはずの、紅美鈴であった。
「あれぇー、妖夢さん? どうしたんですかこんなところに?」
「それこっちのセリフ! どうして美鈴が鎮守府に……しかも戦闘まで」
「ああ、私はここの門番で、ついでに演習のお手伝いを――おっとと、失礼。妖夢さん、今日は何か御用があったんでしょうか?」
「あ、うん。実は――」
大まかな情報を伝えると、美鈴は執務室の青年に取り次いでくれた。
追い返されなかったことに安堵して、妖夢は執務室へ足を進めたのである。
このようにして、執務室にて妖夢は青年との面会を取り付ける。紅魔館での宴会や、人里で何度か顔を合わせているこの青年。妖夢にとって、全くの初対面よりかは幾分話しやすかったのであるが、
「ようこそ鎮守府へ。確か……コンパクトさん?」
「誰のお胸がコンパクトですか!」
第一印象は、お互いあまり良くはなかったかもしれない。
椅子にかけ、テーブル越しに話を始める。
「失礼しました、魂魄妖夢さんですね。それで、今日はどういったご要件でしょうか?」
「白玉楼のことは知っていますか?」
「ええと。冥界に存在する、幽霊を管理する場所と記憶しています。白玉楼は広い敷地を有していて、管理者の名前が……西行寺幽々子さん?」
「その通りです。実は幽々子様、行き先も告げずにしばらく留守にすると言って出て行ってしまいまして。残る私は、この守矢鎮守府を頼るように言われました」
「…………はい?」
「突然のことで申し訳ないのですが、どうか私をここで雇っていただけないでしょうか?」
苦笑しながら、表情が固まる青年。からくり人形のような動きで首を横に回し、同席していた長門という艦娘に対して首をかしげるも、長門は首を横に振るばかり。
やはりというか予想通りというか。
幽々子は鎮守府に何も話を通していなかったらしい。
「僕らが断ると言ったら?」
「え」
さらに、予想外。
事前に掴んだ情報では、この青年は頼まれたら断れないタイプであるというのだ。基本笑顔だし、お願いされたらホイホイと叶えるという、なんとも人に騙されそうな性格をしている、と。
そのように文が言っていたのだが、まるで情報がちがう。いや、そもそもその情報を信じる時点でマズかったかもしれないが。
「あ、あの、や……雇ってもらえないんですか?」
「いやその、僕らも今聞かされたところでして……」
「こ、困るんです! 断られたら幽々子様に叱られてしまうんです! お願いします、何でもしますから!」
「ん? 魂魄妖夢よ、今何でもと言ったな?」
慌てる青年と妖夢を眺めていたらしい長門が、瞳に肉食動物の如き眼光を帯びた。瞬間、妖夢はなぜか背筋に寒気を感じる。
何をさせられるのだろう、と思ったのも束の間。長門が青年に耳打ちすると、それを受けた青年が優しく口角を上げた。
「では、妖夢さんにいくつかお尋ねします。料理の腕には如何程自信がありますか?」
「料理? 絶品というほどではないですけど、一通りは手早くできますが……」
「もう一つ。腰元の刀はお飾りでしょうか?」
「かざっ――バカにしないでください! 切れないものはない楼観剣、幽霊を成仏させる白楼剣、両方とも名刀中の名刀です!」
「……なら、せめて刀を置いてお話して頂けますか? いきなりやってきて、いつでも攻撃できる状態でお願いを突きつけられてはかないません」
「……あっ」
失念していた。青年の言うことはもっともである。
あくまでこちらはお願いをする立場。武装解除すらせず話し合いの場についても、誠意を見せるという態度そのものを最初から諦めるようなものだ。
しかも聞いたところによると、艦娘は幽霊の一種であるらしい。思いがけず白楼剣のことを話してしまったが、青年の顔が青ざめたのは気のせいではない。
なんということだろう。知らないうちに、武力をちらつかせて交渉についていたらしい。
青年の隣に座る長門などは明らかに警戒して、拳をポキポキと鳴らしている。艦娘は、少女の見た目のそれからは想像もつかないほど大きな力を持つそうだ。きっと長門も、ゴリラ並のパワーを備えているに違いない。
決裂してしまったであろう交渉に絶望し、俯く妖夢。
しかしそんな妖夢にかけられたのは、思いもよらぬ言葉であった。
「厨房の人手が足りないから料理と、弾幕を使っての艦娘の演習相手」
「…………。え?」
「人手が増えるのはありがたいです。お給金は少ないですけど、お願いできますか? あ、でも白楼剣って剣は、必要なとき以外こちらで預からせてもらいます。無論、悪いようにはしません」
「あ、ありがとうございます! 頑張りますから!」
訂正。文の情報もたまには当たるらしい。
白楼剣を預けること自体は別に構わない。乱雑な扱いをされようものならその時点で白玉楼に帰らせてもらうが、少なくとも鎮守府でお世話になる分には、艦娘にとって不安の種となる白楼剣は自身の手元にない方が好ましいだろう。どの道、あの剣は魂魄の者以外使えない。
「長門。鳳翔さん呼んできて」
「相分かった」
(私は鎮守府と喧嘩しに来てるわけじゃない。白玉楼の代表として、鎮守府と関係を築きに来たんだ)
自身の失敗は幽々子の失敗。自身の恥は幽々子の恥。
鎮守府が、妖怪の山や紅魔館と友好的であり、今後も徐々に友好的な勢力を味方につけていくというなら。
白玉楼だけが、取り残されるわけには行かない。明らかにメリットの多いこの関係を、みすみす逃してしまう手はないのだ。
(でも、私はこれで幽々子様のお世話から少しだけ解放されるわけですね。こう言っては何ですけど、ちょっと楽ができてラッキーだなんて思っていしまいます)
受け入れてもらったことに安心する妖夢。ホッと一息つき、胸をなでおろしたその時、一人の艦娘が執務室へ入ってきて、妖夢に向かってお辞儀した。
「『教育係』の鳳翔と申します。では妖夢さん、私が鎮守府の中をご案内しましょう。重要な区画はご案内できませんけどね」
どうやら、この鳳翔という艦娘が鎮守府や仕事のことを教えてくれるらしい。この優しそうな表情、加えてやり慣れた仕事内容。
ああ、自分にとってなんと恵まれた職場だろう。幽々子の笑顔は何物にも代え難いが、この鎮守府生活というのはちょっとした気分転換にはなりそうだ。
「説明は以上。お仕事は明日の朝から、よろしくお願いいたしますね」
この時の妖夢は、羽を伸ばせるような気持ちでいたのである。
それが、甘い認識であったとも知らずに。
『総員起こし』
「…………ほぇ?」
未だ眠気に沈む瞼をわずかに開けると、スピーカーから響くラッパの音が耳をつんざく。朝からプリズムリバー三姉妹が鎮守府に騒ぎに来ているのかと思い瞳を開くが、目に入ったのは見慣れない天井であった。
はて、ここはどこだろう。とまではいかないが、見慣れない風景を理解するには、妖夢の頭は少しばかりの時間を要したのである。
そんな時――
般若の如き表情の鳳翔が、部屋へと入ってきた。
「妖夢さん。初日からお寝坊されてしまいますと、私たちも困ってしまいます」
「んう……幽々子様ぁ? まだ6時じゃないですか……」
「鎮守府は早朝6時起床。飯炊きは4時には起床です。昨日教えたはずですよ」
布団の傍ら。ほのかに料理の香りを漂わせつつ、わずかに怒気を孕んだ声を上げる鳳翔。部屋の外では、艦娘のものと思われる点呼の声が聞こえていた。
「妖夢さん。罰として着替えてから腕立て伏せです」
「ほへ……腕立て伏せ……腕立て伏せ?」
「5秒遅れるごとに1ずつ加算します。1、2、5、30――」
「わあ!? 起きます! 起きますから!」
慌ただしく起きて出来うる限り素早く着替え、廊下に出て鳳翔の前に立つ。近くの部屋では艦娘達がゾロゾロと自身らの部屋へ戻っていく中で、鳳翔は妖夢の服装をジロジロ見てこう言った。
「昨日も話しましたが、軍というものは規律と統制を守れてこそ成り立ちます。だらしない人が一人でもいると、練度や士気の低下を招くことになるのです。これは提督にも徹底してもらっています」
「へ……? は、はあ……」
「服のシワが5箇所、靴の汚れが3箇所」
何を言っているのかと思い自身の服装を見直すが、今度は鳳翔は妖夢の部屋へと入っていく。
どうしたんだろうと思い、部屋の中を覗いてみると、
「布団が乱雑、ロッカーの不整頓、及び開け放し、パジャマの放置、床のゴミ、カーテンの開け忘れ、電気の消し忘れ、ドアの開け放し」
何かをチェックしているらしい。何かあったんだろうかと思っていると、鳳翔は部屋から出て自身の前に立つ。
今度は、仁王のような表情であった。
「不備16点、1点につき10回、及び120秒の遅れ。合計400回ですね。さあ妖夢さん、腕立て伏せの姿勢をとってくださいね♪」
「へ……よ、400回!?」
「遅いので100回追加です。腕立て伏せの姿勢をとれ」
(こ、怖い……。というより、どどどどうなってるの!? 400どころか500回なんて出来るわけないよ!)
妖夢の慌ただしい鎮守府生活は、こうして幕を開けた。
なお、腕立て伏せは50回で勘弁してもらえたが、起きがけに動いたためか、眠気など完全に吹き飛んでしまった。
以降のことはよく覚えていない。初日はとにかくよく疲れたのだ。一日中厨房や諏訪湖で身体を酷使して――その時の会話を少々覚えているくらいである。
「妖夢さん。部屋と服装、すぐに直されたようで良かったです」
「は、はい……。そんなことで腕立てはしたくないですし……」
「朝ごはんはちゃんと食べましたか?」
「あ、食べました。鳳翔さんが作ったんですか? とても美味しかったです」
「うふふ、ありがとうございます。では、まずは洗い物を一緒にしましょうか」
「え……艦娘に美鈴と私で46人分!?」
「洗い物は終わりましたね。では、お昼ご飯の仕込みにかかりますよ」
「ええ!? ま、まだ9時ですよ!?」
「お昼は提督合わせて47人分の食事を作ります。仕込みも大変ですし、妖夢さんは炊事以外にもすることがあるのでしょう?」
「よ、47人分……幽々子様の分より多い……」
「正確には、よく食べる子もいるのでそれ以上ですけど」
「…………」
「お昼ご飯は食べましたか? では、洗い物をしましょう」
「よ、47人分……ご飯はおいしかったけど……」
「洗い物のあとは夜ご飯の仕込みですよ」
「また仕込みかあ……。あっ――。……すみません、手を滑らせました」
「……お皿3枚ですか。怪我はありませんか? 私が掃除しますから、そのまま洗い物を続けてください」
「うう……はい、ごめんなさい」
「終わったら1枚につき10回の腕立て伏せですからね♪ モノは大事にしなければなりませんから」
「…………」
「午後は演習の相手、ですか。ようやく厨房から解放されました……」
「お昼ご飯……いい味付けだったわ。あなたも作ったのでしょう?」
「お昼とても美味しかったです、妖夢さん、ありがとうございます」
「確か……加賀さんと赤城さん? ありがとうございます!」
「妖夢、今度あなたに特製カツカレーの作り方を教えるわね!」
「私としてはもう少し量をだな。何しろ燃費もビッグセブンだから」
「ご飯の話ばっかり……」
「ちょちょちょ待って! 砲弾大きいよ! 砲弾斬るの怖い! 戦艦!? 戦艦ナンデ!?」
「む、外したか。では水偵を出そう」
「装備換装を急いで!」
「第二次攻撃隊、発艦はじめ」
「このコウクウキって、スズメバチみたいですね! シッ! ハァッ!」
「め、美鈴が鳥みたいなのを叩き落としてる……なら私も斬って――」
「進入速度よし、投下します」
「へぶっ! うわ、前が見えない!?」
「あっ、演習用爆弾の中身はイカ墨です」
「ご飯……おいしいよぉ」
「ちょっと妖夢さん、こぼしてますって」
「美鈴は門番してていいなあ。立ってるだけでいいなんて」
「しかも半分位寝てますからね。フッフッフ」
「食事の時間がこんなに楽しみになるなんて思わなかったよぉ……」
「……ダメみたいですね」
「さあ、最後の洗い物ですよ」
「よ、よし! 頑張りますよ鳳翔さん!」
「うふふ、随分とやる気でよろしいじゃないですか」
「当然です! これが今日の最後の仕事なんですから!」
「あら、まだ明日の朝の仕込みもありますよ?」
「…………」
「つ、疲れたあ。お布団がこんなに愛しいのは久しぶりかも……」
『長門より達する。鎮守府近海に深海棲艦が現れた。支援艦隊として右の者は出撃用意を実施せよ――』
「サ、サイレン? それに今の放送は――」
「妖夢さん。戦闘糧食を作ります、急いでください」
「もうやだああああああああああああああああああああああああああ!」
こうして、魂魄妖夢の慌ただしい初日は幕を閉じたのである。
翌日、妖夢は厨房にて昼食の仕込みをしていた。鳳翔は食材を取りに行ったため、現在一人ぼっちで包丁を握っている。
(ううう――幽々子様ぁ。白玉楼に帰りたい……)
初日を終えただけで、すっかり精神的に参ってしまった。今日は起床時のミスこそなかったが、初日のストレスと疲労で瞼もずっしりと重くなっている。
鎮守府がこんなに厳しいところだとは知らなかった。整頓は細かすぎるし、料理の量が尋常ではないし、自己鍛錬をする時間はないし、相当時間に厳しいし、長門はゴリラだ。
今までの幽々子との生活がどれだけ緩かったのか、時間に余裕があったのか、それを一日で思い知らされたと言ってもいい。
美鈴は既にこの生活に慣れたと言っていたが、一体どれだけ図太く生きているのだろう。
(帰って幽々子様に謝ったら許してくれるかなあ――って、しばらく留守にするんだった……)
しかも、鎮守府で働くというのは幽々子の命令なのだ。愛してやまない主の命令を、自分が耐えられないなどという情けない理由で破るわけにもいかない。
(でも……つらいなあ。こんな生活が続くと思うと)
幸い、鳳翔をはじめとする艦娘たちはいい人ばかりである。鳳翔は厳しい部分こそあるが、改めて考えれば、指摘された部分は自身の弛んだところであるとわかる。
辛いのは自分だけではない。自分が厨房で苦しんでいる間にも、艦娘たちは命をかけて深海棲艦と戦っている。陸を、幻想郷を深海棲艦から守ろうとしている。
霊夢を――探そうとしている。
どうして自分だけが泣き言を言えよう。
「鳳翔さんおはようございます……っていないや」
「あれ? えっと、て、提督でしたか?」
「あ、魂魄さん、お疲れ様です。提督ではなく茅野守連です、どうぞお好きに呼んでください。鳳翔さんはどちらに?」
「妖夢でいいですよ。鳳翔さんは今、食材を取りに行っています。もうすぐ戻ってくると思いますけど」
「なら、ここで待つことにしましょう」
と、厨房に入り、手を洗う青年。
(艦娘は皆、この茅野さんに従ってるんだっけ。全員が従うほど、すごい何かを持ってるのかな? 気のせいか、以前宴会や人里で会った時よりも余裕があるような……)
まな板と包丁を取り出した青年は、妖夢の隣で食材の皮をむき始める。
(圧倒的なカリスマ? 絶対的な判断力? 別にイケメンってわけでもないし……茅野さんはどうして艦娘を従えてるんだろう――って)
「な、何してるんですか?」
「えっ……ジャガイモの皮むきですよ?」
「そ、そうじゃなくて! どうして茅野さんが皮むきを!?」
「いや、ただ待ってるのも暇なのでお手伝いをと」
「ええっ!? い、いいのかな? いやでも、一番偉い人の言うことだし……でも一番偉い人がジャガイモの皮むきって……」
「あ、鳳翔さん」
「あら提督、小腹でも空きましたか? 手伝いは結構ですといつも言っていますのに」
「いえ。今日は、長門が鳳翔さんから航空戦について教わって来いと」
「あら……でしたら、折角なのでお手伝いをしてもらいながら教えましょうか」
(受け入れちゃうの!? 幽々子様が皮むきしてるようなものなのに!)
鎮守府は妖夢の知らないことばかりであった。
全ての仕込みが終わったのは数時間後。青年も協力していたため、作業自体は早く終了した。また、それと同時に鳳翔が行っていた、青年への口頭での教育も一区切りとなる。
妖夢もそれをじっくり聞きながら作業していたのだが――生憎と制空権だの戦闘機だの、爆撃機だの攻撃機だの言われてもピンと来ない。演習を経ていた妖夢がわかったことと言えば、鳳翔が航空母艦という艦種で、航空機を飛ばす能力を持っているということぐらいである。
航空機。幻想郷に生きるものとしては、航空機の戦闘は弾幕そのものに近い。無論、艦娘の放つ砲弾も弾幕以上の速度であるし、ほぼ狙撃するように狙ってくるしで、主砲弾による攻撃自体も油断することはできない。
だが、航空機はそれ以上である。速度は砲弾に比べれば段違いに遅いが、弾幕ではありえない空中機動に加え、これまた正確な攻撃。追尾は当たり前のようにしてくるし、攻撃の回避も余裕だし、更には編隊を組んで挑んでくるしで、相性は正直最悪である。
例えるなら。小型化した大量の博麗霊夢が霊夢同士でチームを組み、弾幕戦闘を仕掛けてくるようなものだ。決して、分裂した伊吹萃香ではないところがミソ。勝ち目を考えるとかそういう水準ではなく、どう生き残るかを考えさせられるものであるといえよう。
「ひとまずは以上、でしょうか。あとはまた午後にお教えしましょう」
「丁度仕込みも終わりましたね。いつもありがとうございます」
「うふふ、好きでやっている部分もありますから」
「妖夢さんも、ありがとうございます」
「ひへっ――!?」
ひと仕事終えて疲れたなあと思っていたところへ、青年から声がかかる。まるで油断していた妖夢は、思わず変な声が出てしまった。
「作戦前だから、皆訓練に励んでいるんです。そんな中、厨房を安定的にこなせて、戦闘訓練もできる妖夢さんが来てくれた。最初は流石にちょっと警戒しましたけど、僕たちは本当に助かっているんですよ」
「え、そ、そそそうですか?」
「昨日は大変だったそうですね。でも、妖夢さんの料理は本当においしかったです。鳳翔さんに負けず劣らずいい勝負です。まあ、僕の舌はあまりアテにならないらしいですが」
「あら提督、私の料理にご不満でも?」
「いえまさか。それで、妖夢さんはどうなんですか? 随分すごい人のようですが」
「本当によくやってくれています。厨房では積極的に腕を振るっていますし、演習で相手をした艦娘からも、攻防共に高評価です。一度指摘した規律は完璧に守っていますね。疲れもあるでしょうし、今日は午後には切り上げて妖夢さんには休んでもらおうと思ってます」
(えっ、褒められてる……というか休み!?)
疲労困憊の妖夢の瞳に光が差す。自分の知らないところで自分が評価されていたことに、思わず呆けてしまった。自分の苦労は無駄ではなかった。体を酷使しただけの評価は、ちゃんと得られていたらしい。
精神的に打ちのめされていた状態からの救済の言葉。勝手に、瞳から涙がこぼれ落ちる。
「…………。おっと、妖夢さん」
「ふぇっ? はっ! み、見ないでください!」
「いえ、顔の汗を拭こうかと……これで良しですね」
「へっ? あ、あ、ありがとうございます……?」
「…………。あらあら。提督、妖夢さんが可愛いからって手を出してはいけませんよ?」
「ははは、そんなことしませんよ」
(…………。わかった……気がする)
この青年が艦娘に慕われている理由が。艦娘がこの青年に従っている理由が。
立場を気にせず、優しさを振りまき、他人が嫌がることをしない。どこか一歩引いたようで、どこか親しみやすさを感じさせるこの人柄。
幽々子とは違う。だが、上司としての器の広さは幽々子の上を行くといってもいい。
妖怪の山も紅魔館も永遠亭も、もしかしたらこの青年にやられたのだろうか、と。違うのだとしても、この青年のお人好しなところは、必ず各勢力に見えない形で侵食しているだろう。じわじわと、“毒”のように。
「妖夢さん」
「は、はい!」
「ここでの仕事は勝手も違うので大変かもしれません。ですが、妖夢さんのように素晴らしい方を迎えられて、鎮守府としては本当に感謝しています。僕だって嬉しい」
「……えっ?」
「慣れるには時間もかかるでしょう。ただ、無理はしないでくださいね? 辛いときは辛いとおっしゃってください、僕たちも甘えてしまいます。知っていますか? 笑わない子供って、ろくな大人にならないんですよ」
「…………」
自分はもう子供ではないのだが、というツッコミはさておいて。
逃げ出したいと立ち上がっていた精神が、意思を伴って座り込む。その優しさによって、まだ頑張れると心が奮起する。
朗らかな笑顔を向けられ、妖夢はうつむきながらも小さな声で「はい」と応えた。
(茅野……さん、か)
艦娘は既に、この毒にかかっているのだろう。どういった繋がりがあるのかはわからないが、それこそ立場からもそれを受け入れて。死線を共にくぐり抜けて、信頼を預けて、運命を共にして。
(カミツレさん…………か)
そして妖夢もまた、この瞬間毒に蝕まれた。その優しさに付け入る隙を与えてしまって。ボロボロの精神を侵蝕されて尚、その毒に抗うことはできなかった。
この気持ちは一体何なのだろう。
恋? 違う。
愛情? ますます違う。
もっと単純明快。複雑さなど微塵も持たず、一言で言い表せられる関係。
“信頼を相互に交わす”ことが、これほど甘美なものだったとは露とも思わなかったのである。