タグの後半二つは、つまり『そういうこと』です。
「……う」
地面に転がされた衝撃で、イザヴェラは目を覚ました。
目を覚ました彼女がまず最初に感じたのは、冷たい土の感触だ。見ると、彼女の身を守っていた鎧甲冑は消え失せ、粗末なボロ布だけを纏った状態になっていた。
周囲は牢屋の中。ほかにも女性がとらえられているあたり、おそらくここはオークの集落の女性を放り込んでおく奴隷置場と言ったところだろうか。
幸い、まだ辱められた様子はなかったが――――しかし生かされていたということは、遅かれ早かれということだろう。
「――お目覚めか、イザヴェラ=オブ=ウェストリニタリア」
声に顔を上げると、にたにたと脂ぎった笑みを浮かべた中年の男――アラン=オブ=アークディールがイザヴェラのことを出迎えてくれていた。その表情はもはや汚れた欲望を隠そうともせず、その心のうちの醜い野心をさらけ出していた。
「…………やはり、お前が」
「ふむ? 分かっていたと? だがもう遅い。騎士団は壊滅した。大部分は取り逃がしたが、私の手勢にかかればあと二日もしないうちに全ての始末がつく。そしてお前はもう何もできない。丸腰のお前にはな」
アークディール大臣の傍らには、剣を持った裏切りの騎士ジェイクスが嫌らしい笑みを浮かべてイザヴェラの肢体をねめつけ、反対の脇にはキングオークが憮然とした表情で控えていた。
なるほど、アークディール大臣の強気もこれらの手駒に支えられてのものだろうとイザヴェラは冷静にあたりをつける。しかしそんなイザヴェラの視線が気に入らなかったのか、興が削がれたかのように鼻を鳴らすとイザヴェラから視線を外す。
「なぜだ」
イザヴェラはあくまで冷静さを保ったまま、口を開いた。
「お前は騎士大臣として成功をおさめていたはずだ。わざわざこんな馬鹿げたことをしなくとも政局は順風満帆だったはずだろう」
「馬鹿げたこと? 馬鹿げたことだと?」
アークディール大臣は嘲るように笑い、
「これだから考えなしの騎士は。騎士道などというこのオークに匹敵するくだらないものを信じ、私の邪魔をする!」
「…………、」
「――――ここはこの世の地獄だ」
アークディール大臣はそれ以上イザヴェラの問いには答えず、傍らのキングオークが眉をひそめるのも気にせずに両手を広げてみせる。
「女どもはオークの
「………………………………………」
嘲笑ってみせるアークディール大臣を、イザヴェラはあくまで静かに見据えていた。
怒りに打ち震えるでも、絶望するでもなく――ただ真っ直ぐに、必死に彼女を貶めようとするアークディール大臣そのものを見ていた。
「……何とか言えよ! 万策尽きたんだろうが! 怯えろ! 震えろ! 負け犬らしく恐怖しろよ!!」
ガン! と牢屋の格子を殴りつけるが、当然ながらイザヴェラは眉ひとつ動かさない。
その目に怯えを隠しながら、アークディール大臣は踵を返す。
「……もういい。行くぞお前ら。――イザヴェラ殿下、地獄でも息災をお祈りしております。もう会うこともないでしょうが」
それに対し、イザヴェラは静かに、しかし煉獄のような迫力をにじませて、一言だけ言い返した。
「……………………
「…………これで終わったな」
女性たちが囚われている牢屋を出ると、アークディール大臣は目に見えて肩の力を抜いた。それほどのプレッシャーを彼が感じていた、ということなのだろう。丸腰でボロ布一枚だというのに、それほどの圧力をあの女は備えていたということだ。
それに対し、傍らにいたジェイクスは思わずと言った調子で失笑した。
「これで? 甘いですよ大臣。まだ何も終わってはいません」
「騎士ジェイクス。すべてが終わった後の自分の身柄が不安なのは分かるが、無用に危機感を煽るのは感心しないぞ。あの女は既にこちらの手の中だ」
「それが甘いと言っているのです」
ジェイクスは肩を竦め、
「仮にイザヴェラを抑えたとしても、まだ騎士団が残っている。我々が狩れた騎士はたったの三人。まだ騎士は四六人残っています。これらの首を揃えるまでは安心できませんよ」
「ふん、そのくらい、次期副団長を有望視されていた君の操る軍団ならば問題なかろう」
「次期団長、ですよ。大臣。すべてが終わった暁には……」
「ふくく、分かっているさ。私は私の前に立ちふさがらない者には寛容だよ」
二人の醜い大人は、そう言いあって、互いに笑みを浮かべる。
その横で、ただ一人、この世界で唯一彼女と切り結んで命を長らえている戦士――キングオークは、二人の危機感のなさに呆れ果てていた。
(…………アノ女ガココデ終ワルワケガナイ)
キングオークはイザヴェラが眠りに落ちた時点で殺害するのを進言していた。生かしておけば必ずや禍根になると確信していたからだ。だが、この二人はそれを受け入れなかった。
ジェイクスは自身の出世街道を邪魔された恨みから、アークディール大臣は何やら自分の事業を邪魔されたらしい恨みから、オーク専用の娼婦に身を堕としている無様な姿を見て、それを嘲笑って溜飲を下ろしたいのだ。
だから、二人はイザヴェラを殺すことをよしとしなかった。あるいは、彼女を支配してその武力を自分のものにしたい、という思惑もあったのかもしれない。
愚かなことだ、とキングオークは思う。
彼の知性は確かに人間に劣る。だが、だからこそ彼は危険を素直に理解し、余計な欲望に惑わされず最適解を選択できる。その彼から見れば、彼らは最適解から自分で外れて、転落への道へ進んでしまっている。
一方で。
キングオークはほくそ笑んでもいた。
(ダガ、コノママ行ケバアノ女トモウ一度アイマミエルコトガデキル)
キングオークもまた、最適解より価値あるものを抱えている。
このレールの先にそれがあるのならば。
たとえ迎えるものが滅びだったとしても、彼に悔いはない。
三人の敵が立ち去ったのを見送ったイザヴェラは考える。
彼らの目的はイザヴェラのことを貶めることだ。その方法はおそらく、オークによる凌辱。であれば、最大のチャンスはそこにある。しかし同時に、その勝算が限りなく少ないこともイザヴェラは理解していた。
今のイザヴェラは丸腰だ。
これがスプーンの一本でもあれば変わったのだろうが、何もない状態でオークを倒すことは、流石の彼女でも厳しい。逃げることくらいならばできるかもしれないが、ここは敵地のど真ん中だ。無補給無装備で敵地のど真ん中を逃げる。その成功確率は限りなく低いし、
気高き女騎士の目は既に、自分だけでなくそれ以外の女性たちのことを見据えていた。
「ね、ねぇ!」
そんな思索に耽っていたイザヴェラに、一人の女性の声がかけられる。
声の主の方に視線を向けると、そこには金色の髪をふり乱した一人の女性がいた。しかしその体は特に汚れておらず、まだ凌辱されていないのが簡単に見て取れた。
「…………君は?」
「わ、私はマルデン=コリングネス。教会所属の僧侶よ! アナタ……騎士なんでしょう? 他の騎士は?」
「……………………おそらく敗走しただろう」
イザヴェラが答えると、マルデンと名乗った女性は大きなため息をついて頭を抱える。
対するイザヴェラは、『そういえば最近作戦中に僧侶が誘拐されていたという報告があったな』と冷静に思考を巡らせていた。
「嘘でしょ…………騎士が敗走、それじゃ私はどうなるのよ……助けだって」
「助けは来ないだろうな」
イザヴェラは、そんなマルデンにはまるで意を解さず、立ち上がると体の調子を確かめ始める。まだ麻酔の影響が残っていて少しけだるい感じだが、動きに支障が出るほどではなかった。いけると思ったイザヴェラは、おもむろに準備体操を始める。
「………………ちょっとアンタ、何してんのよ」
「何って、抜け出す準備だが」
「はぁ!?」
あっさり言ったイザヴェラに、マルデンはあくまで小声で素っ頓狂な声をあげた。
「ちょ、アンタ、冗談でしょ!? 脱獄ってこと!? ここ牢屋よ!? アンタ丸腰よ!?」
「関係ない。というか、君たち全員を安全に逃がすためには私の脱獄が必須だ。できるできないの問題ではない。
「あ、アンタおかしいでしょ……。だいたい剣も何もない騎士に何ができるって言うの!? 恰好つけてんじゃないわよ! 現実見なさい! 今のアンタに何ができるっての!?」
ヒステリックに(しかし声色を落とす程度の理性は残して)叫ぶマルデンを無視して、イザヴェラは準備に取り掛かる。
牢屋はどうやら人間側の技術供与を受けているのか、鋼鉄製の格子を固定している形のようだ。出入りするための扉もあるようだが、当然ながら鍵をかけられている。
イザヴェラはこれを掴み、
「ふ、ん…………ッッッ!!」
己の膂力のみで、捻じ曲げんとする。
「……う、嘘でしょ、それ………………マジで手だけで壊すの?」
「いや、それは無理だ」
唖然としかけたマルデンは、あっさりと手を離したイザヴェラに思わずずっこけてしまう。
…………一見するとコミカルなやり取りにも見える動き。
しかし、この一幕にはある一つの前提がある。
それは、マルデンがここに至って目の前の現象やイザヴェラの言動をそのまま受け取れるだけの理性を保っている、ということ。
つまり、それらがない人間が一連の流れを見た時、『膂力のみで錠前を破壊すると思ったら結局できなかった』という格好のつかない一幕には見えない、ということを意味する。
たとえば。
『今回のチャレンジは失敗してしまったが、何度も繰り返せば本当に錠前を破壊してくれるかもしれない』…………そんな希望的観測を抱いてしまう人だって、当然いるだろう。
このままオークの慰み者にされながら死んでいくのが嫌だという、無力な女性ならば余計に。
「…………諦めないでよ!!!!」
一人の女性が、声を上げた。
「そ、そうよ……アナタが、騎士様が諦めちゃったら、私達本当にもう……」
「お願いだから!! なんだってするから諦めないで!! もっとがんばってよ!!」
「手を止めないで! ずっと繰り返せばきっと壊れてくれるから!!」
「ちょ、ちょっとアンタ達、そんなに大きな声出しちゃったら…………!」
そこからはもう、大合唱だった。
弱者による、強者への期待。救いを望む声。それはもう、始まりだしたら止まらない性質のものだ。――――たとえそれが、自分にとって致命的なものだとしても。
「グアァァァァオオォォォォ」
その声を聞きつけ――おそらく見張り番を任されていたであろうオークが、のそのそと牢獄に入り込んでくる。ひっ、と誰かが息をのむ音が聞こえた。
そこでようやく、彼女たちは自分たちの失態を理解したのだろう。つまり、イザヴェラが脱獄の為の努力をしていたのを、オークに気づかれてしまうという最悪の事態を。
「オォォォォ……オオ?」
その予想を裏切らず、見張りのオークはイザヴェラの牢獄の前まで行くと、錠前を掴みあげて確認してみる。見てみると、どうやら先ほどの一撃でも完全に無傷とはいかず、錠前は少しばかり歪んでいるようだった。
予想外の事態にオークは思わずイザヴェラの方へ視線を向け――――、
それこそが、イザヴェラの作戦だった。
「ゴッ…………アッ……!?」
気付くと、オークはイザヴェラの熱烈な抱擁を受けていた。
いや、それは正確には抱擁ではない。
格子の隙間から手を伸ばしたイザヴェラは、オークの首を掴んで一気に格子に押し付けたのだ。
ミシミシという何かが軋む音が、オークの太い首から漏れ出てくる。しかし、オークもそれで死ぬほど甘い生物ではない。すぐさま我に返ると、イザヴェラの細腕目がけてその太い腕を振り下ろす。
それに対しイザヴェラは、間一髪のところで手を放すと、ひらりと一歩後ろに下がる。
からんからん、という金属音が鳴った。
それは、オークの一撃で金属製の格子の一本が外れ、彼女の足元に落ちた音だった。
イザヴェラはあくまで人間だ。
無手でオークを殺すのは難しい。
…………だが、それは無手の彼女がオークに劣るという意味ではない。さらに言えば、獲物が何であれ――たとえば格子の一部であれ、何か武器が一つでもあるのであれば、オーク程度を殺すのは
暴力の音が響いた。
後に残ったのは、片目に鉄の棒を突き立てられて息絶えた化け物の死体と、一人の女騎士だけだった。
「………………あ、アンタいったい、何者なのよ」
一部始終を見ていたマルデンが、その場にいた女性たちを代表して呆然と呟いた。
今まさに脱獄を果たした女は、首をコキリと鳴らすと、何でもなさそうに答える。
「さっき君自身が言っただろう」
オークの眼窩から鉄の棒を引き抜くと、先端についた血を振るい落とし、
「ただの騎士。あるいは…………イザヴェラ=オブ=ウェストリニタリアとでも呼んでくれ」
「待って! 待ってって!」
それからほどなく。
牢屋のカギを外して女性たち全員を解放したイザヴェラが、一足先に脱出ルートを確保しようと牢獄を出ようとしていると、後ろから声を殺したマルデンが近づいてきた。
「……なんだ。君も僧侶とはいえ被害者だ。女性たちと一緒に逃げていいんだぞ」
「そうじゃなくて! アンタ……いや殿下様なんでそんな無鉄砲なのであらせられますか……?」
「今までの砕けた調子でいい。私は騎士で、君は僧侶。対等だ」
「…………じゃあ失礼して。アンタ、私から詳しい情報とか聞かなくていいの?」
「………………何かあるのか?」
すっと細められたイザヴェラの瞳に、マルデンは思わずぶるりと震えてしまう。直接敵意を向けられたわけでもないのにこれだ。彼女と敵対することだけは絶対に避けたいな……とマルデンは思う。思いながら、言う。
「ある。さっきの男たちは、アンタと私を
「……抱き合わせ?」
「アンタの性格からすると、ただ辱めるだけじゃ自殺しかねないって思ったんでしょ。だから、『僧侶マルデンを救う』って
「私は他人が思うより長く舌を伸ばせるみたいでね」
イザヴェラは肩を竦め、
「しかし、だとしたらどうした? 胸糞が悪くなる話ではあったが、今後の私の方針に関係するものではない」
「方針?」
「脱獄の事実がバレる前にキングオーク、ジェイクス、アークディール大臣の三名を殺し、汚職の証拠をつかんで指揮権を私が継承する」
「語り口が簡潔なのは騎士の美点だけど、結論を急ぎすぎるのは騎士の欠点ね。もう少し話の前提ってものをくみ取ってもらわなくちゃ」
「結論を」
「六時間よ」
そこで初めて、イザヴェラの言葉が止まった。
「……私は、僧侶よ。この体には聖なる魔力を帯びている。魔物の身体には害となる魔力をね。オークたちも性欲の為に一生不能にはなりたくなかったんでしょうね。……だから、私は今まで凌辱を免れていた。でも、教会から離れた私の聖なる魔力は後六時間しか持たなかった。…………そして言ったでしょ? 抱き合わせの予定だったって。つまり、あと六時間後にあの男たちはアンタの初凌辱を見にまた戻ってくるはずよ」
「………………なるほどな」
つまりは、明確なタイムリミット。
彼女が自由に動くことができるのは、あと六時間ということ。それからは、おそらく逃亡がバレ、アークディール大臣に何かしらの手が打たれる。汚職の罪を被せられるのかもしれないし、別の何かがあるのかもしれないが――アークディール大臣も馬鹿ではない。おそらくイザヴェラにとって致命的な一手になるだろう。
あと六時間。
六時間のうちに、この国の重鎮が抱える兵力を乗り越え、その首を刈り取らないといけないわけだ。
「言っておくけど、私は聖なる魔力の他に四属性魔法全部使えるわ。アンタ一人より、私と行った方がずっと楽だと思うけど? ましてあと六時間しかないなら」
「…………意外だな」
いたずらっぽくウインクしてみせるマルデンに、イザヴェラは初めて感情を表に出してみせる。
「君は私の行動を無謀と評すると思っていたが」
「普通の人間ならね。オークをサシでブチ殺しちゃうような化け物に人間の道理を説く方が馬鹿げてるでしょ」
「これでも、私の力は真っ当な鍛錬の結果なんだがな」
イザヴェラは肩を竦め、
「ともあれ、そういうことなら行くぞ。まだ牢獄の外にはオークが残っている。ヤツらに見つからないように脱出ルートを策定する」
言いながら、階段を駆け上がり、牢獄の入り口に立つ。
どうやら牢獄は集落の隅に設置されていたらしく、あたりにはオークの姿はなかった。イザヴェラが無言のままにハンドサインを示すと、女性たちがぞろぞろと地下から出てきた。ある者は太陽の光を見て思わず感極まって涙してしまっているくらいだ。
「途中の村までは私が案内する。しかし、その後私はアークディール大臣との因縁に始末をつけなくてはならない。…………みな、くれぐれも今回のことは口外しないように。ないとは思うが、アークディールの手の者が何かしらの手を打たない可能性もないとは言いきれないからな」
そう言い含めると、イザヴェラはさっさと歩き始めた。マルデンは集団の一番後ろにつき、茂みの中をひたすら進む。
幸いにも、オークと遭遇したりはしなかった。
途中野犬に襲われることもあったが、それはイザヴェラの眼光一つで退けることができた。マルデンとしてはやっぱりこの人魔物寄りでは? という思いを新たにせざるを得なかったが。
そうして、イザヴェラたちは最寄りの村に女性たちを預けると、そのまま村を後にしようとしていた。
「……では、皆、最後まで面倒を見きれずすまないが、私達は先を急ぐ」
「殿下……! ありがとうございました! なんとお礼を言えばいいか……」
「気にするな。君たちの身体と名誉を守れなかったのは、そもそも私達騎士の落ち度なのだから」
そう言って、イザヴェラはマルデンを伴って歩き出す。
既に、残り時間は五時間になっていた。少々慌て始めたマルデンは、落ち着きなくイザヴェラに問いかける。
「ねぇ、これからどうするの? 三人をやっつけるって方針は分かるけど、このままじゃ手がかりも何もないでしょ?」
「いや、ある」
そう言って、イザヴェラは地面を指さす。
「…………? 地面がどうかした?」
「アークディールは『自分の手勢』と言った。そんな手勢を持つ者が、自分の周りの防御を裏切りの騎士とオークだけでとどめておくか?」
イザヴェラはさらに続けて、
「むしろ、ジェイクスとキングオークをそばに置いたりはしない。ヤツらは精々門番くらいの扱いのつもりのはずだ。そして自分自身は、雑兵を集めて安心を確保したいはずだ。つまり、移動も大勢で行っている」
よく見ろ、とイザヴェラはマルデンを促す。
「人間の足跡だ。大勢ある。それも、まだそれほど時間がたっていないようだな。おそらくアークディール大臣の一団のものだろう。この先に続いているから……ヤツらはこの道の向こうにいるということだ」
完全に懸念を打破されてしまったマルデラは、感心や戦慄の他に、もはや呆れの色さえ漂わせながら呟く。
「…………アンタほんとに騎士なの?」
「…………クソったれが!」
ジェイクス=マックールは荒れていた。
王都に向かう前に、まだ罪人ということになっているジェイクスが他人の目に触れてはまずいということで一時的に分かれることになったのだが……その環境が、悪い。
岩山の中に建てられた、粗末な山小屋。前の主人が死んで久しいせいか設備は最悪だし、何より建てつけが悪いせいで隙間風が冷たい。鎧を脱いでいるのもそれを助長しているのかもしれないが、いかんせん着ていると疲れるし、今度は暑くなってしまう。
そのうえ、山小屋の外には何匹も野犬がうろついている。旅行者はそれで食われて死ぬという噂すらあるほどだ。
なんにしても、次期騎士団長としてのポストを約束した人間が潜伏する物件ではない。本当にアークディール大臣がジェイクスにそのポストを用意する気があるのか疑ってしまうような扱いの悪さだった。
もっとも、アークディール大臣自身、私欲のためなら誰だろうと裏切るような男を信頼する気は毛頭なく、彼は遅かれ早かれ切り捨てられる運命だったのだが。
では何故彼を起用したかといえば、それはイザヴェラの手の内を知っていたから、という一点に尽きる。つまりイザヴェラを始末した(と思っている)現状、彼は用済みなのであった。
そして往々にして、悪人はそうした末端から死んでいく。
「…………あ?」
いきり立っていたジェイクスは、そこで山小屋の戸を叩く音に気づいた。
「んだ……? こんな山小屋に。旅人か? ……ちょうどいい。腹も減ってたし、身ぐるみ剥いでやるか」
呟きながら、ジェイクスは戸の前に立つ。
「誰です? 何の用でしょう」
「あのぅ……私達旅をしているのですが、ここで休憩させてもらえたらと」
女か――ジェイクスは内心でほくそ笑む。力の弱い女ならばどうにでもできるし、その後の『楽しみ』にもできる。一石二鳥な未来を思い描き、ジェイクスはにこやかな笑みを浮かべながら扉を開ける。
「ええ、いいでしょう。どうぞこち、」
…………しかし、そんな彼の言葉が最後まで紡がれることはなかった。
何故か?
「やぁジェイクス。いい新居だな。遊びに来たぞ」
――――それは、扉を開けた先にいた死神のせいだ。
脇にいるマルデンを見て、ジェイクスは悟る。この女が声で自分を誘い込んだのだと。そして今、自分の目の前には下手をするとキングオークよりも恐ろしい化け物がいるのだと。
「、」
何か声を発する間もなかった。
首根っこを掴まれると、ジェイクスはそのまま山小屋から引きずりだされ、地面に引き倒される。
とはいえ、ジェイクスも流石にそれで終わるほどの使い手ではない。倒された勢いのまま地面を転がり、起き上がって走り出す。
「はっ、はっ、はっ!! 嘘……嘘だろ! なんでだ!? アイツは牢屋の中だったはずだ! 二度と出られないはずだ! 武器ひとつない状態だった! 全裸にしてやったんだ! ボロ布一枚でどうにかなるはずねぇだろ!! なんでだ!? 化け物かアイツは!! クソ!! 神様!! なんでこんな理不尽を許してやがんだ!?!?!?」
「理不尽ではない」
――その一言を聞いて、ジェイクスはゾッとした。
全力疾走だったはずだ。一切の動作の無駄なく逃走を始めていた。にも拘らず、にも拘らず……彼女の、イザヴェラの声はすぐ後ろから聞こえてくるのだ。
「う、うわっ、うわぁぁあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
もはや半狂乱になりながら、ジェイクスは振り向きざまに腕を振るう。すぐ後ろにいるならば、こうすれば相手は対応できないはずだ。そう思っての行動だったが――射られた矢にすらナイフを当てる化け物に対して、その行動は明らかな間違いだった。
ガッ、と。
イザヴェラはピッチャーフライを捕るよりも楽々とジェイクスの腕を掴みとると、そのまま腕を振り回し、ジェイクスを地面に叩きつける。
地面に顔を押し付けられたジェイクスは、半ば顔を押し潰されながら震える。
「ジェイクス、お前に聞きたいことがある」
「…………な、なんだ、団長」
「もはやお前の団長ではない」
ばっさりと切り捨てられ、それだけでジェイクスの寿命は縮んだ思いだった。
「聞きたいのはアークディール大臣の居場所だ。岩山に来てから足跡が薄れてしまってな。捜索に手間取りそうなんだ。お前から居場所を聞ければ、それが一番早い」
「……お、教えてほしけりゃ、俺の命を、」
「…………ジェェェェェイクス」
次の瞬間、ぼきりという乾いた音と共にジェイクスの左足がへし折られた。
「ぎゃあああああ!?!?」
「次は右足をやる。お前は聞かれたことに答えればいいんだ」
「あっ、あがっ……わ、分かった! 分かったからもうやめてくれ! 頼む!」
激痛と恐怖に耐えかねたのか、ジェイクスは地面を手で叩きながら話し出した。
「ヤツらが向かっているのは王都郊外にある『火の薬気』の採掘場だ! ここから歩いて二時間のところにある、な!」
「『火の薬気』……? 確か、火の秘薬と同じ効果を持つ煙が出る場所だったか……? しかしこの国にある唯一の採掘場は、王都から馬車で三日はかかったはずだが」
「そうだよ! ヤツは国に隠して自前の採掘場を作ってやがるんだ! そのことをお前にバレそうだったから、先手を打ってキングオークの騒動を利用しお前を亡き者にしようとしてたんだよ、イザヴェラ王女殿下!! ははっ、言ったぞ。俺の命は――」
「ああ、殺さない。あの時と同じだ。誰の命も消えはしない。ただし今この時点では、な」
何かが突き立てられた音がした。
続いて、湿った音がした。
ジェイクスがその正体に気づいたのは、自分の脇腹が猛烈な熱を放っていることに気づいてからだった。
「なっ、あ……がぼぁ!? ごふぁ、な、なぶ、なぶべぇ……!?」
ジェイクスの脇腹を貫通して、地面深くまで、あの格子に使われていた鉄の棒が突き立っていた。
「私は殺さない。そっちで様子を見ているマルデンもな。……だが……確か、この岩山には野犬が出るんだったか? 確か、旅行者がそれで食われるという事件も出ているという話だったな」
あくまで酷薄に言い捨てたイザヴェラは、そう言ってそこから離れていく。
最後の力を振り絞って、ジェイクスは首だけ起こしてそんなイザヴェラの後ろ姿を見て、言う。
「まっ、まっ……まっで、ぐれぇ……!! 金、ならやる……! だが、らぁ……!」
「…………救いようのないヤツだな」
イザヴェラはため息をついて、最後にこう言い残した。
「その言葉、野犬どもにも言ってみるといい。聞いてもらえるとは、思えないがな」
それだけだった。
イザヴェラは物陰に待機していたマルデンからジェイクスのものであろう長剣を手に取ると、一度も振り返らずにその場を立ち去った。
最後にちらりと――振り返ったマルデンの瞳と、目が合う。
「あ…………、」
彼女の口は、確かにこう動いていた。
『金にでも祈ればいい』。
「あ…………ああ…………」
ジェイクスは必死にもがくが、突き立てられた鉄の棒は地面深くに突き刺さり、どう頑張っても引き抜けないようになっていた。人間の極致による膂力だ。ある意味では当然なのかもしれないが。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
そして。
野犬の息遣いが、哀れな裏切り者に近づいていく。
なんか長くなったのでキリのいいところで中編にしました。
後編は少々お待ちくださいませ。