翌朝のことである。
(……なんかボーッとするなぁ)
視界がぼやけ、視点が定まったかと思えばそこから動かせない。体が動くことには動くが、ダルさというか億劫さというか、動くにも気合を入れなければ動けないような状態。
身に覚えはある。この重たい頭の正体は、間違いなく風邪だ。
寝苦しかったので目を覚ましたが、どうやらいつもの起床時間だったらしい。が、どうしても動く気になれず、頭痛に悩まされながら横になっていると、ジャージ姿の長良が心配そうな表情で執務室へ入ってきた。
「司令官、おはようございます! 今日もランニング……って、どうしたの?」
「あー……ああ、長良か……。おはよう……」
「すごい顔が赤いよ、大丈夫?」
そう、いつもならばこの後、長良と共にランニングをするのだ。当初は一人で黙々と走っていたのだが、長良が艦隊に加わってからは彼女と一緒のランニングが毎朝の日課になった。一緒に励む人がいるだけでこうも楽しいものになるというは甚だ予想外であり、青年の知らない知識であった。
この辛さも長良の顔を見れば乗り越えられるかな、なんて戯けたことを思いながら長良の顔をチラっと見てみたのだが、残念ながら可愛いだけで体の不調は治りそうにない。
「……ごめん、今日はやめとくよ」
「ちょ、ちょっと待ってて! 鳳翔さん呼んでくるね!」
そうしてやってきたのは、朝食を作っていた鳳翔。寝たままで話すのも申し訳ないと思い体を起こそうとするのだが、ボーッとするために首が据わっていない。
鳳翔が抜けて厨房は大丈夫なのかと思ったが、給糧艦の間宮も着任したのだ。多少なら大丈夫なのだろう。
「あら……これは……」
「うう……すみません、なんだか熱っぽくて……」
「……ふふ、一つ区切りがついたから、安心して疲れが出たのかもしれませんね」
「子供ですか僕は……」
「詳しいことは永遠亭のお医者様に聞かなければならないとは思いますが……どうしましょう?」
「あの……か、艦隊の指揮をとりま――」
「休みたい? わかりました、今日は休んでください。私たちは非番の日がありますけど、提督はお休みが今までありましたか? まずは体調回復が優先です。長良さん、守矢神社まで提督の護衛をお願いします」
こうして、青年は神社へと担がれて緊急搬送されたのである。
かろうじて紅魔館へ追加派遣される祥鳳の見送りをしたのだが、逆に祥鳳から心配されるという情けない始末であった。
「ありゃりゃ、カミツレ君大丈夫かい?」
「カ、カカカカミツレ! 大丈夫か!? 熱!? 熱なのか!?」
「あの、神奈子様落ち着いて……」
長良におんぶされて守矢神社へ運ばれた青年は、すぐさま自分の部屋へと寝かしつけられる。枕元でじっと顔を覗き込んでくる早苗、布団の周りでオロオロと口が塞がらない神奈子と、中々眠りづらい状況であるが。
「あったよー、外の世界から持ってきてた薬」
「諏訪子! そ、それ効くのか!?」
「神奈子、病は力だよ。いや気からだったっけ? 薬に頼るだけじゃなくて、本人の病気への抵抗力も上げないといけないのさ」
「……医者じゃないのに詳しいな?」
「前に見たテレビでそんなこと話してた」
「神の知恵はどこへ行った!」
「あ……あの、うるさいです……」
部屋にいるのはいいが、せめて静かにしてもらいたいと切に願うのであった。ボーッとして耳が遠い気はするのだが、不思議なことに耳元で叫ばれているようにガンガン頭に響くのだから。
と、思う中でも、青年は鎮守府のことを思い出す。
「あ、す……諏訪子さん」
「ん? どしたの?」
「ボ、ボ……キ……」
「ん、んんー? やだなあカミツレ君。そういうのは他の子に頼んでね」
違う、そうじゃない。
「いえ……こ、鉱石のボーキサイトって……知ってますか?」
「…………。ふーん、アルミニウム足りないんだ?」
「は、はい……」
仰向けに寝ながら頭だけ動かし、諏訪子の方を見る青年。諏訪子は顎に手を当て、少しだけ考える素振りを見せたかと思うと口を開く。
「私が創ってあげてもいいけど……一つ助言をしてあげるよ」
「な、なんです……?」
「この幻想郷の“地下”、良質なボーキサイトの宝庫なんだ。使わない手はないんじゃない?」
その言葉を聞くと青年は安心し、まぶたが重くなったのを感じたのであった。
さらに翌日。すっかり体調も回復した青年は、改めて早苗たちや艦娘たちに礼を言う。鳳翔にもう少し休んでいていいと言われた時は、戦力外通告でも受けたのかと思ったが、自分の体力を心配してくれていただけであるらしい。
体調が酷くなるようなら永遠亭に連行される予定だったそうだが、それには及ばず。いずれにせよ、快方に向かったようで何よりである。
そんな青年は今、どこにいるのかというと――
「おい鴉天狗、相変わらず変な新聞出してるみたいだな」
「ヒェッ……、あ、あの、萃香さん、ご勘弁を……」
「霊夢のことは記事にしたのか?」
「い、いえ、する予定はないですよ。霊夢さんが行方不明なのは人里でもチラホラ知れ渡っているようですが、おおっぴらに伝えることでもないかと……」
「カミツレの指示か。細かいことは私にゃわからんがな」
「そ、それであのー……、いつまで我々の山に居座るつもりなんでしょう?」
「霊夢が見つかるまで、と言いたいが、神社の掃除も私がしてやらないとな。鎮守府もすぐには動けないみたいだから、私がその穴を埋めるつもりだ」
「あやや……できれば早く出て行ってもらえないかなーと」
「ああ!? 懐かしさを感じさせる暇も与えねえってのか!」
現在、妖怪の山の上空を飛行中である。青年は魔理沙の箒にまたがり、妖怪の山での序列について揉めている文と萃香を傍目にして。
「私は今回、地獄谷の入口までしか案内できませんからね。というよりしませんよ。 地底との約定があるんですから」
「わかったわかった、ヘタレ天狗の代わりに、そっから先は私が見ててやる」
何かと喧嘩腰でぶつかり合う二人。萃香の方が序列としては上にあたるらしいが……文も伊達に千年を生きていないのか、のらりくらりと言葉をかわしては針を突き刺すように口撃する。
一方、萃香が古巣である妖怪の山に戻っただけだろ、と我関せずな態度を貫く魔理沙は、一見二人に比べれば随分とおとなしくしているようにも見える。が、霊夢のことについて、青年に対してひたすら質問を続けていたというのが実態である。
「次の作戦まで一ヶ月ぅ……? もうちょっと短くならねえの?」
「ごめん無理だ。無理を押したまま出撃しても艦隊に被害が出るだけだし、そもそも今のままじゃあの航空機群を突破できないからね」
「……やっぱ、霊夢は深海化してるんだな」
「驚かないの?」
「そんな気はしてたさ。一ヶ月も行方不明で、さらに深海化するなんて異変が起きてるんだ。死んでないとなれば……流石に、な」
「そっか……」
「こうなった以上は完全にお前ら任せだ。協力もするし、戦力にだってなる! だからさ、霊夢を……あいつを……」
取り返してくれ!
冷静な風を装おうとしていたようだが、気持ちが上手くコントロールできないようだ。魔理沙は跨る箒を握る力を強め、うつむきながら言葉を絞り出した。
その悲痛に、寂寥に染まった淡い声に。
「必ず」
力強い声色を、返したのであった。
現在、幻想郷における地下――地底へと繋がる地上の入口、『地獄谷』を目指して飛行中である。案内人として文、護衛として魔理沙と萃香がついてきており、青年のポケットにもカード状態の艦娘を忍ばせている。希望者1名を募ると山ほど募集が来たため、あみだくじの結果、榛名が見事に護衛の座を勝ち取ったのである。
今回の目的は、地底に眠るボーキサイトをめぐっての交渉。交渉相手は地底を管理する『地霊殿』の主だが、訪問することなど全く伝えていない。そもそも伝えようがないのだ。
これは幻想郷内での取り決めなのだが、幻想郷内において妖怪は2つの勢力に分かれている。大きく分ければ、地上の妖怪と地底の妖怪だ。
地底に住まう妖怪は、地上の人間に嫌気が差した者、忌み嫌われ封印された者、地上を追い出された者など、多くは地上との間に何かしらの因縁を持つ者が多い。種族的な因縁、というのもあるようでないようなものなのだが、数百年前に鬼が築き始めたと言われる地底の社会に“力”を感じ始めた地上の賢者たちが、ある約定を定めた。
それが、地上の妖怪の地底への不可侵である。
人里の子供でも知っているこのお話は、割と最近まで青年の耳には入ってこなかった。人里で水産物の販売をしていれば自然と様々な情報が入ってくるものなのだが、人里の人、あるいは妖怪にとって、この情報は当たり前であるから話のタネにもならなかったためだ。
しかも、地底についてわかるのはここまで。自分たちでどうにか調べはつけたが、ほとんど成果らしい成果を得ることはできなかったのは間違いない。
そうして、一行は地獄谷の入口までたどり着く。ゴツゴツとした岩が隆起したり陥没したりしている地盤の中に、その洞穴は姿を現した。
「そこから先には地底が広がっています。地上を追われた妖怪たちの住処です。約定がありますので、私はここから先には行けません」
「萃香さんはいいの?」
「私は元々地底に住んでたんだ。で、その前が妖怪の山な。私が地底に戻る分には問題ない……んじゃないか」
「で、人間の僕と魔理沙ちゃんは大丈夫らしいと」
「いい加減にちゃんを外せよな」
そして、ジメジメとした薄暗い洞窟の中へ。
不気味さを感じながらも、足を進めたのであった。
が、しかし、
「――――」
「カミツレ危ねえッ!」
しばらく進んだところで、ジメジメとした洞窟の天井から何かが落ちてきた。その何かは青年のうなじをかすめ、その姿を捉えさせることなく影を消す。
「え? え? え?」
「……釣瓶落としか。それに――」
そして再び、その人物――いや手に鎌のような刃物を持った桶が姿を現す。その隣には、蜘蛛のようにお腹の部分が丸く膨らんだスカートを着用する少女。
もしやと思ってうなじを触れば、手に血がうっすらと付着していた。
「く、黒ひげ危機一発!」
「おお? 人間とは珍しい。何が目当てなのかな? この黒谷ヤマメさんに会いに来てくれたの?」
「あ、えっと、地下の妖怪の代表の方にご挨拶を、と思いまして。地霊殿、でしたか? ……先にとんでもない挨拶を頂きましたけども」
出会い頭に暗殺されるなど、よもや誰が考えよう。魔理沙が咄嗟に吹く事引っ張ってくれなければ、今頃首は胴体から離れていただろう。
「ふーん? 帰りなよ、人間なんて食べられるのがオチさ」
「そ、そこを何とか!」
「やだよ。さっきのキスメのは警告。早いとこ帰りな」
「土蜘蛛じゃん、懐かしいねえ。こいつを地霊殿まで送りたいんだが、私の頼みでもダメか?」
「……鬼ィ? 友好的な来訪者ではなさそうだね」
その瞬間、妖怪の少女二人の雰囲気が険悪なものに変わる。どうやら、萃香をけしかけに来たと思われてしまったらしい。
「なんだ、私とやろうってのか?」
「約定は知ってるよね? 私は追い出すだけさ」
「嫌いじゃない。かかってきな」
「あんまり舐めてると痛い目みるよ――」
「あーもう……ちょっと待ってください!」
あくまで護衛という立場を忘れてしまったのか、萃香も萃香で乗り気だ。ヤマメと名乗った妖怪の少女も不気味な雰囲気を纏いながら腰を低くするのだが、青年が頭を痛めながらその状況に待ったをかける。
結局、その日は地底の妖怪のことを考慮し、ボーキサイトの交渉のことを考えると事を構えるべきではないとして、大人しくヤマメの言葉を聞き入れて撤退することになった。
帰りがけに萃香がしょぼくれた顔で謝ってきたのだが、それはまた別の話。
鎮守府に戻った榛名が青年のポケットの中の温もりについて自慢していたのも、また別のお話。
数日後。
艦娘も全員が全快となり、鎮守府の運営体制も元通りになってきた。数日間は漁を見送っていたので、人里からそろそろ魚くれと熱烈な打診があったのだが、ようやくそれも実行できそうである。
しかし、未だに航空機の生産は追いついていない。防衛のみであれば萃香もいるため今の数で何とかなるのだが、攻勢に出るのはやはり厳しいと言わざるを得ない。
「そんでよ、咲夜の奴がメイド服持ってレミリアを追っかけ回して……」
「ははは、意外と咲夜さんお茶目だね」
そんな鎮守府の状況を察してくれているのか、魔理沙も手伝いに来てくれた。手伝いというよりも、ただ執務室に来てのんびりしているだけなのだが。勉強の時間は邪魔しないため問題はないのだが、果たしてここにいて魔理沙は楽しいのだろうかとも少し思う。
休憩中のひと時、魔理沙はチラチラと青年の様子を伺うように問う。
「あのさぁ」
「ん? どうしたの?」
「航空機っていうのは……やっぱりまだ足りないのか?」
「……そうだね。時間を置けば全員に補充できるけど、やっぱり地底にあるボーキサイトの供給があればありがたいかな。次回作戦を起こすにしても、その時また航空機が補充できなくなりました、では鎮守府も面目が立たない。諏訪子さんは……どうもこの件は乗り気じゃないみたいだし」
「地底の……ボーキサイト」
「どうしたの? 鎮守府の運営に興味でも湧いた?」
「そんなんじゃねえ。ハン、今日は帰る」
「お、怒った?」
「怒ってねえよ」
やはり女の子は何考えてるかわからないなと思いながら、青年は勉強に戻るのであった。
そして、その翌日の夜。
勉強を終え、そろそろ神社に帰ろうかと思っていた頃である。
「え、魔理沙ちゃんが来た? こんな時間にどうしたんだろ……いや、通してあげて」
待つ間、執務室の窓から暗い空を見上げる。
静まった空気が肌を癒し、点々と輝く星々はさながら宝石のよう。外の世界に比べて星がよく見えるなと思っていると、魔理沙が扉を勢いよく開けて入ってきた。
「おう、遅くに邪魔するぜ!」
「ははは、元気がいいね。今日はどうしたの?」
魔理沙は箒を床にドンと突き、自信満々に。
そして、初めて自分に笑顔を見せながら答えてくれた。
「いやー疲れたぜ。あいつら人の話聞かねえしな」
「魔理沙ちゃんも中々話聞かないと思うけどね。あいつらっていうのは?」
「聞いて驚け! 地霊殿の連中から、お前と話がしたいっていう言質を取ってきたぜ!」
「…………へ?」
ニカッと笑う魔理沙。
突然の話に頭がついていかず、青年は混乱する。地霊殿が自分と話をしたいとどういうことなのか。なぜ魔理沙はそのような真似をしたのだろう。
「これで、霊夢のやつを探すのも早まるだろ?」
「え、ちょ、え? あ、つまりどういうことなの?」
「なんだよわかんねえのか。いいか? 私は今日――」
地底に殴り込みをかけて、地霊殿を攻略してきたんだぜ、と。
魔理沙は胸をドンと叩いて、誇らしげにしていた。