気持ちのいい青空を眺める。
ここは夢より遠く。
目覚めより最も遠い場所。
落ちて行くガラス片を眺めて、ダレカの手を引いた事を覚えている。
落ちて行く身体をどうにか動かして、出口の方へ歩いたはずだ。
ダレカ――確か、そう、すでに輪郭を失って、カタチを失くしたダレカ。
だからオレの意識はもうとっくにない筈で。
だからオレの意志は、もう、眠っているはずなのに。
なぜ、オレは朝日を――青空を見ている?
「――それにしても」
その、ありきたりで。
いつも聞いていた、聞き飽きた声に、
「野場氏の交友関係は、不思議ですなぁ」
「……ステーイ」
待ってくれと。
掌を彼に向けて、深呼吸。
携帯電話を取り出して、日付を確認する。
生唾を飲む。
オレがここにいる理由。居てもいい理由。
考える限り、考えれば考えるほど、有り得ない。
テンノサカヅキは砕けた。砕けて散った。
もう戦争を続ける者はいない。継続を望むものはいない。
であるのなら、オレは、彼らと共に――■と共に、砕け散らなければいけないのに。
「どうされましたかな、野場氏?」
「……後藤くん、ちょっと聞きたいんだが」
「なんなりと」
「オレと遠坂って――仲、良いと思う?」
これが続いた後の四日間であれば、この問いの答えは決まっている。
だが。
「いや……そうは思わないでござるよ? 拙者、むしろ避けていると思っていたのでござるが」
「――……」
その答えには、もう、愕然とするほかなかった。
避けている。
避けている、時点にまで戻る。
それはつまり、あぁ。
イチから、やり直し、か?
――そんな夢を見た。
目覚めれば朝の六時前。
すだれ越しの光は強く、吹いてくる空気は冷たい。
飛び起きて、いち早く携帯電話を見て――10/12日という文字に安堵する。
未だバクバクと激しい脈を打つ心臓を左手で抑えて――はたと気づいた。
今、
何か、多大なる喪失感を得たままに、何故か、私を囲うように並べられた骨董品に目頭が熱くなる。
わからない。
今、自分の心持ちが理解できない。
特に何をしたという記憶も無い連休明けの朝に、何故こんなに冷や汗をかいているのだろうか。
わからない……けど。
とりあえず、店を開けよう。
「今日もお早いですな、野場氏!」
「ああいやいやこれは後藤くん。そちらこそ早起きで私、感服でございますよ」
「……?」
はて? と首を傾げる後藤くん。彼の名前は後藤劾以。カッコイイ名前のクセして仇名が後藤君なのである。テレビや雑誌など、様々な物の影響を受けやすく、すーぐに口調が変わる。
今日は時代劇かな?
「どうしたの、後藤くん」
「……いえ、野場氏にはもう一つほど属性があったような気がして……」
「私が好きなのは女の子だよ?」
「いやそれは知っているのだが」
タイプは三枝由紀香ちゃんである。
あの小動物感がたまらない。
ただ、三枝ちゃんには余計な取り巻きワンとツーがついていて、そのせいで中々近づく事が出来ないでいるのだ。
コンビニで買って来たオニギリを後藤くんに放り投げれば、後藤くんは惣菜パンを放ってくる。
互いの選んだ特に好きでもない物を昼食に食べる、いつ始めたのかよく覚えていないアソビ。
ちなみにこの男子の好きな人はその取り巻きワンなので、全く気兼ねなく話す事が出来る貴重な存在である。
このあと、特に後藤くんの疑問が解消される、などということはなく、恙なく授業を終えた。
来週は文化祭。私は別に関わりないので良いのだけど、心なしか、学園中が慌ただしいように思えて、その非日常感になんだか楽しくなりながら家路に就くのだった。
「ただいまー」
「おかえりなさい、飛鳥」
野場骨董品店。
それが私の実家の名前であり、目の前の綺麗な紫髪の女性こと、ライダーさんがバイトをしている事で有名な深山町商店街の一角である。スラっと伸びる長身に小さな眼鏡という、色々と"秘書感"溢れ出る人物なのだけど、残念ながら私のタイプではない。
「お客さんは?」
「今日はまだ、一人もいないですね」
「ありゃりゃ。まぁ、来ないなら来ないで別にいいけどねー。さーて仕事仕事ー」
粉のついたブルーシートの広げてある場所に座る――前に、勿論、制服から作業着に着替える。
改めて準備万端、そう思ってブルーシートに座り込んだ。
が。
「あれ……全部終わってる……?」
そんなバナナ。
ウチにある骨董品が一体全体いくつあると思っているのか。
配置は何も変わっていないのに、全てが新品同様にまでピカピカになっているなどという事が有り得るのか。そんなに都合のいいポルターガイスト、いるぅ?
「飛鳥」
「ん、なぁにライダーさん」
「……いえ、なんでもありません。おかえりなさい、飛鳥」
「……? うん? ただいま?」
ヘンなライダーさん。
その後、午後も何もなく。
一応、ローテーション表に従った整備をして、その一日の業務は終了した。
ライダーさんは定時で帰り。
何かトラブルがあるということもなく、一日が終わる。
相も変わらず。
恐ろしい程の喪失感は――埋められないままに。
――そんな、夢を、見た。
瞳を開く。
どこまでも広がる暗闇。
落ちて行く意識。崩壊していく人格。
魂が吸いこまれ、溶けて消えるような感覚。
バラバラになったパズルのような記憶に眉を顰めながら、自己を確認する。
オレ――そう、オレ。
オレは、野場飛鳥。に、憑いた誰か。
ダレカの手を引いて、虚無の彼方に消えた誰か。
じゃあ、ここが虚無か。
それは、参ったな。
死ねば、終れば消えると思っていた意識が消える事無く、この真っ暗闇で永遠に在り続けるのか?
落ちて行く感覚は消えない。無間地獄か。
それは、恐ろしいな。
まぁ、でも。
彼女が幸せに暮らせているようなら、それでいいか。
たとえまぁ、このままずっと堕ち続けるのだとしても。
それが彼女を前に進ませた結果だというのなら、本望だ。
しっかりハッピーエンド、だろ? ライダーさん。
さぁ、もう一度。
意識を落として――身を委ねよう。
――そんな、夢を、見た。
「お願いがあります、飛鳥」
「ほへ? ……あぇ? ん? ん?」
待って、状況確認させて。
淑女にあるまじき涎の垂れた口元を手の甲で拭ってから、居住まいを正す。
えと……あ、ここウチのカウンターだ。
それで、私がカウンターの中の椅子に座っていて、ライダーさんがその前に立っている、と。
ふむふむ。
「えーっと、お願い、とは?」
「この店で、働かせていただけませんか? バイトという形で」
なにを、いまさら。
そう言おうとして、口元に手をやった。
今更、なんてことはない。
だって、今まで野場骨董品店には
そう、それで、骨董品の中には重い物もいくつかあるから、私だけじゃちょっと厳しいから、バイトを募集していた……んだ。うん。
そして来たのが、目の前の紫髪のお姉さん。
ライダーさんだ。
「うん、オッケー。じゃあ今日からバイト、お願いね。仕事は順次教えるから」
「はい」
美人労働力確保!
宣伝効果もバッチシ。これは常連も無駄に足を運んで余分にお金を使ってくれることでしょう!
「それで、何をすればよいでしょうか」
「まずはエプロン着てー、カウンターの中で座っててー」
「は、はぁ」
といっても、必要な時以外特に仕事は無い。
私の骨董整備時間が増える、という最大のメリットが欲しかった、というのが一番の募集理由だからだ。
それで時給2200円出すって優良バイトすぎない?
とまぁ、自分の店自慢は置いて於いて。
「うーん……御洒落のオの字もない」
「はい?」
「いえ、なんでもないですぅー」
素材が良いんだから、もっとお洒落すればいいのに。
黒のスウェットにエプロンという、何とも言えない姿を見ての、野場飛鳥ちゃんの感想である。
――そんな、夢を。
胡蝶……