駆逐艦寮は庁舎海側の東に位置していて、その中でも第八駆逐隊に割り当てられている部屋は先代の朝潮さんが秘書艦だったこともあり、庁舎のほぼ中央の二階にあり艦娘が使用する施設のすべてにアクセスしやすくなっている。
広さ10畳ほどの部屋に最低限の収納と勉強机が人数分置かれ、私たちは床に布団を敷いて寝ている、ちょっと手狭だけど、基本的に寝に戻るだけだからこれくらいで丁度いい。
時刻はヒトマルマルマル、いつも起きる時間よりかなり遅い目覚め、昨日の『トビウオ』の反動も一晩でだいぶ良くなったみたい、満潮さんは……、すでに出掛けた後みたいね。
「あ、起きましたか?」
枕の向こう側を見ると大潮さんが机で読書をしていた、青みのかかった髪を二つに結ったお下げと、私や満潮さんとは違う黒いサロペットスカート型の改二の制服、昔は無駄にテンションの高いバカだったと満潮さんは言ってたけど、今の大潮さんは落ち着いた雰囲気の優しいお姉さんと言った感じかな。
「お、おはようございます。」
「体の調子はどう?満潮から『トビウオ』を使って倒れたって聞きましたけど。」
「はい、一晩寝たら大分よくなりました。」
布団を畳みながら答えて、続いて制服に着替える、改二の制服もいいけど、私は満潮さんとお揃いの制服の方が好きだな。
「無理しちゃダメですよ?あ、そうだお腹空いてるでしょ?オニギリ作ってもらってるから食べる?」
どうしよ?確かにお腹は空いてるけどもうすぐお昼だし……、いや、せっかく用意してくれているのだから頂かないと失礼だ。
「いただきます。」
「もしかして『用意してくれてるのに食べないのは失礼だ』とか思った?食べれそうにないなら無理しちゃダメだよ?毎日倒れるまで満潮にしごかれてるんだら。」
「いえ!お腹は空いていますので!」
昨日満潮さんにも言われたけどそんなにわかりやすい顔してるのかしら。
「じゃあお茶煎れてくるね。」
「あ、それくらい自分でやります。」
「いいからいいから、朝潮ちゃんは座ってて。」
私を、部屋の中央に出してきた折りたたみ式のちゃぶ台の前に座らせて、大潮さんは隅に置かれた電気ケトルでお茶を煎れ始めた、なんだか至れり尽くせりね。
「はいどうぞ、梅干しとコンブだけど、大丈夫?」
「はい、好き嫌いはないので。」
前はブロッコリーが苦手だったけど、強くなるためには何でも食べれるようにならないと!と思って養成所時代に克服した!
「おお!偉い偉い!満潮なんかいまだにピーマン食べれないんだよ?」
満潮さんってピーマン食べれないんだ!意外に可愛いところあるのね。
「可愛いでしょ?あと辛い物もダメ、味覚が子供なんですよ満潮って。」
「大潮さんは好き嫌いないんですか?」
「ん~大潮は特にないかなぁ、何でも食べないと強くなれないしね!」
ですよね!あ~でも、極端に辛い物は私も出来れば遠慮したいかも、食べれない訳じゃないけど。
「ふふふ、満潮が言うとおり表情がコロコロ変わって面白いね、朝潮ちゃんは。」
「そ、そんなに変わりますか?自覚はないのですが……。」
「うん、考えてる事が丸わかりだよ?」
「うう、お恥ずかしい……。」
なんとか直せないもものだろうか、こんなんじゃ司令官にお会いした時気持ちがバレバレじゃない。
「別に直さなくてもいいんじゃない?可愛くていいと思うよ、司令官も気づかないふりくらいしてくれると思うし。」
表情だけでそこまで読めるものですか!?司令官とか一言も言ってませんよね!?もしかして書いてあるのかしら、顔に文字で考えてる事が浮き出てる!?
「そういえば朝潮ちゃんってどうして司令官の事が好きなの?会ったのって着任の時が初めてだよね?」
いや好きですけど、そんなにわかりやすい態度とってます!?
仕方がないじゃないですか、平静を装おうとしても司令官の前だと心臓はドキドキするし顔も熱くなっちゃうんです!
「あ、会ったのは初めてじゃないです、司令官は覚えておられなかったですが、私は幼い頃司令官に命を救われた事があって。」
「へぇ、司令官が陸軍にいた頃?その頃から好きなんだ♪」
そんな好き好き言わないでください!顔から火が出そうです……。
「陸軍時代の司令官かぁ、そういえばその頃の事あんまり知らないなぁ、どんな感じだったの?」
「いえ、私も聞いただけなんですけど……。」
私はモヒカンさんと金髪さんから聞いた話を大潮さんに話した、当時の私は幼さと恐怖のせいで、あの不器用な笑顔と手の暖かさくらいしか覚えていないんんだもの。
「深海凄艦を刀で!?あははははは!あの司令官ならホントにやっちゃいそうだね。」
ば、爆笑している、そんなに面白かったの?私は驚くくらいしか出来なかったけど。
「で、でもさすがに弱体なしの深海凄艦を斬るのは無理ですよね?」
「いやぁどうだろ、案外スパッと斬っちゃうかもよ?」
ホントに!?司令官って普通の人間ですよね!?それじゃ人外じゃないですか!
「あ、そうだ、いくら司令官の事が好きだからって不用意に二人きりになっちゃダメだよ?あの人ロリコンだから。」
「ロリコン?」
何かのコンテストかしら、ロンリーコンテストとか?
「幼女趣味、要は小さな子供が好きな変態さんだよ。」
司令官は変態さんなの!?いえ、だからといって司令官に恩返ししたいという気持ちは変わらないわ、それに幼女趣味なのならば、私でも司令官と、こ……恋仲になる可能性があるわけですし!うん、問題ないわ!
「当人たちには問題なくても社会倫理的にアウトですよ。」
もう私しゃべらなくてもいいんじゃないかしら!?考えてること筒抜けじゃない、読まれてるとかそういうレベルを超えてる気がするんですけど!
「そ、そう言えば荒潮さんはどこかに出かけられたんですか?」
話を逸らそう、このまま司令官の話をしてると恥ずかしさで轟沈してしまいそうだ。
「荒潮?あ~ムツリムの集会でも行ってるんじゃないかな?」
ムツリム?ムスリムの間違いじゃなくて?どんな集まりなんだろう。
「間違っても付いて行っちゃダメだよ?でないと朝潮ちゃんまで『あらあら』言うようになっちゃうからね。」
荒潮さんの『あらあら』はムツリムだからだったの!?
「大潮さんは荒潮さんが普段何してるか知ってるんですね、満潮さんは知らないって言ってましたけど。」
「満潮はね、記憶を封印してるんだよ、一回無理矢理連れて行かれたことがあるからね……。」
満潮さんが記憶を封印するほど酷い事されるの!?何それ怖い!!!
「そうだ、いい機会だから言っとくね。」
ん?なんだろう急に真面目な顔して、八駆の心得とかそんな感じの事かしら?
「満潮と一緒に居てくれてありがとう、朝潮ちゃんのおかげで最近よく笑うようになったんだ……。」
え?私は何もしてませんよ?訓練では怒られてばかりだし、訓練後もご迷惑ばかりかけて、嫌われることはあるかもしれませんが……。
「朝姉ぇが戦死して以来、満潮は周囲と壁作っちゃってさ、まともに話すのは私たちと司令官くらいで……、気持ちはわかるけど見てて痛々しかったんだ……。」
「そんな……、お礼を言われるような事は何も……。」
「ううん、満潮が明るくなったのは間違いなく朝潮ちゃんのおかげだよ、満潮の後をついて回る朝潮ちゃんって子犬みたいに可愛いし、たぶん、妹みたいに思ってるんじゃないかな。」
私が満潮さんの妹?本当にそういう風に思われてるなら嬉しいな、私一人っ子だったし、今度お姉ちゃんって呼んでみようかしら?
「大潮の事もお姉ちゃんって呼んでもいいんですよ?」
「え!?いや、それは恐れ多いと言いますか、その……大潮さんも満潮さんも私からすれば大先輩ですし……。」
それにちょっと照れくさい……。
「え~~、満潮も荒潮もお姉ちゃんって呼んでくれた事ないんですよ~~、だから……ね?」
う、すごく断りづらい、両手を合わせて頬に当て、上目遣いで小首をかしげたおねだりポーズ、これを見てお願いを断れる人がいるのだろうか、少なくとも私は無理だ。
「お、お姉ちゃん……。」
「はい!なんですか!あ、贅沢を言うなら『大潮お姉ちゃん』と呼んでほしいです!」
大潮さんのテンションが跳ね上がった!?今にも抱き着いて来そうな勢いだ!
「大潮お、お姉ちゃん……。」
「はぁうぅ~!いいですねいいですねぇ~アゲアゲになっちゃいます!」
アゲアゲって何!?なんか頭のお下げがすごい勢いで回転してるけど、そのお下げって叢雲さんの頭の奴みたいなものなんですか!?
「これからはその呼び方でお願いします!」
『フンス!』と聞こえてきそうなくらい興奮してるわね、でも人前でお姉ちゃんと呼ぶのは勘弁してもらいたいなぁ……、いや呼ぶのが嫌なわけじゃないですよ?その、なんて言うか恥ずかしいじゃないですか。
「あの、できれば部屋の中だけで勘弁していただけないでしょうか……。」
「ええ~~~、外じゃ呼んでくれないの~?」
これでもかというほどテンションが下がった!そんなにお姉ちゃんって呼んでほしいの!?
「でも部屋の中ではお姉ちゃんって呼んでくれるんですよね!?ね!」
と思ったらまた上がった!テンションのアップダウンがすごく激しいわこの人!
「は、はい、部屋の中だけなら。」
「おおー!やりました!完全勝利です!アゲアゲが止まりません!!」
わ、私の大潮さんのイメージが崩れていく……、いやこっちが素なんだわ、これが満潮さんが『無駄にテンションが高いバカ』と言った大潮さんか!
「今なら空だって飛べる気がします!いや、飛びます!!」
飛ばないでください、天井を突き破る気ですか。
「あ、あの大潮さんそろそろ……。」
「あ!ダメですよ?今は部屋の中なんですから『大潮お姉ちゃん』と呼んでください!」
なんでだろう、人差し指を立てて片手を腰に当て、若干前傾姿勢になったその姿はいかにも『めっ!』って言いそうな感じなんだけど、これ私が悪いの?
「お、大潮お姉ちゃん、そろそろお昼ですよ?食堂に行きませんか?」
「そうそうその感じ!やっぱりいいですね~♪満潮の事もお姉ちゃんって呼んであげるときっと喜びますよ!」
本当に喜んでくれるかな?『アンタ頭でも打ったの?』とか言われそうな気がするけど。
「きっと可愛いですよ~?顔真っ赤にしながら『な、何言ってるのよ!意味わかんない!』とか言いながらそっぽ向くと思います♪で、そのあと『べ、別に呼んでもいいけど、部屋の中だけにしてよね……。』とか言ってうつむいちゃいますよ!絶対です!!」
それは見てみたい気がする、今晩試してみようかしら!っていうか満潮さんのマネ上手いですね。
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・・
その晩、私に『満潮お姉ちゃん』と呼ばれた満潮さんの行動はほぼ、大潮さんの言った通りになりました、直後に照れ隠しなのか、私に散々関節技をかけてきましたけど……。
「朝潮ちゃん!お姉ちゃんやめて!って言うんです!そうすればやめてくれます!」
「はあ!?朝潮に変な入れ知恵したのはお前か大潮!!」
「あらあら、二人だけずるいわぁ、私も荒潮お姉ちゃんって呼ばれたぁい。」
無理です、関節決まってて痛くて声が出せません、っていうか助けて。
「み、満潮お姉ちゃん痛い……。」
「な!?まだ言うかアンタは!」
「あ、満潮の顔がさらに真っ赤に、嬉しいなら嬉しいって言えばいいのに。」
「そんなことよりぃ朝潮ちゃんが白目向いてるわよぉ?」
薄れゆく私の意識の中に先代の朝潮さんが出てきた、ああ、また来てくれたんですね。
助けが来たと思って安心しかけた私に先代はこう言った、『私の事もお姉ちゃんって呼んでいいのよ?』と。
いや、アンタもかい。
八駆の三人と少し打ち解けられたと思ったその晩、私の意識は満潮さんのチョークスリーパーによって刈り取られた。