「あらあら……今日もついてないわね。まさか艤装に鳥のフンが落ちてくるなんて……」
やれやれといった表情で、陸奥は汚れた箇所を綺麗にした。
妖怪の山の麓に、地下間欠泉センターが建造され始めた頃の話である。
陸奥は青年の命令を受け、地下間欠泉センターの周辺監視の任にあたっていた。とはいえ、天狗たちも上空で監視を行っている。実質、陸奥は諏訪子と河童の共同作業によって建物ができていく様を、ヒマそうに眺めていただけである。
夕方になり、皆が自分の家へと帰っていく中、陸奥も帰投しようかと思い川に浮かぶ。夜中の監視も天狗がやってくれるし、仮に戦闘が発生した場合も当直の部隊が出る手はずになっている。自分が心配することは何もないだろう、と。
そう思って航行し始めた時、川の上流の滝にキラキラと光る何かが映った。
(……何かしら?)
艤装を展開し、陸奥は警戒を強める。山の天狗の警戒網は、軍属である自身らから見ても非常に厚いのだが、それをくぐり抜けたとなると相当な相手なのだろうか。
艤装の簡単な点検を行う。が、自身が過去に沈んだ原因となった箇所である、第三砲塔だけは動きが鈍い。担当する付喪神――妖精さんに元気がなく、まるでただの人形であるかのように表情も硬いのだ。にとりも理由がわからないという。
(第三砲塔……何をしてるの?)
戦闘になればこの第三砲塔は使えないだろう。しかし、それでも自身はビッグの一角を担う誉れ高き戦艦。
かつての長門のように、胸を張ることのできる活躍は自身にだってできるのだ、と。
「お客様かしらぁ?」
近づいた先、滝にいた存在は少女であった。エメラルドグリーンの長髪を胸元で結わえ、暗い赤色のヘッドドレスを着ける。赤を基調としたワンピースのスカート部分には、『厄』のような模様が描かれていた。
「あなたは……何者?」
「私? ふふ――神様よ」
「あら? 妖怪の山の神は神社の二柱だけじゃなかったのね」
「厳密には違うけれどね。私以外にも神って呼ばれる存在はいるわよ。農民に大人気なのとか」
「へえ? じゃあ、あなたは何の神様なのかしら?」
「さあ、何でしょう」
滝壺を囲うように置かれる岩場の上で、少女は楽しげにくるくると踊るように回る。滝から漂う水飛沫がキラキラと星のように輝くのも相まって、彼女はまるでステージでライトを浴びる踊り子のようであった。
と思った瞬間、少女は回るのをピタリと止める。
「厄いわねぇ――貴女」
「や、やくい……? それより貴女、どうしてこんなところにいるの?」
「山が騒がしくなったから様子を見に来たの」
「あら、山に住んでいるの? 警戒して損したわ」
敵意がないことを雰囲気からも認め、そこでようやく陸奥は警戒を解いた。妖精さんへ指令を出し、しばらく休ませることに。
「それで――何よ、あのでっかいモノ」
「『地下間欠泉センター』よ。電気を作って人里に供給したり、温泉施設があったり――」
「ふーん。誰が作らせているの?」
「いろんな人が関わっているわね。主なところだと神社の二柱、地霊殿の覚り妖怪、それからうちの提督かしら」
「提督……。ああ、最近巷で話題の……」
「ええ」
「同性愛者って噂の彼ね」
「違……うわよ、多分」
妖怪の山の中でも、やはり噂になっているのだろうか。
青年と艦娘が幻想郷で暮らし始めてひと月半は経つが、未だ提督に手を出されたという艦娘はいない。精々が裸を見られたという程度だ。いや、鎮守府内の風紀を考えれば青年の振る舞いは正しいのだが。
女性ばかりの環境下、にも関わらず浮いた話の一つもない青年に対して持ち上がった疑惑の一つ。それが、茅野守連ホモ疑惑であった。
元が軍艦を拠り所としているとは言え、こうして女性の形をしているにも関わらず興味を持たれないというのは、少しばかり自信を失いそうにはなるのがサガというものである。艦娘以外でも手を出されたという話は聞いていない。
(提督に一番近いのって……やっぱり早苗よね)
が、その早苗も、最近どこか青年とギクシャクしている。表面上は問題ないのだが、挙動の一つ一つがお互い不安そうなのである。ようやくお互いを意識し始めたのかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
(うーん……私、早苗より大人の雰囲気あると思うのに……何が足りないのかしら)
「そんな話はさておき。貴女よ貴女、艦娘だったわね?」
「私? 私がどうしたの?」
「なかなかに厄いわね。私もびっくりしたわ」
「さっきからその……厄いっていうのは?」
「厄が溜まっている、悪いものが憑いている――人間の言葉で言うなら、“運が悪い”ってところかしら。私、そういったものを感じ取ることができるのよ」
「ふ、ふうん……まあ、当たらずとも遠からずってところね」
嘘である。とてつもなく運は悪い。
非番の日に出かけた先で深海棲艦に遭遇したり、足を踏み出した先に丁度猛犬の尻尾があったり、一人だけフグの毒にあたって高速修復材を使うことになったり。
(思えば実艦時代の最期だって……いえ、いいわ)
「だから、私が貴女の厄を吸い取ってあげる」
「…………は?」
そう口に出した瞬間、少女は再び回り始めた。
くるくる、くるくる、くるくると。
円を描き、弧を描き、何かを引き寄せるように。
夕焼けを浴びた滝の水煙はオレンジ色――否、赤色に染まって。
まるで、浮かび上がる血飛沫の中で舞っているようであった。
その表情は、酷く愛おしそうに。
回り続ける彼女の周りに、血飛沫が吸い寄せられるように集まるのを見ていると。
スッと、自分の中から何かが抜けていくような気がした。
「え? あ、え……?」
「あ~、極上の厄だわぁ……ごちそうさま」
「な、何をしたの?」
淫靡な表情で、ペロリと舌なめずりをする少女。悦びを表すかの如く更にくるくると踊り、恍惚とした表情に染まる。
「厄神の私がすることなんてただ一つ、“厄を吸い取ること”。貴女は最高の禍いだったわ」
「厄を吸い取る……厄神」
「特にぃ……コ・コ。素晴らしい厄を頂いたわ」
「ここって……第三砲塔?」
ふと妖精さんに語りかけてみると、妖精さんは以前のようなぐったりした様子を微塵も感じさせず、遅れを取り戻すかのように艤装の整備に精を出していた。命令を出せば、他の砲塔と遜色ない動きを見せてくれる。
「厄…………」
「もしかして、いいコトをしちゃった?」
「……ええ! ありがとう!」
「お安い御用よ。お礼がしたいなら、もっと吸い取りがいのある厄を持ってきて欲しいわね」
そう言って、何度も何度もくるくると回り続ける少女。
艤装が直ったことは驚きである。しかしそれ以上に驚くのは、少女の能力がそれを成したこと。艦娘や平気に関する知識など微塵も感じさせないというのに、自身が抱える最大の問題を解決してしまった。
やはり幻想郷は侮れない。この少女も、敵意がないとは言えもう少し警戒しておくべきだったのかもしれない。が、今となっては仕方なし。
少女は回るのをピタリとやめ、陸奥の方へと視線を向ける。
「ねえ、貴女はあの神社の関係者?」
「ええ、そうね。直接的にではないけれど、私みたいな艦娘を取りまとめる“提督”が、神社とすごく縁が深いわ」
「“提督”ね……。その装備しているの、武器なのでしょう? あなたたちは何と戦っているの?」
「深海棲艦という、幻想郷の敵。これを倒すために、人里で商売をしたり、あそこの地下間欠泉センターを作ったりしているわ。軍備の充実のためにね」
「武器……技術……充実。あなたたちは“外の世界”から来たと聞いたけれど本当?」
「本当よ? それがどうかしたの?」
少女は少しだけ落ち込んだ様子を見せると。
うつむきながら、ポツリと呟く。
「なら私、あなたたちのこと嫌いだわ」
心の底から不安そうな表情を見せる少女に。
陸奥はただ、固唾を呑むことしかできなかった。
「どう……して?」
「幻想郷がなぜ存在しているか知ってる? 忘れられそうなモノたちの楽園、歴史から消えたモノたちの桃源郷、外の世界から隔離された妖怪の安住の地、それが幻想郷よ」
「…………」
「外の世界では科学技術が進歩したでしょう? 科学は非科学的な“迷信”を排除したの。だから妖怪たちは、幻想郷という結界に閉じこもることを選択した」
「――――っ!」
「気づいた? あの神達は、信仰を得られなくなったから幻想郷に来たのでしょう? 文明の発展は畏れや信仰を滅するというのに、また自ら文明の発達を望んでるなんて、一体何の矛盾かしら。それに巻き込まれる他の妖怪はたまったものじゃないわ」
人間に“火”を与えた神たちは、やがてその“火”に飲み込まれた。
神が人を殺すのではない。人が人を殺すし、人が神を殺す。豊かさが神を殺し、幸福が神を殺す。絶望によってこそ神は生き存え、不幸によってこそ神は輝く。
幻想郷でそれをもっとも理解しているのは、守矢神社の柱であるはずだというに。
「技術の歴史は戦いの歴史。仮に、幻想郷で争いが起きないのだとしても」
柱のやろうとしていることは、幻想郷においても文明を発展させようとしていることにほかならない。
神が文明を授け、人間に進化をもたらし、その結果神が殺されるというのなら。
神は一体、何のために存在するのだろうか。
「あの神たちは、また自分たちの首を絞めることになる。ハッキリ言って、幻想郷の破壊者よ。外の世界で起きたことが、幻想郷で起きないとでも思って?」
考えたくはない。考えたくはないが。
柱がそれを、まるで考えてないというのなら、それは――
「歴史は繰り返すって、こういうことなのね」
シニカルな笑みを、少女は浮かべる。
「厄神……。貴女、名前は?」
「鍵山雛よ。あなたのお名前を頂戴?」
「長門型戦艦二番艦、陸奥」
「忘れないで。争いのあとに私は現れるわ。だって――」
――そこには、厄が沢山溢れかえっているでしょう?
不気味なその笑みは、妖怪と呼ぶにふさわしいものであった。
「おかえり陸奥。地下間欠泉センターの方はどうだった?」
「順調よ。…………ねえ、提督」
「ん? あ、あれ、今日はなんだか元気ないね?」
「…………。そんなわけないじゃない。私はいつもどおりよ」
「そ、そう? なんだか悩みでも抱えてそうな雰囲気だったけど……言いたくないなら聞かないよ」
言えるわけがない。守矢神社のやろうとしていることが、結果的に神社を苦しめる事になるかも知れないなど。鎮守府と妖怪の山と地霊殿、この三勢力が協力しているというのに、その技術発展を自分ひとりだけでどうして止められよう。
それに、青年を心配させるようなことはあまり言いたくない。言えばそれっきり自分で抱えてしまう性格だと吹雪に聞いている。
柱もまるっきり考えがないわけではないかも知れない。だから、今の自分にできることは――
「そういえば、厄神っていう妖怪だか神だかよくわからないのに出会ったわ。鍵山雛と名乗っていたわね」
「……顔ひきつってない?」
そうなる可能性を考えもしなかった、知らなかったというフリをするだけである。
(私は大人のオンナよ。隠し事なんて朝飯前だわ)
「あの、何か隠して――」
「隠してないわよ」
「そ、そっか。それより陸奥、いつも色々からかってくるけど、ああいうのやめようね? はしたないのは大人の女性のすることじゃないよ?」
(そう、提督も言うように私は大人のオンナ……あ、あら?)
何やら認識の違いがあるようだが、それはさておき。
「ひとまず、地下間欠泉センターはあと数日もあれば完成するわね。今はすることもないでしょうし、たまには休んでいたら?」
「うーん……でも今は勉強したいかなあ」
「そう。それじゃ、私はこれで失礼するわね。ああ、それと提督――」
「うん?」
雛の戯言を間に受けるわけではない。
ないのだが、
「“火”遊びは――ほどほどにね?」
砲塔を使えるようにしてくれた礼である。自身の中で、雛の存在を燻らせておくぐらいのことはしてやろうではないか。
執務室からの帰り。
滑って転んだ拍子に、雑巾の入ったバケツに片足を突っ込んでしまった状態で、陸奥はため息をつく。
(厄を吸い取るなんて嘘っぱちじゃない)
むっちゃんの厄はこれっぽっちじゃ吸い取りきれないんやなって