ナザリックの周囲に展開した監視網には、傭兵の姿は全く引っかかりはしなかった。その温もりだけが残る前で、ただ彼と過ごした時間だけを思い出す。共に篝火を囲み、静かに時を過ごした事だけが残り火のようにその場を温めていた。
「もう、共に歩く事は出来ないのか。」
そう一人感傷に浸るように呟く。背を向けている先には、戦意を漲らせた守護者達の顔がある。できれば、私の家族達ともあの時間を過ごさせたかった。彼とも、家族になりたかった。自分は「家族」というものが分からない。だが、自分を慕いこうやって寄り添ってくれるものがそうなのでなないかと思う。ならば、彼もまた家族なのだったのだろう。彼が今何処にいるかは分からないが、すぐに会う事になるのだろうと感じている。理由分からない、だがそんな気がするのだ。
「アインズ様、バハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ファーロード・エル=ニクス様がお見えでございます。」
「…そんな時間か。少し待たせておけ。私は暫く…そう、この夕日が沈むまでここに居る。」
アルベドが来客を伝えるも、何か乗り気では無い。守護者達が臣下の礼にて跪く姿を横目に、まだそこに彼がいるような暖かさを持った完全に灰となった篝火を見つめる。
気づけば外とは違う時間を流れる第6階層が、完全に闇に染まりきっていた。
傭兵はもう居ない。もう敵なのだ。立ち上がり、温もりの消えた灰を睨みつける。
感情の整理はもうできた、次に会う時は戦場だろう。静かに沸き起こる闘志を感じながら、その場を後にする。
帝国との会談後、どう動くにしてもそれは避けられないであろう。我々は敵対した。敵対してしまった。彼が何故敵意向けるのかは分からない。だが、これは自分の家族を守る戦いなのだ。
*
帝国の皇帝であるジルクニフ・ファーロード・エル=ニクスは、あの荘厳な地下大墳墓で見た者達を思い返す。あの異形種の群れ、人類の滅亡を感じさせるほどの巨大な力、そしてそれらを統べる王アインズ・ウール・ゴウン。どれほど考えても最善の手は浮かばない。しかも、帝国最強の
『
その一言である。愕然とした使者からの報告は、今まで周辺に全く知られていなかった事からだ。確かに法国に対してはその強大な戦力と神殿勢力を恐れてまともな諜報活動はされていなかった。王国との一件にケリがついてから、順々にしていけば良いと思っていたほどだ。だが、それも無意味に変わる。あの死の王が、先手を打って出たのかと勘ぐるも、続く報告がそれを否定する。法国の消滅はその被害の爪痕から今日では無いとのことだった。考えられるのは、王国での悪魔騒動の前後。あのヤルダバオトという巨大な悪魔が王国内で行なった様子に良く似ているとの事であった。という事は、今この大陸には最悪が2つも存在していることになる。
多くの悪魔を従える凶悪な悪魔、ヤルダバオト。
その力の片鱗すら掴めぬ地下に眠っていた不死者の王、アインズ・ウール・ゴウン。
どちらも人類種の敵であることは明確、だがその未曾有の危機に人類種の盾を誇っていた法国が、ヤルダバオトによって滅ぼされていたのだ。周辺国はどこまでこの情報を知っているのがろうか。もう、自分だけでは処理できない状態になっているのにも気がついている。だからこそ、周囲の側近達に気付かれないように頭をかかえて悩むのだ。
『誰でも良い。あの化物達を。殺してくれ』
*
獣は走っていた。
背中に担いだ大鉈はそのままに、両の手に持つ斧を強く握りしめ大地を掛ける。
喉の奥に張り付く乾きを癒すように大地を駆け抜ける。
廃墟から飛び出した獣はまず近場の森林に入り、目につく生物を全て皆殺しにしていった。
しかし、乾きが潤う事はない。何故なら獣の求める物は、ただの動物には無いものだからだ。それは人間だけが持つもの、誰もが内に秘めている暗い魂。
拠り所を失った魂は、他者の温もりを求める。さながら、火に集まる蛾のように。
そして暗い魂の器となってしまった獣は、その巻き起こる欲望に苦痛を感じながら求め続けている。この暗い魂の叫びを消すには、火が必要なのだと。
獣は本能だけで火を求め、魂は同朋の魂を求め続ける。
苦痛に身を焦がしながらのたうつように暴れまわる獣は、もはや止まる事はできなかった。
そんな時、森の先の先。獣は知らないであろうが、カッツェ平野と呼ばれる赤茶けた大地でおこった出来事を。
死の大地と呼ばれるこの地で、今まさに巻き起こっている惨劇を獣は知らない。
王国と帝国の戦争を知らない。
死の王たる
ただ、魂を貪り火を渇望する獣が感じとったのは、濃厚な魂の叫び声。そして、燃え上がる火の香り。
獣は歓喜し、苦しみながらも走り出す。
そこに救いがあるかのように。
自分の望みを、叶えてくれるであろう者の元へ。
*
戦場という場においても、自身の身がいささかの感情も動かないことに少し驚いていた。帝国と王国の戦争、こちらから見ればそれはただの小競り合いのようにしか見えないソレを前にして、自分が感じとったのは何も無く、ただ今から行う魔法の検証に対しての楽しみの方が優っていた。しかし、それでもこの場にあの傭兵がいないことが心の隅のほうで気にかけていた。
(これだけの人数がいて、流石に襲っては来れないか…ただの獣という訳ではないか。しかし油断は無いぞ。ナザリックの軍勢500にアルベド、コキュートス、アウラにマーレを連れた俺に死角は無い。来るなら来い、
最初の予定を変更し守護者達すら組み込んだ軍勢。あの傭兵に対しては、ただの人間如きでは正面に立つ事すらできないだろう、だからこその警戒。ソウルイーターに跨り馬上より見つめる地平の彼方には王国軍、その中には殺せない者もいる。これからのナザリックには必要な者達だ、もし仮にあの傭兵が襲いかかってくればそれらを守りながらになるだろう。それは避けたいことでもあった。
そんな逡巡の後、開戦の報を聞く。まず最初に、自分の魔法で戦線を開くのだ。使う魔法は最大のモノだというリクエスト。傭兵の問題を棚上げし、目の前の実験を開始する。
超位魔法〈
この魔法のもたらす結果がどのようなものなのか、それだけに集中する事にした。魔法陣の展開を終了させ、少しの待ち時間。意を決して手の中の
問題はこの後産まれでるであろう子供達だ。
その後は、蹂躙劇だ。23万対5の戦いが始まる、いや戦闘にすらなっていない。例えるなら蟻の巣を掘り返し慌てる蟻達を車で踏み潰すような、そんな一方的な蹂躙劇。王国軍がすでに軍として体裁を保てなくなった頃、それは起こった。
突然、王国軍を大地の泥にせんと暴れていた山羊の内一体の反応が掻き消えた。そのあとも2体、3体と次々に消える山羊達。
今か。というべきか。やはり。というべきなのだろうか。
王国軍が逃走し、誰も彼もが自分達と反対に逃げ帰るその波の中。それを掻き分けるように兵士を斬り殺しながら、こちらに放たれた矢のように突撃してくる黒い影。
辺り周辺を壊しながら進む姿は当に竜巻。初めて見た時から変わることのないその姿は、ひどく懐かしい物に見える。
突然その影が高く跳躍し、目の前にいた最後の山羊を空中から叩き潰した。そしてトドメとばかりにその尋常ではない力によって山羊の体にその右腕を突き刺す。中身を引きずり出される痛みに耐えかねた山羊は断末魔の叫びと共に事切れる。すると、それを確認したその真っ黒な影は、おもむろにその死体に齧り付いた。獣の如き行動、身体についた帰り血が身体を濡らす事も厭わずに、ただ飢えを凌ぐように齧り、啜り、咀嚼する。そこには既にあの篝火で見せた雰囲気は皆無であった。
彼は、本当の亡者になってしまったのだ。
そんな獣に堕ちた傭兵がそのボロ布で隠れた顔を向ける。血の滴る口を三日月に歪ませ、そして吠えた。それは歓喜に満ちたものである。
しかし自分には、それが苦痛に苛まれた人間の叫びに聞こえたのだ。