「先輩ですか? はい、入ってきて構いませんよー」
「お邪魔します」
夜10時。
今は遠い異国の地にいる姉さんに手紙を書こうとしていると、先輩が訪ねてきた。
「やっぱり、このあいだ言ってた手紙、書いてるんだな」
「はい、姉さんに近況報告をしようかなって。ちょっと待ってくださいね、もうすぐ終わりますから」
聖杯戦争――そう名付けられた、何百年もの確執がようやくの終りを見せてから、半年。
色々な事があった。ともすれば、戦争期間中にさえ及ぶほどに色濃い物が。
その全てを連ねる事は出来ませんけれど、その中でもハイライトを当てた事を書いていく。
「……なぁ、桜。遠坂のヤツ、近いうちに帰ってくるかな」
「ここ数日は無理だと思いますよ。十月中も怪しいって言ってましたし。帰ってくるときはちゃんと連絡するそうですから」
「そっか、十一日までに帰ってくる可能性は低いか」
私の返事に、少し寂しそうな……いえ、無間の闇で蜘蛛の糸がみつからない、みたいな顔をします。
少し、からかいたくなりました。
「くす。なんだ、先輩は姉さんに帰ってきてほしいんですか?」
「べ、別にそういうワケじゃないっ。あいつがいなくなって心休まる日々が続いているんだ。こ、今年いっぱい向こうに入り浸りでも、俺は問題ないっ」
「ほうほう。それは、今年まではいいけど来年になったら我慢できないぞー、という素直じゃない先輩の本心という事でいいでしょうか?」
「――ぐ」
先輩はこういうからかいには滅法弱い。
これが恋愛のコトになると、「当たり前だろ? 何を言ってるんだ?」という感じで一切通じないのだけれど。
「まぁ、遠坂がいると喧しいとか安心できないとか、そのあたりは置いて於いて。真面目な話、ちょっと相談したい事があるんだ。桜の手紙のはしっこに、連絡求む、とだけ書いてくれるか?」
そんな真面目に相談したい事なのに、控えめにもほどがある欲求。
ついつい、口を出したくなります。ホントは、姉さんだって……なんですけど。
「え、それだけですか? もっと気持ちを込めないと姉さん見落とすかもしれませんよ? というか、必死さが足りないって破り捨てかねませんよ?」
そう問いかけると、先輩はブツブツと1人で悩み始めます。
そうなんですよね。姉さんに頼る時、少しの悩みだとばっさり切り捨てられて見向きもしてくれないのですが、真剣に悩みを相談すると事を大きくした上で全てを解決し、さらに大きな大きな借りを造らされるという……気軽に相談するには向かなかったりします。
「先輩? 発言は以上ですか?」
「え? ああ、いや――その、一番初めのでいいや。連絡求むってだけ書いといてくれ。気が付かなかったらそれでいいし、遠坂の手なんか借りなくても自力で解決するよ」
ぶつぶつと呟いていた事。「え? ああ、いや――その、一番初めのでいいや。連絡求むってだけ書いといてくれ。気が付かなかったらそれでいいし、遠坂の手なんか借りなくても自力で解決するよ」までをしっかり書き写し、中身を先輩に見せないようにいそいそと便箋に仕舞う。
「じゃ、これ明日一番で姉さんに送っておきますねー」
「む?」
先輩は一瞬違和感を覚えていたようだけれど、笑顔で圧殺した。
「それで……用って、なんだったんですか?」
「あ、あぁ……。そうだった。そうそう、飛鳥……野場飛鳥について、桜の抱いている印象を教えてほしいんだ」
「野場先輩、ですか?」
言われて、野場先輩を思い浮かべる。
印象。
私の描く、野場先輩の印象は――、
「無、ですね」
「ム?」
「いえ……接点が、無いというか」
虚無とか、空虚とかの無ではなく。
たとえば先輩の話に良く出てくる「後藤君」さんのような……無。
言葉にするならそう……本来、まだ知り合いじゃない、みたいな。
「あぁ……そっか。桜にとっちゃ、ライダーのバイト先、ってだけだもんな」
「はい。先日お詫びのお弁当や、お見舞いに行くことはありましたけど……しっかりお話しした事は、まだ無かったと思います」
それでも記憶を探るのなら……野場先輩に初めて出会ったのは、穂群原学園に入学したその日。廊下ですれ違ったその時。
アレを出会ったと表現していいのかはわかりませんが……完全にすれ違ってから数秒後、野場先輩は一言こう言いました。
『あぁ……今のがブロッサムさんか』
それがあの人との初邂逅であり、私が少しでも先輩以外のヒトに興味を持った瞬間でした。
けれど、そこからの学園生活においてはほとんど関わりが無く……最近になってようやく話すようになってきたかな、という程度。
「何故、野場先輩の事が気になるんですか?」
「ん。……んー、なんでだろうな。言葉にし難いんだけど……敢えて言葉にするなら、『予定調和を崩すのにもってこいだから』かなぁ。……いや、すまん。自分でも何言ってるのかわからなくなってきた」
先輩はガリガリと頭を掻いて言います。
「そういえば、先輩が野場先輩の家から貰って来たボロボロの傘……アレがなんだったのか、野場先輩から聞いたりしましたか?」
「……いや。聞いてない。確かにアレも謎だな……アイツ、物は大事にするのに。水筒殴ったりしたけど」
「水筒?」
「いや、なんでもない。……桜。今度野場に会う事があったら……この傘の意味、聞いておいてくれないか? ――俺は聞いちゃいけない気がするんだ」
ボロボロの傘を先輩に渡した意味。
果たして、私が聞いたところで正直に答えてくれるのでしょうか。
もし魔術的な品だった場合、それこそ姉さんに聞いた方が早いような。
「わかりました。今度、それとなく聞いておきますね」
「頼む」
そもそも野場先輩は一般人。
ライダーがいたずらに使った、たとえば先輩相手に放っても気にさえ止めないような限りなく微弱な魔力による石化の魔眼の呪い――に、反応した神秘を纏う骨董達の魔力にアテられて倒れてしまうくらい、魔術といったものに耐性が無い。
野場骨董品店にある品々は皆、それを弁えているかのようにその神秘を野場先輩に向けないようにしているから野場先輩はあの店を続けていられるけれど、あの店の品々が傍若無人に振る舞っていたら、野場先輩は店内で意識を保つ事すら難しいだろう。
それほどに弱い存在が、魔術的な品を寄越すとも思えない。
「そういえば……遠坂と野場って、接点あるのかな」
「さぁ……姉さんから野場先輩の名前が出た覚えはありませんけど」
姉さんの交友関係ばっかりは、姉さんに聞くしかないだろう。
「あ、でも兄さんの話にはたまに上がりますよ。野場先輩の名前」
「慎二の話に? ……え、何の話で?」
「最近の兄さんは学校での話をしてくれる事がよくあるんですけど……基本悪口ですね。悪口というか、憎まれ口というか」
「あぁ」
納得、といった様子で手を打つ先輩。
兄さんのイメージって……。
「まぁ慎二の話は良いんだけど……いや、そうだな。慎二は野場の事どういう風に言ってた?」
一瞬流されかけた兄さんが、なんとか桟橋の杭に両腕を絡ませ、流されまいと必死に抵抗する姿が脳裏に浮かびます。
え、見てないで助けろよ? 嫌ですよ。濡れるじゃないですか。
「えーっと……あの学園の中でも確実に僕を馬鹿にしてるヤツランキング最上位、とか。女らしさの欠片も無いヤツ、とか。まるだしシンジ君ってなんだよ意味わかんないんですけど!? とか。騒いでるのは別にいいけど僕を引き合いに出すなよ、とか」
「あぁ、
「良く聴くんですけど、野場先輩ってそんなに女の子らしくないですかね? 先日野場先輩の家に行って部屋も見ちゃいましたけど、結構女の子っぽかったですよ?」
「ほう」
野場先輩には言ってませんが、野場先輩が眠っている間に部屋に上がらせてもらいました。やましい理由などではなく、体調を見る為に。熱とか測るためですよ熱とか。
お店の上にある、野場先輩の家。寝室――ロフトベッドに行くためには必ず部屋を通らなければいけなかったので、悪いとは思いながらも入ってしまいました。
オレ、という一人称から、確かに女らしさよりも男っぽさを感じる野場先輩の、その部屋。
そこまでの縁は無いとはいえ、気になってはいたのも事実。
入ってみると案外普通……強いて言うなら1人暮らしの女性、という部屋でした。
ピンクピンクしかったり、ぬいぐるみが沢山あったりするというわけではありませんが、簡素で質素で……ご両親と一緒に取った写真がハートマークの額縁に入れられていたり、本棚には沢山のアルバムがあったり。
ライダーに聞くと、「普段は”ああ”ですが、弱っている時は女の子ですね。普通に可愛い女の子でした」と、深く頷きながら評価していました。
「野場が女の子らしい、ねぇ……。どっちかといえば藤ねえと同じ括りにいると思ってたんだが」
「それは流石に野場先輩に失礼かと……」
「……いや、うん。ソウダネ」
勿論藤村先生にも女性らしいところはありますが。
あ、藤村先生といえば。
「藤村先生と野場先輩は仲が良いみたいですね。藤村先生の口からも、野場先輩の名前を良く聴きます」
「へぇ……ライダーもそんな事言ってたな」
なんでも「鳥と虎って語感が似てるでしょ?」という理由だとか。
よくわかりませんでしたが、その時はそうですね、と頷いておきました。
「ん、遅くまで悪かったな。ちょっとは参考に……なった」
「はい。それでは、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
先輩が部屋を出て行きます。
野場先輩が先輩に持たせた、ボロボロの傘。
イリヤさんなら……あるいは。
「……おやすみなさい」
私も、寝よう。
「ライダーと飛鳥」
「藤ねぇと飛鳥」New
「桜と飛鳥」New