冥夜は演説の直後、武と真那とを伴って出雲から発艦した。
BETA大戦が始まって以来、ユーラシアの地形が食い荒らされて世界各地で気象異常が続いているが、いまのところここ一週間ほどは穏やかな天気が続くと予想されている。蒼く抜けた空にわずかに雲がかかり、出雲から撮影されている紫の武御雷は、その空によく映えることだろう。
ただ即座に前線に出るわけではない。その発艦はあくまで「演出」の一環であり、映像として残すためのものだ。今後は戦意高揚のために使われることになると、武も聞かされていた。
とはいえ発艦後に撮影可能な時間などきわめて限られる。
写されていると意識する間もなく、三機の武御雷は北九州方面へ向けてのコースからは離れ、ゆっくりと機首を廻らせる。向かうのは、A-01第一中隊が乗艦している艦隊後方に位置する戦術機母艦だ。冥夜を中央に挟み武を先頭に真那が殿を務め、雁行編隊というには機数が少ないものの、正確に等間隔を開けて海上を進む。
(初陣だから仕方がないとはいえ、少し気持ちが先走ってるな)
右手後方を飛ぶ紫の武御雷を視界隅に捉えながら、武は無線のスイッチに手を伸ばした。
「フェアリー02からブラッド01。分隊内の通信を許可いただけますか?」
『こちらブラッド01。フェアリー02、許可する』
第一中隊第二分隊として武と冥夜とはエレメントを組んでいる。変則的な編成の第一中隊だが、二人共に一般的な分類としては突撃前衛であり、小隊副長でもある武がある意味当然の人選として突撃前衛長だった。
小隊長たるまりもが不在でならば武に指揮権がある。とはいえ作戦行動中であればともかく今のようなただの移動時であれば、別組織かつ臨時とはいえ同行している上官たる真那に許可を貰う必要があった。
そんな通信の許可を貰う手間を迂遠だと感じるよりも、話をはじめる切っ掛けとしてはちょうど良いとも思う。
「ありがとうございます。というわけで雑談なんだがなフェアリー04、御剣少尉。少しばかり力みすぎだ、肩の力を抜け」
『む?』
目的地たる戦術機母艦までの移動は、巡航速度とはいえ戦術機であればすぐに辿り着く。あまりだらだらと話す余裕はなく、雑談とは言いつつも本題に切り込む。
フェイスウィンドウ越しではあるが、冥夜が訝しげに眉を寄せるのがよく判る。雑談という言葉に反応したというよりは、どちらかといえば力みすぎという点に不満があるようだ。
「ここはまだ光線級警戒地域じゃない。そんなに海上スレスレを飛ぶ必要はないさ」
『いや、しかしだな。すでにBETAの先頭集団の上陸は間近だと判断されているのだろう?』
「それでも、だ。まだ海上からの支援砲撃だけで上陸を阻止できる段階だし、しばらくの間は足の早い突撃級くらいしか上がってこないはずだ」
光線級に限らず、BETA小型種は戦車級を除けばそのサイズゆえに脚は遅い。逆に言えば戦車級は数だけではなく、その速度も脅威なのだ。
そしてその戦車級も含め、全天候環境下で活動可能なBETAといえど海中ではその移動速度は低下する。それゆえに中核集団が上陸するころには各種が入り混じった状態となる。ただ先頭集団に限れば、その構成はほぼ陸上移動時と同様に突撃級だけが突出した形となることが多い。
「まあはっきり言えば、だ。いまこんな時点で張り詰めてるようでは、エレメントリーダーとしては少しばかり気がかりだってことだよ」
『……それは私が初陣に怯え、無様を晒している、ということか?』
「そこまでは言わねぇよ。言っただろ? 力み過ぎだって」
冥夜自身も武の言葉によって自分の状態に気が付いたのか、眼を瞑り深く息を吐き出す。
『ふむ……あのような大言壮語を放って飛び出しておきながら、ただ気を静めて海上を往けというのも、なかなかに困難ではあるがな』
一呼吸おいて、武御雷の高度を武と真那に合わせるようにわずかに上げた後、珍しく冥夜がそう軽口を漏らす。その様子からは、先ほどまでの無闇に張り詰めた空気は無くなっていた。
「逸る気も判らんではないけどな。中隊に合流した後も、俺たちの出番はさらに先だ」
具体的な作戦指示は武も受けてはいないが、第一中隊の作戦概略程度は知らされている。BETAの侵攻が予想を大幅に上回りでもしない限りは、出撃は早くとも正午を過ぎてからになる。
『フェアリー04、私からも雑談というか少しばかり疑問があるのだが、良いか?』
冥夜が落ち着いたのを確認したからか、上官としての言葉遣いを何とか無理して装っている真那が、冥夜に問う。ただ言葉はともかく、質問の許可を求めている時点で、上官としての役割に徹し切れているとは言い難い。
『ブラッド01、何でしょうか?』
『いや、なに。先の演説の件だ。斯衛から提出した草案は私も目を通していたから概要は知っているのだが、それとは異なっていたからな。国連軍からの草案を参考にしたのかと、と思ってな』
『申し訳ありません。斯衛のものも国連のものも共に参酌させていただきましたが、先の言葉は自分の一存で幾分か変更いたしました』
『良い変更だと思ったが、御剣少尉御自身の言葉でありましたか』
真那はこの通信を聞いているであろうターニャを警戒してか、国連軍とぼかしてはいた。
冥夜自らの言葉だという返答に、真那が口調を維持できず、誉める。だがその変更が問題になるのではないかと、真那は考えたのだろう。喜びながらもどこか不安は隠せぬようだ。
「そういえば事務次官補からも、事前に何か指示は受けていたんだったな」
『参考にしろ、とは言われた。ただ、かのお方ならば使わぬような言い回しが見受けられたので、少しばかり変えさせていただいただけだ』
武の問いに、冥夜は軽く笑って返す。が、真那の顔色は優れない。真那にしてみれば、それが国連からの指示を無視した形になり、後々冥夜に害が及ぶのではないかと心配なのだ。
『ただ……そうだな』
自身の身を案じる真那の様子は、冥夜も判っているようだ。安心させるように言葉を続ける。
「ん? なにか気になることでもあるのか?」
『私の推測にはなるが、そもそもが、だ。私が頂いた草案どおり読み上げるようでは、今後の作戦からは切り捨てられていたのではないかな?』
ニヤリとでも言えるような、悪戯に成功したかのような顔で、冥夜が笑う。
そんな冥夜の様子にようやく真那は落ち着けたようだ。言葉には出さないが、どこか緊張が解けていた。
『それに、だ。私がわざとらしく破り捨てたときには、楽しげに笑っておられたぞ?』
「あの人が楽しそうに笑うってのはあまり想像できないんだが……」
冥夜が演説していたときは武自身もやはり気を張り詰めていたようで、ターニャどころか周囲を見渡す余裕もなかったということに今更気が付かされた。フェイス・ウィンドウは開いていたはずなのに、ターニャがどのような顔をしていたかなどまったく記憶にない。
ただ、言われてみれば、ターニャはそういうちょっとした試験じみたことを時折武や冥夜には課してくる。手駒として有用かどうか、あるいは害となるほどに無能なのか、常々試されているともいえた。
「しかし、ブラッド01のお言葉ではないが、もともとは何が書いてあったんだ?」
おそらくはターニャが書いた演説原稿草案だ。なんとなく内容は想像できなくもないが、やはり気にはなる。
『そうだな、完全に記憶しているとは言えぬが、確かこうだ』
そういって冥夜は演説をそらんじて見せる。
――諸君、地上に生きるもの全ては、遅かれ早かれ何れは死する運命にある。であるならば、祖霊の眼前で、祖国のために怨敵に立ち向かう以上の死があるだろうか?
――諸君、かつて私をあやしてくれた人のため、赤子を抱く母のため、我らの背にいる人々のため。
――恥ずべき悪漢、忌むべき怨敵らから皆を守るために私は行こう。
――この浜辺を埋める幾万もの敵だろうとも、私は押し止めよう。
――さあ!私に続け。私に続け、祖国を共に守らんと欲する勇者よ!
「……うん。予想はしていたが、戦意高揚としては間違っちゃいねぇ……間違っちゃいねぇが、イロイロ間違ってるな」
ターニャがこの通話を聞いているであろう事は疑いもないので、直接的には否定しにくいものの、どうしてもそう言葉を漏らしてしまった。
どこからどう聞いても、悠陽が口にするような言い回しではないのだ。
ただ冥夜としてであれば、もしかしたら似合っていたのかもしれない、と武は感じもする。その武の思いを裏付けるかのように、冥夜が少しずつ、何かを思い悩むような素振りで言葉を続けた。
『だが……な。士官となり兵を率いることになったからには、いや人の上に立つのであれば、だ。死に逝く彼らがその最後に僅かなりとも安らかに逝けるように、死地に赴く兵士にとってその死が無駄ではないと、銃後の民草を護るために意味があるのだと、そういった言葉を投げるべきだったかとも後悔する部分は、確かにある』
発艦以来、冥夜がどこか張り詰めていたのは初陣を前にしての緊張もあるが、自分の言葉が間違っていたのではないかと、そういう悔やみからだ。
(まったく……人のことを心配する前に、自分のことを考えろって言ってるのになぁ)
何よりもまず民のため悠陽のためと考える冥夜にしてみれば、あの言葉でさえ、自身の我侭を押し通してしまったと、そう思い悩んでいるのだろう。
「……いや。草案よりも、さっきの言葉の方が良いな。あくまで俺個人の感想でしかないけどな」
先ほどの冥夜の演説、兵自らも護られるべき民であると言ったが、そこに武のことが含まれている程度のことは、武にも判る。そしてその最後の言葉は誰よりも武に向けてのものだ。
冥夜自身が自分を護るようにと、帝国とそして何よりも悠陽の為に挺身などと考えぬようにと、昨夜冥夜と告げた武への冥夜なりの答えなのだろう。生きてくれと懇願する武に対し、あの時冥夜は何かを口にしようとしていたが、その答えが先の言葉なのだ。
逃げるように散ることを選ぶな、生き汚くとも抗え、とそう諭されたと思う。
武が今にも身を挺しそうだと、冥夜には感づかれていたと、自惚れではなく思い知らされた。
先の世界線で、想いを告げられたその直後、冥夜自身から請われたとはいえ武自らその手で、命を絶った。その事実だけは、たとえあの世界線をそのままにやり直すことが出来たとしても、覆せない。
それこそ記憶を奪わたとしても、無かったことにはしたくはない。
そしてあの「御剣冥夜」と、いま横を飛ぶ冥夜とは別の人物だとは、頭では判ろうとしている。
しかし、やはり煌武院悠陽の実妹たる御剣冥夜という人物は、どうしても芯の部分で同じなのだ。だからこそ、どこかの時点で冥夜は死ぬことを受け入れてしまうのではないかと、恐れていた。
(まあでも、ああいう言葉が出てくるってことは、少しは安心できるか)
御剣冥夜は、自分が出来ないことを他人に強いるようなことはしないはずだ。
ならば今は九州を防衛し、その後の喀什攻略も奇跡に頼らず成功へと導く筋道を構築するだけだ。
『白銀にそう言ってもらえるのならば、変更した意味もあったな。それに……』
『フェアリー00より、フェアリー各機へ。楽しそうな語らいの最中に申し訳ないが、そろそろ仮の宿りが見える頃合だ。着艦準備に入られたし』
タイミングを見計らっていたのか、距離的にちょうどだったのか、冥夜が言葉を続けるよりも先にターニャの指示が割り込んできた。
「雑談の続きはまた後だな。フェアリー02、着艦準備に入ります」
今回も短いですが、次のネタに入るとみょ~なバランスになりそうなのでここまでで。といいますか、前回分と今回分で1話に纏めてた方が良かったかなぁなどと今更ながらに思い直してます。
でよーやくぼちぼち九州防衛線ですがクリスマスまでにはこの戦争も終わるさ~などとダメなフラグを立ててしまいそうですが、九州戦はそれくらいで何とか終わらたいです。