あなたはこの花に込められた想いを知っていますか?   作:トマトルテ
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2話:アイリスの花

 僕は娘を愛することができない。

 

 降りしきる雨の中、亡き妻の墓前で絶望に満ちた言葉を吐き出す男がいた。

 男は父子家庭の大黒柱だ。妻の忘れ形見である5歳の娘と共に暮らしている。

 だというのに、男は自分の娘を愛していると感じることが出来なかった。

 

 何故か? その理由は娘の出生にある。

 娘、アイリスは妻の命と引き換えに生まれたのだ。

 こうした言い方では語弊があるかもしれないが、男の実感ではそういうものだった。

 

 男の妻は大病を患っていた。

 子供を産むことすらできないかもしれないと医者に言われることもあった。

 それでも妻は子どもを望んだ。自らの命と引き換えにすることもいとわずに。

 

 無論、男は妻の意見に反対した。

 男は妻が居ればそれでよかった。長く寄り添うことはできない。

 それを知っていても妻と寄り添うことを望んだほどである。

 今でも妻という存在を、全てと引き換えにしてもいいほどに愛している。

 

 その愛故に男は娘を生むことを反対した。

 だが、妻は譲らなかった。こんな自分でも子が産めるのだと証明したいと。

 そして何より、愛した男のために価値あるものを残したいと。

 

 何度も繰り返された話し合いの末に折れたのは男だった。

 男は妻を本当に、本当に、愛していた。

 彼女のいない世界などいらないと言い切るほどに。

 

 だから、そんな大切な女性から頼まれたことを断れるはずが無かった。

 涙が枯れ果てる程に泣き、彼女の願いを聞き届けた。

 そして、妻は娘を生むと同時に夫と娘を残してこの世を去ったのである。

 

 残された男は妻の願いを叶えるべく娘と共に生活を始めた。

 妻がその命の全てを使い果たしてまで産んだ娘。

 愛することはあれど、憎むことなどできるはずがない。

 

 そう、男は思っていた。

 だが、男の妻に対する愛は強く……重たかった。

 

 妻の死により生きる希望を完全に失ってしまう程に。

 どこまでも愛おしく、守るべき対象である(アイリス)が。

 

 ―――妻を殺したと恨んでしまう程に。

 

 勿論、その考えが愚かなことは頭で理解している。

 しかし、頭では理解できていても心では理解できない。

 

 娘の顔を見るたびに、何か得体のしれないものが心の中でのたうち回るのだ。

 

 それが憎しみなのか、それとも妻の面影を見たことでの悲しみなのか。

 それは分からない。ただ、一つだけ分かっていることはあった。

 

 ―――自分は娘を愛していないのだと。

 

「すまない……こんなことは君とアイリスへの裏切りなのに」

 

 男だって娘を愛したい。

 普通の親子らしく心からの笑顔で娘を抱きしめたい。

 だというのに、この心はそれを許さない。

 

 妻が何よりも大切だったから、それを奪った存在を赦せない。

 こんな恨みは何の意味もなく、その妻が望んでいないことなのは明らかなのに。

 娘を抱きしめてやることが出来ない。

 

「やっぱり、君が死んだあの時に僕も死ぬべきだったかもしれない。そうすればアイリスだって愛情のある家で育ててもらえたはずだ」

 

 そもそも男は、結婚した時に妻が死んだならば後を追おうと決めていたのだ。

 勿論、それは彼女には伝えたことはなかったが、今となっては実行しなかったことを悔やんでしまう。

 

 仮にあそこで死んでいれば、アイリスはどちらかの祖父母によって愛情深く育てられたはずだ。こんな、泣くことすらできなくなった最低な父親の下で生きることもなかった。

 今からでも死ぬべきだろうかと、雨のせいか陰鬱な考えが頭をよぎる。

 

 ―――私が居なくても、あなたは大丈夫。

 

 だが、それはできない。

 死ぬ間際に、心の底から信じる瞳で妻にそう言われたのだ。

 結局、何が大丈夫なのかは聞けずじまいだった。

 しかし、娘と共に生きてくれということだろうと男は解釈していた。

 

 だから死ぬことはできない。妻の願いを踏みにじらないために。

 

「……帰るよ。そろそろアイリスを幼稚園に迎えに行かないと」

 

 男は立ち上がり、意識を切り替えるように頭を振る。

 こんな顔で娘と会うわけにはいかない。

 親に愛されていないと知ったらどんなに苦しむことか想像に難くないのだから。

 

 何より、子どもというものは鋭い。

 時折、ジッと父の顔を見つめてくるのは、男が娘を愛していないのを理解しているかもしれない。

 

「なんて最低の父親なんだろな……僕は」

 

 思考の泥沼にはまっているようだ。

 もがけばもがくほどに嫌な方向へと沈んでいく。

 それもこれも、数日に渡り降り続いている雨のせいだろう。

 そう八つ当たり的に空を見上げ、男は顔を歪める。

 

 雨も絶望もまだ止みそうにない。

 

 

 

 

 

「せんせい、さよならー!」

「また明日ね、アイリスちゃん」

 

 元気いっぱいに、保育士に手を振る娘と共に家路につく男。

 雨はまだ降っており、二人は傘を差してゆっくりと歩いている。

 アイリスは何かいいことがあったのか、ご機嫌な様子で花柄の傘をクルクルと回している。

 

 男はそんな可愛らしい娘の手を握ろうと、手を差し出すが、途中で止めてしまう。

 

 怖かったのだ。

 この手が娘の首を絞め殺してしまうのではないのかと。

 そんな狂気じみた不安が頭をよぎったのである。

 

「おとーさん、おとーさん!」

「…! なんだい、アイリス?」

「きょう、せんせいからいいこときいたのー!」

 

 子どもらしい脈絡のない会話に、先程の狂気が気取られたのかと焦る男。

 しかし、どうにもそうではないらしく、アイリスはニコニコと笑っている。

 どこまでも、妻によく似た顔で。

 

「そっか、それで何を聞いたんだい?」

「えーとね。このまえ、おとーさんにアイリスのなまえのゆらい? をきいたよね」

「うん、そうだったね」

 

 言われて男は思い出す。

 以前アイリスから、自分の名前の由来を教えてくれと頼まれていたのだ。

 おそらくは幼稚園で発表でもするのだろうと考え、男は隠すことなく伝えた。

 

 アイリスという名前は妻が好きだった花の名前だ。

 それが理由で、妻が死ぬ間際に娘の名前として残したのだ。

 勿論、死ぬ間際というのはボカして、妻がつけてくれたものだとしか教えていないが。

 

「それで、それがどうしたのかな?」

「はっぴょーしたら、みんなにほめてもらえた!」

「よかったね……本当に」

 

 自分の名前が褒められたことに、はしゃぐ娘に男も頬を緩める。

 妻が名付けた名前なのだ。素晴らしい名前であることに疑いなどない。

 そんな、娘のことを考えているようで妻のことしか考えていない男の様子に気づくことなく、アイリスは話を続けていく。

 

「それでね、それでね! せんせいが、はな…はなこと…?」

「花言葉かな?」

「そう、それ! それをおしえてくれたの。アイリスのなまえはおハナさんのなまえだから」

 

 コロコロと表情を変えて話すアイリスを見つめながら、男は妻との記憶を思い出す。

 

 

 付き合う前、妻の病室に行くたびにアイリスの花が活けられていた。

 だから男は深くは考えずに、その花が好きなのだろうと彼女にアイリスを贈った。

 すると、妻は目をぱちくりとさせてから花言葉を知っているかと聞いてきた。

 

『いや、知らないよ。君が好きそうだから贈ったんだ』

『そっか…ふふふ……』

 

 何がおかしいのか、今度はクスクスと笑いだす妻に男は動揺した。

 

『ひょっとしておかしい花言葉なのかい、それは?』

『いえ、そうじゃありませんよ。この花言葉の1つは―――恋のメッセージなんです』

『こ、恋のメッセージ!?』

 

 既に妻に心を囚われていたとはいえ、まだ初心だった男は顔を真っ赤にしていた。

 

『あなたが私に告白してくれたかと思って驚いちゃいましたよ、ふふふ』

『う…いや…その……ごめん』

『いえ、私は嬉しかったですよ? あなたのことは……好きですし?』

 

 そう言って、いたずらっぽく笑う若き日の妻に、男は覚悟を決めた。

 花束を返してもらい、もう一度アイリスの花を彼女に差し出してはっきりと告げる。

 

『好きです、僕と付き合ってください』

 

 それが、男が妻に初めて思いを告げた日の思い出である。

 

 

 そんな懐かしい日の記憶に浸っていた所から、現実に引き戻したのは娘のむくれた声だった。

 

「おとーさん、ちゃんときいてる~?」

「っ! あ、ああ、ごめんよ。それで花言葉だったね。確かメッセージだったかな?」

 

 少し怒ったような娘の顔があまりにも在りし日の妻に似ていたために、若干驚きながらも謝る。

 そして、答えを告げるのだが、何故かアイリスは不思議そうな顔をする。

 

「ちがうよ! べつのことばだったよ」

「うーん……そうか、花言葉だから他にも意味があるのか。じゃあ、アイリスは先生になんて聞いたのかな?」

「うん! せんせいがいってたのはね、えーと、えーと……」

 

 一生懸命に何かを伝えようとしてくれる娘。

 そんな姿を見つめながら、男は小さな引っ掛かりを覚える。

 妻が娘の名前をつけた。これだけは譲れないとばかりに男の意見すら聞かなかった。

 

 あの時は何も思わなかったが、今になって思うと妻らしくなかった。

 普段はあそこまで強くは主張しない。

 だというのに、強引にまで娘の名前を決めた。

 

 それは、何かを伝えたかったからではないか?

 これから先、男が娘と生きていくことは確定していたのだ。

 だから妻は、後に残る自分に何かメッセージを残そうとしたのではないか。

 

 その気づいたと同時に(アイリス)の元気な声が心に響き渡る。

 

 

 

「おもいだした! アイリスはね―――希望(キボー)なんだって!」

 

 

 

 アイリスの花言葉は、「メッセージ」そして「希望」。

 

 娘の名前、花言葉、そして妻が是が非でも娘を産もうとした理由。

 全てが繋がる。そう、妻が夫に残そうとしたものは―――希望()

 

「そうか…そうか…。君がそうまでして残したのは…全部…僕のために……」

 

 妻は当の昔から気づいていたのだろう。

 男は自分が死ねば、共に死んでしまうということに。

 だから彼女は考えた。短い時間しか生きられない中で、愛する人が自分の死後も生きていけるように希望を残そうとした。

 

 それが(アイリス)だった。

 

 絶望の淵からいつか男が立ち上がることを信じて残したメッセージ。

 それが今ようやく男の下に届いたのである。

 

「……おとーさん、どこかいたいの?」

「え…?」

「だって、おとーさん―――ないてるよ?」

 

 娘に指摘されて頬を触ると、そこには冷たい雨ではなく温かな涙が流れていた。

 妻が死んでから一度も流すことが無かった涙だった。

 最後に泣いたのは悲しかったから、だが、今流す涙は―――

 

「大丈夫だよ、父さんは―――嬉しくて泣いているんだ」

 

 嬉し涙だ。妻の想いをやっと理解できたことに対する嬉しさ。

 そして、何より―――希望()が傍に居てくれるという愛おしさ。

 妻は娘に殺されたのではない。自分の代わりに男の傍にいる役目を任せただけなのだ。

 

 自分と寄り添うよりもずっと長く、それこそ男が死ぬまで支えとなり、希望となってくれる、そんな贈り物(家族)を残していったのだ。

 

「アイリス、少しこっちに来なさい」

「? なーに、おとーさん?」

 

 可愛らしく首を傾げて近づいてきた娘を男は、父は抱きしめる。

 

「わぷ! ……おとーさん、ほんとうにだいじょぶ? なんだかへんだよ」

「ああ……大丈夫、大丈夫だよ、僕は(・・)…ッ」

 

 初めて愛おしいと、愛していると実感できた娘の体温を感じながら男は呟く。

 それは娘に対して言っているように見えて、その実、遠くに居る誰かに言っているようにも見えた。

 

 まるで時間が止まったかのように娘を抱きしめていたが、それも娘の声によって打ち破られる。

 

「あ! おとーさん、あめがやんだよ!」

 

 アイリスの声に吊られて空を見てみるが、雨は止んでいた。

 男の心の中にあった絶望が止んでいたのと同じように。

 

「本当だね。もう傘はいらないかな」

「ええー、まだ、かさつかってたいー」

 

 雨が止んだことには喜んだくせに、お気に入りの傘が使えなくなるのは嫌なのかアイリスは頬を膨らませる。

 そんな愛おしい娘の姿に自然に頬を緩め、男は空を指差す。

 

「いつまでも傘を差していると勿体ないよ。ちょっと傘をどけて空を見てごらん」

「え、なに? なに? うわぁ! ―――ニジだぁ!!」

「うん。……綺麗な虹だ」

 

 雨が止んだことで空にかかる見事な虹を二人で眺める。

 

 ギリシャ神話にはイリスという虹に関係する女神が存在する。

 

 この女神は神々のいる天上と地上を行き来する使者を命ぜられた。

 彼女はかけ橋として虹を与えられ、同時に神の酒三滴を頭にふりかけられた。

 その時酒のしずくが地上に落ち、一輪の花を咲かせたと伝わる。その花の名を―――

 

 

 ―――アイリスという。

 

 

「てんごくにいる、おかーさんにもみえてるかな?」

「ああ、見えているよ……きっと」

 

 しばらく立ち止まって仲良く眺めていたが、娘のお腹が大きく鳴り、帰宅の合図となる。

 

「おとーさん、おなかすいたー」

「そうだね、じゃあ帰ろうか。……今日はアイリスの好きなハンバーグにしようかな」

「やたー! おとーさん、ふとっぱら!」

 

 そう言って娘は男に手を差し出す。男が先程恐れて握れなかった手を。

 しかし、男は今度はその愛しい(・・・)手を恐れることなく握り返す。

 そして、妻のいる天国に続く虹に見守られながら―――

 

 ―――父娘は仲良く並んで家まで歩き出すのだった。

 




アイリスちゃんは父親が自分を愛してないけど、必死に自分を愛そうとしてくれていることは分かっていたのでお父さんが好きです。
二回とも死別しているんで次回は普通の恋愛にしたいです。


アイリス
『希望』『信じる心』『メッセージ(恋のメッセージ)』『吉報』『良き便り』『知恵』


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