「おはようございます、アスカ」
「おはよう、ライダーさん」
これが最後だと思うと、なんだか感慨も深いというものだ。
オレはいつも通り、骨董を磨いて。ライダーさんもいつも通り、レジ内の椅子に座る。
時折来る常連と会話をするのも、冷やかしを相手するのもライダーさん。バイトに負担かけ過ぎだなぁ、オレ。
磨いた骨董を、元の場所に戻していく。
この一年とちょっとで配置を変えた骨董品もいくつかあったのだ。それを、この四日間が始まる前の位置に戻していく。
「あ、そうだ」
「どうしましたか、アスカ」
「この家は守らなくていいからね、ライダーさん。真経津鏡があれば十分だろ」
「……あぁ」
存分にブロッサムさんを守ってやりなさい。
そもそも、起きている者のいなくなるこの家に、残骸共が近づくかどうかはわからないが。
「いやぁ、うん。修道女なんてモノが訪れたからかね、思考がクリアで……空気も美味い」
「無理に話題を造ろうとしなくても大丈夫ですよ」
「ばーれたかー」
ちぇ、と舌を出して、作業に戻る。
そうだな。
ライダーさんとの時間は、沈黙くらいが心地いい。
あ、でも。
「今日はお昼に上がってくれていいから。そんで、また来週から、野場骨董品店をお願いな」
「はい」
溜める事も、余韻に浸る事も無く。
ライダーさんは、淡々と頷いた。うん、良い人だ。
コインを親指の爪の上に乗せる。
いつも爪に当たるのはコインの裏側。
「表か、裏か」
「では、縦で」
そんな事あったら痛いだろ、なんて笑いながら、コインを弾く。
悪魔の笑顔と悪魔の尻尾が交互に振り向き、その度に鈍い金色がキラキラと輝く。
そして落ちてきたコインを――左手で、右手の甲に叩き付け。
「はい」
られなかった。
途中で、ライダーさんが掴んでしまわれたのだ。
ライダーさんはグーにした手をレジカウンターの上に置いて、それを開く。
そこにはたしかに、側面で立ったコインの姿があった。
「……イカサマだぁ!」
「いえ、全くの偶然です。証拠にほら、タネも仕掛けもありません」
アンタの存在自体がタネであり仕掛けだよ。
本当に縦の状態で取ったにせよ、手の中で変えたにせよ、サーヴァントとしての身体能力があればこそ。
オレのようにどの高さで掴み取るか、によってイカサマをするそれとは全く違う、正真正銘のイカサマである!
「勝ち逃げはさせません」
「こっちのセリフなんですけど」
「ですからまた、勝ちに来てくださいね」
「……」
フン。
それは飛鳥の仕事だ。オレには関係ないね。
まぁ。
「それじゃ、お疲れ様。ライダーさん」
「はい。お疲れ様でした」
ばいにゃら。
あんまり知られていないが、一応野場骨董品店脇には自転車倉庫的な物がある。的な物、なのは、勿論自転車倉庫という用途を想定されていない場所だからであり、元は洗濯機が置いてあった場所だからだ。外に洗濯機がある時代からある店である。
で、そこで何をしているかと言えば。
「~♪」
散々酷使したクロスバイクのお手入れである。
オレのちっぽけな虚栄心のために限界まで使っていたクロスバイクは所々ガタが来ていて、それでも誇らしげにオレを乗せていてくれた。
それも今日でお別れ。
骨董と同じように、とは行かないけれど。
愛情をこめて、その車体を綺麗にする。
「……なんだかんだ、ライダーさんやランサーさんと遊んでる時が一番楽しかったかもな」
骨董と触れあう時間を除いて、それが一番。
いや、歴史そのものたるサーヴァントは謂わば動く骨董のようなものだから……結局オレは何も変わっちゃいないのかね。
なんにせよ。
「さて……準備はOK。元気は溌剌。ユウキリンリン」
野場骨董品店が女主人として、如何にも怪しく、如何にもそれっぽい感じで待ち構えるとしようじゃあないか!
時刻は夕刻。
暖かな日差しが落ち、暗い夜が這い寄ってくる、その境目。
自動ドアが開く。
「野場」
「よ、衛宮。
確かそれを衛宮に宣言したのは、三週目だっけね。
あの時の心境とは天と地ほどの差があるが――なんだ。
遠坂は、ちゃんと約束を守ってくれたらしい。
「椅子はいるか?」
「いいよ。手早く済ませたい」
「そうけ」
衛宮の手には、傷だらけの雨傘。
その意味をようやく知ったようだが……遅いよ。何の意味も無いじゃないか。
「天笠の傷……それがお前の正体だな、野場」
「正解だ、衛宮。空に在りしは逆さ月。テンノサカヅキとは即ち天にある笠。天笠。
そこについた、余りにも些細な傷。それは地上に光を通し、天笠の落としていた影に綻びを創った」
日光を遮り、この冬木に影を落としていた天笠。
どこかの誰かがそこに直撃してしまったせいでそれは傷を負い、影の一部が本来あるべきではなかったモノに変質した。
それこそがオレ。照らされた場所にいた野場飛鳥という少女に憑いて眠りに就いた、どこの誰とも知れぬ男の意識。単なる亡霊で、悪霊。
「
「イリヤスフィール嬢も言っただろうが、お前を早々に飽きさせるためさ。オレはタイムリミットがある事も、オレの存在がお前を未知に駆り立てる事も知っていたからな。
特大のネタバレを食らわせて、つまらなくしてやろうと思ったってわけさ」
「へぇ、じゃあオレは察しが悪かったおかげでネタバレに気付かずに済んだ、ってワケか」
「そうなるな」
ダレカが憑いた事で少女は生き永らえたが、ダレカは眠りに就いた。どうしてか、この幻の世界においてはダレカが表出してしまっただけ。
ダレカは自らがずっと起きていたと誤認する事で、少女になりきった。
「んじゃ、もう一つ質問。
アンタの起源って、何?」
「わかってるだろ? “傷”だよ。ダレカの起源が元々なんであったかなんて知らないが、テンノサカヅキについた傷は間違いなくオレのものだ。オレがテンノサカヅキの傷になったと同時に――オレの起源も、傷へと変容した」
テンノサカヅキにぶち当たった事で起源が変化し――ダレカは生まれ変わったのだ。
そして勿論、ダレカが憑いている間に限るが――野場飛鳥の起源も、また同様に。
「傷をつける、傷を受けるじゃない。傷そのものがオレさ。だから言峰さんとは相性が良かった。傷を開く存在は、傷にとって唯一の治癒者だ。
「そうか。じゃあアンタを傷付けても、何の意味も無いってコトね」
「そもそもここにいるオレは影法師だからな。オルテンシアと違って実体は無い。ただ、周囲を押しのける存在だから、そこにあるように感じていただけだ」
この世界がゲームだったとして。
オレはゲーム画面に着いた傷。見た目的にはそこに異物があるのだが、ゲームの中からではその傷へ干渉する事は出来ない。ただの邪魔者。
「それはツマラナイ。じゃあ何? アンタは初めからあそこにいる、って事? ――今も」
「そうなるな。オマエの残骸が夜、オレを認識できないのも同じ理由。夜の帳が落ちれば全てが影になる。天笠に傷がついていようと、影は影を認識できないよ。認識できるのは光だけ。つまり起きている奴だけなんだから」
「――なるほど」
だからオレは怖がる必要なんてなかったし、衛宮の来訪を嫌う意味なんてなかった。
悪い事をしたな。謝るよ。
「他に聞きたい事は?」
「十分だ。まったく、アンタの事で気を揉んだ自分も、未知だと思った自分も莫迦みたいだ。ひどい詐欺師もいたもんだ。一番輝いていたものが、自分の作り出した影なんて。最悪だよ、ホント」
「それは全く以てこちらのセリフだ、衛宮。人が折角心地良く眠っていたというのに、無理矢理叩き起こしやがって。また眠る恐怖なんてもう経験したくなかったのに。こんな悪夢、早く終わらせてくれよ」
夕焼けの橙が段々と消えて行く。
そうして這い寄るのは暗闇だ。目の前のコイツをいかせまいとする、暗闇。
「もう飽きたぜ、衛宮。飽き飽きだこんな世界。ここにはこれ以上の真実は無い。ケリつけるなら、とっとと行ってくれ。オレにだってもう時間は無いんだからさ」
「あぁ、そうさせてもらうよ。
野場飛鳥。アンタを見てると、ここで立ち止まりたくなるからな」
「そりゃ嬉しい話だ。じゃあな、アンリマユ。終ぞ出会わなかった契約者殿によろしく」
出会うはずもない。
彼女とオレは、物凄く近い場所に居て、物凄く硬い壁に遮られていたのだから。
んじゃ、なんて言って店を出て行こうとする奴の背中に、真経津鏡を向ける。
「――っ、あっ」
途端、目眩でも起こしたかのように奴が踏み止まった。
胡乱気な目でこちらを見てくる。
「じゃあな、衛宮。またのご来店をお待ちしています、ってな」
「――? あぁ……ああ、また来る」
そう言って。
衛宮は、少しだけ口角を上げて。
店を、そして深山商店街を去って行った。
さて、オレも。
夜の帳が完全に落ちた冬木市を歩く。
耳障りな音は聞こえない。真黒の月は今も俺を照らしている。
ピン、ピン、とコインを弾きながら歩く。
長い付き合いの悪魔のコイン。裏面にいるのはオレ。表面にいるのはアイツ。
あっちの聖杯とは、奴のことで。
こっちの聖杯とは、イリヤスフィール嬢の事で。
遠くの、遠くのビルに、天への階梯が掛かっているのが見えた。アレを彼らが昇りきる前に、この街を見ておかないと。
衛宮邸の横を通り過ぎる。
中で激しい戦闘音や凛々しい声が聞こえるけど、ま、気のせいだろう。
柳洞寺の前を通り過ぎる。
境内の中で輝かんばかりの霊光や音が聞こえる。これも気のせいだな。
背後を何かが通り過ぎる。
嵐のような暴風が全てを蹴散らして行ったけど、ま、気のせいだろう。
冬木大橋をゆっくり渡る。
大量の宝石と剣戟が優雅にダンスを踊っている。これも気のせいだな。
冬木中央公園を通過する。
金髪君と目が合って、にこりと笑ってくれた。これは気のせいじゃない。
センタービルに辿り着く。
主人の背中を守る騎士王に目伏せをもらった。これも気のせいじゃない。
みんな何かと戦っている様な気がしたけど、多分、全部気のせいだ。
「……ま、別に移動する必要なんてなかったんだけど」
呟いて。
そこには、黒天――いや、黒地と。
溢れんばかりの星空が広がっていた。直上には巨大な満月。
立ち上がる。
広い――高い。あと寒い。
野場飛鳥は野場骨董品店ですやすやと眠りに就いているだろう。ありったけの骨董で囲んでおいたからな。明日起きてびっくりするがいい。
足元には傷があった。そこから漏れ出でる輝きは、確かに、聖杯の名に相応しい美しさを持っている。
「しっかし……」
オレは改めて座って……いや、寝転がる。
衛宮士郎――いや、アンリマユは、カレン・オルテンシアと共にスパイラル・ラダーを昇り、契約者バゼット・フラガ・マクレミッツの居るテンノサカヅキ――天の逆月に至る。この世界はたったそれだけの世界で、オレはたったそれだけのものに行く手を阻まれた憐れな存在だ。
オルテンシアではここに辿り着けない。
アンリマユとマクレミッツはここに来ない。
真実――ここにいるのはオレだけ。
「……コレが壊れたら、オレはどこにいくのかね」
コレによって、野場飛鳥に光が落ちていた。だからオレは彼女の中に遭った。
コレが壊れたら、落ちていた光も消え――オレも、消える。
アンリマユは元から虚無だ。だから、虚無に戻る。
マクレミッツは生きる者だ。だから、虚無には戻らない。
衛宮士郎はただのカラ。当たり前のように五日目に行くのだろう。
野場飛鳥はただの憑代。当たり前のように五日目に行くのだろう。
オルテンシアはただの要因。だから、何事も無く消えるのだろう。
オレは――ただの残りカス。だから、やっぱり、消えるのだろうな。
「……決意、弱いなぁオレ。本当に」
全く。
女々しいったらありゃしない。
自嘲した――それと同時に、テンノサカヅキが崩壊を始めた。
話は付いたらしい。余計な感傷に浸っちゃったじゃないか、もっと早くしてくれればいいのに。
傷と罅は、やっぱり違う。
罅はあくまで自壊によるもの。傷はあくまで外部によるもの。
黒地に走って行く美しい光の罅は、オレのいる傷をまったく無視して広がっていく。
「……ま、なるようになるさ。食わず嫌いが一番苦手なのは踏み出す勇気だけど――」
バキン。
オレの居る場所も、崩壊が始まる。
ゆっくりと沈んでいくその感覚に背を預け、寝転がって足を組んだ。
「事に流されるのは、何よりも得意なんだ。そうすれば好物も増えるんでな」
ピン、と――寝ながらの姿勢で、コインを高く、高く弾く。
落ちて来なくていい。
結果なんて、オレには関係ないのだから。
聞こえるはずの無いカウントダウンが聞こえる。
3。
2。
1。
「Zero……ゼロに至る物語、ね。そりゃあ、まったく――」
落ちて行く。
沈んでいく。
崩れて行く。
意識が、身体が、魂が。
それでも口を動かして、言葉を紡ぐのは何故だろう。
「――こっちだぜ、アンリマユ。水先くらいは、案内してやろう。先達としてな」
輪郭を失ったソイツに。
多分、
余計なお世話をふっかけて、オレも、そちらへ。