東方蝶跳躍   作:のいんつぇーんSZZ

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F5.ともだちできるじょい

 夢を見ていた。

 昔の、わたしが今の世界に生まれるよりも前の夢。

 今みたいに一人じゃなくて、誰かと笑い合っていた頃の夢。

 手を伸ばす。もしかしたらまだ届くんじゃないかと、ぐぐぐ、なんて手を伸ばす。

 そして、その伸ばした手が誰かにぎゅっと握られたかのように、温もりを灯した。

 一瞬、夢に届いたのではないかと錯覚した。でもすぐに違うことに気がついてしまう。

 夢とは曖昧だからこその夢だから。だからその確かな温もりは、きっと、わたしを幸せな夢からさますための現実からの垂れ糸。

 見ていた夢に後ろ髪を引かれるような感覚を覚えながら、わたしの意識が、その手の温もりに引き上げられていく。

 

「――ん、む……」

 

 ざぁざぁ、と。どこか心地のいい雑音が耳を打つ。

 頬を打つ冷たい水滴、飛沫を撒き散らす滝の音。覚えのある感覚にまどろみかけつつも、わたしはゆったりと瞼を開けた。

 初めに見えたのは、赤い空。西に沈んだ太陽が寂しげに染めた紅色のキャンパスだ。

 次にそんな空の景色を遮るようにわたしの視界に入ってきたのは一人の少女である。心配そうに瞳を揺らす、口が悪くて怖がりだけど、根は仲間思いな女の子。

 彼女は薄く目を開けたわたしと視線が合うと、その頬をわずかに綻ばせた。

 

「気がついたな。どう? 体調は問題ない?」

「……にとりちゃん?」

「ったく、いきなりぶっ倒れやがって。あの後二人も抱えて泥まみれで帰ったこっちの身にもなれよな。まぁ……お前がいなかったら、そもそもこうして生きて帰れてないんだけどさ」

 

 そっぽを向き、照れくさそうに頬をかく。それが素直に礼を言えない不器用さゆえの仕草だということは、ともに一つの苦難を乗り越えたわたしはとっくに理解していた。

 

「ん、む……」

 

 体を起こそうとする。でも、うまく動かなかった。

 単に体力が回復していないだとか、疲労が溜まっているだとか、そういうわけじゃないことはすぐにわかる。

 わたしが《(クタイ)》と呼んでいる力を酷使した副作用だ。

 わたしはまだ生まれて数か月の弱小妖怪に過ぎない。加えて体調の優れない状態で、体に多大なる負荷のかかる《泥》の力を解放した。

 そもそも最後、泥の妖怪をこの力で消す寸前、その時すでにわたしの肉体は限界に達していたのだ。そこからさらに無理をして《泥》の力を行使することで、泥の妖怪をこの世界から消し去った。

 細胞や遺伝子のような、わたしそのものを構成する要素が根こそぎ削り取られている。そんな感覚がある。

 回復できないわけではない。ただ、時間が必要だ。いわば今のわたしは体内がめちゃくちゃに、ずたずたに引き裂かれている状態である。わたしは妖怪ゆえに回復速度は人間と比べればずば抜けているが、それでも数日程度は横になっておとなしくしていなければ元に戻れそうにもなかった。

 

「あんまり無理するなよ。もう危険は去ってるんだし、ゆっくり休んでればいい」

「……うん。にとりちゃん。あの子は? わたしのために、花を取りに行ってくれた……」

「あぁ、あいつなら――」

「あ、もう起きてる!」

 

 噂をすれば。わたしの前にいたにとりちゃんを押しのけて、見覚えのある河童の少女が勢いよくわたしの顔を覗き込んできた。

 

「よかったぁ。もう目覚めないんじゃないかって……」

 

 ぽろぽろと。二つの眼からこぼれ落ちた雫がわたしの頬を濡らす。

 

「にとりちゃんから聞いたよ。私のために無理してにとりちゃんと一緒に助けに来てくれたんだよね? それにその元凶も倒してくれたとか……にとりちゃんのことと言い私のことと言い、ほんとにありがとね。感謝してもし切れないよ」

「ううん、気にしないで。わたしが勝手にしたことだから。それより、あなたはどこも悪いとこないの? 泥の妖怪にさらわれたんだし……」

「私なんて全然平気だよ! うぅーん、やっぱりいい子だなぁ……ねーにとりちゃん。やっぱりいいでしょ? こんな優しい子を拒絶するなんて私にはできないよー」

 

 なにやら許可をもらうかのように、河童の少女がにとりちゃんを上目遣いに見る。

 なんのことだろう。わたしも一緒に、にとりちゃんをぼうっと見上げた。

 

「……拒絶もなにも、別に私は嫌だとか一言も言ってないだろ」

「じゃあいいの?」

「いいか悪いかで言えば、まぁその、なんだ。悪くはないというか……」

「なにそれ。こういう時くらい照れてないではっきりしてよー」

「て、照れてなんかないってば!」

 

 頬を少し朱に染めて否定する。本当になんのことだろう。一層わたしの首が斜めに傾いた。

 今度は無言で、じーっと責めるような河童の少女の視線。にとりちゃんはしばらくそっぽを向いて相手にしていなかったが、わたしの疑問に満ちた瞳と河童の少女の詰問するがごとき目線に、数秒もすれば耐え切れなくなったようだ。

 にとりちゃんは、はぁ、としかたがなさそうに肩をすくめ、それからこほんと咳払いをした。

 そうしてぶっきらぼうに、わたしとは視線を合わせないで、そわそわと視線を彷徨わせながらそれを口にする。

 

「……しろも。お前、私たち河童の盟友にならないか?」

「盟友……? うーんと、それってどういう……」

「あー、えっと……盟友ってのは、その、つまり……」

 

 言葉を濁し、ひたすらに右往左往する視線、頬をかく仕草。煮え切らないにとりちゃんの態度に、隣の河童の少女の目線がじとーっと再び責めるようになってきたところで、にとりちゃんは迷いを振り切るかのようにがしがしと頭をかいた。

 

「つ、つまり、私たち河童と友達になろうってことだよ!」

「……友達?」

「そう、友達! ほら、あの時はこいつが捕まったって知らせが来たせいで聞き切れてなかったけど、お前、友達が欲しかったんだろ? お前は川を流れてた私だけじゃなくて、その命をかけてまで私たちのために手を貸してくれた。そんな大恩を忘れて繋がりを結ぶことを拒むだなんて河童の名がすたる。だから、なんだ。お前がいいって言うんなら、その、私たちと……私と、友達になってほしい」

 

 すっ、と。少しだけ控えめに、わたしの前に手が差し出される。

 目をぱちぱちとさせて、まじまじと見つめる。にとりちゃんはあいかわらず、そっぽを向いたまま照れくさそうにしていた。

 

「……わたしで、いいの? わたし、にとりちゃんの前でにとりちゃんたちを見捨てるみたいな、ひどいこと言ったのに……」

「うちらを助けるためだろ。感謝こそすれ恨みなんてしないって」

「あの泥の妖怪を消した、わたしのあのおぞましい力も、にとりちゃんは見たはずだよ。怖くないの? 生まれたばっかりの弱小妖怪のはずなのに、あんな得体の知れない力を隠してたりして……」

「あの後すぐぶっ倒れたやつがなに言ってんだ。あの力、相当体に負担がかかるんだろ? 今のお前を見てりゃそんくらいわかる。そんなきついものをうちらを守るために使ってくれたんだ。それで文句なんてあるわけがないじゃん」

「でも……」

「あぁ、もう!」

 

 にとりちゃんとしては、わたしは即座に目を輝かせて手を取ってくるとでも想像していたのだろう。それに反し、盟友の話を持ちかける直前のにとりちゃんのように煮え切らないわたしの態度にしびれを切らしたかのごとく、にとりちゃんの方からわたしの手をがしっと握りしめた。

 

「もうお前がなにを言おうが知るか! お前は私たち河童の盟友だ! もう撤回なんてできないぞっ、残念だったな!」

「……あはは、強引だね。にとりちゃんらしくないよ」

「今日会ったばっかなのにらしいもなにもないだろ。つーかそういうしろもだって、そうやってしおらしくしてるの全然似合ってないからな」

「似合ってない……?」

「今日初めて会った時みたいに、もっとアホ面で馴れ馴れしく元気に接してこいってこと。私の隣にいるこいつみたいにさ」

「む、それって私のこと?」

 

 にとりちゃんの言い草に、河童の少女が聞き捨てならないとばかりに突っかかる。そうして小さく言い合いを始める二人を眺めながら、わたしはにとりちゃんの言葉を頭の中で反芻した。

 しおらしいのは似合わない。もっと元気に、わたしらしく。

 正直に言えば、自分らしいというのがどういうものなのか、わたしにはよくわからなかった。

 なにせ今の世界に生まれ落ちてから、これまで誰とも親しい関係を築けなかった。わたしをわたしらしいと評してくれる相手がいなかった。

 誰とも話せない。誰とも笑えない。一人というものは、わたしが想像していたよりもはるかにきついもので。

 でも今、わたしの前にいるにとりちゃんと河童の少女は、それが当たり前かのようにいろんな表情を浮かべている。にこにことした笑顔だったり、ぷんぷんとした怒り顔だったり。

 そんな彼女たちが言ったのだ。今のわたしはわたしらしくないと。元気さこそがわたしのいいところなのだと。

 それならきっと、そうなのだ。わたしにはわからなくても、彼女たちがそう言ってくれるなら、きっとそうなのだ。

 だからわたしは、ぱんっ! と思い切り自分の頬を叩いた。未だ夢を名残惜しく思っていた自分を否定する。もしかしたら怖がられて拒絶されるんじゃないかと怯えていたわたしを否定する。

 そうして、急に自分の頬をはたいたわたしを驚いたように固まって見つめる二人へと、わたしは精一杯の笑顔を浮かべてみせた。

 

「えへへー。そっか、そうだよね! わたしたち友達になったんだもんね! これが嬉しくなかったらなにが嬉しいんだってなるもんね!」

「お、おう」

「むー、にとりちゃんの方からもっと元気そうにした方がいいって言ったのに、なんでそんな微妙な反応なの?」

「いやだって、さっきまで落ち込んでたのに変わり身早すぎだろ……まぁいいや。こっちの方が私もやりやすい」

 

 にとりちゃんが頬を綻ばせる。わたしも口元を緩める。河童の少女もつられて笑っていた。

 ふと、わたしの近くを誰かが通り過ぎる気配がしたものだから、周りを見回してみる。そうして目を瞬かせた。横になって空や二人しか見ていなかったから気づけなかったが、今更ながら、この場にはこの二人以外の河童もたくさんいるようだった。

 

「あぁ、言ってなかったっけな。この辺は私らの住処なんだよ。別に水の中に住んでるわけじゃないけど」

「そうなの? でも最初にとりちゃんに連れてきてもらった時はわたしたち以外誰もいなかったよね?」

「あん時は他にいろいろやることあったからな。私も本当はそっちに行くはずだったんだけど、しろもを放っておくわけにもいかなかったし。隣のこいつは知らん」

「私はにとりちゃんが心配だったから残っただけだよー。心配するまでもなかったみたいだけどね」

 

 そうなんだ、と再度辺りを見渡す。たくさんの河童たち。時折物珍しそうにこちらを見てくることはあれど、わたしがここにいることを嫌がるような素振りはなかった。わたしがにとりちゃんの隣にいる河童の少女のために死力を尽くしたことを、盟友として認められたことをすでに知って、了承しているのだろう。

 自分がいるということを否定されない。受け入れられている。それがまたわたしにとってはどうにもたまらなく心地のいい感覚で、むふふと笑みが浮かんだ。

 夕焼け空はすでに日が沈み、純粋な夜へ移り変わろうとしていた。未だ薄い、けれど確かな姿を見せ始めた月に、なんとなく手を伸ばしたりしてみる。

 

「わたしたち、もう友達なんだよね」

「そうだねー」

「……まぁ」

「あはは、今更照れくさそうにしないでもいいのに」

 

 軽く答えた河童の少女と、しぶしぶと言った様子で小さく口を開いたにとりちゃん。わたしは再びくすくすと笑った。

 

「それでね、そのー……不躾ながら二つほどお願いがあるのですがー……」

「あん? お願い? ふーん、なに? 盟友の初めての頼みだ。できる限りこたえてやるよ」

「あ、ありがと。それで内容なんだけどね、えっと……」

 

 ちょっと恥ずかしくて口ごもっていると、ぐぅー、と。どうやら先に待ちきれなくなってしまったらしいお腹さまの方が、早くご飯を寄越せとねだってきた。

 縮こまるわたしと、顔を見合わせるにとりちゃんと河童の少女。一泊置いて、河童の二人はくすくすと合わせるようにして忍び笑いをした。

 

「そうだったそうだった、ずっとお預けしてたっけな。確かこいつが寝てる間に取ってきてたろ? どこにあったっけ」

「ここだよー。はい、じゃーんっ。小さなお花畑ー。私たちのためにいっぱいいっぱい頑張ってくれたしろもちゃんへのご褒美と感謝の気持ちだよー」

「お、おぉお……!」

 

 小さなお花畑。そんな表現がまさしく当てはまるほどたくさんのお花が詰め込まれた竹かごを差し出されて、わたしの目がきらきらと輝いた。

 

「わ、わたし、こんないっぱいのお花見たことない! いつも枯れかけた花とか花粉とか酸っぱくすらない木の実ばっかで……い、いいのっ? ほんとにこれわたしが全部食べちゃっていいのっ!?」

「お、おう。うちらそんなもん食べらんないしいくらでも食っていいけど……お前」

「ぐすん、しろもちゃんこれまで大変だったんだね……よしよし、今日はちゃんとしたものが食べられるからね、元気出してー。あ、もう元気だったね」

 

 竹かごの中から一輪の花を摘んで、すんすんと鼻を動かす。

 あぁー、甘い……甘いにおいがするぅ。とろけちゃうー。えへ、えへへ、うぇへへー。

 その時のわたしは気づいていなかったが、においを嗅いだだけでさぞや幸せそうな表情をするわたしに、にとりちゃんと河童の少女は若干引いていた。

 このまま丸ごと花を食べてしまうこともできる。だけどそれじゃもったいなさすぎる。

 ぺろり、とまずは花弁を舐めてみた。うぇへぁ。

 

「ひぇぁあー、おいしーぃー……あぅー、しあわせぇー……」

「……え、こいつ大丈夫か? この花変な成分とか入ってなかったよな?」

「は、入ってないと思うけど……そんなに美味しいのかな。すっごい幸せそう……うぅ、私も一口くらい食べてみたりとか……」

「やめとけ! 絶対やめとけ! 今のしろも見る限りろくなことにならないぞ絶対!」

 

 夢中でゆっくりゆったり味わいながら食事を楽しむわたしを、二人の河童はひどく微妙な表情で眺め続けていたそうな。

 ちなみに二つお願いがあると言った割に一つしか言ってなかったことに気づいたのは、まともな食事という幸せな時間を過ごし終えた次の日だったようである。


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