凍れる女神   作:蕎麦饂飩

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第二十六話 『ちょうえつ』

『天』に弓引く狩人の信徒を笑顔と慈愛を以って眺める月の女神に、進化と調律の女神は僅かな微笑を浮かべて言った。

 

「アルテミス、彼女が善戦出来たら褒美でもあげて下さい。」

 

「ええ、星座にしてあげてもいいと思ってるわ。」

 

 

その神々のやり取りに人間達はドン引きである。

やっぱり神々には人間がかかわるべきではない。触らぬ様に畏れる位で丁度良い、と。

 

因みに、この両女神は共にアタランテに対する感情は悪いものではない。

故に、『褒美を下賜する』『星座に昇らせる』という神々の愛が籠った言葉が出てくるのだ。

 

 

 

「ええ、ではいいでしょう。美しき狩人アタランテ。精々貴女の飼い主に良い所を御見せなさい。

貴女の価値とその信仰の対象に免じてこの私自ら相手をする名誉を授けましょう。」

 

女神はそう言うや否や、何時の間にか左手の中に精製した氷のグラスの中に入った透明な液体でワインを転がすような仕草を行った。

それに合わせて何やら水の様な物が女神と狩人の周囲を周ったかと思うと、

そこには8mの高さにも及ぶ何処までも透明な闘技場の壁が出来ていた。

 

「…多少、障害物がある方がやりやすいでしょう。」

 

女神がそう言葉を紡ぎグラスの中の液体を地面に撒くと、氷で造られた木々が闘技場の中に発生した。

 

「まだ、足りないでしょうね。私の勝利が確定しているとしても、アタランテは仮にも月の女神の寵愛を受けし者。

無様を曝させるのは酷と言うものです。さて、アルテミス、気に食わない国を荒らさせた猪でも貸してあげれば良いのでは?

私はそれでも何の問題もありませんよ。あからさまな手加減では貴女に勝った気がしないと言うものです。」

 

その言葉を受けて月の女神が可愛らしい信徒(愛玩具)へどうするか視線を送るが、

麗しの狩人は信仰の対象が望む人間らしい意地を魅せてくれた。

 

「我が女神よ、手助けは無用。人の身こそが斃さなくてはならない邪悪が前にある故に。」

 

お気に入りが発するその可愛らしい言葉を受けて月の女神は満足そうに微笑んだ。

 

 

 

 

しかし、その主従の関係に冷やかな水を差す者がいた。

 

「それで、善戦を見せる所まで行けるのでしたら構いませんが、単純な貴女だけでしたら、

難しいのでしょう。ここは、私でなくとも代理で私が構成を造り直した娘を―――――――」

 

 

「ほう、逃げるのか。

神ともあろうものが高々人間から逃げるというのか。」

 

それは狩人が得意とする挑発だった。ある種の追い込みの美学であった。

それは自信であった。それは指針だった。それは人間の尊厳だった。

 

「神の力を借りぬ人間が単独で善戦できるというのですね?」

 

「…善戦? 呆けたことを言う。此処で貴様を斃すのだ。このアタランテが。

此処ではない何処かで貴様が貶めた人間の尊厳を取り戻すために。」

 

 

ああ、フランスの記憶があるのでしょうか。

これは奇な事です。

 

女神は内心でその奇跡を称賛する。

如何なるシステムを使ったのか、如何なるプログラムを使ったのか。

女神はそれが気になった。

 

決してそこにはシステムでは無い想いや希望と言った計算できない物は想定の中にはない。

女神はそのように創られた存在では無い故に想定すらできないのだから。

 

 

「ところで善戦(・・)の定義はどうしますかアルテミス。

褒美は貴女が彼女を星座にする事。私のデメリットは無い故に、貴女に定義選定の権利を与えます。」

 

しかし、女神には例えどのような奇跡があってもアタランテに斃される事はあり得ない。

アルテミスとのゲームに負ける事はあっても、ゲームの中の存在に命を絶たれることは想像すらできないのだ。

 

それは月の女神にとっても同じであり、信徒の頑張りは見たいが、所詮努力賞が限界だと知っていた。

だが、それでは折角狩人が可愛らしい所を見せている水を差すようで良くないと感じていた。

 

「我が信徒が私に勝利を齎す事しか考えていなかったわ。」

 

故に、リップサービスで勝てぬ戦いに信徒を狂わせる。

その言葉に信徒の戦意が高揚する事を理解して。

 

「では、こちらで設定しましょう。

…3分。3分生き延びる事が出来たら彼女を善戦したと認めましょう。

アルテミス、貴女があまりにも彼女に支援しないという事でしたら、この勝負貴女の敗北をカウントしなくても良いですよ。」

 

それは女神にとっては侮辱でも何でも無かったが、

人間が分を超えた立場でものを言って良いのなら、それは舐めているという状態だった。

 

 

「馬鹿にするなっ!!」

 

アタランテは弓矢を放った。それが3分間の始まりだった。

 

 

女神は前方を指差した。

その指先に僅かな雪華が形作られる。

その氷の結晶がピンポイントに矢を受け止めた。

 

「残り2分55秒」

 

女神は淡々と刻数を告げる。

同時に地面から氷の鬣を持った1m程度の狼が次々と湧き出てくる。

 

アタランテは飛び掛かるそれらの一体から身を捻り躱し、その無理な姿勢から蹴りを放つと共に、浮き上がった個体に矢を放ち絶命させた。

それ以外の個体からも避け続けながら、矢を放ち次々と処理していく。

 

「残り2分25秒。」

 

女神は更に氷の翼を持った白鷺の様な鶴の様な鷲を狼の時と同じだけの数を発生させた。

上空からの立体的な攻撃に対処する必要に駆られるアタランテだが、凍えそうなステージで尚玉のような汗を浮かべながらも、

飛び掛かる狼を足蹴にして、その反動で飛び上がり、回転を加え頭上に蹴りを行う事で鷲の一匹を撃破しながら、

更に地上の狼を矢で射抜いていた。

 

「残り2分」

 

その宣刻と共に、地面を泳ぐ氷の鱗を持った蛇鮫が闘技場(遊技場)に現れた。

 

 

 

地下、地上、上空全てが敵に回り、如何に神代の狩人と言えど苦戦とさえ呼べない状況に追い込まれる。

 

「うわ~あの子、よくやるわー。まあ、俺ならあそこまでなら逃げるだけなら何とか持つけど。

…本来の身体ならな。」

 

月の女神に抱かれるオリオンも『無義なる遊戯(神の試練)』に耐えるアタランテに同情を見せる。

それ以外の人間には余りにも一方的な苛めにしか見えていなかった。

 

 

鮫の鱗や歯に体を削られ、鷲の爪に片目の上を大きく抉られ、狼の牙に腕を刺し抜かれて尚、

狩人は戦意を失っていなかった。勝利を諦めていなかった。

 

狩人は『月光を浴びし白銀の林檎』を齧る。

それは『日光を浴びし黄金の林檎』と対になる果実。

『黄金の林檎』と共に不老長寿と権力と不和と束縛の象徴である。

 

それはその通りに使えばその通りになるものだ。

ただ、違う使い道もある。逆位置として引き伸ばされて与えられる永遠を濃縮して刹那に燃やすこと。

そうやって使う事もできる。

使ったが最期延命とは程遠い結果(かじつ)を得ることになるが。

 

一瞬、狩人の傷口から血が一斉に噴き出すと、その傷口が見る見るうちに再生し、

全身から本来の代謝をはるかに超える熱量が発生する。

 

一齧りでそうなったところを、更に越えんと、その果実の半分を野性的に貪り尽くした。

 

 

「人の身にはオーバードーズでしょうね。果たして時間が持つでしょうか?

残り――1分30秒」

 

女神の宣刻が終わった時、狩人は目を閉じた。

それを好機と見たか一斉に喰いかかる獣たち。

 

しかし、瞬く間に上下前後に撃ち抜かれた矢により同時に8体が消滅した。

 

直後、狩人の姿を獣たちは見失った。

一匹の狼は前から横をすり抜けて後ろに流れる風の音を聞いた。

反応して振り向いたと同時に、その額には矢が刺さっていた。

狼は死ぬ瞬間、遅れて聞こえる矢の音を認識した。

 

狼の死体を盾に他の狼の動揺を誘おうとしたが、鷲や鮫には効果が無い事に気が付いた狩人は瞬時にその盾を蹴り飛ばし、

鮫にぶつけ、未だその盾の向こうにいるだろうと認識する獣たちが、盾の後ろに何の姿も無い事を認識する前に、

上空に跳躍した。

 

そして得物7体を対象に同時に矢を放ち一時の間も無く射抜いた。

 

「『翼』ちゃん? あの子には私の獣が教育を施したのよ。

まず何よりも先に急所を抉り 死体を盾に動揺を誘い 最大効率で死を与え続けるように、ね。

ねえ、聞いてるかしら?」

 

「ええ。―――残り1分」

 

月の女神の嬉々溢れる言葉に、修正の女神は冷たく簡潔に答えた。

 

女神は此処で新たに動き出す氷の彫刻を創り出した。

その彫刻はフランスでアタランテを攻撃するために自爆させられた子供達に似ていた。

魔術的に再現された音をアタランテの脳内に知った子供の声として女神は再現させた。

 

「「リンゴヲアゲルリンゴヲアゲルオネエチャンノダイスキナリンゴヲアゲルリンゴヲアゲルリンゴヲアゲルオネエチャンノダイスキナリンゴヲアゲルリンゴヲアゲルリンゴヲアゲルオネエチャンノダイスキナリンゴヲアゲル

リンゴヲアゲル――――――――」」

 

その早口で紡がれる録音されたような声に目を見開いて硬直したアタランテに子供たちはすり寄ってくる。

子供たちは狩人に近づきながら手に持った氷のリンゴを齧るとその頭部をリンゴの様に膨張させて破裂した。

 

爆発する凍風に腕を凍りつかされるアタランテ。

しかし、その腕を自ら噛み砕くと、噛み砕いた根元から蒸気を吹き出しながら肉体が再生した。

 

 

僅かに残った足元から再生し続ける子供達。

バラバラになった破片からも同じように子供たちが数を増やして再生した。

 

アタランテはその子供たちのリンゴだけを撃ち抜いて砕いた。

同時に子供達は雪へと還っていった。

 

アタランテは僅かに涙を滲ませたが、燃え盛る体温はその涙すら蒸発させた。

そして子を慈しむ乙女は狩人へと戻る。

 

その隙をついて襲い掛かる獣たち。狩人は弓で殴りつけながらいつの間にか上空に向けて射ち放っていた大量の矢で、

更に多くの獣たちを屠っていた。

 

しかし、その時、狩人の身体に変調が訪れた。

急に眼を見開いた狩人の姿勢が崩れ、全身の毛穴から血が滲んだ。

 

その好機を逃さず獣たちは襲い掛かる。

弓は氷狼の牙に折られて砕け、腹は鮫に食い千切られて内臓が露出し、首には鷲の嘴が刺さり血が噴き出した。

その凄惨な様子にマシュやオルガマリーはその目を逸らした。

そして逆にダビデは服が裂けた瞬間には寧ろ視線を強めていた。

 

「残り10秒」

 

 

そして女神は何処までも冷たい宣告をする。

 

 

 

 

 

 

 

しかし狩人は諦めない。僅かに残った林檎を芯ごとそのむき出しになった自身の肉体に押し込んだ。

傷口は蒸気と共に完全に回復し、けれども、その目と口からは血が滝の様に流れている。

まさしく、命を流しながら戦う様だった。

 

狩人は使い物にならなくなった弓を棄て、矢を掴むと女神に駆け出した。

 

女神は、そんな狩人に差し伸べる様に左手を向けた。

同時に女神を避ける様にその背後から透き通る液体が洪水のように流れ、狩人を呑み込んだ。

 

洪水が通り過ぎた後、そこには氷像となった狩人の姿だけがあった。

 

 

 

女神はその様子を見ると手に持ったグラスを地面に落として砕いた。

それに合わせるかのように氷の樹木群も闘技場を作っていた壁も硝子の様に砕けて割れた。

 

「残り0秒。」

 

女神はそう言いながら対戦相手(アルテミス)の方を見た。

 

「この勝負――――」

 

「そうね『翼』ちゃん、貴女の負けね。」

 

溢れ出る熱量で自信を覆う氷を溶かし、再び女神に狩人は突進し―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――――――――――そして、倒れた。

 

 

「…確かに、3分間を超えて活動が出来ていました。

また、貴女に負ける事になりましたか。」

 

「ねえ、悔しい? 悔しい? 今、どんな気持ち?

この場合って~、あなたの負けをカウントしていいの~?

確か、「この勝負貴女の敗北をカウントしなくても良いですよ。(キリッ)」って言ってたじゃな――――

…冗談よ~、もう。『翼』ちゃんイライラしないでよ恐いから。ちゃんと真面目にすればいいんでしょ~?

――人間を甘く見過ぎたのがあなたの敗因ね。勝ちたければ真正面から向き合って直接確実な死を齎す事。

そうしなかったのが今回の落ち度よ。

 

――――では、契約に従い我が信徒アタランテよ、汝を星の座に掲げましょう。」

 

 

 

戦い抜いた麗しき乙女はその身体を光と変えて、『狩人座』として空に輝いた。

神に挑んで栄光を示した戦士の星座として。

 

天の狩人(オリオン)座』として先輩であるオリオンは、その待遇にアルテミスが受けた感銘を知ると共に、

後輩(・・)の健闘を心の中で称賛した。




超越
寵悦

誤字報告感謝いたします。
射手座はケイローンでした。
オリオン座の原型はアッシリアの天の狩人座なので勘違いでした。
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