「退屈ですね……。」
退屈な上に蒸し暑い……、ながもんが部屋のドアを蹴破って私に襲い掛かって来たのを撃退して早三日。
私達は訓練以外にやる事もなく、それ以外の時間は無為に時間を過ごすことしか出来ていなかった。
「長門さんは『武蔵の事は私に任せろ』って言うばかりだもんね。」
任せて大丈夫なんですか満潮さん、ながもんじゃ無理だと思いますけど。
ちなみにながもんは、朝から盛っていたので鎖で簀巻きにして天井クレーンで宙吊りにしてあります。
縄では引きちぎられそうですからね、本当なら重りをつけて檻にでも放り込んでおきたいところですが、残念ながら重りも檻もありませんでした。
「とっとと解体して艤装だけ持って帰ればいいのよ。ダメよアレは、今まで見て来た艦娘で一番ダメだわ。」
神風さんがそこまで人をダメダメ言うのも珍しいですね、武蔵さんと何かあったのかしら。
「お風呂でも行かなぁい?このままじゃカビが生えちゃうわぁ。」
「ダメだよ荒潮。能代さんや早霜ちゃん、それに松型の子達が哨戒で頑張ってるのに、だらけてるだけの大潮達が呑気にお風呂だなんて許されるわけないでしょ。」
大潮さんの仰る通りですよ荒潮さん、べた付く汗をお風呂で流したいと言う気持ちはわからなくもないですけど……。
「スコールにでも当たってくれば~。シャワーみたいなもんでしょ。」
いやいや、いくら暑いと言っても風邪ひいちゃいますよ?風邪をひきそうにないのは神風さんとながもんくらいです。
「嫌よぉ、髪が痛んじゃうじゃない……。」
風邪よりそっちの方が心配ですか、荒潮さんらしいと言えばらしいですけど。
「そのスコールも止みそうな感じだけどね。また蒸し暑くなるわ……。」
窓の外を見ている満潮さんの視線を追ってみると、雲に隙間が出来始めてるのが見えた。
「訓練でもします?」
午前中も訓練はしたけど、ここでダラダラしてるよりは絶対に有意義です。
「私はいいけど。朝潮はそれでいいの?工廠に長門さん居るわよ?」
満潮さんにそう言われるまですっかり忘れていました……おのれながもん!どこまで私の嫌がる事をすれば気が済むんですか!
「ん?何かあったのかしら……職員の人たちが慌ただしいわ……。」
「ホントね、敵の襲撃かしら。でも警報は鳴ってないし……。」
満潮さんと神風さんが外の様子を見て何事かと訝しんでる、神風さんの言う通り敵襲なら警報くらい鳴りそうな気がするけど。
私達が外の慌ただしさにどう対応すべきか思案していると、廊下をドタドタと走る様な音が部屋の中まで響いて来た。
この足音は……ながもん!鎖で縛って天井クレーンで吊っていたはずなのにどうやって抜け出たの!?
バン!
「敵襲だ!総員、第一種戦闘配置に着け!」
ドアを乱暴に開いて入って来たのはやはりながもん、体を縛っていた鎖は影も形もないわね、まさか引きちぎったの!?鎖を!?
などと思ってる場合ではなかった、敵襲!?でも警報はウンともスンとも言ってないですけど……。
「警報は?敵襲なら警報くらい鳴るはずでしょ?」
ビー!ビー!ビー!ビー!
神風さんが真剣ながらも訝しむような顔で長門さんに尋ねた途端に耳をつんざく様な警報音が基地内に鳴り響きだした。
ながもんがドヤ顔で上を指さして『鳴ってる』とでも言いたそうなのが癇に障りますね。
「とにかく艤装を装着して指示を待つよ、皆急いで!」
大潮さんの指示で全員一斉に立ち工廠を目指して部屋を出る、最後尾じゃなくてよかった……最後尾だったらながもんに何かされていたかもしれません。
私達が工廠の前まで行くと、泊地の司令官が職員の方達に指示を飛ばしている所だった。
「艦長、敵の規模は?」
私達を代表して神風さんが泊地の司令官に尋ねる、でも艦長ってどうゆう事だろ?
「お嬢達か、丁度良かった。呼びに行かそうとしてたとこだ。敵は空母2、重巡1、軽巡2、駆逐艦8、それに潜水艦6が泊地正面に迫ってる。警報が遅れたのは完全にこちらの不手際だ、申し訳ねぇ。」
「弛んでるわね、ぬるま湯に浸かり過ぎて鈍ってるんじゃない?」
言い過ぎですよ神風さん、直接の上官じゃないにしても上官には変わりないですよ?
「迎撃は?こっちの艦隊は出撃してるの?」
「哨戒していた能代達をそのまま迎撃に向かわせた。だが能代達は対潜装備がメインだ、空母や水雷戦隊に対応しきれねぇ。」
まずいですね……、ならば潜水艦は能代さん達に任せて私達で空母と水雷戦隊を……こちらには一応戦艦が居ますし。
「司令、重巡が一隻居るって言ったわね?」
「ああ、ネ級が一隻、指揮を執ってるらしい動きをしていたと報告は受けてる。それがどうかしたのか?え~と……満潮だったか?」
司令から一隻だけ居る重巡がネ級だと聞いて満潮さんの表情が明らかに変わった、『まずい』と言いたげに視線を逸らしている。
「島の東か、東南東に敵の反応は?」
「今のところないが……そっちからも?敵が来るってのかい?」
「私の勘が正しければね……来るのはおそらく……戦艦棲姫。」
戦艦棲姫?どうしてネ級が居たら戦艦棲姫が来ると思うのだろう……。
そういえば、初めて窮奇と戦った時に奴が撤退するきっかけを作ったのもたしかネ級だったわね……ならば満潮さんが言っている戦艦棲姫とは窮奇!
「冗談じゃねぇ!ただでさえ数的に不利だってのに戦艦棲姫だと!?」
正面の敵艦隊に集中すれば横から窮奇の砲撃を食らう、かと言って窮奇に戦力を割けば正面が手薄になる。
窮奇が以前通り私を追って来るようなら、私一人で窮奇を引きつけられるけど……。
「司令、私と朝潮で戦艦棲姫を迎撃するわ。」
「たった二人で戦艦棲姫を!?それに本当に来るかどうかもわからねぇってのに、正気かお前!」
司令の言う通り、ただの勘で戦力を分けるのは危険すぎます、来るのが窮奇ならそれで足止めどころか戦闘海域から引き離すことも可能でしょうけど……。
「確証はないけど確信はあるわ。相手が私達が狙ってる戦艦棲姫なら私たち二人で戦闘海域から遠ざける事も出来る。」
「し、しかしだなぁ……。」
司令が手を顎に当てて考え込む、判断が難しいでしょうね。
だけど悩んでる時間はそんなにない、早くしないとスコールが止んで空母の爆撃が始まってしまう。
「わかった、朝潮と満潮は私が持ってきた改良型艦本式タービンと新型高温高圧缶をそれぞれ装備して東に向かえ。それで回避もしやすくなるはずだ。」
それまで腕組みして何やら考え込んでいたながもんが真面目な口調で会話に入ってきた。
不確かな情報で艦隊を分ける気ですか?満潮さんの言うことを信じないわけじゃないですけど、さすがに無謀なんじゃ……。
「長門、さすがに越権行為じゃない?ここの司令は艦長よ?」
「私達は横須賀鎮守府の直属だ、無礼だとは思うが艦長に私達への指揮権はない。」
いつものながもんからは考えられないほど凛々しい顔つき、戦艦長門の顔つきだ。
普段もそれなら尊敬しないでもないのに……。
「いや、長門の言う通りだお嬢。だが長門、それじゃ残りの敵はお前たち4人で相手する事になるぞ?」
「問題ない、ここに居る駆逐艦は全員並の駆逐艦じゃないんだ。数の不利くらいどうとでもなる。それに、戦力の当てがないわけでもない。」
大潮さんと荒潮さんは『マジか……。』と言いたそうなくらい達観した顔でスコールが止みかけてる空を見上げ、神風さんはニヤリとしてる。
神風さん、まさかこの状況を楽しんでません?
「それと司令、三式弾と高射装置はないか?対空は私が一手に引き受ける。対空電探もあればいいのだが。」
「ああ、ある。こっちだ。ただし電探は13号しかねぇぞ。」
司令に連れられて長門さんが工廠に向かっていく、今の長門さんは頼りがいがあるわね。
「朝潮、何をしている!時間がないぞ!」
長門さんに怒られてしまった……なんて複雑な気分なのかしら、さっきまで鎖で簀巻きにされて天井から吊るされてたくせに……。
「今の長門に逆らわない方がいいわよ。私達もさっさと行きましょ。」
神風さんに促されて工廠に入り、長門さんに言われた通り私は改良型艦本式タービンを、満潮さんは新型高温高圧缶を装備、機関が重くなったように感じるけど本当に回避しやすくなるのかな……。
「司令、奴の事を頼んでもいいか?今の状況は泊地にとって窮地だが、奴にとっては転機になるやもしれん。」
「……そうだな。わかった、そっちは任せておけ。」
奴とは誰のことでしょう?もしかして武蔵さんかしら。
じゃあ長門さんが当てにしている戦力とは武蔵さん?
工廠を出て桟橋までの道すがら、私達4人の後ろで神風さんと長門さんが何やらを話してるのが聞こえる。
「当てにするだけ無駄だと思うわよ長門。」
「まあそう言うな神風、アイツは必ず来るよ。私の勘がそう言ってる。」
長門さんの勘は当てになるのかしら……不安しか感じないんですけど……。
神風さんも長門さんに疑いの眼差しを向けて、まったく当てにしてなさそうな感じね。
「満潮、わかっているとは思うが、戦艦棲姫が来ないと判断出来たらすぐにこっちと合流してくれ。司令にああは言ったが戦力的に不利なのは変わらない。」
「わかってるわ。それと私からもお願いがあるんだけど、ネ級が私達の方へ針路を変えたらすぐに教えて。」
なんだかネ級が私達の方に来るのがわかってるみたいな言い方ですね。
わかってると言うよりは同じ事を考えているような感じかしら。
「旗艦と思われるネ級が艦隊を放り出すと言うのか?」
「ええ、もしかしたらそれで敵艦隊の動きも乱れるかもしれない。」
さすがにそれはないんじゃ……。
旗艦が艦隊の指揮を放棄して単独行動なんて有り得るんでしょうか……。
「わかった。満潮を信じよう。」
長門さんは信じちゃったみたいですけど……、と言うか大潮さんも荒潮さんも『そんな事もありましたね』的な顔をしてゲンナリしてる。
前にも同じような事をした旗艦を見たことがあるのかしら。
桟橋に到着すると、すでに10海里ほど先で戦闘が開始されているようだった。
敵艦載機の飛行音も遠くに響いている、戦闘海域ではスコールがすでに止んでいるのね。
「準備はできたな!横須賀艦隊!出撃するぞ!」
私達は長門さんの号令で海へと飛び出し、3海里ほど進んだ所で私と満潮さんは艦隊から離脱して東へと針路を変えた。
少し先には敵の索敵機や攻撃機が飛び回ってる、あんな所へ長門さん達は突撃していくのね……。
本当に窮奇は来るのかという疑念が頭の中を支配していく、もし来なければ艦隊を無駄に危険に晒す事になる……。
「信じられないって感じね。」
「いえ……そんなことは……。」
ないと言えないのが本音ではある、後ろに居る満潮さんの表情は分からないけど、傷つけちゃったかな……。
「あの索敵機の位置なら私達が艦隊から離脱したのは知られてるわね。窮奇を捕捉出来てなくても、来るかどうかもうすぐわかるわ。」
捕捉出来てなくてもわかる?満潮さんの考えがわからない、満潮さんはいったい何を知っているの?
『満潮!アンタの言った通りネ級がそっちに行ったわ!コイツも任せていいの!?』
通信で神風さんがネ級の離脱を知らせてきた。
これが満潮さんが言ってた『捕捉出来なくてもわかる』の根拠なの?
「ええ、私が対応するわ。朝潮はそのまま直進して。」
「ですが!」
姫級や鬼級ではないと言ってもネ級は深海棲艦でも上位の個体、それを1人で相手するなんて危険すぎる!
「心配しなくても、まともにやり合う気はないわ。私達がする事はあくまで足止め。アンタもそれを忘れるんじゃないわよ、アンタが相手しなきゃいけない奴はネ級より強いんだから。」
「わかり……ました……。」
「それに、アンタが私を心配しようなんて十年早いのよ。アンタ、演習で私にまともに当てれた事ある?」
「ないです……。」
たしかに満潮さんの回避技術は第八駆逐隊で一番だ、私程度が心配するなんておこがましいにも程がある。
「わかりました。ご武運を!」
「アンタもね。無理だと思ったら長門さんでも呼びなさい。駆逐艦顔負けの速度で飛んでくるわよ、きっと。」
それは出来るだけしたくないですね……似たようなセリフを敵味方両方から聞かされると考えただけで寒気がしてきますよ……。
満潮さんが針路を南西に変えて遠ざかって行く。
ここからは一人だ、先代もこんな気分だったんだろうか。
私が負ければ、泊地正面で戦っている皆に被害が及ぶ。
「そんな事……絶対させない!」
満潮さんと別れて10分程経っただろうか、前方に人より二回りくらい大きな黒い塊が見えて来た。
来てほしくなかったな……いつもながもんに追い掛け回されて嫌気がさしているのに、今日は貴女に
『アハハハハハハハ!!なんて嬉しいのかしら!お前の方から会いに来てくれるとは思わなかったわアサシオ!』
あちらも私に気づいた、例によってチャンネルなど無視した全周波通信。
これ……他の皆にも聞こえてるんですよね……きっと。
『さあ、あの時の続きを始めましょう♪大丈夫、今日は邪魔者は居ないから♪』
私からすれば貴女が邪魔者なんですが……貴女が来なければ皆と合流できたのに。
だけど以前と同じで私だけを追って来てくれそうね、私を無視して艦隊に行くことはなさそう。
これなら窮奇が戦闘海域に近づくのを阻止できる。
いいでしょう、今日だけは貴女にお付き合いします……。
貴女はここで私と踊り続けるんです、戦闘が終わるまで。
貴女と私、お互いが望んだ初めてのダンスです!
「駆逐艦朝潮。突撃します!」