『出歯亀』と言う言葉を聞いたことがあるだろうか。
元は明治時代に発生した殺人事件の犯人のあだ名なのだが、事件以降はのぞき常習者や強姦などに及ぶ変質者などの好色な男性を差す蔑称として扱われる。
なぜこんな話をしたかと言うと、朝潮が着任してからの二週間、司令官の行動が常軌を逸しているからだ。
逸してると言ってもやっていることは所謂『覗き』だ、だが問題はその方法である、木陰でそっと見守る程度ならかわいいものだが、ゴツイ双眼鏡に始まり、それがバレると砂浜に穴を掘り迷彩を施し簡易の観測所を設置、どうも私兵を使って作らせたらしい、それを警戒して沖に出ればヘリコプターまで使用する始末、職権乱用もここまでくれば逆に清々しい。
考えてもみてほしい、30後半のオッサンが見た目は小学生くらいの少女二人を『出歯亀野郎』も裸足で逃げ出すような手段を用いて覗いてくるのだ、こちらからしたら恐怖以外の何物でもない。
「せめてバレないようにできないの?」
ちなみに朝潮は全くと言っていいほど気づいてない、ヘリが飛んでいても『満潮さん!ヘリコプターが飛んでます!、どんな人が乗っているんでしょう?』と言って手まで振る始末。
乗ってるのはアンタが尊敬してる司令官よ、目的は覗き。
「お前が気づかにゃヘリまで使わんでよかったんじゃがのぉ。」
まったく反省していない、それどころかやめる気もなさそうだ。
「気づいてるのが私だけだからいいけど、朝潮が気づいたら幻滅するわよ?」
「や、やっぱそうじゃろか……。」
まてよ?逆に『そこまで私の事を気にかけていただけるなんて、朝潮、感激いたしました!』とか言いそうな気がしてきた、けどいいや、黙っとこ。
「鳳翔さん、ジュースお代わり。」
朝潮が『トビウオ』を使って倒れた晩、ついて来ようとする朝潮を荒潮に押し付けて、私は恒例の司令官との晩酌をしに『居酒屋 鳳翔』に来ていた。
「覗くくらいなら堂々と見ればいいじゃない、なんでコソコソする必要があるのよ。」
この人は仮にも鎮守府の提督だ、駆逐艦の訓練を視察してるくらいで誰も咎めたりはしないんだから。
「いや、なんかその……会うのが照れ臭うてな……、あ、鳳翔さん、俺ピーマンの肉詰めね。」
思春期の中学生か!13歳の子供相手に何を言ってるんだこのオッサンは、姉さんの時も思ったけどガチのロリコンね!
「もしかして引いちょる?」
「身の危険を感じてるレベルよ。」
さすがに手は出さないとは思うけど、もし朝潮に何かしようものなら即憲兵さんに突き出してやる。
「はははは、手を出すわけないじゃろが、俺だってまだ命は惜しいわい。」
「命が惜しいならそろそろ覗きはやめたほうがいいわよ?間違って撃っちゃうかもしれないから。」
四六時中見られてるのは落ち着かないからね。
「最近は暇での、手持無沙汰なんじゃ。」
嘘だ、提督の仕事が四六時中覗きができるほど暇だとは思えない、朝潮が気になってしょうがないんでしょ?
「今日、朝潮が『トビウオ』を使ったな。」
あ、仕事モードになった、ここからは真面目な話をする気ね。
「偶然よ、直前に回避先を視線で追うなって言ったばかりだっから、それに気を取られて『脚』の維持忘れて沈みそうになったのを元に戻そうとしてああなっただけよ。」
「それだけでできる技でもなかろう?お前はもちろん、先代の朝潮ですら習得にかなり時間がかかったものだぞ。」
「それはそうだけど……、じゃあ司令官はあの子がやろうとしてアレをやってって言うの?」
それはあり得ない、『トビウオ』を見せたのは訓練初日の一回だけ、訓練後に自主練して習得ってのも不可能、訓練後のあの子は立つのもやっとなくらいまで疲弊してるんだから自主練なんかする余裕はない、っていうか部屋からでれば気づくもの。
「やろうとしてやったのではないと言うのは確かだろう、だがあの時の朝潮の体の動きは初日にお前がやって見せた『トビウオ』そのものだった。」
「何が言いたいの?」
私が初日にやって見せたのを覚えていて、それをとっさに真似したとでも?それこそあり得ない。
「あの子の射撃や航行時の姿勢がお前そっくりなのは気づいているか?」
「そりゃ教えてるのが私なんだもの、私に似るのは当たり前じゃない?」
何が言いたいのかさっぱりわからない、司令官はあの子の何に気づいたって言うの?
「姿勢だけではない、傍から見ているとまったく同じなんだ、射撃時の腕の振り方、腰の落とし方や舵をとるタイミング、お前が何か行動を起こす時に左足に若干重心を傾ける癖までな。」
私にそんな癖があったのか、まったく気にしてなかった、朝潮の事言えないわね。
「でもそれだけの事でしょ?むしろそっくりと言われるほど学んでくれてるんなら教える方としては嬉しい限りよ。」
それの何が問題なのか。
「言っただろう?『まったく同じ』だと、お前たちの訓練を撮影した映像を解析してみたんだが、お前と朝潮のモーションの誤差はほとんどなかった、いいか?私から見ればお前が二人動いてるように見えたんだよ。」
撮影までしてたのかこの変態は!いや待て、問題はそこじゃない、撮影の件は後で問い詰めるとして今は私と朝潮の動きだ。
誰でも人に教えを乞う際、まずは師の動きの真似から始めるものだ、だけどある程度動きを覚えれば意識していなくとも自分なりの癖が出てくる、もちろん異論は認めるわ。
司令官が問題にしているのはこの『自分なりの癖』が朝潮にはない事か。
「私の動きをそのままコピーしてるってこと?誤差も感じられないほどに。」
「そうだ、しかもたった二週間でな。」
そう考えると異常に思えてくる、あの子はけっして無能じゃない、私が教えたことは素直に実践するし覚えも早いと感じていた、才能だけならもしかしたら姉さん以上かもしれない。
「これはまだ仮説の段階だが、あの子は一度見た動きを正確に体にトレースできるのかもしれない。」
そんなバカな、もしそうだとしたら本物の天才じゃない!
「でも、あの子はいまだに私の砲撃をまともに避けられないわ、それはどう説明する気?」
あの子は右か左にしか回避しようとしない、そんな才能があるんなら私の砲撃なんて軽くかわせるはずよ。
「それは簡単だ、あの子は『回避の仕方』を見たことがないのさ。」
だから右か左にしか避けないの?『見たことがない』からそれくらいしか思いつかないってことなの?
「養成所時代に洋上で訓練をしたことがないのも今となっては僥倖だったな、余計なものを見ていないからお前の技術を文字通りそのまま吸収している。」
「司令官は知っていたの?あの子の才能の事。」
「いや、私も知らなかった、お前たちの訓練を観察していて偶然気づいただけだ。」
もし司令官の仮説が合っているなら今の訓練じゃいつまでやってもダメだわ、それこそ変な癖をつけかねない、じゃあどうする?朝潮に撃たせて私が避けるのを見せる?いやダメだ、いくら動きが似てたってあの子の砲撃なんて目をつぶっていても躱せる、そんなものを見せても意味がない。
「それでだ、明後日からの訓練に大潮と荒潮も付ける、お前たちの技術を全て朝潮に『見せろ』。」
八駆総出で朝潮を育てろって事ね、さすがにこれは軽巡やほかの駆逐艦には任せられない、八駆として行動する以上、私たちが積み上げてきた技術を覚えさせるしかない。
「わかったわ、訓練メニューも考え直す。」
「それともう一つ、実はこっちが本題だ。」
今のが本題じゃない?これ以上の事があるって言うの?
「これは朝潮には言うな、だが大潮と荒潮には伝えろ。」
朝潮には言うな?朝潮に関することじゃないのかしら、もしかして朝潮を除いて出撃とか?
「朝潮の現在の練度は40だ。」
「は?」
何言ってるの?朝潮の練度が40?まだ訓練初めて二週間よ?40って言ったら大規模改装が受けれる練度を超えてるじゃない、そんなことがあり得るの!?
「確かだ、妖精にも確認した、間違いはない。」
私たち艦娘は自分の練度を数字として見ることができない、司令官が妖精から知らされて初めてわかる練度は、言い換えれば艤装との同調率、練度10なら同調率10%と言うことだ。
なぜ練度と言うようになったのかは定かじゃないけど、ある艦娘が『そっちの方がソレっぽいじゃない?』と言ったのが始まりだとか、何がソレっぽいのかはまったくわかんないけど。
「信じられないわね……訓練しかしてないのにそんな数字……精々10に届くか届かないかくらいだと思ってたわ。」
「まあ、普通ならそのくらいだろうな。」
練度は訓練や実戦での経験に応じて上昇していくものだ、訓練だけ、しかもたった2週間で上がる練度など知れている。
「それもあの子の才能なの?」
「わからない、それとなく他の鎮守府にも確認してみたが、こんな例はないそうだ。」
それとも姉さんが力を貸してる?だから練度の上昇が早いのかしら、あの子を選んだのは姉さん自身なの?
「まあ、練度が上がること自体は問題ない、ただ、ないとは思うがこれで慢心してもらっても困る。」
「そうね……大潮と荒潮にもそう言っとくわ。」
あの子に限ってないとは思うけど、練度が上がったことで慢心して戦死する例はいくつか知ってる、練度が上がるごとに体は動きやすく、偽装の反応も良くなるから強くなったと、何でもできると勘違いしてしまうのだ、まあ実際強くはなっているのだが。
朝潮の顔が脳裏に浮かぶ、毎日一生懸命で、私の後を子犬みたいについて来て、表情もコロコロ変わって見てて微笑ましくなってくる。
あの子はこんな私に懐いてくれた、厳しい事しか言ってないのに、毎日足腰立たなくなるくらい痛めつけてるのに。
私も最近はあの子の事を妹のように思うようになってきた、朝潮型で言えば私の方が妹なのにね。
あの子には死んでほしくない、もちろん大潮と荒潮もだけど、私がこんなこと考えるなんて司令官が言った通り私はあの子に救われ始めてるのかもね。
「で?お前は明日なんするんじゃ?誰かと逢引きか?」
人が物思いに耽ってる時に急にプライベートモードになるな!ホントにコロッと変わるわね、性格まで変わってるんじゃない!?
「別に、ちょっと買い物に出るだけよ、だから明日外出許可ちょうだいね。」
「わかった、誰か荷物持ちつけちゃろうか?暇そうなのが何人かおるが。」
勘弁してよ!どうせ司令官の私兵でしょ!?あんな柄が悪い人たち連れて街を歩きたくなんてないわ!
「いらない、荷物持ちがいるほど買い物するわけじゃないし。」
「そうか?でもお前見た目はええけぇナンパとかされんか?やっぱ護衛で何人か……。」
あ~これ意地でも人を付けそうな感じだわ、だいたい私をナンパとかそれロリコン確定じゃない?見た目が幼い自覚はあるのよ?
「別に護衛はつけていいけど目立たないようにさせて、それと私の視界に入らないように。」
「わかった、一個中隊くらいでええか?」
護衛に一個中隊とかどんなVIPよ!てか一個中隊が暇ってどういうこと!?艦娘が主戦力とは言っても軍隊でしょ、訓練とかしないの!?
「そんなにいるわけないでしょ!?2~3人でいいわよ!」
「そ、そうか?」
はあ、頭痛くなってきた……。
「提督は満潮ちゃんが心配なのよ、はい、ジュースのお代わりと、提督にはピーマンの肉詰めです。」
心配って……、心配してくれるのは嬉しいけど過保護が過ぎるでしょ。
「親の心子知らずちゅうやつか。」
だれが親だ、アンタの娘になった覚えはない。
「満潮も食うか?うまいぞ。」
うげ!ピーマン!そんなもの勧めないでよ、そんなの食べ物じゃないわ!
「い、いらない……。」
「なんじゃい、まだ食えんのか、お前もう15歳じゃなかったか?」
15歳だからって食べれると思わないで!嫌いなものは嫌いなんだからしょうがないじゃない!
「べ、別に食べれないわけじゃないし……。」
けど食べれないと言うのは沽券にかかわるので一応食べれるとは言っておく、食べないけど。
「食堂の人が駆逐艦の子がピーマンを残すと嘆いていました、何かいい方法ないでしょうか提督。」
「丸ごと口に突っ込めばええんじゃないか?」
やめろ!マジやめろ!下手したらトラウマになる!
司令官と鳳翔さんが駆逐艦にピーマンを食べさせる方法を議論するのを、できるだけ聞かないようにしながら私は祈った。
明日の献立にピーマンが入っていませんように。
もう2話だけ幕間を挟んで本編を再開します。