「時よ凍れ、私は美しい。」
女神は一言そう呟いた。そう、世界に宣言した。
同時に世界が凍った。いや、それは錯覚であったのかも知れない。
だが間違いなくブリテンの海一面が完全に凍りついた。
「道は出来たっ!! 後は
アレキサンダーの掛け声とともに多くのローマ兵が沈んだ、凍った海の上をローマ兵たちが駆け抜けていく。
凍った海は海面に接していた戦車と兵士たちも繋ぎ止めていた。
海上における形勢は此処に逆転した。
動きを封じられて無様に哀れに無慈悲に蹂躙される仲間達を救うべく、ブーディカとブリテンの戦士達は氷の上へと走った。
氷に封じられた戦車の中には自分の足も海ごと凍らされて逃げられない者もいた。
「俺達は死ぬまで矢を射続けるから、お前達は俺達に構わず敵を斃せ。」
助けようとする仲間から口々に同じ意味の言葉を聞くが、後の世に円卓の騎士を生むことになるブリテンの戦士達の辞書に、
仲間を見捨てるという言葉は探しても見つかる筈も無い。
故に――――――――――――――――――――――、
彼らは亡ぶことになった。
アレキサンダーとそれに追随した兵士たちは戦車に残るブリテン兵に構わず氷の上を駆け抜けた。
丁度最後の一人が氷から土に変わる境界の地を踏みしめた瞬間だった。
「さようなら。」
女神の言葉と同時に凍れる海が割れた。
女神が差し向けた自身が囮とも知らぬローマ兵たちと共に海上のブリテン兵の多くが流氷の漂う海に投げ出された。
ただ、流氷と言っても水深10mの所に浮かぶ高さ1mの流氷では無く、
水底にまで到達する深さの流氷と僅かに残る海水という割合だった。
容赦なく挟まれた者達を押し潰し凍えさせる氷の海。
そこはたとえでも何でも無く地獄であった。
女神を悪鬼たちの王だと看過した勝利の女王は、味方を救うべく無数の戦車を展開させながら、
自身も一頭の装甲馬を召喚し、輝きを放つ剣を持って女神に切りかかる。
女神はそれを弄ぶように躱し、いなし、防ぎ、微笑を湛えながら時折その手に作ったブーディカの持つ剣を氷で再現したもので切り付けた。
そこで一度距離を取って仕切り直そうとしたブーディカに、女神は聖杯を持って、悪意を以って召喚した。
召喚されたのは、プラスダクス王の娘でありつい最近ローマによって凌辱されて死んだ者2人。
つまり、――――――――――――――――――――――――ブーディカの愛娘たちであった。
「犯されて侵されて殺された無様で哀れな彼女達の怨念と、女性が仔を孕む概念を重ね合わせればこういう事もできるのですよ?」
娘たちは今も尚、犯されていた、侵されていた、孕まされていた、産まされていた。
際限なく娘たちの胎から生成され続ける悍ましい魔獣たち。
しかし女神に調律された悍ましくも極めて優秀な魔獣たちは、見た目だけは極めて美しく整えられ、
その語るも恐ろしい本性をその姿からは一見して認識できなかった。
きっと人はその魔獣の容を、『天使』と呼ぶのだろう。
美しい容姿と声を持って、自身より小さい少女たちの体を突き破って産まれた天使たちは、
再生する母体より産まれ続ける兄弟達と共に、ブリテン兵たちを襲う。
武器も何も持たないが、その肉体が、その知能が、その魔力が、あらゆる生まれ持っているものが人間を超越する天使たちは、
武器が無くとも人間を蹂躙するのは容易かったのであった。
「…るさ…い。」
「何でしょうか、嗚咽交じりで聞き取りにくいのでもう一度はっきり言ってくれますか?」
女神のワザとらしい挑発染みた、そして天然の発言に、
そして死して尚、再度その身を、その魂を汚される娘たちにブーディカの怒りは怒髪天を衝いていた。
「アンタだけは絶対に赦さないっっ!!」
握りしめる力が強すぎて、指の隙間から血が漏れ出して赤く染まった剣をブーディカは振り上げた。
同時に、これまでにない極光がその刀身を包んだ。
「貴女の娘たちをもう一度殺せますか? また死ぬなんてかわいそうではないですか?」
女神は天使たちに引きずらせて文字通り仔を産む機械となった彼女の娘たちを正面に連れてきた。
そして嘲笑う。女王を、そしてその娘たちを。
「うちの娘たちを、舐めるなぁぁぁっっ!!!!!」
女王は迷いなくその剣を振り下ろした。
光の中に消えていく娘たち。その表情は強い、笑顔だった。
一瞬だが、果てしなく強い光が収まった中、
女神はやはりそこにいて、聖杯を弄んでいた。
「さて、娘を殺した恐いお母さんに立ち向かえそうな英霊を探してみましょうか。
いえ、娘を殺したその勇気に敬意を払って私自ら戦ってあげてもいいでしょう。
光栄に思ってください。娘殺しのブーディカ。」
執拗に『娘』『殺し』を連呼する女神にブーディカは脳髄が沸騰する様な怒りを抱いていた。
むしろその怒りはその手に収まらずこぼれ出していたと言っても良い。
彼女の『復讐の怨霊』としての面が表れ始めていた。
その時だった。
女神以外のものがブーディカを嘲笑った。
「母たるもの、例え娘に殺されるその時でさえ、娘に恥じぬ母で在るべきだというのに、
全く持って無様の極みと言えばよいのかしら。」
それはネロに殺された時でさえ、ネロの差し向けた暗殺者にネロを産んだこの胎を刺し抜けと啖呵を切った女傑、
ユリア・アグリッピナであった。
それは何処までも嘲笑に過ぎなかった。
しかし、それでも確かにブーディカは怨霊である自分から娘たちの母である自分を取り戻した。
「…誰か解からないけど礼を言うよ。」
「勘違いしないで欲しいモノね、この身はそなたの敵よ?」
軽蔑したように、しかし少しだけ満足したようにアグリッピナは呟くとその背を向けた。
そこからブーディカの猛反撃が始まった。
幾多の戦車を女神に差し向けて、時に盾とし、時に囮とし、
時に本命の攻撃として、時に剣を振るう足場として、
それはまさしく輝ける黄金の様に、誇り高い二人の娘の母の様に、
絶対の勝利を娘たちへの制約として、自身の膂力で身体中から血を吹き出しながらも休む事無く攻め続けた。
彼女に感化された兵士たちも死ぬと分かってその嵐の中に溶け込んだ。
女王の盾として、女王の剣として彼らは想いと力を託し散っていった。
戦いの最中、勝利の女王は輝きを増していった。
それは彼女の魂の輝きであり、彼女の家族の輝きであり、此処で散っていった同胞たちの輝きであった。
それを一瞬の刹那に圧縮し、最後の攻勢を開始した。
「
自身の中に刻まれた基本情報を自身の本来の最大存在力を超える光で塗りつぶし、
世界に閲覧できなくする形で、その情報を偽装した。
即ち、それは『約束された勝利』
その輝きは凄まじく一瞬の閃光は空間全てを包み、自身の存在を燃料として、
戦車と呼ぶのも烏滸がましい何か、きっと勝利そのものである概念に乗って彼女は世界を駆け抜けた。
光の消えた後には全滅したローマの船団、傷の癒えたブリテンの戦士、
息絶え絶えとなり、天に召されんと身体が光に崩れていく勝利の女王。
そして、膝をつき口元を押さえた女神があった。
実質的なダメージはそうない。そこは神霊である。だが、女神に大地に膝を付けさせたという事実が、
女神自身には理解も説明もできない何かを感じさせていた。
「ヒ、ヒトの分際で、この女神に…!!」
「赦さないのはこっちのほうさ。
あんたは確かに強かった。だがそれだけだ。
あたしが勝つことは遂に無かったが、勝利はブリテンのものだ。」
―――勝利の女王の手の中には聖杯が握られていた。
錨
碇
怒り
命狩