大学の大講義室のような構造で、ステージ上にプロジェクターから投影できる巨大なスクリーンがあり、それを囲うような円弧を描いて、座席が段々に組みあがっている。
既に対策会議室は薄暗く、スクリーン上で『殺人鬼』に関する説明が始まっていた。
矢車は、その座席の列の一番奥、つまり最上段に同僚を発見して隣に腰をかけた。
「よう不良警官。また職務中に酒引っ掛けて来たのかよ?」
「栄養ドリンクだよ、俺にとっちゃあな」
「ったく……かつては東大法学部を首席で卒業し陸上競技でも国体候補選手、さらには女にモテていつも異性に囲まれていた好青年、矢車幻護郎もここまで堕ちるかね。文武両道+イケメンとか三拍子揃った無敵チートなリア充野郎も、今では髪も髭もボッサボサで二十台半ばで既に四十台のオッサン臭さを纏ってるぜ。お前が吐いた息は全部加齢臭に変わる」
「イケメンなのは今でも変わってねえだろ」
「今のお前を見てイケメンなんて言う女子は社交辞令でもいねえよ空気不清浄機」
矢車としては言われ慣れた罵倒で、この同僚はそれを真正面から清々しくぶつけてくれる分、裏表がなくて接しやすい方だった。
矢車は欠伸を噛み殺しながらマイクから響く演説に注意を向ける。
『殺人鬼という存在が明確に定義されたのは約20年前。現在政府に登録されている72人の殺人鬼の内、58種は日本国内に潜伏している事が推測されます。さらには、CIAの調査報告によりますと、外国に潜伏する殺人鬼にはいずれも来日した経歴を持つ者が多い事が判明しています。なぜここまで日本に限って殺人鬼は多いのか』
隣の同僚は疑問に思ったのか矢車にボソリと話しかけてくる。
「あれ?『
「知らん。興味ない」
「お前は本当に腑抜けたよなぁ、あの一件以来」
「……黙れ」
『それに対する回答として、国際会議にて「日本国内には "殺人鬼を産んでいる殺人鬼" が存在する可能性について考査を進めるべきだ」という結論に達しました。我々警視庁は、この "殺人鬼を産む殺人鬼" を永らく欠番であった『殺神鬼』と断定し、調査を進める事が決定致しました』
対策会議室が一様にざわざわとし出した。
それもそものはず、72人の殺人鬼の中でも特に
中でも『殺神鬼』は、畏敬を込めた意味で宛がわれた空席の欠番で、この枠が埋まった時には未だ詳細不明な殺人鬼という存在の全貌が明らかになるだろうと噂されていた。
「マジか……!ついに来たのか『殺神鬼』!これはもう絶対に俺ら日本警察がひっ捕らえて昇進するぜ」
「……どうせアメ公様が国際的な圧力をかけてきたんだろ。クソ共が。テメェらの国の問題だからテメェで解決しろ、なんてほざいておきながら、ちゃっかり自分は殺人鬼の恩恵を得やがって」
「おいおい、それを公の場で口にすんなよ不良警官。とばっちりは御免だぜ」
実際、アメリカの諜報機関CIAには黒い噂がある。
七大悪魔を指す変形七芒星の一角、『殺人姫』を子飼いにして要人暗殺のエージェントにしているという噂だ。
国際会議の場ではいけしゃあしゃあと『日本の問題だから日本で解決して欲しい』と言っておきながら、水面下では誰よりも殺人鬼で甘い蜜を吸っている。
「それによ、別にアメ公に限らず俺ら日本警察だって子飼いにしてる殺人鬼はいるだろうが。お前が一番分かってんだろ?」
「……はぁ。この世に正義なんてねえなぁ」
「そんなの中学生の時に気付けよ人生モラトリアム君」
『我々警視庁も全力で捜査に当たるつもりである。故に、初動捜査の段階から「殺人妃」を使う。後で殺人妃担当官の矢車幻護郎君は別室で説明があるため、召集を願う』
「…………」
「呼ばれてんぞお前。良かったじゃん、まだクビにはならないな」
また使い走りかと呻きながら、矢車は机に突っ伏して会議が終わるまで居眠りに耽る事にした。
夢を見ている事を自覚した。
警視庁舎の一室。真っ白な部屋の中には、矢車と向かい合うように心理カウンセラーの男がいた。
その時の場面を思い返しているのだな、と自覚した。
それが半年前なのか一年前の事だったかは忘れてしまっていた。
「殺人鬼は特異な殺害方法を好み、ある種の異様な魅力を誇る故に便乗犯や模倣犯を生んでしまいます。かつて女殺人鬼を拘束した男性警官は彼女の殺人技術に惚れ込んでしまい、会ったその日に結婚を持ち掛けて彼女を家に匿いながら夫婦で三か月以上も殺し回ったという事件も報告されていまして。つまりは、殺人に魅了される事のない心理適性がなければ殺人鬼と長時間コミュニケーションを取る行為は危険です」
「……んで、どうして俺にはその心理適性があるってんだよ、
「貴方は昔、民間人を射殺した経歴があるそうですね」
「…………」
「矢車幻護郎。東大法学部を首席で卒業し陸上競技でも国体候補選手。キャリアコースの中でさえエリート中のエリート。しかし、パトロール中に偶然巻き込まれたコンビニ強盗にて、老婆を人質に取ろうとした強盗を誤って射殺。それをきっかけに貴方の人生の転落が始まる。出世コースから外れ、殺人警官としてテレビや新聞は貴方をこき下ろして警察へのクレームが蔓延。炎上に次ぐ炎上で貴方の名声は地に落ちた。貴方は窓際に追いやられ、クビはもう秒読みの段階に入っている。最近はパトロールと称してハローワークに通うのが日課だとも聞き及んでいます」
「……鳴島先生よぉ、人の過去をジメジメつついて楽しいか?俺がアンタの顔をぶん殴らないのは、ここにカメラがあって映像記録が取られてるからだ。部屋から一歩でも出たら、俺の拳が眉間に飛ぶぜ」
「その敵意ですよ。それこそが殺人鬼担当官に成り得る心理適性です」
「あぁ?」
「殺人鬼の魅了に抗う、殺人行為に対する強烈な忌避感情がなければ殺人鬼担当官は務まりません。貴方は過去の自分の過ちから、殺人行為を嫌悪している。あの事件さえなければ、あれさえなければ今頃俺は、と呪いのように怨嗟を抱いている。安心していい。貴方は殺人鬼と共にいても、絶対に殺人には手を染めない」
「…………」
「おめでとう、矢車幻護郎さん。貴方はクビを免れましたよ。今日から貴方は、国家公安委員会直属対殺人鬼専用『殺人妃』の担当官です」
「はぁ?俺も?」
ひょんなことから殺人妃ことサツキと知り合った平凡な男子高校生、
「仕方ありません。幻護郎が『死なない小僧も連れて来い』って言ってるんですから」
「……別に死なない訳じゃないんだけど。つーか、民間人の俺を呼びつけるとか職業意識はどうなってんだ矢車さん。しかも集合場所がマックって……」
「幻護郎に職業意識云々を言っても仕方ないですよ。不良警官ですから」
「よくクビにされないなあの人」
ぶつぶつ言いながらも、帰宅部の京一郎は放課後は暇人なのでそのまま連絡を受けたマクドナルドへ行く事になった。待ち合わせの店に辿り着き、適当にコーヒーだけを注文して二階に進む。一番奥の机の上に両足を乗っけてタバコをぷかぷか吸っているDQNがいた。周囲の客は絡まれるのは嫌なのか距離を取って離れた位置に座っているため、そのDQN男の周囲には誰もいない。
「なんだあのモラル0野郎。警察に通報しなきゃ」
「京一郎、冷静になって下さい。あいつが警察官です」
こちらに気付いたDQN警官改め矢車幻護郎は、手招きして向かいの座席に座らせた。
「で、俺まで連れて来るってどういう話っすか、矢車さん」
「久し振りだなぁ、ガキんちょ。今回はちょっと相手が手強くて、サツキ一人じゃあ厳しいかもしれなくてよ。ガキんちょの手も借りたいと思っただけだよ。ほれ、前払いの報酬だ」
そう言って矢車は机に上にあったフライドポテトを一本摘まんで、ぐりぐりと京一郎の唇に押し付けてきた。断ろうとしてもこの自己中警官は強引なのでこっちの話を聞こうとしないだろう。仕方なくパクリと口にしたが、当然ながら冷めているため美味しくない。
げんなりする京一郎の隣で、サツキは膨れっ面で矢車に噛みついた。
「私が負けるって言うつもりですか?……ふん、いいでしょう。目に物を見せてやります。で、誰なんですか次のターゲットは?」
「『殺人姫』」
「「……へ?」」
「サツキと同格の、七大悪魔を指す変形七芒星になぞらえられた殺人鬼の一角。『腹上死』を正しく習得した『殺人姫』だよ」
ちょうど京一郎とサツキがマックへ向けて足早に歩いていた頃。
二人が何気なく通り過ぎた公園の男子トイレの個室の中で、中学生の少年が絶命していた。
その腰の上に騎乗位で跨っている、所謂ギャル風の派手な恰好の少女こそ、『殺人姫』
日焼けサロンにでも通っているのか肌は小麦色で、ツインテールに結わった金髪の房をそこだけふるゆわパーマにかけている。煌びやかにデコレイトされた3cm以上もの付け爪はむしろ夕方の薄闇の中でキラキラに蛍光しているくらいであった。
「うーん、やっぱショタは可愛いけどヤるのは物足りないなぁ」
呟いて立ち上がると、彼女の股間からボトリと少年の千切れた性器が床に落ちた。
彼女自身も年齢は17であり、歳はそれほど違いがないはずだ。
けれど、『腹上死』を司る彼女の日常を鑑みればそれも納得する。ほぼ毎日のように男を引っ掛けて搾り殺す生粋のビッチである。
『腹上死』とは俗称に過ぎず、医学的な正式名称は『性交死』という。名前の通り、性行為中に死亡する事を指す。
主に女性ではなく男性が圧倒的に多く、射精時の心臓負荷が原因とされている。原理としては、老人が冬に入浴して心停止するあの原理に近い。とはいえ、実際には射精時に死ぬのではなく、行為後の数時間の間に眩暈が起きたように昏倒してそのまま心停止してしまうケースがほとんどだ。
だからこそ、射精時にそのまま心臓麻痺で相手を殺す『殺人姫』はサキュバスという異名で世界のVIP達には恐れられている。絶対にあの女のハニートラップだけには引っかかるな、と。
「……はぁ。そろそろ外でヤんのも寒い季節になってきたなぁ」
性行為用に股間にハートマークの穴を空けた改造ジーンズのジッパーを閉じ、男子トイレを彼女は後にする。
尻ポケットに入れたスマホがぶるぶると震え、LINEの通知ならスルーしようかと思ったがずっと鳴り続けていたため鬱陶しく思って画面を覗く。
電話の着信だった。表記される名前はアメリカ人のもの。
「もしもし、なに?」
『なに?じゃない。お前、また一人殺しただろ。児童誘拐の届け出が日本警察に立った今出された。時機に警視庁の「殺人妃」も動き出すぞ』
「しょうがないでしょ。発情したら止まんないの、私は。それに私とセックスして死ねるなら男としても本望でしょ」
『ふざけるな!我々CIAは隠密の諜報機関だ。騒がれて得な事など一つもない!』
「別にいいじゃん。どうせ今回のターゲットは殺人妃ちゃんに関係ある子なんでしょ?……なんだっけ?」
『七浄京一郎だ。名前を忘れるな馬鹿が』
「私を馬鹿と呼ぶな、テメェも犯すぞ」
『……ッッ』
「私の事を『頭が悪い子』って馬鹿にした奴は例外なくぶっ殺す。私を馬鹿っていうCIAの連中もいずれ全員
『……勝手にしろ。だが、忘れるなよ。体裁上は我々CIAは日本警察の味方なんだ。お前のフォローには限度がある。それを後から無能だなんだと騒がれても応える気はないからな』
「オナ禁して待ってなさい。いい土産話を持ってってあげるよん」
通話を切り、『殺人姫』神楽坂姫子はニヤニヤと笑った。
「……個人的にも殺人妃ちゃんには興味あるしね。殺人鬼の癖に殺人処女の『殺人妃』。その本質は殺人ではなく
ニヤニヤとにやける内にまたぶるるっと性欲の波に襲われたのか、姫子は帰路につくサラリーマンの男に声をかけていく。
肩出しブラウスの胸元を摘まんで下げ、胸を見せつけながら上目遣いでニヤニヤ話しかける。
「ねえ、お兄さん。私と
私はマクドナルドを「マック」と略す派なので、それ以外の略称はこの世に存在しないのが作中設定です!