「こんにちは、野場先輩はいらっしゃいますか?」
それは、午前の何事も無い時間の後、昼食にインスタント鴨蕎麦と緑のたぬきを食べようとしている所の事だった。
ライダーさんが「え」と言いながら顔を上げたのだ。
直後、透き通るような粘りつくような可愛らしい声で、オレの所在を問う声が。
「桜……何故ここに」
「ブロッサムさん? オレに何用?」
ライダーさんとオレの言葉が被る。
それほど意外なのだ、彼女が此処に来ることが。
なんたってオレとブロッサムさんは繋がりが一切無い。喋った事もない。
ただオレが一方的にブロッサムさんとあだ名呼びにし、周囲の人間に突っ込まれているだけなのだから。
「ブロッサムさん……? あ、いえ、これを届けに来たんです!」
オレの言葉に疑問を持ちながらブロッサムさんが差しだしたるは重箱。
重箱?
「……もしかしてO・Vents ?」
「はい、お弁当です」
オレのボケは華麗にスルーされたが、重箱の中身はお弁当らしい。
何故。
「あ、ライダーの分も入ってますからね」
「お、おう。じゃ、なくてありがとう。けど、何でオレに? 言っちゃなんだが、ブロッサムさんとオレって接点無いだろ? ガッコで話す事もないし」
重箱の包みを受け取る。
日本古来の包み袋、FUROSHIKIによって包まれたソレは、ずっしりと重たい。
どんだけ入ってんだコレ。
「日頃、ライダーがお世話になっているお礼と、昨日氷室先輩に野場先輩の事を話してしまったお詫びです」
「あー……氷室の事は気にしなくていいし、ライダーさんはむしろオレがお世話になってる上にバイト代も払ってんだからそれこそブロッサムさんが気に病む事じゃないんだけどな……」
「私の気持ちの問題なので……受け取ってくださいませんか?」
「あ、いや可愛い後輩女子に貰った弁当とか衛宮ナントカに渡るモノだったとか思わなければめちゃくちゃ嬉しいんだけどな? いいのか? エミナントカに餌付けする物じゃないのか?」
「いえ、センパイのはちゃんと別に作ってありますから……って、なんで野場先輩がそんなことを? ……まさかライダー?」
内側を向いた真経津鏡に何かが映ったような気がする。
子供達が騒いでいる様な気がする。
都合、全て妄想だが。
「桜、アスカはよくわからない情報網を持っているので、今回もそれかと……」
「そうだよ、アスカきゅんは別にブロッサムさんの好きな人が衛宮士郎だなんて言ってないケロ。ただ、通い妻してるブロッサムさんの持つ重箱はイコールで衛宮用って認識があるだけメポ」
「通い妻って……」
「なおウスターはタイガーの模様」
「……」
ライダーさんとブロッサムさんが同時に溜息を吐く。
思い当たる節があったようだ。ごめんな藤村先生、濡れ衣被ってもらうぜ。
無論オレの知識はそんな所から出た物ではないが、信憑性としてはこっちの方が上だというのだから面白い。
「ま、そういう事ならありがたく貰っておくよ。重箱そのものはいつ返せばいい?」
「明日学校に……あ、いえ。ライダー、持って帰って来てくれる?」
「はい」
ん。
ま、そうなるわな……今日の持越しは無いのだから。
ブロッサムさんは確か虚数属性……失われたこの4日間に関しては、もしかしたら誰よりも身近に感じているのかもしれない。
ブラックブロッサムさんの事も知っている上でこの四日間は構成されている。ブロッサムさん本人も、衛宮士郎のカラを被ったアイツも、ライダーさんも。
聖杯戦争に関わらなかったが故に、どのルートを辿ったのかは知らない。もしかしたら史実には無かったルートを辿ったのかもしれない。
だからこそ、誰も彼もこの四日間を生きているのだろう。
ランサーさんでさえ、つまらなそうにしながらもこの四日間を『平穏』と称していたのだから。
それはだから、何度も繰り返すあの2人を含めて、という事である。
「それでは野場先輩。私はまだ弓道部の練習が残っていますので……」
「え、抜け出して来てたん? ……参ったな、これで手ぶらで返したら先輩として色々とアレじゃん。ちょっと、1分だけまっちちくり」
ちょっと蔵(在庫置場)に入る。
「いえ、そんな気にされなくても……」
「持ってきた」
蔵の中身を把握せずして何が店主か。
あーれはどっこかなー、なんてやるのは三流なのである。
「いえ、本当にいいですから」
「じゃあ衛宮に渡しとくわ」
「ここで貰います」
さてさて、取り出したるは名前負け製品ナンバーワンの座を不動に守る、その名も魔法瓶。魔法は一切使われていませんし、魔術も多分使われていませぬ。
これをパカりと開けますと、更に中蓋もう1つ。しかしながらすでに漂う怪しい色香。
「……アスカ、これは」
「おぉっとライダーさん、先入観や偏見だけで物を語っちゃあいけねぇ、怪しい物ではねぇでございやす。こちら、古くは3000年遡りまして古代エジプトってぇ名前のそれはもう大きな文明がございやしてね? そこで王族なんかに使われていたそれはもう貴重な商品!」
「えっと」
「この魔法瓶に入れましたるはそんな! そんな貴重な商品を、現代人でも飲みやすくした素晴らしい一品! そう、これなら料理に入れてもバレやしません! 本来お値段1000万程しますが、そこは重箱のお礼! なんとタダで! ターダーっでお渡ししましょう!」
「ライダー、野場先輩はいつもこうなんですか?」
「……いえ、普段はどちらかというと大人しいのですが、一度スイッチが入るとあのような有様に」
部活に戻らなければいけないだろうブロッサムさんを引き留めているので、いつもの赤い水棲生物くらい早回しで口を回す。
「はい、これ衛宮に食べさせるといいよ」
「……これは結局なんなんですか?」
「媚薬」
まぁ正確には精力剤だけど。
古代では現代より性交の成功率が低かったし、重要度も違ったからね。
精力剤はとても大事な物だったのだ。
「びや……」
「アイツもトシゴロの男の子なんだし、それを飯に混ぜればイチコロだぜ?」
「……いちころ」
魔法瓶の中に入っていた小包を取り出し、ブロッサムさんに無理矢理握らせる。
そしてトンと背中を押してやると、ブロッサムさんはフラフラと店を出て行った。
「あの様子だと危ないから、ライダーさんついて行ってやってくれよ」
「……その前にアスカ。あれはどれほどの効き目なのですか?」
「間桐が遠坂を押し倒すくらい?」
「……それは、強力と一概に言うには難しい効き目ですね……」
うん。
ライダーさんがブロッサムさんを見送り、帰って来てから共にお弁当を食べた。
ここから穂群原学園まで結構あるのに異様なスピードで帰ってきた事に関して言及する程オレは疲れていないので、その後は無言の時間が続く事になる。
お弁当はとても美味しく、特にスパゲティが美味しかった。また食べたいでござる。
「そろそろ定時だなー」
「はい。……おや」
昼間と同じように、ライダーさんが顔をあげる。
つられてそちら……入口を見ると、そこには真っ黒い影がいた。
と言っても例の☆0ではなく、夕日の逆光によって真っ黒くなった男――衛宮士郎その人だ。
「よぉ衛宮。もう閉店間近だけど、よく来たな。歓迎するぜ」
「あ……いや、特に用があったってワケじゃないんだけど……なんか足が動いて」
そう言いながらフラッと衛宮は店内に入ってくる。
夕日が屋根に遮られると、今度は店内の灯りによって照らされた赤銅色の髪が自己主張を始める。
相変わらず、血液が乾いて錆びたような色だと思う。
「ここは骨董品店……で、いいんだよな」
「おう、野場骨董品店……冬木の商店街じゃそれなりに名の通った骨董品屋だ。なんてったって、この美少女・野場飛鳥が店長を務めてるからな」
「取り扱う商品が多種多様だからですね」
お向かいのワイン店のオーナーは飛鳥ちゃんはいつになっても可愛いねぇって言ってくれるんだぞ!
「……」
「ノーリアクションはやめろよ衛宮。せめて失笑か苦笑しろ」
神妙な顔の衛宮。
もしかしてあれか、今会話の選択肢をどれにしようか悩んでいる感じのアレか。
オレは一般人だぞ、聖杯戦争について、なんて聞かれてもわからんぞ。
「なぁ野場。お前は……今の状況、っていうか最近に違和感を憶えたりしてないか?」
「違和感?」
おっとそう来たか。
なるほどなるほど……
「ほら、野場って変な事っていうか無駄な事に気付くだろ? 最近―――特に、この四日間に違和感を憶えたりしていないか、と思ってな」
「――は2個で十分だぞ菌糸類」
「?」
「いや、なんでもない。で、違和感だっけ? んー、特に違和感を覚えた事は無いな。あ、でも良い事ならいっぱいあったぜ最近は。半年前に会ったナンパ師の兄ちゃんにまた出会えて、更に紅茶奢ってもらったり、ライダーさんとプール行ったり、ブロッサムさんの弁当食べたり」
あと、元気な葛木先生を見る事が出来たのも。
聖杯戦争が行われたであろう時期に、彼はいなくなってしまったから。
あの人と会話するの結構好きだったからな……あの人がどう思っていたのか知らないし、そのせいでキャスターさんに目を付けられた気がしないでもないのだが。
「ナンパ師の兄ちゃんって……もしや青い髪の毛で後ろを結んでいたりするか?」
「なに、衛宮もナンパされた事あんの? そうだけど」
「なんでさ。アイツは……まぁ悪い奴じゃないけど、野場は結構天然だからな。ちゃんと自分の身は守ってくれよ?」
「天然て……THE・天然GIGOLOな衛宮に言われてもな……」
「? 俺の事じゃなくて、野場の事を言ってるんだぞ。口調さえちゃんとすればお前は結構可愛いんだ、気を付けるに越したことはないだろ?」
「……」
口元が引き攣る。
なぁコイツほんとに殻なの? 本物じゃないの?
それとも☆0さんもこんなこと平気で言っちゃう奴……だけども、ここまであからさまじゃないだろ。
ちなみにgigoloはフランス語で優男の意である。
「はいはい、ありがとさんよ。それで、何用だったんだ、結局。何も無いなら閉めるけど?」
「ん……すまん、何か用事があってきたはずなんだが……忘れた」
「じゃあまだ、って事だな。ちゃんと目的を持ってから来てくれよ」
ハテナマークを浮かべる衛宮。
その奥の瞳に、更なる深い疑念を持つ誰かが見えたような気がする。
けど、もうタイムオーバーだ。直に日が沈む。
「閉店ガラガラーってな。ライダーさん、衛宮を頼むよ」
「はい。では、行きましょうか士郎」
「……」
「士郎?」
「あ……あぁ。邪魔したな、野場」
「はいさーい、今後とも野場骨董品店をご贔屓に、ってな」
何も買わなかったけど。
全く、冷やかしの多い街だこと。
さて、真経津鏡を外に向けて――。
「ッ!?」
首ごと真経津鏡から視線を逸らす。
今。
何か、映っていたような。
「気が、しない! はい今日の業務終了!」
パ、パッパ、パ!
勾玉を握りしめ銅剣を傍らに置き、布団を被ってはい就寝!
ピーンと弾いたコインは表!
明日は晴れ!
「おやすみ」
オレには、何も聞こえない。
オレには、何も見えない。
オレには、何も感じない。
こうして最後の夜が終わる。
オレの知らない聖杯戦争は終わった。
オレの知らない戦いは勝者を生むことなく、
オレの知らない異常は解明されることなく、
オレの知っている楽園は、今もこうして回っている。