「これはまずいな……。」
渾沌様から窮奇様に下された敵基地の破壊命令の先行偵察として来てみれば思いもよらない奴の来島と出くわしてしまった。
「容姿は変わっているが奴はおそらくアサシオ……。」
窮奇様が執拗に狙っている駆逐艦だ、数か月前の戦闘では窮奇様を轟沈寸前まで痛めつけた憎き相手。
しかもあの艦隊には北方の棲地を攻めた主力艦隊に居た赤い駆逐艦と戦艦も含まれていた、こちらの艦隊は窮奇様と私を除けばこの地で集めた水雷戦隊と潜水艦隊が二つづつに空母が2隻。
天候によっては空母は当てにできないが、確認されている敵基地の戦力を考えれば余裕があったのだが……。
それに奴らが加わるとなると、最悪の場合を考える必要が出て来るな。
「窮奇様に報告するべきか否か……。」
アサシオが来ていると知れば艦隊を放り出して向かってしまわれるだろう。
黙っていたところで、基地への攻撃を開始して奴が出て来れば同じだ。
「奴が島を出て行くまで攻撃を待つか。」
それも無理だ、アサシオにしか興味を示さない窮奇様は早く帰りたがっている、奴が所属していると思われる施設へ単艦で突撃しないようにしてもらうだけでも一苦労なのだ。
事情があるからしばらく待機してくれと言ったところで聞いてくれるはずもない。
「窮奇様には離れた場所からの艦砲射撃に専念してもらうのはどうだろう。」
出て来る敵基地の艦隊は潜水艦隊に相手をさせ、アサシオ達は私が水雷戦隊を率いて相手をし、窮奇様には敵基地への攻撃をしてもらえばアサシオを見て暴走される事もないかもしれない。
「これで行くか、基地さえ破壊できれば渾沌様の命令にも反しない。」
そうと決まればスコールがやむ前に窮奇様の所に戻ろう。
攻撃前に私が発見されてしまうと警戒されてしまうかもしれないからな。
「それにしても、窮奇様はなぜあそこまであの駆逐艦に執着なされるのだろうか……。」
数年前に片腕を吹き飛ばされたからか?だがあの時の個体と今の個体は恐らく別だ。
艦娘が私達と違って、粉々になっても再生出来ると言うのなら話は別だが。
「アイシテイル……。」
窮奇様がアサシオへ向けて放った謎の言葉、おそらく今の私には理解できない概念なのだろう。
窮奇様のような名前をお持ちになる上位種の方々は人間共と近い物の考え方をされるからな。
窮奇様が艦隊と共に待機している島に到着する頃にはスコールは完全にやみ、雲が晴れて星空が見えていた。
人間共が出す光に邪魔をされていない星空はやはり格別だな。
「……戻ったのか。」
浜に上がると、窮奇様が砂浜を歩いているところに遭遇した。
艤装は着けず、どこで手に入れたのかは不明だが、いつもより露出度の高い服装、確か人間共が水着と呼んでいるものだ。
黒の薄布二枚で、こうも窮奇様の艶めかしくも美しい肢体を際立たせるとは……人間の作る物もなかなか侮れないな。
月明りと星に照らされた海辺を優雅に歩くその姿はまさに美の化身、アサシオに奪われた左腕が痛々しいが、欠けている事で逆に儚さが加わり、美しさに磨きをかけているようにも感じる。
「なんだジロジロ見おって、気色の悪い。」
不快だとばかりに窮奇様に睨まれてしまった、ただでさえ窮奇様に良く思われてないというのに機嫌を損ねてしまうとは……。
世辞の一つも言えば多少は機嫌を直してくれるだろうか。
「申し訳ございません。窮奇様があまりにお美しかったもので……。つい。」
「貴様に褒められても嬉しくなどない。それより、敵基地の様子はどうだったのだ?さっさと報告しろ。」
機嫌を直してくれるどころかますます悪くなってしまった、まあ私が何を言ってもこの方の機嫌を損ねるだけなんだろうが。
「こちらの艦隊から得た情報にあった艦隊に加え、駆逐艦5隻に戦艦1隻の艦隊が新たに島に入るのを確認しました。」
「そうか、戦艦が居るのなら多少は楽しめそうだな……。」
嘘は一切言っていない、言ってないのはその艦隊にアサシオが含まれていた事くらいだ。
「貴様、何か隠してないか?」
窮奇様の鋭く細められ私を射貫く。
何か感づかれたか?どうする、アサシオが来ていることを言うべきか……。
とりあえずは赤い駆逐艦の事を報告して窮奇様の様子を見て判断するか、もしかするとそれで我慢してくださるかもしれない。
「そういえばその艦隊の中に赤い駆逐艦が居ました。北方で旗艦をしていた奴です。」
「……。」
それでも窮奇様が視線を外そうとしない。
あの時、窮奇様は赤い駆逐艦に興味を示されていたのに、この無反応ぶりはどうだ。
もう、あの駆逐艦には興味がないのだろうか。
「もうアサシオ以外の駆逐艦に興味はない。あの子はきっと独占欲が強いのだ、だから浮気をしていた私に腹を立ててまともに私の相手をしてくれなかったんだろう……。」
窮奇様が右手で体を抱き、辛そうにお顔を歪ませる。
なぜそこまで辛そうになさるのですか?アサシオの事をアイシテイルからなのですか?
言うべきなのだろうか……そうすれば窮奇様に笑顔が戻るかもしれない……。
そうだ、そうしよう。
暴走するのがわかっているのだからそれ前提で艦隊を動かせばいいのだ。
問題はどうやってアサシオだけ艦隊から離脱させるかだが……。
「窮奇様、アサシオも窮奇様をアイシテイルのですか?」
アサシオも窮奇様の事をアイシテイルのなら窮奇様を見て単艦で離脱する可能性がある。
アイシテイルという感情が艦隊行動や命令より優先されるものなら。
「当たり前ではないか。あの子と私は運命の赤い糸で結ばれているんだ、私の姿を見ればすぐに私の元へ来てくれるだろう。」
ウンメイノアカイイトとはなんだろう?結ばれていると仰るくらいだから回線のような物だろうか。
だが、窮奇様がそこまで仰るなら分断する事も可能かもしれない。
万が一に備えて、潜水艦隊一つで島の東側に窮奇様の退路を確保しておいて、残りの艦隊で敵基地を襲撃。
アサシオが出て来たことを確認した後に島の東側から窮奇様に姿を現していただこう。
通信で聞いた限りでは、この間の戦いでアサシオは駆逐隊を組んで窮奇様と相対していた、駆逐隊相手では流石の窮奇様も深手を負ったが、奴が単艦で窮奇様に向かうならその時の戦闘ほど被害は被らないはず。
奴は所詮駆逐艦だ、1対1なら窮奇様が負けることなどあり得ない。
数年前の戦闘でも、別に横槍を入れる必要はなかったのだ、いくら魚雷とは言え数発程度では窮奇様を沈める事など叶わないのだから。
「実は確証がないので報告すべきか悩んでいたのですが……。アサシオとよく似た駆逐艦が一隻、その艦隊に含まれていました。容姿が変わっていたため、私などでは判断し辛く……。」
ほぼ間違いはないだろうが、わざと隠していたと思われたらこの場で沈められかねない。
この方に沈められるのはかまわないが、この方をお守り出来なくなるのは望むところではない。
この方をお守りするためなら例えどれだけ罵倒されようとお側に居続けるし、この方を危険から遠ざけるためなら敵の艦隊を利用してでも撤退していただく。
それを続けていた結果、すっかり嫌われてしまったが……。
渾沌様が執り成してくださらなければ、とっくに沈められていただろうな……。
「ほ…とう…か…?」
「窮奇様?」
どうなされたのだろうか、目を見開いてフラフラと私に向かって歩いてくる。
お気に障ったのか?だが窮奇様のお顔は怒りではなく、驚きと喜びが混ざったような感じだ。
「本当にアサシオが居たのか!?あの島に!」
「か、確証はありあせんがおそらく……。何分、容姿が様変わりしていましたので私では……。」
窮奇様の指が肩に食い込む、だがよかった。
窮奇様に笑顔が戻った、頬を染めて瞳を潤ませるその表情は私の胸をキュンとさせるほど可愛らしい。
「そうか……。アサシオも来ているのか……。やはりあの子は私の運命の相手だ……。」
私から離れ、右手を頬に当てて星を見上げる窮奇様を見ていると胸の鼓動が鎮まらない、なんだこの感情は。
これがアイシテイルという感情なのだろうか、この方のためなら作戦などどうでもよくなってくる。
この方のために何かしてあげたくてしょうがない。
「オイ、私とアサシオを二人きりにする手段を考えろ。艦隊の指揮権は貴様にくれてやる。」
「すでに考えております。この私の命に代えても、必ずやアサシオと二人きりになれる場をご用意して見せましょう。」
この方が駆逐艦ごときに沈められるはずがないのだ、ならばアサシオから遠ざける事など考えずに二人きりにしてさしあげればいい。
それを邪魔する者がいるなら私が命に代えてでも迎え撃つ、私の命はこの方のためにあるのだから。
「いつぞやのように、マヌケなマネをすれば今度こそ沈めるぞ。渾沌が何を言ってこようが必ずだ。」
「は!肝に銘じておきます!」
口調はキツいが、そのお顔は喜びに満ちている。
この笑顔を守りたい、私の全てを賭けてお守りするんだ。
こうゆう時、人間は星空に願うと聞いたことがある。
人間の真似をするのは少し癪だがたまには良いだろう。
私は空を見上げ、満天の星空に願いを込めた。
どうか、この方の笑顔を守れますように……。