「社、待ってなさいと言っておいたでしょう」
「(ぺこり)……ごめんなさい」
夕呼の軽い叱責に、霞は頭を下げたものの、その場からは離れようとしない。そしてドアを開いたものの中には入ってこようとはせず、武の様子を窺うように見つめている。
(えッ!? なんで、社が? って……いやここは似てるけど別の世界線だったのか? まあ、なら居てもおかしくはないんだろうけど)
別段、この世界線が武が生まれ育ったところだという確証はなかった。霞が存在する世界線だったというのもあり得る話だ。そうであればと、武は願ってしまった。
「あの……白銀、さん。聞いていいですか?」
「お、おう、なんだ、社?」
扉の向こう側、廊下で立ち止まっていた霞だったが、どこか意を決したかのように武に向かって一歩だけ足を進め、しっかりと目線を合わせるためか顔を上げる。
「……今のまま、こちらの世界で過ごそうとそうは思わないのですか?」
「ッ!?」
問われた内容よりも、その意味に武は言葉を失う。眼前の「社霞」からそのような問いが出るということは、武の予測通りの存在だということでもあった。
「社……お前、記憶が、あるのか?」
「……はい」
「そっか。あ~そっか。は、はははっ、ホント……なに考えてんだよ」
霞の問いにはすぐさまには答えられず、乾いた笑いしか出てこない。ここはどうやらターニャが言うところのEX2世界線、「カガミスミカ」が望み作り直した理想の世界らしい。
(あ~いや。ここが社にとって良い場所なのか悪いのかは、オレが決めることじゃねえな)
一瞬、このような世界を再構成した存在に対し、武は嫌悪感を抱いてしまう。だが霞の記憶を残したままに連れてきたような形とはいえ、それをどう捉えるかは霞自身の問題だ。武が関与する範疇ではないはずだ。
「っと。今の質問は、ここに留まったほうが良いんじゃないかってことか?」
「……はい。ここでは皆さん生きています。それに……戦いもありません」
「まあ、そうだよな」
もちろんこの世界にも人類同士の戦争はある。あくまで日本が、例外的なまでに平和を享受しているというだけだ。それでも日本に限れば、BETA大戦下の世界よりかは間違いなく安定し平穏だと言える。
今の武が因果導体であるかどうかは怪しい。重い因果をまき散らすかどうかも不明というよりかは、その可能性がないわけではない、といった程度のものだ。無理にあの世界に戻ろうとする必要はないのかもしれない。
「正直……ここに残れればッて、そう考えなかったと言えばウソになる」
平和なままの柊町の早朝を見て、一瞬たりともそのような思いに囚われなかったと言えば、そんなことは無い。夕呼に対してもすべてを打ち明けるのではなく、別世界の記憶があるのでしばらくの間挙動不審になるかもしれないと、ただそういう相談をするだけに留めてしまえばという考えも頭を過った。
「ここで、まあ残り少ない学園生活を皆でそれなりに楽しく過ごして、そのまま進学して、そうだな……たぶん御剣財閥の関連企業とかに就職したとして。世間的には羨まれるような立場で、衣食住は満ち足りた生活を送って……それでもさ、心から笑える日々を送れてるとは思えないんだ」
そもそもこの世界において、自分の進学先などが今の武には明確に考えられない。元々の世界線では進路志望や願書なども提出したが、それも深く考えた末の物ではなかった。もちろん御剣家の影響を受けた今のままであればまた違った進路も用意されているだろうし、それとは異なったどのような選択を取ったとしても間違いなく生活水準は高められるのだろう。
その暮らしはどこか寓話じみた、ほどほどの問題と優しい解決のある、満ち足りた時間になるはずだ。それを不満に思うなど、贅沢極まる悩みだ。
しかしその用意された箱庭のような穏やかな世界で過ごす生活に、充足を感じられるかどうかはまた別だ。
「前にオレって逃げ出したことがあっただろう? あの時こっちみたいな世界に行った時、周りの連中に当たり散らしたんだよ。たぶんアレを繰り返すことになると思う」
クラスメイトと207B訓練分隊。当たり前だが、世界が違い、育ちも異なれば、それはもはや別の者たちだ。
だが、どうしても同じ顔、同じ声でありながら、考え方の立ち位置も違う振る舞いを、あの時の武は受け入れられなかったのだ。似ていながら、やはりどこか違う者たちに対し、真剣に生きていないのではと比較して、勝手に苛立ち怒りを募らせてしまった。
もちろんこちらで生きている彼ら彼女らにもそれ相応の悩みもあれば問題もあろう。そしてそれらに対して真摯に立ち向かっている者もいることは、武でも判る。
ただそこで、今の自分が「白銀武」として彼女たちの中に入って生きていくべきだとは思えない。予定された通りに日々を積み重ね、ただ誰かの人生をなぞるよう空虚に過ごすだけになるだけで済むのならばともかく、おそらくはどこかで意識のすれ違いから何らかの形で破綻を招く。
「それに、さ。このままこっちで暮らしてしまえば、いつの日かあっちで経験したこと、共に戦った皆のことを笑って話せる自信がオレにはないんだ」
衛士の流儀などと言えるはずもない。結局はただの自己満足だ。
今の武はなるほど「カガミスミカ」が必要としなかった要素の集合体と言われたことがしっくりとくる。けっして他者の為ではなく、逃げ出そうとする自分を認めたくないという、何処までも自分本位の浅ましい考えで動いている。
「……もう十分に戦ったと思います」
「かもな。でも今もアイツらは戦っている」
「あなた一人が欠けたとして、大勢に影響がありますか?」
「無いだろうな。今回の俺はただの一衛士として参加してるだけだし」
先の『桜花作戦』であれば、XG-70dの砲主兼操縦士たる武が居なければ満足に動けもしなかっただろうが、今回は違う。
喀什攻略は、事前想定の中でも最良に近しい規模の戦力を『あ号標的』にぶつけることができた。こちらに飛ばされる直前の記憶通りであれば、XG70dには目立った損傷はなく、A-01も損耗はあれど主力と見做されている第一と第九中隊は健在だ。S-11も十分に残っている。
「ありがとな、社。でもオレは戻りたいんだ」
「どうして……そこまで?」
霞が拙くも言葉を並べてくれるのは、武を再び戦地へと赴かせないためだということくらいは、さすがに判る。それには間違いなく嬉しくも思うが、あらためて問われると、なぜここまで戻ろうとするのか、自分でも考え切れていなかったと思い知らされる。
「逃げ出したくないとか、後悔したくないとか、かな? ああ……いや、違うな。オレは、さ。やっぱりやり直したかったんだ」
理由として思いつくものはいくつもあったが、結局今の武の根底にあるのはそれなのだろう。
自身の幸せを願い、幾度も世界を再構築した「カガミスミカ」を呪い嗤うこと、武にはなどできない。結局のところは武が望むのも、自分の失敗を無かったことに、やり直してしまいたいということなのだから。
御剣冥夜の死を、自らがその命を絶った彼女の最後を、その流れを否定したいのだ。
「……あの時は、間違いなく、本心から喜んでました」
「かもしれない。でもオレが殺した。意識を調整されていたからとか、そう仕向けられていたとか、そんなことは関係ない。アイツの気持ちには気付いていて当然だったのに、判ろうとしないままに、ただ頼れる戦友とだと扱ってた。それで最後の最後に、隠していた思いまで打ち明けさせて、その上で結局、オレが、殺した」
「カガミスミカ」以外を愛さない「シロガネタケル」が選び出されるまで幾度ものループを繰り返していたようだ。そのこと自体には思うところはあれ、「カガミスミカ」に対しては憐れみとともに同情もできる。
だが「シロガネタケル」、それを自分のこととしてみれば、ただ受け入れて流してしまうには腹立たしい。いくら記憶が漂白されたと言え、「アイツの為ならば死ねる」とまで遺書に認めた相手の気持ちに気付かぬまま、ただ漫然と過ごしていたのだ。
「今横で戦ってる『御剣冥夜』は、確かにオレが撃った『冥夜』とは別人だ。それでも今のアイツをあの場所に押し上げちまったのは、オレにも責任の一端はある。それを放り出したままに、こっちで暮らしていけるはずがねぇ」
目に付くところに鏡はないが、今の自分はおそらく「大海崩」以降と似たような顔つきをしているのだろうと、自嘲したくなる。
「……判り、ました。ごめんなさい」
「いや、ありがとな、社。いろいろと誤魔化してたことが、ようやくすっきりできた。てか、今のオレってドロドロしてるんじゃないか? 見てて辛くないか?」
「(ふるふる)……タケルさんは、あたたかい、です」
「そっか、ほんとに、ありがとな」
正直なところ、自分の感情を持て余している自覚はある。口に出すのも憚りたくなるような、暗い想いがあることも判っている。そんな精神状態の自分の前に、霞は立ってくれ言葉をかけてくれているのだ。素直に霞の言葉を受け入れる。
「とまあ、そういう感じで、夕呼先生? オレってどうやったらあちらに戻れますか?」
意識を切り替えようと、わざとらしいまでに「白銀武」を演じていると自覚しながらも、根本となる問いを夕呼に問う。
「まったく。相手のいないところで熱烈告白したかと思うと、いきなりそれ?」
「告白って言えるほど純粋なモンでもないでしょう? どちらかと言えば、贖罪の言い訳ですよ」
揶揄うような夕呼の言葉に、武も苦笑してしまう。前回あちらに戻る際は、ヒトの意識の持ちようこそが重要だかなんだかで「カガミスミカ」への愛を叫ばされたことが思い浮かんでしまう。
そして告白云々に関しては、軽く流す。そこに拘れば、どのように揶揄われて時間が過ぎるかが予想できる。
「まったく……ホントに面白味がなくなってるわよ。で、ホントに帰るつもりなのね、白銀」
「心残りが無いとは言いませんよ? というか戻る先が無いっていう可能性も結構高いですし」
記憶の最後は『あ号標的』と対面し、G弾が投射されたところまでだ。どれほどの時間が過ぎているかは判らないが、機体ごと消失していてもおかしくはないし、なによりも普通にあの触手に貫かれているという状況もあり得る。
「前、と言っていいのかしら? その時はどうやったの?」
「あれは、事前に何度かオレを介して夕呼先生同士で連絡を取り合ってたみたいなんですけど……?」
「あっ、そ。じゃあ参考にはならないわね」
「ですよねぇ」
武が急いでいることが判ったのか、夕呼も軽い態度は崩さないものの、問題解決へと意識を切り替えたようだ。いくつか簡単な質問を重ねてくる。
ただ今の武には、再送還の準備が一切できていない。そもそもがこの転移と言える状況が偶発的な物だ。因果律量子論の原案ともいえる数式もなければ概念もないままに、帰還の準備など、如何に天才の夕呼といえど不可能なのかもしれない。
「まあ、仮説というよりかは推論、いえただの妄想程度であれば、方法はあるわよ」
「本当にあるんですかッ!?」
武も時間を惜しんで相談には来たものの、即座の帰還案が提案されるなどとは考えていなかった。因果の流出を抑えるために、何らかの解決案が出来るまで夕呼と真那とに、武の身柄を隔離してもらう程度のことしか想定していなかった。
「時間が経てば、勝手に帰れるんじゃない?」
「は? ……えぇ、そんな簡単な話なんですか?」
あっさりと返された帰還手段、いや方法とも言えぬそれを聞いて、さすがに夕呼の反応に慣れている武といえ、呆れたかのような声を出したしまった。
「さっき聞いたいくつかの事例だと、アンタ、初期に世界を渡った時には身体を自由に動かせなかったんでしょ? その時は、ここの『白銀武』の意識で動いていた、と」
「え、ええ。たしかそうでしたが」
最初だったかの時の実験では、見聞きはできたが、一切の干渉が不可能だった。幾度か繰り返したのち、ようやく身体の制御権を奪い取れるようになったとも言える。だからこそ逆に、今武が自身の意思でこちらの身体を動かせさていることに危機感がある。
「まずアンタがこちらに来たのは、そのG弾? それの起爆による第五次元効果の派生による偶発的な事態だとも予想する。つまりはあちら側から意図して送り込まれたんじゃなくて、勝手に跳ばされたってことね」
夕呼が確認するように言うが、タイミング的にこちらに飛ばされたのは、ハイヴ主縦坑直上で反応を起こしたG弾の影響だと思われる。
「まあそれ以外には考えられませんね」
「だから、ある程度の時間が経過するか、何らかのきっかけで元に戻るように反応するんじゃないかと考えたわけよ」
「……真上に投げたボールが、勝手に元の位置に落ちていくようなものですか」
「へえ? よく理解できてるじゃない。まあアンタの言う世界線に上下があるかどうかなんて、今は判らないけどね」
なんとなく上げた例えだが、夕呼には受けたようだ。復元性とはまた違うのだろうが、なんとなくのイメージだった。とはいえ、戻るかどうかは確かに不透明ではある。
「次に、いまアンタが動けてるってことは、本来の意識が眠ってるからだと想定するの」
「そういや、まだ普通に寝てる時間ですね」
まともに時計も見ていなかったが、目覚めてから急ぎで学園に来たこともあり、まだ満足に日も昇っていない。この世界の武であれば惰眠を貪っているような時間だろう。
「って、こっちのオレが起きれば、戻れるってことですか?」
「そうなんじゃない? さっき聞いた話からすれば、以前の場合も本来の身体の持ち主のちょっとしたことではじき出されたような感じだったんでしょ?」
「言われてみれば、そうかも?」
あちらの夕呼が装置を幾度か改良していたらしいことは見知ってはいるが、何が要因でただ見ているだけの状態から満足に動けるようになったのかは、武には判っていない。
逆に言えば今は満足に動けているが、偶発的かつ局限定的な事態だと見なせる。何らかの拍子に自律的な行動が不可能となることも想定できる。そうなれば自然と送還されることになるのではと予測することは、なるほどそれほど不自然な推測でもないかと武も思ってしまった。
「寒い中、申し訳ありませんね、夕呼先生」
「校門前に寝転がしておいた方が面白いかもしれないんだけど……そんなことすれば御剣のところのメイドから何をされるか判ったもんじゃないからね」
「は、はははっ……」
そろそ完全に日が昇る時間だ。夕呼の予測が正しければ、今の武が意識を保てるのは、もう僅かしかない。
他者との接触を極力避けるのであれば準備室に籠ったままが正しいのだろうが、冬の早朝だ。運動部の朝練に登校してくる者もわずかで、出会ったとしても深く話し込まなければ問題ないだろうと夕呼には言われた。
咲いてはいないが校門の外の桜並木と、そしてなによりも生まれ育った柊町に近しい姿をを見ておきたくて、校舎の外へと向かう。
「ホント、お手数をおかけしますが、この身体の方よろしくお願いします。あと神宮司先生の方も」
「はいはい。おもろしい話を聞かせてもらって礼に、元に戻ったアンタは叩き起こして準備室にでも連れてくわよ。あとまりものことは、そうね御剣を頼ってでも安全を確保するわ」
もとよりも人目を引く容姿なのだ。まりもに対するストーカーの疑念は、武の存在に関与しない可能性が高い。事件性のないままでは身辺の調査は警察には難しいが、御剣の警備部門には関係ない。
正門から少し離れ、三人とも無理には口を開かず、静かに佇む。見下ろせる街並みには僅かに日が差し始め、人々が動き始めたざわめきが感じられるようにも思えた。
「ってホントに、戻れそうですね、コレ」
「へぇ……こういう感じなのね。記録しておくべきだったかしら」
ただ静かに街を見渡していただけだが、その時は近付いていたようだ。武の足元から、光の粒子がゆっくりと少しずつ舞い上がってくる。以前にこちらの研究室で帰還を企図した時のような勢いはないが、それでも少しずつその輝きは強くなる。
「……またね」
残された時間がないことを悟ったのか、霞が小さく言葉を口にした。
いつもの無表情、感情の波の少ない声のままに別れの挨拶をする霞の姿が、なぜか武には泣き出しそうに思えてしまった。
だからこそ、武はわざとらしく笑って告げる。
「霞、こういう時は『またね』じゃない。『ばいばい』で、良いんだ」
「ッ!?」
その言葉の意味は間違いなく霞にも伝わる。こちらの世界に再び訪れるつもりは武にはない。この身は当然に残るのだろうが、それは霞にとっても武にとっても、共有できる記憶を持たない別の『白銀武』だ。
「ッ、はい。こちらで海にも行きましたッ! いっぱい、いっぱい思い出、作れましたッ!! だからっ、だから今、ちゃんと、しあわせですッ……ばい、ばい……」
「ああ……なら、よかった。ばいばい霞……白銀武少尉、これより原隊へと復帰いたしますッ!!」
すでに足元から上がってきた光は腰のあたりにまで達している。二人からは見えていないだろうが、学園生ではなく軍人としての別れを果たすべく、武は意識して普段以上に姿勢を正し敬礼する。
「白銀……武少尉殿の、武運長久を、心から……お祈りしております」
霞がどこかで聞いてきたのだろう祈りの言葉とともに、拙く返礼を返してくれる姿を瞳に焼き付けながら、武は意識を手放した。
とくに何かギミックもなくヌルっと世界線を移動する~感じで以下次回、です。ちなみにここが本当にALTERED FABLE世界線だったかどうかとかは、微妙なままにしておきます。
あとはもう『あ号標的』に殴られて殴り返してで、ハッピーエンドになるはずです、たぶんきっと2回くらい使えば?
でで終わりが本当に見えてくると次は何をしようとかどうでもいい妄想が進んでしまいますが、NIKKEの指揮官(でも常識人)に転生とか、それこそドルフロとNIKKEのクロスとか、ビミョーな隙間を狙いそうなものだけが思い浮かんでいたり。
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