―――――気がつけば、焼け野原にいた。
美しかった帝都の街並みは廃墟と化し、地面は瓦礫と灰燼に埋め尽くされていた。
男が死んだ。女が死んだ。老婆が死んだ。赤子が死んだ。
犬が死に、牛馬が死に、驢馬が死に、山羊が死んだ。
滅尽滅相――息ある者は一人たりとも残らなかった。
その中で、原形を留めているのが自分だけ、というのは不思議な気分だった。
この周辺で生きているのは自分だけ――少女は一人呆然と立ち尽くす。
誰に呼びかけても、何に呼びかけても、返ってくる言葉はない。
ただ遠く、銃声と砲音によって奏でられる葬送曲が耳朶を叩く。
当て処もなく、少女は歩き出す。逃げるように、少女は走り出す。
ここにいてはいけない、と彼女の直感が囁いていた。
思い出してはならない、と彼女の理性が叫んでいた。
だが残酷にも、すぐに少女は追い着かれてしまった――理解が追い着いてしまった。
そう、これは当然の帰結だと。
なぜならば――全てを喰らったのは他ならぬ彼女自身なのだから。
かくして少女の絶叫は、遠く忠臣たちの魂を震わせたのであった。
†
とある少女の話をしよう。
誰よりも理想に燃え、それゆえに絶望することとなった少女の物語を。
その少女の夢は初々しかった。
この世の誰もが幸せであって欲しいと、そう願ってやまなかっただけ。
心優しき少女であれば、誰もが一度は胸に抱いたことがあるだろう、崇高な
けれども、どれほど心清らかな少女であろうとも、現実の大きさと重さはその手に余ることを理解し諦めてしまう、幼稚な
けれどもその少女は違った。
彼女が
つまるところ彼女は誰よりも愚かだったのかもしれない。どこか壊れていたのかもしれない。
理想と現実との間にどれほどの乖離があるのかということを、彼女は理解していなかった。或いは理解してなお、それを問題としていなかったのかもしれない。
そして幸か不幸か――その少女の非凡さは心の有り様に限られたものではなく。
彼女の
究極の母胎――そう呼ぶに差し支えのない稀少な肉体だった。
――聖杯の器。
彼女がその名誉ある任を賜ったのは、一九四二年の夏のことであった。
元より彼女も所属していた〈ドイツ女子同盟〉は優れた母胎を開発するために運営されている組織であるが、その真の目的は聖杯を受胎するに相応しい人材を発掘することであったらしい。尤も、その辺りの政治的な事情など彼女にはあまり関心がなかったが。
彼女はただ、夢を叶えたいだけだった。この世の誰をも幸せにしたいと、幼い頃から胸に抱いていたその夢を、現実にしたいだけだった。
だから彼女にとって、その話は天恵も同然だった。聖杯――万能の願望機。本当にそのようなものになれるのであれば、きっと自分は世界中の人々に幸せを分け与えることができるに違いない。彼女はそう希望を懐いて、その使命を受け容れた。
あたかも天使になったかのような心地で、太陽を目指して羽撃いていった。
しかし――それが蝋で塗り固められた偽りの翼に過ぎなかったことを、彼女は事ここに至ってようやく理解した。一九四五年五月一日。偶像の黄昏を目の当たりにして、初めて己の浅薄さを自覚した。
崩落する帝都。その裏で執り行われる聖杯錬成の儀式。
市街の各所で開かれるスワスチカ。無数の魂が一斉に彼女の胎内へと雪崩れ込む。彼女の意思とは無関係に喰らわされていく。形なき思念を咀嚼し嚥下する。
憎、恨、忌、呪、滅、殺、怨。総勢二十五万にも及ぶドイツ国民の絶望が――ありとあらゆる負の感情が彼女の裡を浸蝕する。
人格が摩耗されていく。自分が自分でなくなっていく。自分が磨り潰されていく。
遂には正常な感性の耐えうる許容量を超えて、自然とその喉の奥から絶叫が迸る。
おそらくこの瞬間に、彼女の心は完全に死んだのだろう。けれどもその肉体は限りなく不死に近く、ゆえにその人格の残滓が、生きているふりをするために、ゆるりと首をもたげる。
―――聖杯を望む者に災いあれ。
生まれたばかりの願望機に捧げられた、最初で最後の祈り。
†
その願い、確かに聞き届けたぞ。少女はにぃと唇の端を吊り上げる。
男を殺せ。女を殺せ。老婆を殺せ。赤子を殺せ。
犬を殺し、牛馬を殺し、驢馬を殺し、山羊を殺せ。
「滅尽滅相――息ある者は一人たりとも残さない」