後年……伝説が歴史へと変わった日々すらも過去になり数多の英雄たちがヴァルハラへと旅立った頃、ヤン・ウェンリーという数多くの二つ名を持つ英雄を評する一説にこんな物がある。
『戦場のみならず、空間あるいは時代と言うもの全体をまるで俯瞰として捉えているところがあった。それはまるで未来の歴史家が、現在について語るがごとき姿だったという』
「挑発……ですか? 同盟に対する?」
確かに同盟を挑発してるのに、”馬鹿で横暴な帝国貴族”ほど向いてる存在はいないだろうが……
「ああ」
首をかしげるバグダッシュに、ヤンは小さく頷いた。
「大尉、イゼルローン要塞が……いや、要塞を運営している帝国上層部が何を一番恐れると思う?」
「そりゃ普通に陥落でしょう」
だが、ヤンは首を横に振り、
「いや……”彼らが企図する現状”が上手く機能してる以上、その可能性は排除してるはずさ。私でもそうするよ」
「……どういう意味です?」
「後で説明する気はあったんだけど……とりあえず、”同盟が対イゼルローンのドクトリン変更”をしない限り、あの要塞は簡単に陥ちはしないよ。同盟はそういう風に思考誘導されてるし、その規定あるいは想定が崩れない限り間違いなくイゼルローン要塞は強い」
だから、
「ならその前提を崩せばいい。いいかい、大尉……イゼルローンが一番恐れるのは、”同盟から
「はあっ!? 何をどう考えたら……」
「どう考えてもそういう風にしかならないのさ。はっきり言えば、同盟が帝国への敵意を薄れさせ……いや、もっと簡単だな。例えば、フェザーン回廊方面重視に政策を変更し、イゼルローン要塞を基点とする敵艦隊の作戦行動範囲内から住人や資産の一切合財を避難させ、惑星を放棄したとしよう」
「はあ」
「その場合、イゼルローン要塞は一気に”無用の長物”にならないかい?」
「あっ!?」
バグダッシュの反応にヤンは満足したように、
「同盟艦隊が一切攻めてこない地に、要塞がたった一つポツンと取り残されるんだ。そんな物の為に帝国は毎年どれだけの予算を投入するんだい?」
「いや、しかし! 例えば、我々が放棄した惑星に帝国軍が侵攻する場合など……」
「エル・ファシルのような貴族の気まぐれじゃないんだ。侵攻、いや侵犯するだけじゃ意味が無い。本気で侵攻するなら土地は押さえておきたいだろうし、その地を永続的に支配しようとすれば少なからず港……艦隊拠点がいる。それを敵地でどう用意する?」
「それは……」
「イゼルローン要塞は完全な”
ヤンは一度言葉を区切ると、
「じゃあ同盟領内に新たな要塞を建造する? イゼルローンで懲りてる同盟が指をくわえている訳が無い。やろうとした瞬間から国家の威信をかけてなりふり構わない総攻撃……帝国がどれほどの戦力を投入しようと焼け石に水さ。いや、そもそもイゼルローンを最終補給基地にして出兵してくる以上、派兵上限はあるからね」
おかしそうに笑い、
「付け加えるなら、そもそもイゼルローンの建造にどのくらいの予算と年月がかかったんだい? 物価の上昇に敵地での妨害を受けながらの建造……はっきり言って、イゼルローン要塞のときと比べても、とても現実的じゃない数字になるだろうね。戦争継続どころか直接的に国家が破綻しかねない」
「……つまり?」
「イゼルローン要塞とその保有戦力、またそこを最終補給点に使う程度の規模の艦隊じゃ、同盟領土や艦隊に対する局所的な攻撃を仕掛け、一時的あるいは戦術的勝利は出来ても、領土を永続的に維持するような戦略的勝利は望めない……まずはそれが前提だね」
「バグダッシュ大尉、以上のことを踏まえれば、どうして私が軍事的にはデメリットしか思い浮かばない貴族の無謀を”
「無視されたら意味が無い。かといって軍事的に意味がある攻性の戦力展開も不可能……だから、”
ヤンが嬉しそうに頷くのを見て、バグダッシュは背筋に冷たいものが流れたのを確かに感じたという。
「あちこち省略してしまってるけど、大雑把にはそういうことさ」
そして冷め切ってしまった紅茶をまずそうに飲みながら、
「帝国は大枚の金をはたいて建造したイゼルローン要塞を十全に生かすために、それは同時に同盟に無駄な出血を強い続けるため……要塞の歴史的な意義が変わったように誤認させるために大きな意味の無い、あるいは大きな損失も成果もない出兵に奇怪な大義名分をつけ”計画的に”繰り返してるのさ」
ヤンは笑みの質を変える……笑いから、嗤いへと
「大尉、我々が戦っているのはそういう敵だよ?」
☆☆☆
「さてと」
ヤンは紅茶が無くなった紙コップをくしゃりと握りつぶし、
「時間も潰せたし、そろそろ頃合かな?」
そう呟きながら立ち上がった。
「ヤン大尉、ちょっとお持ちを!!」
だが、ヤン・ウェンリーという男は、引き際を間違えない男だ。
「
ヤンは再び笑みを柔らかいものに戻し、
「まさかとは思うけど、私との会話はきちんと録音してるよね?」
「ええ、そりゃまあ……」
言ってしまえば無許可の録音、一種の盗聴になるわけだがヤンは怒るどころか安心したように、
「君が仕事熱心な士官でよかったよ。その録音データを上司に渡すといい」
「えっ……?」
「上司に渡し、相談した上で私に情報提供するかを決めるといい。そちらの方が面倒が少なそうだ」
バグダッシュは気づいてしまった。
ヤン・ウェンリーは、最初から「自分
「さっきの続きは、資料提供にいい返事がもらえたら、レポートにでもして提出するよ。まあ、大学の駆け出しレポートとしては悪くない題材だしね」
と明日の天気を語るような気楽な言葉と共に去っていった。
☆☆☆
ヤンの背中が完全に見えなくなると、
「ハハッ……」
妙に乾いた笑い声を上げて、バグダッシュは投げ出すように両手両足の力を抜き机に突っ伏した。
(あれのどこが”新米大尉”だよ……冗談じゃない!! お前のような大尉が居てたまるかってーの!!)
あの男から放たれていたのは、相手を圧殺するような覇気なんかでは間違ってもない。
もっと絡みつくような……血の通った判断なぞ必要ないままに命を奪いつくすタイプの雰囲気……強いて言うなら”妖気”の類だ。
なお恐ろしいのは、あの男にはこれといった欲も無ければ悪意もなさそうだということだ。
「化物め……」
だが、バグダッシュは気づいていなかった。
自分の唇が僅かに歪み、それが微笑みの形を作っていることに……
ヤン、サービスタイムの終了を宣言するでござる(挨拶
ヤン:「続き知りたければ資料提供ヨロ♪」
どうやらこの男、本来あるはずの歴史を変える気満々みたいですよ?