シミュレータ管制室、夕呼とまりもとの間には、静かな緊張感が張りつめていた。
いつもの如く理由も説明されずに夕呼から呼び出されたまりもとみちるであったが、武から戦術機用新OSの開発に向けた機能説明を受け、先程までは間違いなく狂喜していた。このOSが完成すれば、教え子や部下たちが身を散らすことが少なくなる、と。
しかし、その新OSを実戦証明される以前に教え子たちに使わせると言われては、まりもとしては喜びを保つことなどできない。
新OSの開発など本来であれば技術廠の開発局に回され、そちらの開発衛士が担当すべき案件だ。
それでも第四計画と夕呼の重要性からして、直属のA-01が試験運用にあたるというのは、まだしも理解できる。
だがいくらその出自に様々な要因があるとはいえ、いまだ戦術機教導に進んでいない207B分隊に新OSを使っての訓練させるというのは納得できようもない。
「伊隅は戻りなさい。なにかあれば呼ぶわ」
「……は、失礼いたします」
207訓練小隊の者は、任官すればみちる同様にA-01に着任する。
まったくの無関係とは言い切れないものの、今はまだ部外者だ。いくつもの疑問はあれど、口を挿むべきではない。
「さて、まりも? なにか問題があるのかしら?」
みちるが静かに管制室を出てからしばらく時間を置き、挑むように夕呼が嗤う。
「あ~横から失礼いたしますが、夕呼先生、質問良いですか?」
「なに白銀? 今はアンタの相手をしてる時間じゃないんだけど?」
恩師二人の睨み合いに口を挿むのは、ハイヴに突入するのとはまた違う度胸が必要だが、ここで逃げるわけにはいかない。
「その207Bの事ですよ。今聞いておかないとマズいので聞きますが、夕呼先生はあいつらをどうしたいんですか?」
「……どう、とは?」
「衛士に任官させた上で飼殺すのか、A-01に入れて使い潰すのか、あるいは他兵種への転換訓練で時間を稼ぐのか、はたまた任官させずに他の国連所属機関にでも回すのか……俺程度でもいろいろとは思いつきますが、そのところどーなんですか、と」
夕呼とまりも双方から睨み付けられるが、思いついた案をとりあえず並べてみる。
全員が社会的地位のある207B分隊のメンバーには、A-01補充要員として高い能力を持つ訓練兵、というよりは国連、引いては第四計画への人質という意味合いが強い。だからこそ夕呼が任官させないと判断しているであろうことは、武にもまりもにも予測できる。
帝国首相、国連事務次官、帝国陸軍中将、情報省高官、それぞれの娘たち。さらに加えて将軍の表に出せない双子の妹、だ。
誰一人として、普通の戦術機甲師団に組み込みたい人材ではない。
(一周目の第四が破棄された後、あの扱いは思い返せば理解しやすいな)
現に武の記憶では、一周目では第四が破棄されるまで任官できず、任官後もバビロン作戦開始まで横浜基地から出ることもなく、実質飼い殺しであった。二周目にしても任官できてたのは、クーデターによる状況の急変によるところが大きい。
「ふん、一応考えてはいるようね、白銀?」
夕呼の不機嫌そうな顔は、武の言葉の羅列の中でニヤニヤと笑いに変わっていった。どうやら悪巧みの一つには引っかかったようだ。
「後回しにしようかと思ってたけど……まりも、コイツは白銀武。今すぐ衛士にしても問題なさそうだけど、アンタに預けるから鍛え直してやって」
「え、俺って訓練兵に戻れたんですか?」
他の207Bの面子の話だと思っていたのが、いきなり武の進退の話に切り替わる。シミュレータに放り込まれたとはいえ、武の「元」訓練兵という立場は宙に浮いたままなのだ。
「何言ってるの? 明日もう一回診断は受けてもらうけど、記憶はともかく訓練兵やるくらいには身体は大丈夫でしょ」
「え、いやまあ確かに体力がかなり落ちてますけど、明日から訓練兵、ですか?」
「歯切れ悪いわねぇ、何か問題でもあるの?」
「問題と言いますか、夕呼先生に言われてる例の『レポート』まだ書き上がってません」
まりもが横にいるために内容が言えないこともありボカしてしまうが、それでも言外に明日から訓練兵に戻れば仕上がるのが遅れる、と告げる。
「ふん。当然そっち優先で完成するまでは徹夜ね」
「了解です。まあアレが最優先だということは、俺が一番理解してます」
桜花作戦、オリジナルハイヴの攻略、それも世界が違うとはいえ曲がりなりにも成功した情報だ。今後どう対処するにせよ人類にはさほど時間の余裕はなく、分析の為にもレポートの完成は早ければ早いほどに良い。
「……どういうことでしょうか、香月副司令? こちらの白銀武を訓練兵として207小隊に所属させる、ということでしょうか?」
「そのつもり、というか決定事項ね。あと白銀は聞いての通り207B全員の内部事情も、A-01のことも、たぶんまりも以上に知ってるから、ここでは隠す必要はないわ」
まりもには朝の拘束された状態を見られているうえに、武の戦術機に関する技能なども含め、今は正規兵の黒の強化装備を身に着けている。武は何らかの秘匿任務に就いていた者、と勘違いされていたようだ。
「あらためまして白銀武訓練兵です。あ~俺自身は特に考慮される立場ではないです。一訓練兵として扱ってください」
「朝のことを無視したとしても、先の戦術機用OSの話を聞かされた上で考慮される立場ではない、と言われても……な」
「それは以前の訓練中に思い浮かべていた、とかで。申し訳ありません、ご容赦ください、神宮寺軍曹殿」
「それを退けても、だ。今の207Bの面子の事情を知っているだけで、十分以上に『特別』だぞ、白銀」
現職の総理である榊は当然、彩峰は訓練兵とはいえ軍関係者であれば知っていてもおかしくはない。珠瀬も政治関係に興味があれば、ニュースなどで名は上がる。
「鎧衣訓練兵の御父上のことまで知ってる、のだな?」
「あ~ハイ、チョットした商社のカタデスネ」
鎧衣課長に関しては、片言で誤魔化してしまいそうになるが、無理なのは明らかだ。
ただある意味で一番名の出しにくいのが、情報畑の鎧衣課長なのは今部屋にいる三人にしてみれば当然のことであり、訓練教官としての立場しかないまりもにとっては足を踏み入れてよい領分ではなかった。
そして最後の一人の立場に関しては、夕呼は知っているかもしれないが、まりもには正確なところは告げられていない可能性の方が高い。
将軍家所縁の者、その先からは考えていないはずだ。
色々と想像はしていようが、それを表に出すことはない。
「まあ俺のことは置いといて、ですね、207Bの連中のことですよ」
まりもが207Bに対し、教官としての立場では出来る範囲は狭いものの、可能な限り手助けをしようとしていることは、武にもよく判っている。
現在の207B訓練分隊に関してはあまりに関係者が多岐に渡るために、誰が何をどこまで知っているのか確認しておかねば、それだけで彼女たちを危険に晒しかねないのだ。
「人質として飼殺すなら、神宮寺軍曹殿の経歴的には問題が残るでしょうが、俺としては何も手出ししません。というか神宮寺軍曹殿はそのつもりですよ?」
「それは違うぞ、白銀っ!!」
「いえ、お言葉ですが神宮寺軍曹殿。軍曹殿が本当にあいつらを衛士にすると決めておられたのならば、先の演習で失敗するはずがありません。失敗しても良い、という思いが軍曹殿にわずかなりともあったから、あいつらはまだ衛士になれていない」
訓練教官としてのまりもの能力を、武は高く評価している。A-01に配属されているかつての教え子たちの姿から見ても、それは明らかだ。
そのまりもが指導していながらも、現207B分隊の訓練兵が任官できていないという事実は「任官させるつもりが無い」と判断するしかないのだ。
「だいたい夕呼先生が、それに対して明確な指示を出せていないのが問題なんですよ」
「訓練兵として受け入れたってのが意思表示じゃないと、アンタは言うつもり?」
「任官させるつもりが本当にあるなら、訓練兵に個室が割り当てられるなんてありえませんよ。どー見ても接待ですよ、この状況は」
夕呼もまりもも判っていたのだろう、武の言葉に僅かに視線が逸れる。
「そういう状態だから、神宮寺軍曹殿としても隊内の問題に気付きながら解決策を取らず放置している、と愚考しておりますが、違いますか?」
「ふーん? 207Bに対して白銀としては解決策があるというの?」
「演習に合格させて、任官させるだけなら簡単ですよ?」
「白銀っ!!」
武の解決策というのが予測できたのか、まりもが静止の言葉をかける。が構わない。
「一番簡単なのは、榊を分隊長から外して、御剣か鎧衣を分隊長に置くことです。なにげに対人間の距離の取り方が上手いあの二人ですから、どちらであれ今の榊と彩峰みたいな問題は引き起こさないかと」
半ば以上その場の思い付きだが、これはこれで良さそうだ。
訓練兵としては千鶴の指揮能力は高い。そして将来的にはさらに伸びることは間違いない。だが冥夜や美琴に指揮官適正が無いわけではなく、一般の帝国陸軍程度であれば無理なく分隊長をこなせるはずだ。
「もっと言えば榊を除隊させるのが早いんでしょうが、まあ現職総理の娘を国連軍が除隊させるのは外聞が悪すぎますから、士官学校への特別推薦とかで誤魔化してしまえば、できなくはない」
「却下よ、白銀」
「A-01に、いや総理を第四に囲い込めないからですか? 榊総理なら娘の進退なんて気になさらないでしょう?」
それは他の面子にしても同じだ。対外的には人質だと見られるかもしれないが、親たちにはそういう考えはなさそうに感じる。そして彼女たちの扱いがどうであれ、第四計画への立場をそんな程度で彼らが変えることもないはずだ。
「まさかとは思うけど、白銀? あの娘たちを守りたいからって、遠まわしに飼殺しを勧めてるんじゃあ無いでしょうね?」
「逆ですよ。A-01の戦力増強としてはあいつらは優秀、それどころか必須でしょう」
大人しく飼殺されてくれるなら気が楽ですが、と笑いながら武は言う。
彼女たちに死んで欲しくないという思いはある。だが、後方に匿って適当な仕事を押し付けられるのが彼女たちにとっての幸せだとは思えない。
「神宮寺軍曹殿、教官として今のアイツらの評価はどうなんですか?」
「基本的にそれぞれの長所が突出しすぎのきらいはあるが、苦手分野であれ皆一定以上の水準は超えている。個々人のバラつきはあれ、全員今すぐ戦術機訓練に入っても問題はない。そしておそらくはそのまま任官させても、並以上の働きはこなす、と見ている」
つまるところ、衛士として任官させるつもりがあるなら、演習への合格はさせられる、ということだ。
武の先の言葉通り、問題だらけの背景を持つ訓練兵を夕呼からどう扱うかが指示されていない、そのために立ち止まっているだけだ。
「で、まりも? 演習を前倒しに、そうね……今月末に実施した場合でも、アイツらは合格できるの?」
「っ!? 今月末って、一週間無いじゃないのっ!?」
「で? できるの? できないの?」
「……できるわ、あの子たちなら三日もあれば、演習に合格できるようになる」
無理ではないが、さすがに無茶な日程を提示されて、まりもの口調が崩れた。
207Bの問題はあくまで分隊員内部のメンタルなもので、逆にそうだからこそ時間を掛ければ解決するというものではない。必要な物は小さな切っ掛けだけだ。
「どーするんですか夕呼先生~トップが判断迷ってるのに、下が突っ走れるわけないじゃないですか」
武はわざとらしく、煽るように夕呼の判断を仰ぐ。
「煩いわね白銀。正直、任官自体をギリギリまで引き延ばして時間稼ぎのつもりが無かったとは言わないわ。手札としては使うタイミングも難しすぎるしね」
207Bは強力な「人質」でもあったが、逆から見れば帝国中枢からの第四への大きな「貸し」だ。
「でもね、このOSが完成したら使い道がある。まずは訓練兵用の新規プログラムのための実証試験、その上で成績が良ければ『お披露目』に出すわ」
「ああ……A-01は表向きには使えませんからね」
白陵基地副司令にして技術大佐相当官とはいえ、夕呼が本当の意味で好きに使える戦術機部隊はA-01だけだ。
そして非公式の特殊任務部隊としての立場から、その構成員すべてが非公開な部隊など、どれほど能力的には問題なくとも新OSの発表になどは使えない。
「彼女たちはA-01の代わりの見世物ですか、香月副司令?」
まりもとしても潜在能力の高さは教官として理解している。それでも、いまだ衛士訓練を受けていない者たちに過剰にも見える期待をかける夕呼の思惑を訝しんでしまう。
「はいはい睨まない。使い勝手の悪い207Bの連中だけど、磨り潰すつもりはないわ。だからまずは『見世物』にするのよ」
能力的には最前線送りこそが良いんでしょうけど、とまでは呟くに止める。
武の記憶にある桜花作戦の概略を知った夕呼は、彼女たちの衛士としての今後の能力には疑問を抱いていない。ただ、今の時点では実働部隊としては配属させられないことも確かだった。
「神宮寺軍曹殿、OSの開発には軍曹殿の協力も必要です。その上で問題点があれば、修正していきますし、バグも残すつもりもありません」
まりもが気にかけているのは、安全性だ。どれほど性能が良くとも、信頼性の無い新兵器など使いたくもないというのは武にもよく判る。
新OSなどと言われれば、普通に想像するのはバグ塗れの挙動不審な物だろう。現状のOSには、武の説明を聞いた今となっては不満がある。だが、それは戦術機が使われはじめて以来、幾多の手を経て問題点が潰されたものだ。
「なに、まりも? アタシが作るモノが信頼できないっていうの? バグなんて残すはずないじゃない。それどころか、今まで隠れてたバグまで潰してやるわよ」
さらりとエンジニアやプログラマが聞けば泣きそうなことを言ってのける。OS開発など専門ではないはずだが、本気になれば夕呼ならやってしまいそうだ。
「それにアップデートなんてもんじゃない、ほぼ新規の操作体系よ? 訓練兵の最初から使わせたほうが効率いいでしょ?」
「了解しました、香月副司令。来月にはアイツらを戦術機教導課程に進めてご覧にいれます。あとは……」
そこまで言われれば、まりもとしても受け入れざるを得ない。
残る問題は、武の立場だ。
「先程の機動を見るに、現役衛士と言われても納得できるのだが……任官はしていないということだな、白銀?」
「はい、いいえ。自分はいまだ任官しておりません」
この世界において武自身の記憶にはないが、白銀武の立場は「衛士訓練校において教練中の事故により療養中」のはずだ。
「ねぇ、白銀? ホントに訓練兵でいいの?」
非常に珍しいことに、夕呼が確認するかのように、重ねて問いかける。
先のシミュレータでのOSの説明だけでなく、衛士に限らず兵士などは夕呼の専門外だとはいえ、訓練兵になって学ぶことなど無さそうに見えるのだ。強化装備越しの武の身体も、確かに筋肉が落ちているとは思えるものの、配属先での日常訓練の範疇で取り戻せる程度に見える。
「いえ、ここ数年の知識が欠け落ちているのと、筋力の衰えは酷いですよ」
「常識に欠けている自覚があるなら、それでいいわ。と、本人がこの調子だから、まりもよろしく」
療養中の二年間の記憶の欠損と言い訳は出来るだろうが、以前の世界との差異がどれほどあるのか、今の武には把握できない。日本がいまだ侵略されていないことには喜べるものの、個人的な立場としては知識の差異から思わぬ摩擦を生み出しそうで、注意するに越したことはない。
「じゃあ立場的にはそうね……とりあえず今週は訓練兵に復帰、207Bの演習が終わってからは教官補佐、臨時軍曹ってとこでどう、白銀? 任官後に関しては、またその時の話ね」
「自分としては問題ありませんが、神宮寺軍曹殿はいかがでしょうか?」
「戦術機に関しては、先のシミュレータでの動きを見る限り、白銀が補佐に入ることは教官としては歓迎いたします。ただ白銀本人の言う通り、任官直前での事故、そこからの長期療養後ということであれば、体力面と座学には不安が残ります」
そこは手加減せずに扱いてみせる、とまりもは教官としての顔つきで宣言する。
「ちなみに白銀には演習はパスさせて。一度受かってるのを二度もすることはないでしょ?」
「それは、そうですが……以前の成績などに関して一度目を通してから判断させていただきたいと思います」
「ダメよ、時間がもったいないわ。白銀には他の連中が演習に行ってる間にもOSのバグ出しと動作取りさせる」
まりもも先程、出来る限り早くあのOSが欲しいといった一人だ。夕呼にその件を出されると、訓練兵としての一演習と新OS開発との軽重は比較するまでもない。
「了解しました、香月副司令」
せめてもの教官としての最後の反抗心から、嫌がられると判っていても律儀に応える。
「じゃそういうことで。白銀、部屋の方は……そうね。レポート終わるまでは、さっきの部屋使いなさい。パスとか必要な物は朝までには用意させておくわ」
というわけでさっさとレポート仕上げなさい、と武だけが管制室を追い出された。
よーやく一日目終了~初日にXM3の話押し込んだらヘンに長くなってしまいました……
次回か次々回でデグさん再登場の予定です。