茜のカーテンが窓をすり抜け、電気の消えた教室の机に黒い影を落としている。
遠くから吹奏楽部の管楽器の声が潮騒の様にぼんやりと響く。ランニングの掛け声が時折混ざり合い、空気を溶かしていった。
「……ねぇ?」
机に腰掛け、スカートに皺をつくる彼女は貴方へと問い掛ける。
目の前の女子生徒と他愛のない話をしていた貴方。端から見ても仲が良い事がわかるだろう。
髪は校則に違反しない程度に長く、身なりは整っていた。
顔つきは美人と可愛いの境目。開花の途中を覗いた時のような状態である。はっ、と息を飲むほどの美しさや可愛さは無い。クラスで上位に来る程度だ。
目の前の彼女は同じクラスの女子生徒。出席番号が近かったのか、あるいは席替えか、どちらにせよ彼女と貴方の席は隣だ。朝学校に来れば挨拶を交わし、どちらかが教科書を忘れれば見せ合う。その程度には仲が良い。
成績は適度に良く、貴方よりも少し良い。姉とも妹も違う正真正銘の友達。
時折、隣の席の彼女の長い髪から石鹸の様な良い香り。それがフワッと鼻を擽るのが貴方はとても印象的に残っている。
彼女が時折見せる女らしさは貴方の胸を高鳴らせる。長い髪を耳にかける仕草、楽しそうに笑う顔。貴方はきっと彼女を憎からず思っている事だろう。
「ねぇ、そろそろ行こうよ?」
貴方は課題か、あるいは何か用事かとにかく教室に居残っていた。それももう終わり。
彼女から声が掛かる。
「あのさ、図書館に行きたいんだけど?」
しかし、貴方はこの光景を心地よく思っている事だろう。
暗がりに差し込む夕日、青春の欠片が耳へと伝わってくる。そして目の前には気になる友人。
貴方は、まだここにいたいと伝える。
「えー? うーん?」
彼女は悩ましげに、首を傾げる。
残っても行っても構わない、そんな雰囲気である。恐らく次の一声で次の行動が決まる事だろう。きっと仲の良い彼女からどちらでも承諾してくれる。そんなのんびりとした態度。
まだ、夕日は落ちそうにない。
そして貴方は少し悩んだ末に、彼女の要求通り図書館へ行こう、と伝える。
それを聞き、彼女はパッと顔を綻ばせた。
「お、私の要求を飲む気になったかー」
そんな事を言いつつも机から降り、スカートを手早く直す彼女の姿を横目に、貴方は立ち上がった。
廊下に貴方達の声を響かせ、図書館へ。
他愛もない話をしつつも、貴方達は図書館へと辿り着く。
夕暮れの道を歩き、車通りを避けつつも本の海へ。
中に入ると、冷房の風が出迎えてくれる。まだ春だというのに暑苦しさを感じる最近の気温。貴方は図書館が心地よく感じる事だろう。
「あー涼しい」
それは彼女も一緒のようだ。手で顔を扇ぎつつ、彼女は言う。
「じゃあ私、お目当てのものを探しにいくけど……」
ちらりと、彼女は視線をこちらに寄越す。此方がどうするのか気になるようだ。
彼女の視線を受けた貴方は一緒に探す事を告げるだろう。
「本当!? ありがと」
ぱっと花が開いた様な笑顔が彼女に咲く。そして彼女は貴方の手をぱっと取る。
「たぶんこっち、行こう?」
貴方は不意打ちに近い手のひらの柔らかい感触。髪が泳ぎ、彼女がふわっと香る。恐らくあなたは赤面するかもしれない。それ位には印象的な一瞬。
秒針が時を刻む間。貴方と彼女しかいなかった。静かな一秒は永遠にそして瞬間で走り去り、あなたは彼女に付いていく。
「んー何処だろ?」
新刊コーナーに辿りついた彼女は背表紙をなぞり始める。何かを探しているようだ。彼女が欲しいものは何か、と疑問に思った貴方は、彼女の背中に質問を投げ掛けた。彼女はびくりと背中を震わせる。
「え、えーっと?」
彼女は少し悩み、手近にあった本をパッと取る。
「こ、これ!」
手に取ったのは恋愛小説。映画でもやっていた有名小説。シンプルなボーイミーツガールな内容だ。貴方はそれに見覚えがある。前に読んだと言っていたような、そうで無いような。ともかく確かな既視感があった。
貴方は思わず指摘してしまう。読んだ事が無かったか? と。
「あっ!?」
彼女は手に持った本をわたわたと振り回した。どうやら何か手違いがあったのかもしれない。
貴方はわたわた、と慌てる彼女に落ち着け、と優しく声を掛けた。その声が届いたのか一旦停止する彼女。
「そ、そうだね。落ちつこう、落ちつこう」
すーはー、すーはーと深呼吸し、彼女は手に持っていた本を戻し、別の本を取り出した。
「こっちだったね、うんうん」
彼女は表紙を見て頷いている。
本の虫という程ではないが、時折本を読んでいたりする彼女。
読んでいる最中、癖のように長い髪を耳に掛ける。その姿を貴方はふと思い出す。
そんな彼女は、先程の失敗が恥ずかしかったのか、右手で髪を弄り、えへへとはにかんでいる。
「不意打ちは卑怯なりー」
と、彼女はおどけた。
そんな態度に貴方は冗談混じりの態度で返す事だろう。図書館で小さく談笑が起こる。
図書館でのやり取りに満足し、貴方同様に満足気な彼女にそろそろ帰ろう、と促した。彼女もそれに応じ、図書館から出ることとなった。
冷房が効いた図書館から出ると、暖かい風が出迎える。空では先程の夕焼けに夜空が混じりあい、あたかも一つの芸術の様に美しいコントラストを演出していた。
貴方は彼女と共に家路を辿る。本の事や、空の事、そういった他愛ない話をしながら。
そしてポツリ、ポツリと交わす言葉は少なくなっていく。夕焼け空に声が飲み込まれていき、お互いが沈黙した。
何か失敗したとかではない。お互いに次は何を話そうか、と逡巡する少しの間。
それを破ったのは彼女だった。
「本当はね……これを借りる為に図書館に誘ったんじゃないの」
その言葉には何か「決心」の様なものを感じ取った貴方。そして貴方は真剣な彼女の態度に向き合う様に、歩みを止めた。
彼女は薄く微笑みつつ、言葉を続けた。
「本当はね、貴方と喋るきっかけを探していたの」
えへへ、と彼女は頬をかく。
「夕焼けの教室であなたを見ていると、何を話していいか分からなくなっちゃって……」
彼女は言った。困った様にされど少しうれしい様なそんな表情をたたえながら。
夕焼けに染まる彼女。特別でない日常の一部、それだけの筈なのに、貴方は彼女から目が離せない。
彼女は言葉を続ける。
「だからね、本を借りに行こうかなー? って」
共通の趣味だしね、と彼女は言う。
茜に染まる空。彼女もまた橙色に染まっていた。
貴方の耳にばくばくと心音が聞こえてくる事だろう。それくらいには貴方は彼女に吸い込まれていた。ここは人も車も通る往来。貴方は少し逡巡し、場所を変える事を決心する。
少し遠回りしようか、と彼女に伝える。
「……うん」
彼女は静かに頷き、貴方の後についてくる。
夕焼け空に負けぬ程に、あなた達は茜色に燃え上がる。貴方は側を通る車の音すらも耳に入って来ない。
道すがら交わる言葉も少なく、お互いがお互いを意識しつつも手ごろな場所を探す。
幸い、近くには誰も遊んでいない小さな公園が横たわっていた。
誰もいない公園へと辿り着いた貴方達。人通りも少なく、何か二人で話すのならこれ以上無いという程の場所であった。
ドクン、ドクン、と心臓が跳ねる。この空気にお互い酔いながらも、雰囲気の間隙を探る。話し出す言葉をお互いが待っている。そんな状態であった。
緊張の最中、貴方は彼女に声を掛ける。雰囲気を壊さず、なおかつ的確なタイミング。彼女の視線と貴方の視線が交差する。
先程の話の続き。貴方はそれを聞こうとする。
「あのね、今もそうなんだ」
茜が差す中、彼女は貴方へと言葉を紡ぐ。
夕焼けなど目に入らない。美しい彼女の姿だけが目に焼き付く。
「ときどき、あなたと過ごしていると何を言えば分からなくなっちゃって」
彼女は必死に言葉を紡ぐ。
「話したい事は一杯あるのに、ずっとずっと話していたいのに、どうしようもなく胸が苦しいの」
真っ直ぐな思いが伝わってくる。彼女の言葉は貴方へと紡がれる。
「さっきの教室もそうだった。だから図書館に誘ったんだよ?」
彼女の視線は貴方へと。
貴方はきっと受け止めるだろう。
言葉に出来ない、大きな大きな思い。
「私、あなたの事が好き。どうしようもない位に好き……なんだ」
飾らない思いが、貴方へと投げ掛けられた。
貴方は、貴方の言葉で彼女に返答する。そう、例えるなら「月が綺麗ですね」と。
彼女は一瞬固まり、そして夕焼けに花か咲く。
夜空と夕焼け空が交わる黄昏時。二人が確かに繋がった瞬間だった。
「大好きっ!」
夕焼け空に、いや、貴方へと彼女の好意が投げ掛けられる。
貴方はしっかりと受け止めたのだろうか?
空には一番星が輝き始めていた。
かくして貴方は彼女と交際する事となった。飾らない思いも、まっすぐな気持ちも全てを内包した貴方達。
まだまだ道は続いていく、きっと幸せな道であるはずだ。
うららかな日差しの元、エプロン姿の「彼女」は声を掛ける。
「ねぇ、あなた? 覚えてる? あの時の事」
夕焼けにも、夜空にも、そして太陽にも負けぬ、あなただけの「月」はいつまでもそこにいた。
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