東方蝶跳躍   作:のいんつぇーんSZZ

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近々話数が少ない今のうちに全話一人称方式に修正するかもしれません。


V4.かいだんのぼるとらいんぐ

 幽々子が住むという屋敷に向かう途中、わたしと幽々子の間に会話はあまりなかった。

 けれどその沈黙は、幽々子と会う頻度を減らそうなどと考えていた時のように気まずいものでは決してない。いつも通りの静かながら居心地のいい空気。侘しさをたたえる冬の景色の中を、その風情と繋いだ手の温もりを感じながら、散歩でもするかのように上機嫌に足を進めていく。

 幽々子の屋敷とやらは人里から少し離れたところにあるようで、人里に入るようなことはなかった。それでも笠をかぶった人間とすれ違うことは何度かあり、そのたびにわたしはどうしてか反射的に幽々子の後ろに隠れたりしてしまっていて、幽々子から「大丈夫、大丈夫」とあやすように頭を撫でられたりした。

 その撫でられた頭に、繋いでいる方とは逆の手を乗せてみて。それを目線のすぐ前にまで持ってきて、なんとなく、思う。

 お姉ちゃんがいるのってこんな感覚なのかな。

 妖怪はほとんどが皆、孤独で生まれる。親がいる妖怪もいるにはいるが、それは獣から妖怪になる妖獣に多い例であり、通常の妖怪が人の業を用いて産まれることはほぼないと言っていい。基本的にはわたしが『発生』したように、なにもないところからひとりでに生まれ落ちる。

 そもそもとして妖怪に親なんてものは必要ないのだ。妖怪は、生まれた時から存在が完成している。人を超える力、知恵、あるいは特性。赤ん坊として生まれるわけではないゆえに、他の誰かの助けを必要とすることはない。

 それはわたしにとってもそうだ。必要はない。必ずいないといけないわけではない。

 だけどわたしは、自分を思ってくれる心の温もりを知っていた。

 だから、欲しかった。必要がなくとも、ただただ欲しかった。解けることのない誰かとの確かな結びつきを。なにがあろうと決して違えることのない、たった一つの繋がりが。

 

「……わたし、幽々子みたいに優しいお姉ちゃんが欲しかったなぁ」

 

 ぽつりと呟くと、幽々子が照れくさそうに頬に手を当てた。

 

「嬉しいこと言ってくれるわねぇ。私も、しろもちゃんみたいにかわいい妹がいたら、毎日がもっと楽しく過ごせてたんじゃないかと思うわ」

「もっと楽しくって、今の生活に不満があるの?」

「そういうわけじゃないけどね。私、子どもの頃は能力のせいであんまり同い年くらいの子と遊んだりとかできなかったのよ」

「え。ゆ、幽々子の能力ってそんな危険なものなの?」

「ああ、違う違う。危険ってわけじゃなくて、力の性質のせいで価値観や考え方が違ってきちゃうというか……ごめんなさい。こんなこと言ってもわからないわよね。私の能力がなんなのかも伝えてないのに」

「や、しかたないよ。誰にでも話したくないことはあるって、初めて会った時幽々子も言ってたでしょ? それとおんなじ」

 

 言いながら、わたしは幽々子の言葉を振り返っていた。

 力の性質のせいで価値観や考え方が違ってくる。それは人の身でありながら人ならざる能力を保有する人間にはありがちな話だ。

 幼い頃より、なまじ他者とは隔絶した力を持つがゆえに、形成される自意識の根本に能力の有無が組み込まれる。他人よりはるかに早く成熟してしまったり、思考回路がまったく違ってしまったり、他人と話が合わないことが多々あると聞いたことがある。

 そしてその当人はそれが自覚できず、自覚できたとしても修正することはできない。当然だ。根本から違う価値観をどう修正しろというのだろう。

 できることと言えば、理解し合うことを放棄し、自分と他人は違う存在なのだと折り合いをつけて付き合っていくことだけだ。他人との関係に線引きをして、関わるにしてもあくまで理知的に。自分の価値観、考え方、感情で語ることはない。

 幽々子もそういう生活を送ってきたのだろうか。そっと、彼女の顔を覗き込んでみる。

 誰かを思い優しげに細まった眼。ほんの少しのいたずら心が秘められた口元の微笑み。わたしに向ける感情に虚偽はなく、語る言葉に嘘はない。

 わたしにはどうにも、彼女が他人に冷たく事務的に当たる姿なんてちょっと想像できなかった。

 少なくとも幽々子は今、わたしと冬空の下を歩いているこの瞬間を楽しく感じてくれている。それだけは確かなように思えた。

 わたしが幽々子をじっと見ていることに幽々子も気がついたらしく、再び彼女はわたしの頭に手を乗せる。ぽんぽん、と軽く撫でる。ふにゃり、とわたしの頬が気持ちよさに緩んだ。

 

「まぁ、しろもちゃんになら、もうそろそろ私の力のことを教えてもいいかなって思ってるんだけどね」

「え?」

「むしろ知ってほしいくらいかしら。もちろんそれで嫌われるのは嫌だけど、あんな他に誰も訪れない道端でずっと私のことを待ってくれていたあなたには、もっと私のことを知ってほしい。それから、あなた自身のことも」

「わたしのこと?」

「ええ。私はしろもちゃんのことももっと知りたい。しろもちゃんがどこに住んでいて、普段どんな生活をしてるのか。私と会う以前はどんな風に毎日を過ごしてたのか。そういう他愛のないことが知りたい」

「それは……」

 

 それを話すことはつまり、わたしが妖怪であることを明かすことと同義である。

 一瞬だけ言葉に詰まったわたしを、けれど幽々子は笑みを浮かべたまま、その頭を撫で続けた。

 

「大丈夫、無理に聞くつもりはないわ。しろもちゃんが自分のことをあんまり話したくないって思ってることなんて、ここ一か月近く付き合ってきてじゅうぶん理解してるつもりだもの」

「え、べ、別にそんなこてょ、ことはなぃ、ないよ?」

 

 噛みすぎだった。幽々子は苦笑しながら、わたしの頭から手を離す。

 

「これは単に私のわがままよ。私のことを知ってほしい、あなたのことをもっと知りたい。ただそれだけ。教えてくれてもくれなくても、私とあなたが友達だってことに変わりはない。でも少しだけ……少しだけでいいから、どうか考えておいてくれると嬉しいわ」

「……うん」

 

 幽々子に、自分が妖怪であることを明かす。それは言われるまでもなく、これまで何度も何度も考え続けて、そして絶対にできないと思い続けていたことだ。

 これはわたしだけの問題ではない。妖怪は人間の敵、絶対に相容れない。それが今の時代の常識だ。少しでも妖怪と繋がりがあると知られてしまえば、たとえその相手が人間であろうと、退治されることは――殺されることは避けられない。

 ゆえに明かしてはならない。誰にも。ばれてはならない。決して。わたしのためだけじゃなく、他ならぬ幽々子のために。

 

 ――そう、思っていたのだが――――。

 

「さ、そろそろよ。あの長い階段をのぼった先にあるのが私のお家」

 

 幽々子に誘われるがまま、並木道の階段に足をかけ、のぼっていく。雪が積もって若干すべりやすいとのことなので、一段ずつ注意して着実に進んでいった。

 雪に少し足が取られるせいか、段々と足が重くなっていく。

 こんな階段、飛んでいけばすぐなのに……。

 そんな風に思ってため息をはきかけたわたしの背中を、ぽん、となにが押す。

 幽々子の手だった。目をぱちぱちとさせるわたしに、幽々子は「もう少し」と。あと少しだけ、頑張って。こくりと頷いて、わたしは足を進め続けた。

 振り返れば、少し遠くまでの景色が見渡せる。わたしと幽々子は人里を通ってはこなかったが、ここからは遠くの方に里の様子を見下ろすことができた。忙しない、人間の営み。いつかあの里にも、この足が踏み入れる日が来るのだろうか。

 わたしを呼ぶ声がした。少し上の方で、階段の頂上で幽々子がわたしが来るのを待っている。

 わたしは景色を見下ろすことをやめて、少し足早に幽々子のあとを追った。

 

「このお屋敷が、幽々子の家……」

 

 門を通って塀を越える。そこには非常に広く大きなお屋敷と、これまたそれ以上に広大な庭園が広がっていた。

 とても整えられた、美しい庭だった。庭石の配置は絶妙で、庭木や花壇などの手入れに無駄はない。池はほどよい広さと透明さを保ち、何匹かの鯉が悠々とすいすい泳いでいる。池の奥には、今は枯れているにせよ数多くの桜の木が所狭しと並んでおり、春には絶景の桜が見られるだろうことは想像にかたくなかった。

 なによりも、そんな庭のさらに奥。他のどんな木の倍近く大きく力強く、妖しいほどに美しき気配を放つ桜木がある。

 

「すごい……なんていうか、すごい」

 

 すごいとしか言葉が出てこない自分の語彙の少なさに絶望してしまうくらい、それは美しい光景だった。

 

「こんなことなら春に来ればよかったかなぁ。それでそうしたら、もう感動して何分かはずっとぼーっとしてたかも」

「期待にかなったみたいでなによりだわ。ただ……あの一際大きい桜の木には、あんまり近づかないようにね」

「へ? なんで? あんなに太くて大きくて力強くて、どう見てもこのお庭の主役なのに……」

「それはそうなんだけど、ちょっとね。気になることがあるっていうか……木だけに?」

「……うん」

 

 ひゅー。

 ……冬の風は冷たい。

 

「……屋敷の中、入りましょうか」

「うん」

 

 何事もなかったように。というかなんにもなかったので、外を歩いてきて冷えた体を温めるためにも、二人はまず屋敷の中で暖を取ることにした。

 屋敷の入り口の前にまで来て、先に幽々子が「ただいまぁ」と入っていく。わたしもそれに続こうとして、しかし誰かが屋敷の裏、庭とは逆の方向からなにか音が聞こえた気がして、ふと足を止めた。

 すたすたと石床を歩く足音。誰かが近づいてきている。

 

「幽々子、帰ったでござるか。まったく、拙者が見ておらぬ間に勝手に抜け出しおって。何度も言うようだがな、いくらおぬしに人ならざる力があろうと妖かしものは――む?」

 

 現れたのは、背と腰にそれぞれ刀を佩いた――背にあるそれは長く、腰のそれは短い――、一人の青年だった。格好は紋付羽織袴。髪は汚れのない刀身のように綺麗な銀色をたたえ、瞳は穏やかな色に満ちてはいるが、奥底には刃物のごとき危険な鋭利さが垣間見える。

 青年はわたしの姿を認めると、ぴたりとその足を止めた。そうして徐々に、その目が険しく細まっていく。

 幽々子の名前を呼んでいた辺り、彼は幽々子と知り合いということだ。確か居候がいると言っていたが、彼がそうなのだろう。

 ちょっと怖かったが、挨拶は大事だとして、わたしは一歩踏み出した自分の胸の前に手を置いた。

 

「えっと、わたしは幽々子の知り合いで、仮縫しろもと」

「――おぬし、妖かしものだな」

「えっ?」

 

 かちゃり、と青年が背に携えた刀の柄に手を添える。

 

「無防備に幾度と外を出歩く幽々子に憑いてきたか。やはり妖かしとは油断ならぬものだ」

「な、なんで……」

「悪いが斬らせていただく。恨むならば(うぬ)を拙者と鉢合わせた天運を恨め」

「ちょっ、待――」

 

 弁明する暇もない。次に瞬きした時にはすでに青年はさきほどまで立っていた場所にはおらず、すぐ目の前で刀を振りかぶっていた。

 わたしの素の反応速度だけではまず間違いなくその段階で斬られてしまっていた。だけどわたしは触角の超感覚によって一足早く接近に気づくことができており、すでに真横に体を投げ出している。

 ひゅんっ、と背後から空気を切り裂く音がした。そして同時に、石床を大きく抉るような嫌な破砕音も。

 一瞬でも遅れていれば、間違いなく両断され、殺されていた。わたしの額を冷や汗が流れ落ちる。

 

「躱したか。しかし二度目はない」

「ひぅっ!?」

 

 かちゃり。まるで油断のない、暗く鋭く殺意に満ちた眼。思わずわたしの口から情けない悲鳴が漏れた。

 青年が再び刀を振りかぶる。さきほどは上段に構えてからの振り下ろしだったが、今度は腰だめに構えての横への一閃のようだった。

 わたしは一応妖怪として人間を超える身体能力を保有してはいるが、しょせん弱小妖怪でしかない。それ以前にそもそもこの青年は普通の人間どころかわたしよりも圧倒的に速く、そして戦闘慣れしているようだった。

 文字通り、二度目はないだろう。後ろに躱そうとしたって、さらに踏み込まれて斬られる。直前で上に飛んだって二の太刀で斬られる。わたしが青年よりも素の身体能力で劣る以上、逃げることはほぼ不可能。

 ならばどうするか。

 自身の能力を――わたしが『夢を見る程度の能力』と名付けた力を使うことも考えて、けれど、まだその時ではないと判断する。

 あれは本当に必要な場面でのみ、なにがなんでも果たさなければならない目的がある場合にのみ解放すると決めている力だ。

 まだ、今のわたしには完全に打つ手がないわけではなかった。

 素早く息を吸って、はく。一度、心を平静に戻す。

 この幽々子の知り合いらしき青年が何者なのかはわからない。わからないが、確かなことが一つだけある。

 この青年はわたしを殺そうとしている。つまり、わたしの敵。消すべきもの。この世界からなくすべきもの。これを排除しなければ、わたしに未来はない。

 わたしはこんなところで死ぬわけにはいかない。こんなところで終わるわけにはいかない。相手がなんであろうと、どこの誰であろうと、わたしの前に立ちふさがるのならば。わたしの邪魔をするのならば。

 

「……消す必要があるんなら」

 

 ずずず、と。触角と翅のカモフラージュを解き、翅の付け根から《(クタイ)》を全身へ広げていく。

 視界が明滅し、強烈な吐き気が胸を襲う。意識が肉体から無理矢理引き剥がされそうな形容のしがたい苦痛に耐えながら、翅に巡る混沌の力を絶え間なく体に送り続ける。

 そしてすぐに《泥》が現界に表出する。全身に浮き出る呪印、あるいは血管。禍々しく、おぞましく、穢れ切った力の具現。

 わたしの碧く無邪気に輝いていた瞳もまた、深淵を覗いたように濁り出す。

 

「消すだけ。跡形もなく」

「消えるのは、貴殿だ」




居候こと妖忌さんですが、原作では設定のみのキャラクターなので口調とかその他諸々趣味で決めました。

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